第16話 本物の聖女

「何だこれはっ!? 何が起こっている!?」


 揺れが何度も起こり、部屋の天井からぱらぱらと砂が落ちる。ソファに座っていたオリビアはともかく、立っていたイーノックが尻もちをつくほどの衝撃だった。

 薬の入った杯もイーノックの手から離れ、中身が床を汚していた。不快な臭いが室内に充満する。

 

 地震とは違う揺れ方に戸惑う二人だが、壁の一角が崩れて夜気が流れ込んできた。明け方近くのひんやりした空気とともに顔を覗かせたのは、


「オリビアっ!」

「ルーカス様っ!?」

「助けに――……助けに来た。遅くなって済まなかった」


 グリフォンから飛び降りたルーカスは崩れた隙間から部屋の中に入り、すぐさまオリビアを抱き留めた。


「こんなに腫らして、血も……大丈夫? 痛くないか?」

「あっ……このくらいならすぐ治ります!」


 自身が散々殴られていたことを思い出したオリビアが慌てて回復魔法を発動させる。切れた口が塞がり、熱を持っていた腹や腕が暖かい魔力に包まれていく。

 一瞬にして傷を回復させる――まさに聖女の御業だった。


 暴力が振るわれた形跡は一瞬で消えた。

 が。

 だからといって無かったことになるわけではない。


「ちょっと待っていてくれ。すぐに片づける」


 ルーカスはオリビアを抱き留めながらも、怒りに燃える視線をイーノックに移した。


「俺の最愛に何をした……」


 地を這うような声だった。


「ひっ」

「何をしたと聞いている」

「し、知らん! その女が勝手に城を抜け出し――」


 言い訳しようとしたイーノックの足元に、雷が落ちた。

 崩れた一角から顔を覗かせたグリフォンがいななきとともに魔法を使ったのだ。


「グリフォンが……雷……?」

「オリビアが居なくなったと教えた瞬間に進化したんだ」

「まさか、グリフォンロードに……!」


 よくよく見れば体毛はうっすら光を帯びており、頭頂部には王冠にも見える飾り羽が生えていた。


 溢れんばかりの魔力は普通のグリフォンとは比較にならないほどに濃密だった。


 グリフォンロードが頭を振って壁の亀裂を大きくする。夜空が広がるはずの背後には、騎士を伴った魔獣の群れがいた。


 オリビアにとっては見知ったはずの魔獣たちだが、そのどれもが見たことのない姿になっていた。


「……進化……?」

「奥様を守ろうと必死だったってことでさぁ……妬けちまうくらい必死に探してくれました!」

「コイツは鼻が利くんで、見張りを蹴散らしてここまで一直線! オリビア様命って感じでしたね」

「もう安心してください――安心できない理由は、俺たちが蹴散らします」


 全員がオリビアに笑みを見せ、しかしオリビアが受けた仕打ちに怒っていた。

 それは、魔獣たちも同じだった。


 オリビアの姿を見つけて嬉しそうに鳴いた魔獣たちは、進化によって桁違いに増えた魔力を滲ませていた。


「く、クソっ! 神聖な教会にケダモノどもを入れおって!」

「何がケダモノよ」

「何だと!?」

「獣人を人間じゃないとか言って、私に麻薬を飲ませようとして……本当のケダモノはあなたじゃない!」

「な、何だと!? 何たる侮辱!」


 顔を真っ赤にしたイーノックだが、オリビアも負けずに睨み返した。


「何度でも言うわ! 些細な違いでどこまでも残酷になれるあなたこそ本物のケダモノよ!」

「ふん! 何とでも言え! 聖堂騎士団、出番だ! 王都の平和を乱す魔獣の群れを打ち取れッ!」


 イーノックが後ずさりながら逃げた先には、騒ぎを聞いて駆け付けてきたのだろう、瀟洒しょうしゃな彫刻入りの鎧を身にまとった騎士たちがいた。

 

「聖堂騎士団か……王族の誘拐と拉致監禁を行った重罪人を渡せば見逃してやるぞ」

「たかだか魔獣の群れを率いている程度で偉そうに……どのみち生かしては返せん」


 イーノックとつながっているのか、聖堂騎士は聞く耳も持たずに抜剣した。


「聖堂騎士団、ケモノどもを打ち取れ!」


 騎士団長らしき男が号令を掛けるのに応じて、ルーカスも獰猛な笑みを浮かべた。


鷹獅子グリフォン騎士団よ、食い破れ」


 それは戦いと呼ぶにはあまりにも一方的だった。

 それは戦いと呼ぶにはあまりにも派手だった。

 それは、まるで神話の一説のようだった。


 王都の天空に雷鳴が轟き、炎が巻き起こり、氷嵐が吹き荒れる。

 この世の終わりのような光景が広がっていた。


 地上を進んでいたジャックたちまでもが合流し、聖堂騎士団たちは剣を振るう暇すらなく蹂躙されていく。


「……これが、鷹獅子騎士団……」


 オリビアが監禁されていたのは大聖堂の一室だったようだが、広大な敷地は見る影もなく荒れ果てていた。石壁が高熱の炎に溶かされ、大鐘楼だいしょうろうが雷に崩され、そこかしこに氷柱や石柱が突き立っていた。


「勝敗は決したな……ジャック。この後第一騎士団が来る予定になっている。連携して聖堂騎士どもを追い詰めろ。一匹たりとも逃がすなよ」

「了解ッス!」


 それぞれが魔獣を操り、殲滅から拘束へと任務を切り替えようとした。


 が。


 異変が起きたのは、グリフォンロードからだった。

 ルーカスが指笛で呼んだにも関わらずグリフォンロードは降りてこない。それどころか、大きな鳴き声を上げて雷を四方八方に振りまいたのだ。


 同調するように他の魔獣たちも主人を振り降ろしたり、何でもない瓦礫がれきに攻撃を仕掛けたりと、様子がおかしくなっていた。


「オリビアっ、危ないっ!」

「な、何が!?」


 オリビアを抱えたルーカスが雷撃を避けるが、もはやグリフォンロードたちは誰ひとりとしてその視界に主人の姿を映していなかった。でたらめに暴れまわる姿は、まさに人々が噂する、強力で危険な魔獣そのものだ。


 グリフォンロードは瓦礫に降り立つと前足でガリガリと削っていき、何かを掘り出す。銀で出来たそれは、


「薬の入ってたさかずき! あれが魔獣を狂わせているんだわ!」


 オリビアが自身の脳内にある膨大な記憶を呼び起こす。

 人間にとっては中毒性や依存性が高い麻薬で、魔獣を狂わせたり興奮させる効果があるもの。自分に差し出された銀杯に満たされていた液体の色や匂いを思い出しながら、慎重に記憶を紐解いていく。


(シシリアの樹液……違う。ドーピートの外皮……違う! あの色に特有の匂い……)


 膨大な知識の中から、たったひとつの答えを拾い上げた。


「ダークローズの種……!」

「分かるのか?」

「主成分だけは! ルーカス様、あの仔たちを止められない? 少しだけ止めてくれれば、私が何とか浄化するから!」


 オリビアの眼前で、魔獣同士が殺し合いを始めていた。

 大聖堂を崩してしまうほどの超常の力が向けられれば、如何に進化した魔獣とはいえ無事で済むはずもない。

 一刻の猶予もなかった。


「……分かった。本当は、きちんと説明してから見せたかったんだが」


 ルーカスはオリビアから離れ、自らの身体を変化させた。

 銀の体毛が膨らむように生えていき、ミシミシと音を立てながら牙が生えていく。シルエットが人のそれから狼のそれへと変化していき、瞳孔が縦に割れた。


「……えっ」

「……隠していてすまない」


 目を見開いたオリビアに、ルーカスは悲し気に目を伏せた。

 それでも愛する者の願いを叶えるために、ルーカスはえた。ビリビリと大気を震わせるような咆哮が響き、魔獣たちが体を強張らせた。

 目にしただけで足が震えるほどの威圧感を放つルーカスに、我を忘れていたはずの魔獣たちが自ら前足を折り、こうべを垂れる。


 王者にして絶対者。神獣フェンリルと呼ぶに相応ふさわしい威容だった。


「オリビア、今だ」

「うん! 【祝福の光ホーリーブレス】!」


 オリビアの魔力が弾けた。

 柔らかな光の粒が雪の結晶のように広がり、魔獣たちを包み込んでいく。


(主成分以外は分からなかった……でも、全力でやれば……!)


 魔力の粒は魔獣にぶつかると同時に染み込んで光を放つが、魔力を押しのけられるような感覚があった。

 不快感を伴う抵抗に、力押しで対抗する。注ぐ魔力を増やすことで、特定できなかった成分を無理やり浄化するつもりなのだ。


 どれほど時間が経っただろうか。


 ――ぱんっ!


 何かが破裂するような音が響き、オリビアの魔力がすべてを押し流した。

 魔獣たちが浄化され、それどころか溢れた魔力が団員も魔獣も、聖堂騎士たちまでもを分け隔てなく癒していく。


 雪のように小さな魔力の粒がふわふわと降り注ぐ光景は、おとぎ話のようだった。


「つ、疲れた……」

「オリビアっ! ……ッ、すまない!」


 へたり込んだオリビアに駆け寄ろうとしたルーカスだが、自らが巨狼となっていることに気づいて慌てて止まる。

 オリビアが怯えていないか、恐る恐るその姿を確認すればオリビアは両腕を広げたまま不満そうにルーカスを見ていた。


「何で止まるの!?」

「……こ、怖くはないのか?」

「怖い……? どこが? なんで!?」


 本気で理解していないようなオリビアに、ルーカスは思わず声をあげて笑った。

 脳裏に焼き付いて離れなかった母の拒絶。

 絶望的な孤独感。 

 魔法も使われていないのに、浄化されていくようだった。


「オリビア……やっぱり君は聖女だね。私の悩みなんて簡単に溶かしてしまうんだから」

「私は悩んでるよ! こんなに頑張ったのにどうしてもふもふがおあずけされてるの!?」

「分かった分かった。今行くよ」

「おあずけ分もきっちり堪能させ——ふぁぁぁぁぁ! すーはー、すーはー……くんくんっ! くんくんくんっ!」


 首元に顔を埋めて幸せそうにしているオリビアにくすぐったさを感じながらも、ルーカスは柔らかく微笑んだ。

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