第2話 旦那様の態度
トランクに数少ない私物を詰め込んだオリビアがリズとともに訪れたのは王都から馬車で東に二週間、国の端にあるイグニス公爵家の領地だった。
訪れたオリビア達に対応したのは当主にして
騎士団長として鍛え上げたのだろう。服の上からでも分かる練り上げられた肉体をカチッとした騎士服に包んでいた。
青みがかった銀髪に端正な顔立ちに穏やかな笑みを浮かべ、鋭さのある金の瞳でオリビアを見つめる姿は下手な女性よりもよほど色気を感じさせる。
「オリビア。よく来てくれたね」
微笑むルーカスにオリビアはしっかりと頭を下げた。
「初めまして! あの、結婚が無理なのは承知していますが、お願いがあって来ました!」
「……何?」
予想外の第一声に、ルーカスの表情が曇る。
「鷹獅子騎士団の飼育員として働かせてください!」
「……飼育員? てっきり私の妻になってくれるものだと思っていたが」
「イグニス公爵様が女性嫌いなのは存じていますし、私の噂もここまで届いていますよね?」
オリビアが小首をかしげれば、ルーカスは眉間にしわを刻んだ。
「聖女では無かったとか偽者だったとか、そういう
「ええ。ですから公爵様の名声を傷つけないためにも結婚ではなく飼育員を、と思いまして」
「魔獣の世話が君のようなか弱い女性に勤まるとは思えないな。大の男ですら逃げ出すような仕事だぞ?」
「出来ますよ! 教会に保管されてた資料は覚えるまで読んできましたし、万が一魔獣に
齧られる前提の提案。あまりにも
老年の侍女長が紅茶を注ぐ音が室内に響く。
「それにホラ、魔獣が騎士のお仕事でけがしたり病気になっても癒せます! そりゃ悪い噂も一緒についてきちゃいますけど、結構お買い得だと思いますよ?」
「……寝るところはどうする? 妻になってくれると思っていたから私の部屋にしか用意がないぞ」
「
「お、お嬢様!? 正気ですか!?」
リズが目を剝いて止めようとするがオリビアは頑として譲らなかった。
「むしろ厩舎に寝泊まりさせてください! お願いします!」
「……そんなに私と一緒の寝室は嫌か」
眉間に割れそうなほどの深いしわを刻んだルーカスが大きな溜息をつく。
「分かった。君が望むなら飼育員として雇おう……だが、せめて食事だけは私と一緒に取ってほしい」
「……? わかりました」
「厩舎で寝泊まりすることも許可しよう」
(厩舎で寝泊まり……もふもふ達と二四時間三六五日ずっと一緒にいられるっ! い、いくら払えばいいのかしら……!)
「あ、あの、お、お礼……! 何をお支払いすれば良いですか!?」
飼育員として雇われたオリビアが、お礼に何かを支払う——どう考えても意味の分からない提案に虚を突かれたルーカスはきょとんとして、それから声を上げて笑った。
「ははははっ! 支払いか。そうだな、それでは私に対して敬語を使うのをやめてもらおうか」
「えっ!?」
「敬語を使ったら飼育員はクビだ」
くく、と笑いをかみ殺しながら告げたルーカスに、オリビアはコクコクと頷いた。
「厩舎が辛ければいつでも私のベッドを空けて——……」
「ありがとうございますっ! さっそく今すぐ厩舎に向かいますね!」
「……は?」
オリビアは立ち上がった。
(もふもふが待ってるわ。めくるめくもふもふ達が私のことを……っ!)
そのまま退室してしまったオリビアを追うため、リズも頭を下げて辞した。
後に残されたのは、紅茶を
静寂が場を支配する。
湯気を上げる紅茶を飲むべき人間がいなくなってしまったので、侍女長は仕方なくルーカスにだけ渡した。
「お坊ちゃま。これはどういうことですか」
「お坊ちゃまはやめろ、ヘレン」
「オリビア様に婚姻を打診し、先方から良い返事を頂いていたはずでは?」
「……何か食い違いがあったのかもしれないな」
不満げに紅茶に口をつけるルーカス。乳母としてルーカスが生まれた時から一緒にいるヘレンは大きな溜息を吐く。
「そもそも、なぜ厩舎暮らしや飼育員をなさる許可をお与えになったのですか」
「……オリビアが望むことは何でもしてあげたいんだよ、私は」
「甘やかすのも結構ですが、ばあやの見立てではまったく意識されておりませんよ……?」
「うるさいな! 分かってるよ!」
「戦場では
「……結婚式の準備は進めておくし、厩舎での寝泊まりが嫌になったら私の寝室に招き入れる」
「あの様子ですと、厩舎での寝泊まりを嫌になるとは思えませんが」
ルーカスはこめかみを軽く揉み、視線を天井に向けて大きく深呼吸をする。
「……教皇の命で嫌々嫁ぐ羽目になった可能性や、
「……それで、オリビア様のご提案を全て受け入れたのですね」
「ああ。私の望みは彼女の幸せだからな」
言いながら目を閉じたルーカスが思い出すのは、オリビアに恋をした時のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます