第6話 狼とヘレン
「そんなことが……本当なのですか?」
「今となっては夢なのか本当なのかわからない。寂しかった私がつくりあげた幻聴だったのかもね」
「いえ、そっちではなくもふもふのためだけに合格率0.001%、世界でも最難関と言われる教会の聖女試験を受けて合格したことです」
「本当よ。魔法だって寝る間も惜しんで練習したもの」
呆れ半分、驚き半分のリズをよそに、オリビアは巨狼に向き合った。
「ね。あの時の狼さんでしょ?」
手だけはわしゃわしゃと喉の辺りを撫で続けているが、視線はぶれることなく狼を見据えていた。
「お嬢様……まさかとは思いますが、匂いや手触りで判別できるのですか……?」
心なしか目を
「わかるわけないでしょ。どの仔も皆良い匂いだし、狼さんは夢だって言ってたもんね」
「狼の言葉を信じるんですか」
「信じるわ。大切な友達だもの」
「じゃあ何で質問したんですか」
夢の中で出逢ったのであれば、再会することなどあり得ない。
リズの質問に、オリビアははにかむような笑みを見せた。
「喋れたらいいなって。あの時はありがとうって伝えたいの……今の私があるのは、ルーカスのおかげだから」
オリビアは巨狼の耳を柔らかく掻いた。巨狼も気持ちよさそうに目を細める。
続いて背中や尻尾、前足や眉間など、あますところなくオリビアは
巨狼はされるがままになっているものの、だんだんと嬉しそうではなくなっていく。どう考えても構いすぎだった。
それでも反抗はせず、遠い目をして耐えている辺り、賢く人に慣れているのは間違いなかった。
「お嬢様……物置小屋の掃除が終わったら、一度本邸に行きましょう。寝具と食料だけでも公爵様にお願いしなければ、寝泊まりできません」
「えっ!? 私は別にこの仔たちと一緒なら
「駄目に決まってるでしょう!」
「……仕方ないわね。でも、お願いしたくらいで寝具や食料を下さるかしら。私、何か怒らせてしまったみたいだったけれど」
なんでもないことのように呟くオリビアに、リズは唇を尖らせる。
「私には、公爵様はお嬢様に気があるように見えましたけれど」
「まさか! 聖女でもないのに私に価値があるわけないじゃない!」
「……はぁ……さっきの話を聞いた後だと突っ込みづらいネガティブ具合ですね」
おおよそ聖女という役職とは釣り合わない低い自己評価。その原点が両親との関係にあるとすれば、オリビアの言動もリズにもなんとなく納得できた。
リズは眉間を軽く揉みながらもオリビアに近づいていく。
「さらさらの金髪! きめ細かい肌! おまけにぱっちり二重の可愛い顔! 普通の男ならば人生の一つや二つ投げ出してでも求婚するくらいには美人です……喋らなければ」
「えっ!? それって褒めてる? それとも
オリビアの問いを無視してリズは演説を続ける。
「にも関わらず公爵様の態度が煮え切らないのは、きっと獣人差別主義者たちの流した噂がここまで伝わってるんでしょう……
「リズ? 今なんて?」
「噂を信じてしまう公爵様も公爵様です! オリビア様は何一つ恥じることなど——……ええと、その、もふもふ関係以外では、あー……多分ですけどしてない、んじゃないですかね……」
「何で急に勢い無くすのよ」
「わかりませんか?」
「分かってはいるわ」
「じゃあ無意味な質問はしないでください」
「ごめん……あれ? 私、なんで怒られてるの!?」
オリビアが首をかしげているが、リズはそれを無視して怒りを再燃させた。
「
「リズ?」
「それをこんな厩舎の物置で寝泊まりだなんて! いくらポンコツなお嬢様が言い出したこととはいえ、許可するなんて朴念仁すぎます!」
「もともと女嫌いって噂だし、近くに女性がいるのが嫌だったんじゃない?」
「ふむ……お嬢様が近くにいると困る、となると女を囲っている可能性はありますか。人妻とか獣人とか、人には言えず、家にも迎えられない感じの相手と爛れた関係になってるんです!」
「あー……確かに、秘密の恋人がいる可能性はあるわよね」
ふもふされ続けていた巨狼がびくりと体を震わせると、唐突に立ち上がった。
黄金の瞳でオリビアを見つめながら首をブンブンと横に振る。こころなしか必死さがにじんでいるようにも見えるが、オリビアにもリズにも何も伝わらなかった。
「? どうしたんでしょうか」
「どうしたのかしらね」
意図を察してくれないことに気づいたのか、がっくりとうなだれた狼は外に向かって走り出した。
「あっ、待って!」
オリビアが引き留める間もなく厩舎から飛び出し、あっという間に見えなくなった。
「……行っちゃった」
オリビアが寂しそうに巨狼の消えた方に視線を向ける。
「また会えるかな?」
果たしてその呟きに、応える者がいた。
「ええ、きっとすぐに会えますよ」
ルーカス――夢で出会った狼ではなく、公爵領を治めるルーカス・フォン・イグニスの側で紅茶を淹れていた老年の侍女長ヘレンだ。
にこやかな笑みを浮かべるヘレンはゆったりとした足取りで厩舎に入ると、まずは頭をさげた。
「先ほどは失礼いたしました。坊ちゃま——ルーカス様にお仕えしております、ヘレンと申します」
柔らかで丁寧な物腰に、元より気にしていなかったオリビアのみならずリズも
「奥様の提案を受け入れて厩舎で寝泊まりすることを許可しましたが、ずいぶんと悔やんでおられまして様子を見に来るように頼まれたのです」
「奥様……って私ですか?」
「ええ。坊ちゃまにも敬語不要ですし、私にもそうなさってくださいな」
「わかりま——分かったわ」
「それから、坊ちゃまからの伝言も預かっております。『先ほどは済まなかった。私は人妻や獣人など囲っていないしやましいことは一つもないから、いつでも寝室に来てくれて構わない』とのことでした」
あまりにもタイムリーな伝言にオリビアとリズは顔を見合わせるが、ヘレンは鉄壁のような笑みを浮かべたまま続ける。
「せめてもの謝罪に、と坊ちゃまが自ら庭の花を摘んで作られたものです」
説明しながらヘレンが差し出したのは小さな花束だ。ガーベラを中心に暖色の花がまとめられ、アクセントにカスミソウが添えられた可愛らしい花束だった。
代わりにリズが受け取ると、花の中に謝罪と話をしたい旨が
自分のことのように笑みを浮かべて読み上げるリズとは対照的に、オリビアはきょとんとしていた。
「ばあやの見立てでは、坊ちゃまは奥様のことを気に入っておられます」
「気に入って……? 私、もう聖女じゃないしクビになったようなもんだから教会に影響力もないよ?」
「坊ちゃまはそんなものは求めておりませんよ。自信をもってくださいまし」
ヘレンは笑顔で断言するが、オリビアは眉をよせた。
(う~ん……好かれてるって言われてもなぁ……)
「納得いかないのであれば、何かおねだりされてみては如何ですか? 贈り物は男の
「あっ、それだったら」
予想がついてしまったリズが止めようとするが既に遅かった。
「飼育員として魔獣用のブラシと端切れ、それから制服をお願いします!」
「あら、丁度良かったです。坊ちゃまが奥様にドレスをお贈りしたいと、仕立て屋を呼んでおりましたの。さぁ、参りましょう」
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