第9話 ユニコーンとジャック

「さて、頑張りますか!」


 飼育員として活動する許可を得たオリビアは、朝から厩舎に来ていた。

 ルーカスに贈ってもらったドレスではなく、仕立て屋に超特急で注文した作業着――上下が一体化しているツナギと言われるもの――を身に纏い、タオル生地の端切れや何本かのブラシを腰のベルトにぶら下げていた。

 魔獣の毛だったり植物の繊維をしごいたものだったりと多種多様のブラシは、すべて魔獣のためのものだ。


「……お嬢様って呼ぶのやめた方が良いですかね?」

「え? 何で?」

「世のお嬢様がたに申し訳ない気持ちになるので」

「えー……まぁ良いけどさ」


 オリビアは不満そうに唇を尖らせながらも端切れをもって向かうのは厩舎の最奥、主とでも呼ぶべき魔獣の元だ。


「おはようございまーす」

「GURR……」


 喉を小さく鳴らして応えたのは鷹の頭に獅子の身体、そして立派な翼を持った魔獣だった。

 ルーカスの騎乗する魔獣、グリフォンだ。

 四肢を畳んで寝そべっていたグリフォンは、大きな鷹の目でオリビアを真っ直ぐに見据える。

 しばらく見つめあったのち、再びグリフォンは頭を下げて目を閉じた。


「オッケー、ってことよね!?」


 そっと近づき、まずは鋭いクチバシを拭き上げる。グリフォンが微動だにしないのを良いことに、そのままブラッシングに移って、ついでとばかりに整えたばかりの体毛に頬ずりまでしていた。


 小さく喉を鳴らしたグリフォンは、他の魔獣たちとは違ってオリビアの奇行に動じることなく好きにさせている。

 じゃれつく仔猫に動じることなどない、と言わんばかりの姿はまさに天空の覇者に相応しい姿だった。


「はふぅ……毛並みも絶品……まさに空を統べる者……!」

「天空を制覇するのに毛並みは関係ないと思いますが」

「あるよ! もふもふの方が気持ちいいでしょ!?」


 リズに無視されたので再びお世話もふもふに戻るオリビア。

 そのまま他の魔獣たちにも同じようにお世話をしていると、休み明けの騎士が入ってきた。

 刈り込んだ茶色の短髪に、こめかみに残る傷痕が目を惹く若い男だ。


「おはようございます」

「……押忍オッス


 オリビアに不愛想な返答をして農業用フォークを担いだのはユニコーンを騎馬とする騎士、ジャックだ。

 眉間に深いしわを刻んだまま飼葉の入れ替えを行い、水を汲んでいく。


「ウンコは、嬢ちゃん……あー、オクサマがやったんスか?」


 あまりにもストレートで下品な物言いにリズが眉を動かしたが、オリビアは笑顔でうなずいた。


「【浄化】の魔法を掛けるとボロボロって崩れてなくなってくの」

「そうッスか。便利ッスね」


 ぶっきらぼうにそれだけ返すと、ジャックは再び作業に戻っていく。

 奥から手前まで厩舎全体の手入れをするジャックが丁度愛馬であるユニコーンの前に差し掛かったところで、今度はオリビアから声を掛ける。


「良い毛並みね! 美人さんですよ!」

「ひひんっ」


 ユニコーンの角を磨き上げ、身体を丁寧にブラッシングするオリビアに、ジャックはあからさまに鋭い視線を向けた。

 教会にいたころ、一部の人間からよく向けられていたその視線の意味を、オリビアとて気付いていた。


(嫌ってる? いや、怒ってる、かな。私、何かやっちゃった?)


 教会ではイーノック枢機卿を始めとした獣人差別主義者からもっと酷い応対を受けてきたこともあり、この程度では動じることなどなかった。

 これから飼育員をやっていくに当たって、愛すべきもふもふの主達とはできればいい関係を築きたい。


「あ、ジャックさん。この子、なんて名前? 普段はなんて呼んでるの?」

「……名前なんてないッス」

「えっ」


 驚いて顔を上げたオリビアをさらににらみつける。


「ソイツはお貴族様の愛玩あいがん用なんかじゃねぇッス。いつ死ぬかもわからない戦場を駆けるためのに名前なんかつけねぇッス」

「……どう、ぐ?」


 オリビアがふらりと視線をあげる。

 そこには紛れもない怒りが浮かんでいた。


「訂正しなさい!」

「断るッス。文句があんなら厩舎から出てけッス! 愛玩動物が欲しいならルーカス様に犬でも猫でも頼めば良いじゃないッスか!」

「この仔たちにも命があるわ! それを道具だなんて――」

「うっせぇ! 戦場に出たこともねぇ女が偉そうに説教すんじゃ——ふがっ」


 ジャックが怒鳴りつけようとしたところで、ユニコーンが割って入った。ブラッシングしたばかりの頬をこすり付けてジャックの口をふさぐ。


「おい、お前どういうつもり――もががっ」

「この仔も道具扱いされて不満なんじゃない? 意思も感情もあるものね」

「テメェ、ルーカス様の嫁だからって調子に――もごっ」


 邪魔され続けて碌に言い返すこともできないジャックだが、睨むような鋭い視線が突然泳いだ。周囲の魔獣たちもこうべを下げ、跪くような体制になっている。

 不審に思ってオリビアが振り返れば、そこには騎士団の官服を着こなしたルーカスが立っていた。


「何をしている?」

「ルーカス様」

「団長……自分、納得できないッス。いくら団長のオクサマでも、何も分かってないヤツにユニコーンを触られたくないッス」

「分かってない!? 私はただ、この仔を道具扱いするのをやめてって言ってるだけよ!」

「それが分かってねぇ証拠なんスよ!」


 いがみ合う二人の間にルーカスが身体を差し込んだ。


「二人ともそこまでだ。まずはジャック……私の副官なのだから、貴族に対する振舞いや言葉遣いをきちんと覚えろと言っただろう?」

「……申し訳ないッス」

「それからオリビア……君もそのくらいにしてやってくれ。ジャックだって本当は分かってるから」


 ぽんぽんとオリビアの頭を撫でたルーカスは、そのままユニコーンに手を伸ばし、ゆっくりと撫でた。


「朝から騒がしくてすまんな」

「ぶるるんっ」


 ルーカスは真剣な表情をしていた。


「戦場では命を落とすこともある……他の団員と自らの魔獣の命を天秤に掛けることもな」

「……っ!」

「最悪の場合、解体して食料にする可能性だってあるんだ。必要以上に優しくしないのも、名前をつけないのも、に正しく判断するために必要なことなんだよ」


 食料。

 その言葉にオリビアが目を見開いた。


「酷いことを言ってすまない。でも、ここの騎士たちの多くは生まれてすぐの魔獣を引き取って育てた平民たちだ。オリビアが考えているよりずっと大切にしているよ」


 バツが悪そうに頬を掻くジャックへと視線を向けたルーカスは、先ほどまでの真剣さとは打って変わっていたずらっぽく微笑んだ。


「教えてくれないだけで、密かに名前をつけている者もたくさんいるぞ……第一、ユニコーンが嬉しそうにブラッシングされてるのを見てくらいなんだ。嫌いなはずも、本心から道具だと思ってるわけもないだろう」


 ジャックが顔を赤くして視線を逸らしたことでオリビアも本心が理解できた。


「……勝手なことを言ってごめんなさい。あなたたちがをできるようにしているのは、私たち国民を守るため、だよね?」


 オリビアが深く頭を下げれば、ジャックは頭を掻きむしった後で自らの頬を両手で思い切りはたいた。


「こちらこそ、オクサマを前に大変ご無礼な態度を取って申し訳なかったッス! 俺……僕、あー……自分の無礼を許していただきたいッス!」

「くくくっ……言葉遣いはもう少しだな」

「いいえ。とっても気持ちが伝わったわ」


 くすりと笑うと、先ほどまで使っていたブラシを差し出す。


「ごめんなさい。お詫びに、このブラシを貸してあげる」

「……いえ、自分は、別に……」

「大切な相手なら、なおさらきちんと触れ合った方が良いわ。会えなくなってから後悔するもの」


 それは、かつて”友達”だった犬との別れを経験した者の言葉だった。事情は知らないながらもジャックも何かを感じたらしく、眉をさげてブラシを受け取る。

 寂しげに微笑むオリビアに、ルーカスが歩み寄る。


「オリビア」

「えっ、きゃっ!?」

「私はどこにもいかない。約束するよ」

「と、突然なに!?」

「オリビアにも分かりやすいように全力で示しているだけだ」


 オリビアは背後から抱き留められていた。

 包みこまれるように抱かれ、身動きが取れなくなる。助けを求めようと周囲に目を向けるもリズは微笑ましげに見ているし、ユニコーンとジャックはブラッシングを始めていた。


「気持ちいいか」

「ひひんっ」

「そうかそうか。道具なんて言ってごめんな」

「ぶるるん」

「許してくれるか。今度給料が入ったらニンジンとリンゴを買ってくるからなー」

「ひひんっ♪」

「お前は美人なだけじゃなくて性格も最高だな」


 わざとらしい会話は”話しかけるな”という意思表示に違いなかった。

 どうしようと、と視線を彷徨さまよわせるオリビアの耳元で、ルーカスが囁く。


「オリビアは良い匂いがするな」

「ちょっと、どこをっ……!」

「はむっ」

「~~~っ!?!?!?」


 耳を甘噛みされてオリビアが声にならない悲鳴を上げた。恥ずかしさで全身の血液が沸騰するんじゃないかと思うほど体が熱かった。


「み、皆見てるから!」

「誰が? 誰も見てないぞ?」

「えっ」


 気付けばリズもジャックもわざとらしく背を向けていた。それどころか、厩舎内の魔獣たちも空気を読んで一匹残らず視線を逸らしていた。


「誰も見てないし、問題ないな?」

「~~~っ! 大ありよ!」


 何とか脱出しようともがくオリビアだが身体に力は入らず、食事の準備が出来た、とヘレンが呼びに来るまでルーカスに抱きしめられたままだった。


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