第13話 飛行訓練

「これが……私……?」


 入浴にマッサージ、化粧を済ませ、月光絹のドレスに身を包んだオリビア。

 姿見に映る自分の姿を見て、オリビアは固まっていた。


「とても素敵ですよ、奥様」

「何を驚かれているのですか。確かに教会は化粧禁止ですし気持ちは分かりますけど、お嬢様は元から美人ですし、このくらいは想定の範囲内ですよ」


 結い上げた髪は真珠をあしらった髪飾りで留められ、ほっそりした首からデコルテにはルーカスからもらったネックレスが飾られている。

 ドレスは白銀にも見える月光絹。同色のレースは光の加減でふんわり輝き、まるで本物の月光を編み上げたかのような美しさだった。


「坊ちゃまにも見ていただきませんと」

「行きますよ、お嬢様」

「うん」


 リズとヘレンに伴われ、ルーカスがのために団員達を集めた中庭へと向かう。


(……喜んでくれるかな……喜んでくれるよね)


 ドキドキしながら向かえば、ルーカスは部下たちに指示を飛ばしているところだった。


「飛行部隊は私が直接指揮する。地上部隊は後詰めとなるが、矢文を打ち込んできた聖堂騎士団員が領内をうろついているはずだから捕縛しろ……指揮はジャックに任せる」

「はっ! 奥様に脅迫状を送った愚か者の首を、王都の大聖堂に投げ込んでご覧に入れます!」


 ユニコーンを救ってもらったジャックは、オリビアを信奉する者の筆頭となっていた。さすがに女神だとまでは思っていないようだが、


「女神だろうと教皇だろうと、奥様に敵対するなら切り伏せます」


 真顔で言い切るくらいオリビアに感謝していた。


「それともはりつけにして王都にさらす方がよろしいでしょうか」

「殺すな。済ます気はない」

「了解しました!」


 剣呑な……ともすれば狂気すら感じるような会話にが飛び交う中庭だが、オリビアが姿を見せたことで空気は一変した。


 ——魔獣たちがひざまずいたのだ。


 騎士たちがつられてオリビアを見て、すぐさま固まる。口をぽかんと開き、目を丸くしたまま呼吸すら忘れていた。


(えっ? あれ? ……変だった……?)


 予想外の反応に晒されてリズの裾をぎゅっと掴んだオリビアだが、不安は一瞬で吹き飛んだ。


「オリビア! すごくきれいだ!」

「あ、ありがと。変じゃない、かな?」

「女神かと思って自分の正気を疑いたくなったな」

「もう! ……ありがと」

「冗談じゃないぞ? ほら、魔獣たちも君の美しさに見惚れている」


 伏せをしたまま食い入るようにオリビアを見つめる魔獣たちに、はにかむような笑みを返す。


「みんなもありがと」

「……無防備がすぎるぞ」

「えっ?」

「……いますぐ閉じ込めてしまいたいくらいなんだ。これ以上私をあおらないでくれ」

「えっ!?」

「天使になって空に飛んでいかないよう、抱きしめておく必要がありそうだな」


 煽ったつもりがないオリビアが頭の上に疑問符はてなを浮かべるのを見て、ルーカスは苦笑した。

 それから部下たちに視線を向ける。


「これより『長距離移動訓練』を開始する。総員、騎乗!」

「きゃっ」

「オリビアは私とコイツの上だ。ちょっと長い時間になるが、大人しく抱かれててくれ」

「う、うん」


 横抱きにかかえられたままグリフォンにまたがると、二人を背に乗せているとは思えないほど軽やかにグリフォンが飛び立つ。


「行ってくる!」

「いってらっしゃいませ~!」

「お嬢様ー! ご武運をー!」


 手を振るヘレンとリズがどんどん小さくなり、やがて見えなくなった。

 ルーカスの肩ごしに後ろを見れば、ペガサスやペリュトン、ガルダなど空を飛べる者たちが隊列を組んでいるところだった。


「あんまりよそ見しないように」

「危ないから?」

「……いや。ちょっとける」


 率直な物言いをされて頬に熱を感じるオリビアだが、可愛く思えてくすりと微笑む。

 首に回していた腕に力を入れれば、ルーカスにも意図が伝わったらしくまぶしい微笑みが返ってきた。


「どうせ見るならば他の団員じゃなくて私を見るか、せっかくだから景色でも楽しんだ方が良いと思うぞ」

「景色……?」


 言われて周りをみれば、すでに雲が下にみえるほどの高さだった。


 山脈。森。

 平原。川。街。


 ありとあらゆるものが小さく見えた。

 代わりに近いのは太陽だ。燦々さんさんと光を注ぐ太陽が心なしか大きく見えた。


「グリフォンは魔力のまゆをつくるから、風も感じないし暑くも寒くもないだろう?」

「うん! こんなに高く飛ぶのね!」

「雲の上ならば悪天候を気にすることもないからな。コイツに初めて乗せてもらった時は俺も感動したよ」

「すごい……!」


 褒められたことを理解しているのか、グリフォンが機嫌良さげに喉を鳴らす。


「遠くの方、空との境目に青いのが見えるか? あれが海だ」

「海! 王国から見えるなんて!」

「山脈も綺麗なところを知っている。空の上は朝焼けや夕方、星空も綺麗なんだ。今度一緒に見よう」

「うん! ありがとう!」


 ルーカスはオリビアを引き寄せた。胸同士がくっつくほど強く抱きしめられ、耳元に唇を当てられた。


「今度が叶うまで……叶ってもずっと一緒だ。勝手にいなくなろうとしたことは、怒ってるからな」

「えっ」

「言っただろう? オリビアと本当の夫婦になりたいんだ。もう少し信頼してくれ」

「……ごめんなさい」


 素直でよろしい、とルーカスが微笑んだところで、オリビアが不満そうに唇を尖らせた。


「ルーカス様……もしかして、女の子慣れしてる?」

「まさか! そんなことはないぞ」

「ほんとに? 隠し事とかしてない?」

「……っ、してないぞ」


 隠し事、という言葉にルーカスの脳裏に自らの体質がちらついていた。


「……いや、してないこともないな」

「えっ」

「女性関係じゃない。だが、オリビアには話しておかないといけないことがあるんだ……落ち着いたら話そう」

「今じゃダメなの?」

「そうだな。出来れば屋内で、二人きりの時が良い」

「………………」

「ち、違う! お誘いじゃない! だから顔を赤くしないでくれ!」


 顔を真っ赤にしたまま固まったオリビアに慌てるルーカスだが、あまりにも可愛らしい姿に頭を掻いた。


「まぁ、夫婦なんだから期待してないと言えば嘘になるがな」

「ッ!?」


 恥ずかしさのあまり眼に涙を溜めているのを見てルーカスは微笑んだ。


「無体を働く気はないから安心して」


 そう言いながらオリビアの頬に軽く口付けた。リップ音を聞き、きょとんとしていたオリビアが何をされたのか理解する。

 すでに真っ赤だったはずの顔がさらに紅潮し、耳までが染まった。


「し、信用できない……!」

「危ないから暴れないように」

「誰のせいよ!」

「君のせいだ。キスだけで我慢した自分の理性を褒めてやりたい……それとも、嫌だったか?」


 意地の悪い質問にオリビアはそっぽを向き、小さく「知らない」とだけ返した。



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