第3話 追い召喚したらゴブリンが涙目だった件

「――クリスティア、我が主の御前に馳せ参じまして御座います」


 片膝をついたまま、クリスティアが言った。僕は――自分で起こしたことなのに。そうなると分かっていたのに呆気に取られて何も言えなかった。クリスティアは僕の怪我を目にしたんだろうね。その時、少し表情を曇らせていた。


「失礼致します」


 メイスが光の欠片になって消失。僕に向けられた掌から、何か温かな光が放たれた。僕の身体を包んだかと思うと痛みが引き、傷口が見る見るうちに塞がっていった。


「あ、ありがとう……」

「礼には及びません。あなた様こそ我が導き手にして光の救い手。この身の全ては我が主の為にあるのです」


 クリスティアは微笑んだ。その時だ。事態についていけなかったゴブリン達が我に返ったのだろう。シャーマンが何かを叫ぶとゴブリン達が膝をついているクリスティアの無防備な背中に向かって殺到した。


「あぶな――!」


 僕が叫ぼうとしたのが先か、クリスティアがしゃがんだまま振り向き、何かを振り払ったのが先か。その手にはいつの間にかさっき消えたはずの重厚で長大なメイスが握られていた。


 振り抜かれたそれによって、迫って来たゴブリン達は纏めて真横に吹っ飛ばされていた。すごい速度で壁にぶつかって、重い激突音と湿ったような音を立てる。


「主との初めての語らいだというのに妖魔どもは無粋なこと」


 立ち上がる。……その時も一瞬だけ見えてたんだよね。例の、三日月みたいな笑み。


「さあ。私に命じて下さいませ、主様」

「……分かった。クリスティア。あいつらを倒してきて」

「畏まりました。ふふ……。うふふふ……」


 笑い声と共に、クリスティアの身体がぶれるような速度で前に出た。


「ああ、ああ! なんと素晴らしいのでしょうか……! 本当に! このような日が! 訪れるとは……!」


 言いながら、メイスを振るう。重い風切り音がするたびにゴブリンが弾けながら吹っ飛んでいく。薄っすらとしたヒカリゴケの光源はあるんだけど、暗くて良かったと思う。多分明るいところで見たら卒倒するような光景が辺り一面広がってただろうし。僕にはっきり見えたのは、全身に燐光を纏うクリスティアと、闇に赤く輝くゴブリン達の瞳だけだ。


 ……まあ、そのゴブリンの瞳の方は割と泣きそうだった気がしないでもない。


 屈強なホブゴブリンも大きな盾で冗談みたいに叩き潰されてたし、ゴブリンシャーマンが放った魔法の矢も――本当は追尾してくるので避ける事のできない魔法らしいけど、メイスを消したクリスティアに真正面から掴み取られてた。確かに、必中だった。外れなかった。けれど、そのまま魔法の矢が握り潰されてしまう。


 魔法陣の輝きで照らされたシャーマンの、ぽかんとした顔は印象に残ってて、結構よく覚えてる。

 結局その時、クリスティアの動きを止めたのはゴブリンの力によるものではなくて、穴の奥からゴブリンが連れてきた男の子――人質の首に突き付けられたナイフだったんだ。


 後から知ったことだけれど、森に入っていたところをゴブリンにさらわれてしまった子らしい。全身切り傷だらけで、ゴブリンの「遊び」に付き合わされていたのが分かる。けれど、生きていた。辛うじて呼吸をしてた。


 それを見たクリスティアは迷う事なく両手をあげて、大盾も手放した。それから一瞬振り返って、クリスティアは僕を見たんだ。金色の、満月みたいな煌めき。


 何をしたらいいかを、僕は理解した。でも今度はさっきみたいな形で呼び出すわけには行かない。僕に注意を引いてもいけない。そういうこともできる。できるはずだ。


「因果交差せし魂よ、目覚め来たれ。深淵に潜みし刃を恐れよ。彼の者の姿、見る事は能わず。闇に伝わるその名だけを聞くがいい……」


 静かな詠唱。地面に手を付いた先で、闇が渦を巻く。


「黒き刃風よ。ここに在れ」


 目の前に渦巻く闇が深く、重くなったような気がした。


「――リンネという。何をすればいい?」

「広間の向こう。人質になってる子供を、助けて欲しい」

「分かった」


 やり取りはそれだけだった。渦巻く闇が、そのまま音もなく地面を滑っていく。

 けれどきっと、あの子供を救うにはこれだけじゃ足りない。焦燥感みたいなものが、それを示してる。あの子はきっと助け出せるだろう。ゴブリン達に遊びでつけられた傷だって、クリスティアが治せる。けれどその心の傷を癒すことができない。その時の為に備えて、僕は準備をしながらその時を待つ。


 人質が有効だと思っているゴブリン達はじりじりとクリスティアの包囲を狭め、恐る恐るではあるけど、僕の方にもやってこようとしている。有利になったと思ったのか、笑っているゴブリンもいた。


 けれど、その背後ではもう状況が覆っている。闇の中からリンネの手だけが飛び出し、音もなくゴブリンの首を掻き切っていた。人質になっていた子供を解放すると闇の中に引き込んで、滑るようにその場から離れていく。


 同時に、それを見届けたクリスティアが動いた。メイスを手の中に顕現させると目の前まで迫っていたゴブリン達を吹き飛ばす。


 僕も手を頭上に掲げる。クリスティアの時とは違う形の光の円が今度は立体的に形成された。


「因果交差せし魂よ……目覚め来たれ……! 其は悠久の時に身を任せ、理を解き明かさんとする賢人。混迷を晴らし、あまねく道を拓かんとした者! 永劫の大賢者よ、ここに在れ!」


 そして僕の目の前に実体化するように現れる。片膝をつきながら姿を見せたのは僕と同じ年頃ぐらいの少女だった。ストロベリーブロンドの髪。明るい星空を思わせるような、深い輝きを宿した、青紫の瞳。


「くくく……! ははは! なるほどなるほど! 我が魂が主殿と結ばれたというのまで理解はしたつもりじゃったが、実際になってみると違うものじゃな!」


 再臨をどうにか邪魔しようと突進してきたゴブリン達は、頭に手をやって笑う彼女の後ろで氷の彫像みたいになっていた。


「名前、は?」

「大魔術師・・・マグノリアじゃ。さて主様よ。儂は何をすればいい?」

「クリスティアと一緒にゴブリン達を片付けて。それからリンネが助け出した子供の、心を助けてやって欲しい。できる……んだよね?」

「造作もない」


 牙を剝きながら獰猛に笑うマグノリアは魔法使いだって言うのに自分からゴブリン達に突っ込んでいく。風が渦巻き、炎が爆ぜ、地面が槍のように隆起して、ゴブリンが色んな方法でバラバラになっていく。


「くははは! ああ、楽しい! 楽しいぞ! 地に頭を擦りつけて大魔術師マグノリア様の偉大なる名を崇め奉れクズ妖魔共がぁ!」


 黒い煙が吹き付けると逃げようとしていたゴブリン達が石になる。マグノリア様は楽しそうに笑いながら石化したゴブリンを一体一体蹴り倒して割り砕いていた。地に頭を擦りつけるってそういう……?


 ……とまあ、それが3人との出会いだったのだ。捕まっていた子供も、言葉通りマグノリアが心を救ってくれた。目が覚めたら忘れてしまう悪い夢だって、そう思い込ませることで、囚われていた間の記憶を消してしまったんだ。


「完全ではないがの。とはいえ、余程の事が無ければ思い出すこともなかろうよ」


 そしてリンネの影の中に入って兵士達に気付かれないように外に出て。……目を覚ましたその子は、嫌な夢を見てしまったというような反応で少し呆けていた。住んでる村が近くにあるというので、そこまで送っていった。


「おくってくれてありがとう!」

「うん。それじゃあね」

「うむ。礼儀正しい子は嫌いではないぞ」

「気を付けて帰って下さいね」

「ばいばい」


 手を振って帰っていく子供を見送る。その子に関しては一件落着というところだ。

 でも、大変だったのはその後だ。僕が、じゃなくて主に僕の身の周りがだけど。

 何でかって言うと、僕がゴブリンの巣穴にいた経緯を聞いた3人が切れ気味だったから。


 いや、何であんなとこにいたのかって聞かれた時に、僕もこれ言うの大変な事になるんじゃないかなって思ったんだよ。

 僕自身は何も変わってないのに、強い人が味方になってくれた途端に告げ口するみたいで気が引けたっていう気持ちもなかったわけでもない。

 けど、僕を疎んで嫌がらせどころか、命まで狙ってくるような人達がいるっていうのは、遅かれ早かれ分かってしまう事だ。後手に回る事は僕じゃなく、この三人を危険に晒すことになる。

 僕自身は、変わってない。自分が非力だってことは分かってる。

 彼女達を守れる力はない。だから、きちんと話すべきだと思った。


「――というわけなんだけど」

「ほう……」

「そう、ですか……」

「……ふうん?」


 森の中で僕から事情を聞いた三人はそんな反応をしていた。僕に怒ってるわけではないし、静かな反応なのに何だか僕の方が身震いしてしまう。

 そしてその結果として色々暴かれたせいで、王様も切れることになった。

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