第17話 月夜の二人

「クソ! クソクソクソォ!」


 イーノックは悪態をつきながら必死に走っていた。脂ぎった運動不足の人間なので速度はたかが知れているが、とにかく必死に逃げていた。


「聖堂騎士の奴らも役に立たんではないか! さっさと逃げなければ……永久の花冠さえあれば教会の正当性は主張できる! 達の後ろ盾の元、王族どもと交渉して——」


 大聖堂最奥に安置されていた花冠を持ち逃げしようと手を伸ばしたその瞬間、


「痛ッ!? なんだ!?」


 花冠自身がイーノックを拒絶するかのように鋭いを生やした。慌てて手を引っ込めるが、花冠からとてつもない勢いで蔦が伸び、触手のようにイーノックを絡めとった。


「ぐっ、離せ! 私を誰だと思って、ぐがっ!」


 悪態をついて暴れるもに絞られて呼吸すら苦しくなっていく。


「あなたが誰か? よぉく存じておりますよ」


 暗闇に、声と足音が響いた。


「聖女を志す乙女を騙し、教会を私利私欲のために利用し、何の罪もない獣人達を使い捨てにする大罪人。そうでしょう?」


 ヘレンだ。

 にこやかな笑みを浮かべた老女は、ルーカスの屋敷にいる時とまったく変わらない足取りでイーノックに近づいていき、蔦を生やした花冠の本体を愛おしげに撫でた。


は、大抵のことは我慢するし、意に添わなくてもちょっと元気がなくなるだけなの。それなのにここまで怒らせるなんて、よっぽどよ?」

「がっ……ぐっ……なに、を……?」

「まぁこの子をは私も若かったし、腕前が未熟だって言われちゃったそれまでだけどね」

「そんなことない。ヘレンの腕前は我が保証しよう」


 独り言めいたヘレンのつぶやきに、暗闇から返答があった。


「あら、旦那様。私を運んでさっさと姿を消したと思ったのに、来てたの?」

「騒ぎにならぬよう隠れただけだ。不埒な輩がいるのに、愛する妻を一人にしておくはずがないだろう?」

「まぁ嬉しい」


 闇の奥、何かが動いた気がして、イーノックは必死に目を凝らした。


「我が気になるか? 気になるならば姿を見せてやる……我が子も同然の国を荒し、ヘレンとの愛の結晶たる花冠を弄んだ罪、償わせてくれようぞ」

「もう。若いころとは違って神様になってるんですから、ほどほどにね」

「ヘレンが帰ってきてくれれば我も落ち着くぞ」

「まだ駄目。若いころのあなたにそっくりな坊やが、もう少し大人になるまではね?」

「妬けるな……」

「孫みたいなものでしょう?」

「それでも、だ」

「もう。私は旦那様一筋ですよ」

「……それはそれで良いところを見せたくなる」


 暗闇からの物言いにヘレンがくすくすと笑った直後、暗闇に満月のような金の双眸が浮かんだ。


 ――それがイーノックが見た最期の光景だった。






 地上は大混乱だった。

 遅れてやってきた第一騎士団のお陰で王都の住民たちは落ち着いているものの、権威あるはずの教会が崩れ落ち、聖堂騎士団が一人残らず捕まっているというのは大スキャンダルであった。


 崩れた大聖堂の地下からは、正気を失ったイーノックと、もう一つが見つかったことも大きい。


「はい、これでもう大丈夫よ」

「すごいや! もう全然苦しくない! 聖女さまが獣人にも優しくしてくれるって本当だったんだね!」

「辛くて苦しい時にも負けないで頑張った君自身がすごいんだよ」

「聖女様……命を救ってくださり本当にありがとうございました……! 獣人の薄汚い命ですが、どうか聖女様のためにお使いください」

「もう、何言ってるの。薄汚い命なんてないわよ。次そんなこと言ったら治療してあげないんだから!」


 教会の地下から、スラムから連れ去られた獣人たちが見つかったのだ。

 鉄球付きの鎖を付けられ、奴隷以下の扱いを受けた彼らは麻薬の原材料栽培や精製をさせられていた。


 ルーカスの見立てではイーノックが主犯だが、教皇や他の枢機卿すうききょうとて無罪放免にできる次元の話ではない。

 何しろ、どの国でも違法と決められている薬物を栽培・精製していたのだ。どんなルートを通ってどこに運ばれたのかは定かではないが、下手すると他国と戦争の引き金にすらなりうる事態だった。


「違法薬物の取引台帳も見つかった。聖堂騎士団はずいぶん前から取り込まれてたようだ」


 エドワードが主導して教会内部を取り調べ、違法な行いの証拠から神父のヘソクリまでもを明らかにしている。

 対外的な発表はともかく、実務を押し付けられた当日にこんな騒動が起こったのだ。ルーカスもオリビアもエドワードに同情していたが、本人は至って楽しそうにしている。


「教会の腐敗は耳にしていたからな……父上に王位継承を迫ったのもコレがやりたかったからだ」


 その言葉を聞いて震え上がったのは自宅で寝ていた教皇と枢機卿たちだ。

 教皇自身はエドワードに頭を下げた。


 「私の命で事態の収拾を図ってはいただけませんか。信徒の多くは何も知らずに教えを守っているだけなのです」


 自らの命をもって償おうとしたのだが、エドワードに「生きて責務を果たせ」と叱られ、オリビアにも「命は大切に!」と怒られていた。

 教皇はそれで大人しくなり、今は騒ぎを収める方法を思案し続けている。一方、他の枢機卿たちは命を懸ける覚悟は持てなかったらしい。


「お、オリビア様! ここは教会の信頼を取り戻すべくぜひとも今一度聖女の座に――」

「駄目だ。オリビアは私の妻だからな」

「し、しかしこのままでは信仰が揺らぎ信徒たちの心の支えが——」

「オリビアに負担を押し付けるな」


 ルーカスが鋭い言葉で切り捨ててはいるが、枢機卿たちは土下座する勢いで何とかオリビアに復権してもらおうと必死だ。

 現状では王族を巻き込んでの大騒動だが、オリビアが聖女に戻れば、教会内部のゴタゴタを聖女の力で自浄したと言えなくもない。


 相当苦しいのは枢機卿たちも理解しているようだったが、それ以外に自らの未来を繋ぐ方法を見出せなかったのだ。


「し、信徒の中には獣人もおりますぞ!」

「左様! 差別され苦しい生活を強いられている獣人たちの心の支えです!」


 苦し紛れの一言にオリビアがぴくりと肩を震わせたが、エドワードが割って入った。


「そのことだがな。ルーカスが神獣フェンリルになれることを知った者も多いし、俺が即位すると同時に獣人差別を違法化する。兄として、牙や尻尾で差別する馬鹿者どもから弟を守らねばならんからな」

「兄上……」

「胸を張って生きろ。兄からの結婚祝いだ」


 オリビアを説得する最大の材料がなくなった隙に、ルーカスは指笛を吹いた。オリビアを横抱きにして、走り込んできたグリフォンロードに飛び乗る。


「さて! 後のことは頼りになるに任せて、鷹獅子騎士団は飛行訓練終了だ!」


 我先にと空に逃げたルーカスが宣言すると、あちこちから声が挙がった。


「ちょっと、ルーカス様っ!?」

「待ってください団長!」

「団員たちは第一騎士団に仕事を引き継ぎ次第、各自帰還! 私は結婚休暇を取る! お前らも好きに休め!」


 言い逃げして空にはばたく。


 騎士団の面々がずるい、と言いながらも歓声を上げたのが聞こえた。


 グリフォンロードは今までよりもさらに力強く、あっという間に王都上空へと駆け上がっていく。


「ふぅ……やっと二人きりになれた」


 一息ついたころには、二人はすでに雲を抜けてはるか上空にいた。


「……ルーカス様。助けに来てくれてありがとう」

「無事で良かった……心臓が潰れるかと思ったよ」

「でも、置いてきちゃって大丈夫だったの?」

「大丈夫さ。兄上たちがうまくやる」


 満月の夜空に星々が煌めく中、ルーカスとオリビアは見つめあった。


「私の秘密を受け入れてくれてありがとう」

「もっと早く教えてほしかったくらいよ。狼の姿も、とってもかっこよかったもの」

「なら、今夜にでもベッドの上で?」

「えっ、一緒に寝て良いの!?」

「男は皆狼だって教えてあげる」

「~~~ッ!? そ、そういう意味じゃなくて!」

「……本当の夫婦になりたいんだ。嫌?」


 ルーカスに見つめられ、答えに困ったオリビアは、散々迷ってから言葉ではなく態度で示した。


 ルーカスの頬に手を添えて、唇に口付ける。


 月光に照らし出された二人の影は、ずいぶん長い間一つに重なっていた。


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