第8話 月光絹

 それからオリビアは生地を選んでドレス作りを終えた。

 オリビア自身は無難なデザインや色を選んだのだが、リズにああでもないこうでもないと却下され、結局はかなりのバリエーションを作ってもらうことになった。

 更に言えば、


「これだけで家が建ちませんか……?」

「言ったろう? 稼いでいる、と」


 ルーカスの指示で用意された特別な生地で一着、プリンセスラインのドレスを仕立てることになった。

 魔獣化したかいこに特別な餌を食べさせて飼育することで取れるその糸は、稀少価値においても美しさにおいても他のものとは一線を画す。

 流通にすら許可が必要な生地は、ルーカスの髪と同じく夜闇を切り裂く月光のような銀色をしていた。


月光絹げっこうぎぬですか……売買の許可を持っているとは、さすがは公爵様です」


 プリンセスラインのスカートの上から同じく月光絹で編まれた精緻せいちなレースが掛けられたそれは、輝いているようにも見えるドレスだった。


「さっきのネックレスもそうだけど、こんなに貰えないわ!」

「君を着飾らせる楽しみを奪わないでほしい」


 それとも、とルーカスは黄金の瞳を怪しく輝かせた。

 煽情的せんじょうてきな視線に艶やかな唇。かおるほどの色気だ。


「私から愛は、受け取りたくない?」

「あ、愛って……!?」

「教皇倪下げいかに君との結婚を打診したとき、猊下からも『丁度私に話を持っていくところだった』と聞かされた。オリビアは私と夫婦になってくれるつもりだったんだろう?」


(えっ!? ルーカス様から!? あ、あれは私を傷つけないための嘘じゃなかったの!?)


「それ、は、そうだけど……」

「いきなり夫婦になる、というのも難しいだろうし、無理はしなくて良い。だが、私はそのつもりだ。少しずつで良いから考えてほしい」

「……はい」


 言いたいことを言い終えたのか、ルーカスはすっきりした顔でいとまを告げた。


「さて。すまないがこの後も仕事があるから中座ちゅうざさせて貰う……他にも欲しいものが出来たらヘレンに言ってくれれば用意してくれるだろう」

「あ……はい。無理しないでね」

「ああ、ありがとう。やっぱり君は優しいな」


 ルーカスは眩しそうに笑い、オリビアの髪を壊れ物のように優しく撫でた。

 それから一房だけ手にとって口付ける。


「……今は髪で我慢しよう。続きは君がになった時に」

「へ、ぁっ……」


 顔を真っ赤に染めたオリビアが腰砕けになるのと、上機嫌なルーカスが部屋を後にしたのはほぼ同時だった。


「大丈夫ですかお嬢様」

「えっと、え? いや、でも、だってルーカス様って女嫌いで……」

「お嬢様の美貌びぼうに掛かればどんな女嫌いでも一発です」

「でも……そんな……だって……もう聖女じゃないし……何の価値もないのに」


 上気した頬を抑えながらも本気で困惑するオリビアに、リズが大きなため息を吐いた。


「何を言っているんですか。それが『好き』ということでしょう?」

「そ、そうなの……?」

「公爵様が贈り物をなさったのは、お嬢様に何かを頼むためでも、何かに利用するためでもないと思いますよ」

「そうかなぁ……」

「そうです。お嬢様、ここが正念場ですよ。絶対に公爵様と良い関係を築かなければなりません」


 リズが真面目な顔でオリビアを覗き込む。

 耳も尻尾もビリビリと毛を逆立てるほどの気迫だった。


「な、なんで?」

飼育員なんてわがままもふもふ狂いを受け入れてくれる貴族の方なんてそうそういるはずがありません! ましてや女性ですら見惚れるほどの美貌に、月光絹のドレスを贈ろうとする甲斐性! ここで逃したら一生どころか来世でも後悔しますからね!」


 従者の演説に押し切られ、オリビアは顔を赤くしたまま小さく頷いた。





 一方、執務室ではルーカスがヘレンとを行っていた。


「……攻めすぎていなかったか? あれこそ嫌われる理由にならないか?」

「なりません。奥様も顔を赤くしておりました。万が一何かを言われたら謝罪し、またプレゼントを贈る口実にするのです」

「……たくましすぎやしないか?」


 ぼやくルーカスに、ヘレンが笑顔のまま圧を強めた。


「恋とは戦です。ばあやの見立てでは奥様は初恋すらまだのご様子ですから、包容力と甲斐性で理性など蕩かしてしまえば良いのです。私が旦那様に出会った時なんて——」

「あー、待て。ヘレンの惚気は胃もたれする。小さいころから耳が溶けるほど聞いたからもう充分だ」


 適当にあしらったルーカスはまぶたに焼き付いたオリビアの姿を思い返す。


(初恋もまだ、か……当たり前だ。あの小さな女の子が、本当に聖女になってしまうほど努力を積み重ねたのだから)


 色恋沙汰いろこいざたはおろか、友達と遊んでいる暇すらなかったに違いない。


(もっとも、では友達をつくることも容易ではなかっただろうが)


 その努力の成果である聖女という立場を追われたのだ。平常心が保てなかったり、普段ならばしないような言動を取ってしまっても仕方ない、というのがルーカスの考えだった。


「それで、坊っちゃまはいつ頃、ご自身のことをかされるおつもりですか?」

「……もう少しだけ様子を見て、だな」

「奥様は動物や魔獣にとても強い愛情を抱いているご様子。秘密を明かしても⎯⎯」

「ヘレン」


 ルーカスは頭を振り、それから僅かに微笑んだ。


「心配してくれてるのはわかってる。でもな……さすがに無理だ」


 言いながらルーカスは自分の手のひらを見つめた。

 ざわり、と皮膚が波打ち、銀の体毛に覆われていく。爪が生え、肉球が膨らみ——ルーカスの座っていたところには、巨狼が鎮座していた。


「先祖帰りは吉兆きっちょうとは言うがな。母はこの姿を見て悲鳴をあげ、……そして私を化け物とののしったんだ」


 国に伝わる建国神話。

 初代聖女と神獣フェンリルが国興しをしたと伝わるそれはだった。

 初代国王は二人の間に設けられた子供だった。


 そのためか、王族の中には時折、こうして神獣フェンリルの姿に変われる者が現れるのだ。もっとも、長い歴史の中でルーカスを入れてもわずかに四人。ルーカスの前にこの力を得た者は200年も前の人物だった。


 この姿に初めて転変した時、ルーカスの母はパニックを起こしてルーカスを殺そうとした。ルーカスとて何が何だか分からない状態だったが、ただ母に拒絶されたことがショックで狼のまま家——つまり城を飛び出したのだ。

 神獣フェンリルの身体は凄まじい力を秘めており、むやみに走り回ったことで山をいくつも越えてしまい、迷子になった。

 途方に暮れたルーカスは狼の姿のまま彷徨さまよい、人の匂いがするところを探した。


 そして、オリビアに出会ったのだ。


 ——自分とは違って何の変哲もない少女でありながら、自分と同じく親に捨てられてしまった少女に。


「このまま隠していては、本物の夫婦になることなどできません。それに、オリビア様はあなたを捨てたあの女とは違います」

「分かっている」


 強気で攻め続けていたヘレンだが、ルーカスの表情を見て言葉を止めた。


「……分かっているんだよ、ヘレン」

「出過ぎたことを申しました。坊っちゃまが奥様を射止められるよう、このヘレン、身命を賭して職務に当たらせていただきます」

「いや、自分で頑張る……ヘレンは身命を削ったりせず、少しでも長く仕えてくれ」


 ルーカスの言葉に、ヘレンはいつも通りに穏やかな笑みを返した。


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