第7話 謝罪

「そういえば、団員の方たちに挨拶とかってしなくて良いのかな」

「確かに見ませんね」


 ルーカスの呼んだ仕立て屋にいろんないろんなポーズをとらされたり所を測られたりしながら、オリビアはふと考えた。

 鷹獅子グリフォン騎士団の厩舎があり、魔獣たちが生活しているのに騎士たちは姿が見えないな、と。


 採寸が終わり生地やデザインを選ぶ段になってルーカスと合流したのでそのことを訊ねてみれば、単純な理由だった。


「ああ、君が来るときいて、粗野なあいつらが無礼を働いてはいけないからな。部下には休みを取らせた」

「平然と言ってますけど、奥様が来ると分かったお坊っちゃまはそわそわして、歓待かんたいのために少しでも時間をつくろうと右往左往うおうさおうしていたのですよ」

「ヘレン、余計なことは言わないでくれ」


 いらずらっぽいヘレンにルーカスは厳しい視線を向ける。

 整った顔立ちだからこそ迫力のある表情だが、ヘレンの話を聞いたあとでは怖さを感じられなかった。


「ルーカス様、そうなの?」

「……これでもオリビアと婚姻できるのを楽しみにしていたんだよ」


 実際の挙式はどれほど急いでも半年は後になるが、聖女の婚姻はかなり特殊な部類に入る。

 相手と合意を得るときに婚姻承諾書への署名は済ませているのだ。

 オリビアも退任が決まった時に署名しており、教皇を通じてルーカスに渡っているはずだった。


「そうだったの……何だかごめんなさい」

「奥様が謝ることはございませんよ。坊ちゃまが勇猛果敢ゆうもうかかんに攻め入れば良かっただけの話にございます」

「私はオリビアの笑顔が見たかったんだよ」

「その結果、坊ちゃまは仏頂面ぶっちょうづらになっているではありませんか」


 思わず笑いそうになったオリビアだが、自分のことを想ってくれているルーカスを笑うのはさすがに申し訳ないので何とか思い止まった。


(嬉しい……嬉しいけれど、何でルーカス様は私なんかを喜ばせようとしてくれるのかしら)


 魔獣もふもふがいないこともあり、オリビアは冷静だった。

 両親の厳しいしつけに加え、聖女試験を突破できるほどの努力を積み重ねたオリビアは非常に優秀だった。


 冷静であれば礼儀を払った言動を取ることくらいは難しくなかった。


「ええと。ヘレンにも言ったけれど、私、何もできないよ? 聖女じゃなくなっちゃったし、教会とのツテも——」

「そんなものは不要だ。私が欲しいのはオリビア、君なんだ」

「えっと……何かのなぞかけ……?」

「ハァ……これはヘレンが正しいな。もっと果敢に攻めなければ君には何も伝わらないようだ」


 両親のせいで地の底に落ちた自己評価。その歪みを正すためにはこのままでは行けないと気付いたルーカスは、圧を感じる笑みを浮かべた。


「君が納得するまで、分かりやすくはっきりと伝えていくことにしよう」

「お、お手柔らかに……?」


 何を納得したのか、妙な威圧感とともに頷いたルーカスは、ポケットからシルク張りの小箱を取り出した。


「罪滅ぼしというわけではないが、君に贈り物をさせてほしい」


(ま、まさか飼育員の任命書類……!)


 的外れな期待に頬を染めるオリビアだが、その期待はあっさりと裏切られる。


「いま採寸している仕立て屋のドレスはもちろん、懇意こんいにしている商店に声を掛けた。装身具アクセサリーを贈らせてほしい」

「あ、ありがとうございます」


 箱に収められていたのはネックレスだ。

 細い鎖の先には小さな宝石が散りばめられ、狼の形になっていた。目の部分には一つだけ色味の違う宝石があしらわれている。


「綺麗! それに可愛い……!」

「周囲はスフェーンという宝石だ。ダイヤよりも強い輝きを放つ」

「目の部分は?」

「琥珀だ。太古の水が閉じ込められたものだ」


 琥珀は太古の樹液から出来た宝石だ。扱いも他の宝石に比べると軽く、本来ならば贈り物というよりも普段使い用である。

 ただし、それは中に何も入っていない場合のみ。


 石となる前、粘性のある樹液だった時に、偶然中に閉じ込められたものは希少価値が跳ね上がる。多くは虫や木の葉など、学術的な価値だけが高くなるだけだが、


「綺麗……水が動いて、まるで狼が生きてるみたい」


 ルーカスが用意させたというそれは芸術品としても類を見ないものだった。


「生きている可能性もあるぞ?」

「……?」

「その水入り琥珀は、初代聖女が【祝福】を施したものらしい」

「え”っ!?」


 オリビアは思わず固まった。

 初代聖女の祝福、といえば聖女の証にもなっている永久とこしえ花冠はなかんむりと同レベルの品となる。最低でも国宝レベル。下手をすれば、他の国宝をいくら積んだところで釣り合いの取れないほどのものだった。


 いくらルーカスが王族の直系だとは言え、そんなものを受け取って良いのか。

 

 固まっている間にルーカスはとろけるような笑みを見せ、迷うオリビアに無理やりネックレスを受け取らせた。


「気に入ってくれたならば何よりだ」

「素材選定からデザインまで、仕事をほっぽり出してかかりきりになっていた甲斐がありましたね」

「ヘレン、だからそういうことを言うな」

「……そんな貴重なもの、貰えないわ!」

「じゃあ処分だな。知ってるか? 琥珀は元々が樹液だから、暖炉に放り込むと火が付くんだ」

「なななな、何を言っているんですか!?」

「君のために考え、君のために父から譲り受け、君のために作ったんだ。要らないなら処分する」

「駄目よ!」

「じゃあ貰ってくれるかい?」

「……ありがとう、ルーカス様。大切にするわ」


 もらった小箱を胸の前で両手に包み、オリビアは頭を下げた。

 かなり強引ではあるものの、ルーカスが言った通り、このネックレスはオリビアのためだけに存在しているものだ。

 オリビアとしても嬉しくないわけではなかった。ただ重すぎるだけだ。


(これ、どういうときに付ければいいの……?)


 戸惑いながらもルーカスを見れば、はにかむように微笑み返された。途端に少年のような雰囲気が滲み、幼さを感じさせる。

 頬に熱が集まり、魔獣たちにするようにルーカスの頭をもふもふしたくなったが、オリビアは自分でもなぜだか理解できずに俯いた。


「私が選ぶばかりでは偏ってしまうだろうから、リズ殿と一緒に好きなものを好きなだけ頼んでくれ。これでも公爵領の経営と騎士団長としての年給でそれなりに稼いでいるからね」


 国家予算ほどじゃないが、と言いながら笑うルーカスだが、規模が大きすぎてオリビアにもリズにもいまいち伝わらない。

 元、ではあるが王族というもののスケールの大きさに改めて驚かされる。


(もしかして、このネックレスも普段使いに……? さ、さすがにないわよね?)


「私、何も返せないのに……」

「良いんだよ。私がそうしたいんだから。……厩舎への出入りも引き続き認めよう。肩書は公爵夫人にしてもらうけれど、団員達にも通達しておく」


 ただし、と付け加える。


「危ないことはできればしてほしくない。魔獣は人間を殺してしまえるだけの力を持っているんだ。それだけは忘れないでくれ」

「はいっ! ありがとうございます!」

「あと、力仕事なんかも無理してしなくて良いぞ。水も飼葉も重いからな」


 やけに実感のこもった言葉だ。


「えっと、ルーカス様もやったことがあるの?」

「ああ。魔獣を恐れて、飼育員はなかなかなり手がいないからな。私も含め、騎士団全員が輪番でやってるんだ」

「えっ、それじゃ余計私がやった方が良いんじゃ……」

「体を鍛えてる騎士たちなら大した重さじゃない。オリビアはブラッシングをしたり、クチバシや鱗を拭いてくれれば、十分だ」

「ありがとうございますっ! 出来る限りは頑張りますね!」

「……友達、できると良いな」

「はいっ!」


 オリビアが跳び跳ねて喜ぶのを見て、ルーカスも口元を緩める。

 黄金の瞳は月光のように柔らかくオリビアを見つめていた。



***



 王都。オリビアが居なくなった教会では次代の聖女選定に腐心していた。

 大聖堂の地下に集められた聖女候補たちが並んで最終科目に臨んでいるが、その結果は芳しいものではない。


「次! 七番、アンジェリカ!」

「は、はい」


 少女たちは厳しい試験に合格した王国きってのエリート達だ。ここまでくれば聖女に選ばれた者はもちろん、選ばれなかった者たちでさえ教会内での地位は約束されている。

 にも関わらず、名前を呼ばれた聖女候補たちはまるで死刑を宣告されたかのように、真っ青な顔をしながら前に歩み出ていた。

 彼女が進む先に置かれているのは、最終科目の——永久とこしえ花冠はなかんむりだ。


 初代聖女が祝福を込めた、永遠に枯れないはずの冠はしかし、聖女候補が手を近づけただけで色を失い、萎れていく。


「不合格だっ! 失せろ出来損ないが! 次! 八番、リリアーヌ!」


 聖女候補として優秀な成績を収めていた少女は、その努力のすべてを否定され、涙を目に溜めながら走り去る。

 その後ろ姿を憎々しげに睨むのは選定の見届け人を任されているイーノック枢機卿すうききょうだ。

 オリビアを率先して追い落としたのは、次代の候補がしっかりと育っていることを確認してのことだった。


「貴様も失格だ! 花冠が枯れたらどう責任を取るつもりなのだ! とっとと消え失せろ!」


 新しい聖女がオリビアに比べて力が弱い可能性は十分に考慮した。それでもイーノック自身が後見こうけんに就き、支持基盤である獣人差別主義者たちに支援してもらえば問題ないと踏んでいたのだ。

 自分の影響が及ぶ者を新しい聖女に立ててしまえばこっちのもの。そう思ってオリビアを退任させたのだ。


 まさか、永久の花冠が候補者全員をこれほどまでに拒絶することなど、予想だにしていなかった。

 そもそも永久の花冠は生き続ける植物というだけで、聖女候補を拒絶するなどという話は聞いたことがなかった。

 

 最初の一人にしても、異変に気付くのがあと少し遅れれば花冠を完全に枯らしてしまうところだった。


「どうする。どうすれば良い……!」


 用意したすべての候補が聖女になれなかったことで、イーノックは追い詰められていた。


(花冠の前でオリビアにもう一度辞任させるか……いや、そもそもオリビアが花冠も諦めるのではないか……?)


 原因など分からない。

 そもそもが前代未聞の事態なのだから原因究明できるはずもない。だが、思いついたことはすべて試してみなければならない。

 さもなくば、イーノックに未来はないのだ。


「おい、誰か! 聖堂騎士団を呼んで来い! それから聖女候補だった女から、一番切羽詰まっていて、聖女になるためなら何でもやる奴もだ!」


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