第4話 さっそくもふもふ

 屋敷で働く人を捕まえて厩舎の位置を聞いたオリビアは、迷うことなく突撃した。広大な敷地の中に森までもを抱える公爵邸に建てられた、立派な厩舎。

 入口付近には手押しポンプ付きの井戸や飼葉かいばを保管しておくためのサイロや鍵付きの餌用倉庫まであり、牧場にも見劣りしない規模になっている。


「んんんん~! もふもふの気配がこんなにたくさん……!」

「気配というか、そこかしこに姿が見えてるじゃないですか」

「リズ。そこの物置を片づけてくれる? 拠点にするわ!」

「……良いですが、お嬢様は?」

「決まってるじゃない! まずは飼育員としてここの子たちに挨拶しないと」


 言うが早いか、オリビアはリズが止める暇すらなく突撃した。

 まずは一番手前に止まっていたペガサスに向かっていく。


(狙うは翼の付け根……! 教会の資料は擦り切れるほど読んだから完璧!)


「こんにちは」

「ヒヒンっ」

「今日からここでお世話になるオリビアよ。仲良くしましょう」

「ヒヒンっ!?」


 にこやかな笑みを湛えながらもにじり寄るオリビアに、ペガサスは只ならぬものを感じていた。野生の勘がコイツは危険だ、と告げている。


「大丈夫よ~……痛くないわ。天井のシミを数えてる間に終わるからね」

「ブヒンッ!」

「ぐべっ!?」


 思わず後ろ足で蹴られたオリビア。どれほど手加減をしていたとしても、ペガサスは魔獣だ。

 オリビアの身体が宙に浮いて吹き飛ばされる。


「お嬢様ッ!?」

「【癒しの風ライトヒール】……この程度じゃ絶対に諦めないわよ!」


 鼻血を垂らしたオリビアは地面にぶつかると同時、自分に回復魔法を掛けてふたたびペガサスに突撃する。


「ぼがっ……【癒しの風ライトヒール】」

「ヒヒンっ!?」

「ぐえっ……【癒しの風ライトヒール】」

「ヒヒィンッ!」

「ぴぎっ……【癒しの風ライトヒール】」

「ヒンっ……」

「ふふふ……ようやく素直になってくれた……!」


 驚きに固まっていたリズが我に返った時には、ペガサスは死んだ目で遠くを見つめていた。

 オリビアは翼の付け根に顔を埋めながらも、両手を器用に動かして胴体と翼を同時に撫でている。


「すーはー、くんくんっ!」

「お嬢様、何をしてるんですか?」

「毛と翼のもふもふ具合を同時に堪能しているのよ。ほら、この子も大人しいでしょ? きっと気持ちいいのね!」

「……お嬢様のゾンビアタックが怖すぎて諦めたように見えますが」


 ひとしきり翼の付け根を堪能し終えたオリビアは、水棲馬ケルピー有翼鹿ペリュトン一角馬ユニコーンに突撃し、先ほど同様に好き勝手もふもふしまくる。

 気性が穏やかなのか、それともペガサスの時のやり取りを見ていたためか。

 さしたる抵抗もなく体を預ける魔獣たちだが、心なしか諦めているようにも見えた。


「はぁ~最高! 飼育員になって良かった!」

「お嬢様。一応確認しておきますが、お嬢様の立場は飼育員ではなく公爵夫人ですよ?」

「えー」

「何で本格的に不満そうなんですか」

「無理だって。イグニス公爵様だよ?」


 分かっていたことだが、改めて断言されたことでリズが頭を抱える。

 その後も四つ腕熊や火炎鳥ガルダ、果ては槍蛇ヤクルス雨蛇竜ルンカヤスといった竜や蛇の鱗までを愛で始める。

 遠い地域にしか生息しない魔獣が相手でも、教会地下に封印されていた資料を覚えきっているオリビアに死角はなかった。


「はー♡ 冷たくてすべすべ……!」

「聖女やってた人とは思えない奇行ですね」

「こっちが素なんだから聖女のお勤めの方が私的には奇行よ。むずむずしたもの」

「知ってますけど」

「もしかして……リズも尻尾をもふってほしい? いてる?」

「お世話になりましたどうかお元気で」

「あぁぁ待って待って嘘だから! 冗談よ冗談!」


 リズを引き留めようとオリビアは全力で縋りついた。リズも本気で愛想をつかしたというわけではないらしく大人しく引き留められている。


「とりあえず私は清掃の続きですね。元は物置ですし二人で寝泊まりとなるとギリギリですが、お嬢様は平気ですか?」

「うん。……どうしてもだったら、私はこの仔たちの誰かと一緒に寝るよ?」

「仮にも公爵夫人がそんなことをしてはいけません!」


 リズに叱られ、オリビアはしょんぼりと肩を落とした。


「はぁい……とりあえず飼葉とか餌とか用意してくるね」

「何を食べるか分かるんですか?」

「うん。書庫にあった魔獣関連の本はほぼ暗記したから! 禁書庫もこっそり漁ったから珍しい仔もバッチリ!」

「……その情熱をもう少し別の所に向けていただければ……」


 再びリズに叱られそうになり、あはは、と笑って誤魔化す。そのまま厩舎の壁に掛けられた農業用の大型フォークを使って古い飼葉をザバザバと退かしていく。

 綺麗になったところで魔法を使って糞尿を浄化すれば掃除は完了だ。


(まだ触れ合えてない仔もいるけど、ご飯そっちのけで好き勝手やるのは可哀想だもんね……ご飯後にブラッシングさせてもらおーっと)


 厩舎入口のサイロから新しい飼葉を取り出して配っていく。草食の魔獣たちが見慣れないオリビアを興味津々に見つめていたが、食欲には勝てなかったのかやがて視線を切ってみ始める。


(お腹がいっぱいになってお昼寝とかする仔がいたら、一緒に休ませてもらおっと)


 飲み水を追加したところで弾んだ呼吸を整えるために立ち止まる。飼葉の運搬も水の運搬も重労働だ。慣れている者ならばいざ知らず、仮にも聖女を務めていただけの人間が軽々とこなせるようなものではなかった。


 呼吸を整えながら様子を伺い、根拠なく添い寝してくれそうな魔獣を何頭か見繕みつくろっておく。

 ある程度落ち着いたら、今度は肉食系の魔獣のための飼料だ。


 魔獣用に用意された、食肉にならない部位の干し肉を取り出して水に漬け、乾燥大豆も大桶に撒いてから水を注いでいく。


「ふふふ……オットー・フォン・グレイマー著『魔獣の生態系』によれば、オーツ麦もかなり良い栄養素を含んでいるはず……これで毛艶けづやアップね」


 ぶつぶつ呟きながら大豆にオーツ麦を混ぜたり、粉末にして肉にまぶしたりと加工を施していく。吸水が終わったところで仕上げだ。


「【解毒アンチドーテ】! 【浄化ピュリファイ】!」


 魔力が降り注ぎ、肉と大豆から害になりそうなものを消していく。聖職者たちが使う魔法で、本来ならば人命救助のために使われる魔法だ。

 さらには、


「【祝福ブレス】!」


 聖女にしか行使できない最上級魔法のうちの一つを放った。

 キラキラと魔力が輝き、干し肉と大豆に吸い込まれていく。


「お嬢様……何やってるんですか」

「……ごめん。そうよね」


 背後で呆れ声のリズに声を掛けられ、苦笑いとともに謝罪する。


「お肉と大豆にだけ【祝福】するの不公平よね。飼葉もやらないと——【祝福】!」

「いえ、あの……私がお訊ねしているのはではなくてですね」

「あっ!? そうね!? お水もよね!? 【祝福】!」

「なぜ、神の祝福を授ける神聖魔法を食物に……って、もう良いです。聖女の時と違ってお勤めもありませんし、魔力を節約する必要もありませんしね」

「そうよ。髪の毛が薄いって騒ぐ貴族のために魔法を磨いたわけじゃないもの。国を守るために戦ってくれてる魔獣のご飯を良いものにした方がずっと有意義だわ」

「私が言いたいこときっちり理解してるじゃないですか」


 リズとしてもオリビアの言い分には一理あると感じてしまったのでこれ以上の追及はしない。

 本当に神の加護が必要な者ではなく、コネやツテを持った者が大金を寄付して【祝福】を受けようとする、なんてのはよくあることだった。


「さて、私たちもご飯にしますか」

「そうね……って。あれ? あの、なんで厩舎の外にいるのかしら」


 オリビアの視線の先、厩舎の出入口付近に、銀の体毛を湛えた巨大な狼が鎮座していた。


「お嬢様。厩舎の外にいるということは騎士団の魔獣ではない可能性があります。お気を付けください」

「ええ……グレイトウルフの亜種? いえ、亜種は体毛が白のはず……未発見の個体の可能性もあるけど、どちらかといえばもっと上位の……?」


 ふらふらと近づくオリビアだが、リズが首根っこを掴んで止める。


「人より大きいんですよ!? ゾンビアタックなんてする間もなく頭から丸かじりされますって!」

「ええ、そうね……私もダイアウルフの亜種って可能性を考えてたわ」

「話を聞けぇぇぇぇぇ!!」


 必死に止めるリズだが、オリビアは夢遊病患者のように前に進もうとする。二人が引っ張りあっていると、当の巨狼はゆっくりとした足取りで厩舎の中に踏み入った。

 魔獣たちは何かを感じ取っているのか、鳴き声の一つも上げることなく白銀の巨狼を見つめている。

 巨狼を上位者と認識しているのか、膝を折ってこうべを垂れたり、視線を逸らす者も多くいた。


 巨狼はそんな魔獣たちを意に介さず、オリビアの眼前に鼻先を近づけると腰を下ろした。

 縦に割れた黄金の瞳はしっかりとオリビアを見据えているものの、敵対心を持っているわけでも、ちょっかいを掛けようとしているわけでもなさそうだった。


「……もしかして、触っても良い、のかな……?」


 呟くようなオリビアの問いに、巨狼の頭が静かに揺れた。


「ね、ねぇリズ! 今良いよって言ってくれたよね!?」

「……まことに遺憾ですが、私にもそういう意思表示に見えましたね……」


 リズの手が緩む。

 オリビアは慎重に、ゆっくりとした動きで巨狼に手を伸ばした。


「わぁ……温かい……それにすごくもふもふ……!」


 ゆっくりと顔を埋めて頬ずりする。オリビアはうっとりと微笑み、それから巨狼の瞳を覗き込んだ。


「ねぇ。あなた、もしかして夢の中でったことない?」

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