第3話 恋に落ちた日

 出会いそのものはだが、ルーカスがオリビアに惚れたのは、三年ほど前のことだ。


 新設したばかりの鷹獅子騎士団は東部の国境沿いで大規模な戦乱に明け暮れていた。

 損耗率は敵の方がずっと多い。にも拘わらず敵兵は後からどんどん追加投入され、終わりが見えることはなかった。春先に始まった戦は、すでに夏を終えようとしていた。


「くそっ! 東の帝国のやつら、どんだけ戦力を投入してきてんだ!」

「嘆くな。私たちが負ければ民が蹂躙される」

「分かってますよルーカス様! でもこれ以上は……!」

「鍛え方が足りん。帰ったら訓練を追加だな」

「俺じゃないッス! 騎獣ッスよ!」


 部下の一人が告げた悲鳴のような言葉がルーカスに刺さった。

 如何に訓練された魔獣が強力な存在だとはいえ、半年近くも戦い続けているのだ。矢傷を受けて戦線から離れている者もいたし、小さな傷に至っては数えきれないほどの数になっていた。

 人間のための傷薬や包帯ですら不足していた。魔獣のための分など、どこにもありはしなかった。 


(分かっている……だが、ここは耐えるしかない)


 鷹獅子グリフォン騎士団には戦果が必要だった。

 魔獣を扱う性質上、鷹獅子騎士団には黒い噂が付きまとっていた。


 曰く、気に入らない団員の手足を齧る。

 曰く、敵も味方もなく暴れまわるだけの獣を飼育している。

 曰く、捕虜を生きたまま食べさせ、敵のせいにしながら村を襲って田畑を荒す。


 魔獣という存在を恐れるあまりに広がった荒唐無稽な噂話。

 始めは放っておいたルーカスだが、噂は消えるどころかどんどん広まり、今では不作や疫病、雨が降らないことまで鷹獅子騎士団のせいだと言う者が出る始末だった。


 実際、王宮では魔獣を使うのは不吉だから解散させては、という声まで上がっている。


(行き場を失えば魔獣たちは危険な存在として処分される……それだけは避けなければ)


 目の前にいる部下を始め、鷹獅子騎士団に取り立てられた騎士たちは平民が多い。貴族に敬遠されていることも間違いないが、もっとも大きな理由はそれではなかった。

 幼い魔獣を保護し、家族として接してきた者たちを受け入れているのだ。都市部で暮らす貴族に比べ、魔獣の多い森や山の近くで暮らした者たちは魔獣をよく理解している。


 危険な存在ではあるが、時には同じ地で暮らす隣人であり、時には血よりも濃い絆をもった家族でもあるのだ。


 そういった者たちに居場所をつくるために騎士団を創設し、保護した魔獣を家族にした者たちを騎士に取り立てたのだ。


 ルーカスの騎乗するグリフォンも、卵のときからずっと一緒にいる兄弟のような存在だった。


「耐えろ。援軍は打診している」

「俺たちがり潰されてから駆け付ける算段じゃないですかね……」

「考えるな」

「ろくな装備もない獣人を送ってきやがるだけだ。肉壁にでもしろってのかよ! 同じ人間だぞ!」

「……考えるな」


 部下の乗るユニコーンの角が折られ、ルーカスのグリフォンが片翼を失った。ぎりぎりのところで味方にかばわれて撤退することが出来たが、誰がどうみても戦える状況じゃなかった。


「GURUAAAAAAAッ!」

「無理だ! その傷で動けばお前が死んでしまうっ!」

「GURURURURURU……」


 ルーカスのために無理を押して立ち上がろうとするグリフォン。その隣では角を失ったユニコーンが部下を乗せて戦場に戻ろうと、頭をぐいぐいとこすり付けていた。


「クソ……ここまでか」


 戦線を維持するために作られた砦の中、絶望が染みるようにルーカスを蝕んだその時だ。


「……? 外が騒がしいな」

「だ、団長! 援軍です! 最高の援軍が来ましたっ!」

「第一騎士団が間に合ったか!? それともまさか、聖堂騎士団……?」

「い、いえ……聖女様です! 聖女様が……!」


 砦に来たのは、最低限の護衛すらつけていない聖女だった。四頭立ての馬車には御者と侍女が乗っているだけだ。

 どう考えても不自然な身軽さで現れた聖女は、瞬く間に傷ついた者たちを癒していった。


(あれは……の……?)


 微かな記憶に鼻腔をくすぐられ戸惑うルーカスをよそに、聖女は迷うことなく傷病者に駆け寄った。

 声をかけると、必死に魔法を使い、たちまち傷を癒していく。


「獣人さん達は大丈夫ですか?」

「兵士さん達も並んでください!」

「もふも——ま、魔獣がケガを!? 回復魔法が効くか試してみましょう!」


 人間と獣人を。

 それどころか魔獣までもを分け隔てなく癒す聖女。


 球の汗を浮かべ、絹のような金髪を額に張り付かせながら懸命に魔力を振り絞る彼女は美しかった。


「……お、おれはもうだめです……聖女さま、他のヤツを」

「馬鹿なことを言わないでください! あなたが死んだら世界的な損失です!」


 胴体をばっさりと斬られた犬獣人を必死に治療し。


「……聖女さま……自分が死んだら、王都の家族に愛してるって」

「自分で伝えなさい! 私は伝言なんて預かる気はありません!」


 背中に深々と矢が刺さった兵士を癒し。


「GURURURURURURUR」

「大丈夫です。大丈夫ですよ……」


 野生種ならば人を生きたまま食らうことすらあるグリフォンにも迷うことなく手を差し伸べる。


「お願い、少しだけ我慢して」

「お、お嬢様! 危険です!」

「もふも——体のつくりが分からないからもっと寄らないと」

「抱きしめる必要はないでしょう!?」

「この子は同種族がまったくいないもの! 独りきりじゃ寂しいはずよ! けがをして心細い時はぬくもりが必要だわ!」


 身体に受けた傷だけでなく、魔獣の心までも癒そうとするその姿は、まさに聖女だった。


(そうか……言った通り、本当に聖女になったのか。頑張ったんだな……)


 そわそわしながら声をかけるタイミングを伺っていたルーカスだが、なかなか踏ん切りがつかなかった。


(私を覚えているだろうか……いや、姿でなければ覚えていてもわからないか)


 ルーカスが逡巡しゅんじゅんしている間に、更なる来客があった。

 それも、望んでいなかった来客だ。


「聖女様! 勝手に抜け出したばかりか戦場に向かうなど!」

「けがを癒すのが聖女の仕事です! 傷ついたもふも——兵士の皆さんを放っておけるわけないでしょう!」


 教会勢力である聖堂騎士団だった。


「俺たちが援軍を打診しても断った癖に、よくもまぁ顔を出せたもんッスよね」

「クソ……あいつら戦う気はなさそうだぞ。ここまで来といて加勢すらしねぇのかよ!」


 教会が抱える聖堂騎士団は、オリビアを連れ戻すために戦場を訪れていた。教会の判断ではなく、自らの意思でここに来ていたオリビアは叱られ、さっさと連れ戻された。

 聖堂騎士団たちは加勢どころか挨拶すらしなかった。


「聖女様は……自分の意志でここにきたのか……」

「怒られるのを覚悟で、俺たちを助けるために」

「危険を顧みず……魔獣たちを癒すために」


 聖女は去ったが、戦の流れは変わっていた。傷が癒えた兵士たちはそれまでよりさらに奮闘した。


「聖女様に勝利を捧げよ!」

「せっかく癒してもらったんだ! 生きて帰るぞ!」


 膠着状態だった戦場は一気に決着がついた。

 魔獣たちも、こころなしか力強く、覇気に満ちていた。


「聖女オリビア……か」


 その時からずっと、ルーカスの心には聖女がいる。


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