第14話『対等』


 夏の教室、自販機で買った甘ったるいだけのジュース。

 こぼれた液体はぬるくなり、地面に広がって雑巾を汚す。

 手がベタつくことを嫌がって、雑巾の端をつまんで持ち上げる。

 ホコリ混じりの濁ったジュースが滴る。


 全身を伝う汗が、そんな不愉快な液体のように感じた。

 やけに頭のハッキリしない夏。むせ返るような湿度。

 鉄の味がじわじわと広がる喉に濃いツバが溜まる。


 眉毛の上に滲む汗が目を痛める。

 酷く傷んだ髪の隙間から横を見ると、銀色の髪が揺れていた。

 ホノンが身を丸めて顔をうずめ、その背を小さく震わしていた。


「新常闇の塔主ジェウル=テネーブル。

 新砂塵の塔主レグ=アクィルス。

 新たな2名の塔主後継者を祝う、盛大な拍手を!」


 周波数の上手く合わないラジオのように、その言葉は途切れ途切れの状態で耳に入ってくる。

 闘技場を埋め尽くす割れんばかりの拍手も遠くに聞こえる。

 選定戦の勝者たる2人の姿も揺らいでよく見えない。


 リタの無念を晴らすために、悲願を成就せんと戦った。

 だが俺達は、選定戦であっけなく惨敗したのだった。



  ★★★



「今回の選定戦は豊作でしたね」


 片肘を突いてエラス=マグニカ闘技場を見下ろしていると、後ろから声をかけられた。

 金白色プラチナブロンドの長髪を後ろで束ねた上背の男が、微笑を浮かべながらこちらに向かって歩く。


「新塔主の実力には満足できていそうだな。ジル」

「ええ。後進育成を両腕で出来るのであれば幸甚ですがね」


 片腕を失った常闇の塔主、ジルダーヴァ=ヴォワイアント。

 最強の名をほしいままにする全主の塔主、リディオ=ヴァレンス。

 塔主タワーズドラゴンの内の2柱が横並びに座る。


「『雷轟』にしてやられたようだな?」

「いやはや、久しく格上相手の戦いをしていなかったのが良くなかった。

 腕を失うようなヘマを貴方リディオに見せたくは無かったのですがね」

「――今月で丁度就任5年目か。

 それだけ長く塔主をやっていると、"逃げ"の一手を忘れるだろうな」


 塔主は10名おり、全主が最強と決まっている。

 だが、各塔主はその地を"最強の者"として治める存在。

 撤退して他の塔主に助けを求めることは殆どない。


「貴方こそ、"逃げ"を知らなさそうだ。

 ここ数年でそんな機会はありましたか? リディオ」

「敗北はあり得ない存在として、寝ずに尽力してきたんだ。

 だが、"逃げ"を学ばねばいけない時期だな」

「ああ、くだんの塔主間協力の計画ですか」


 ジルダーヴァはコップに映る自分の歪んだ顔を眺め、思い返す。

 今までの塔主達には協調性が無かった。協力しなかった。

 個々としての実力があまりにも高すぎて、力を集める必要がなかったのだ。


「より大きなことを為すため、より大きな戦力を成す。

 新風の兆しは既に見えている。

 今後の塔主連盟は新しい形となっていくだろう」

「ああ、新常闇・砂塵の塔主彼女たちのことですか」

「それだけじゃない。発掘だけが選定戦の目的ではない。

 辛くも塔主に成れなかった者たちも、新たな芽となってくれるだろう」


 リディオはそう言いつつ、改めて闘技場を見下ろす。

 敗北を噛み締め、汗を伝わせながら項垂れる若き闘志達。

 全主の塔主は期待を胸に、少しの安心感を抱く。


「俺が辞めたとしても、後進はいるさ」

「――あまりにも険しい後進ですがね」


 最強無敗の男リディオ=ヴァレンス。

 果たして、彼の後任を務める存在を想像できる者はいるであろうか。



  ★★★



 灰まみれの囲炉裏にくすぶる火種が冷えていくような感覚だ。

 むせ返るような無力感と不完全燃焼感。

 ああすればよかったという焦燥と、いずれにせよ無理だっただろうという諦念。


 目の端で持ち上がったスプーンが空中で止まる。

 視線を横にズラすと、虚ろな目で朝食のスープを口にするホノンがいた。

 俺はここが食堂であることを思い出し、食器を片付けようとする。


 立ち上がろうとして、力が入らないことに驚いた。

 気だるい全身の筋肉痛に身が弛み、どうにもやる気が起きない。


「......」


 窓の外を眺めると、下宿組が汗水垂らして鍛錬に励んでいる。

 陽光に満ちた庭が額縁に飾られた絵のように感じる。

 そう思えるほど、食堂は静寂と寒色の空気に包まれていた。


「......やっぱ俺には、大それた目標だったと思う」


 宛てなく置かれた俺の指が、乾いた木のテーブルを撫でる。

 思い返せば、無謀という言葉をいくつ重ねても足りないほどの短慮だった。

 走っても心肺が痛くならないことに喜んでいるような男が、戦闘で勝てる訳が無いのだ。


 ああ、思い出した。この感覚がずっと胸につかえていた。

 外と隔絶された適温空間。認証カードが無いと入れない病棟。

 脇から伸びた管。腕に刺さった点滴から生が流し込まれているかのような錯覚。

 何かしようと体を動かせば、体の中にある管が痛みで存在を主張する。


「.........シンはよくやった方だと思うよ。

 ボクは全然、ダメダメだった」


 絞り出すように出てきたホノンのれた声は焦燥に満ちている。

 ホノンは確かに強かった。だが、リタの一件で精細さを欠いていた。

 常闇ジェウル砂塵レグの2人相手に上手く立ち回れず、焦って負けた。


「なあ、これからどうする?」

「――選定戦はしばらく無いだろうし、シンはどこか別の場所にでも行ったらどう?

 ボクは......何をすればいいのか分からないや」

「2人で旅修行でもしてきたら?」


 唐突に首根っこを掴まれ、思わず体がビクッと震える。

 リタが松葉杖に腕を乗せた状態で俺とホノンの首を掴んでいた。


「ビックリした。心臓止める気か? リタ」

「気配も消さず松葉杖ついた状態の私を気取れないなんて、相当だらしないね。

 シンらしくもない。たるみ過ぎ」

「もう歩いて大丈夫なの? 傷は痛まない?」


 リタが足を失ってから......あれ、何日が経ったっけ?

 選定戦が終わってどれだけ経った? 記憶が定かじゃない。

 何も考えず長いこと廃人のように過ごしていた気がする。


「昨日の晩、解毒魔術を使える治癒術師に残った毒は治してもらった。

 体温調節機能がイカれてるし傷は痛むけど、一応歩けるよ」


 体温調節機能がイカれている。手術直後みたいな感じか。

 どう考えても歩いていい状態じゃない。


「休めよ。動いちゃダメな時期だろう?」

「言わせてもらうけど、あんたたちは動かなきゃダメな時期だよ。

 いつまで負けて不貞腐れてるの? ホノンもシンも」


 言われ、口を開くことができずにつぐむ。

 リタと目を合わせることができずにホノンの方へ目を向ける。

 同じく気まずい表情をしていたホノンと目が合う。


「――ボクは、塔主を目指すのを諦めようかと思うんだ。

 今回の選定戦は準備が不十分だったけど、絶対に就任できる自信があった。

 それでもダメだったんだから、もうボクは......ぁぼぼぼぼ!?」


 ホノンと俺の頭の上に大量の水が落ちる。

 リタは頭の上にかざした手を使って頭を鷲掴みに。

 そのまま縦横無尽にかき回し、俺とホノンの髪型を滅茶苦茶に崩した。


「でっ、溺死させる気!?」

「臭いなと思ってね。

 選定戦終わってから風呂入った? ゴミ箱みたいな臭いするんだけど」


 顎から水が滴っているホノンの顔面が、モアイのような虚無顔になる。

 てか、髪型が理解の難しい現代アートみたいになってるな。

 ホノンは慌てて服に鼻を当てて嗅ぎ、赤面してあたふたと抗議する。


「くっ、臭いは失礼じゃない!? 一応エドナおばさんに言われて汗は流したよ!?

 そうだよね? 確か、ちゃんとお風呂入ったはず、うん。

 臭うっていうなら、シンなんじゃない?」

「心外だな。相当臭いホノンよりはマシだ」

「ワッ、ザッ、ファッ〇!?」


 あれ、おかしいな。乾いて張り付いていた無気力感がペリペリと剝がれていく感じがする。

 治りえないような絶望感が和らいだ。ただ、リタと言葉を交わしただけで。

 無限かのように遠く感じたリタが今、目の前にいる。


「話戻すけど、マジでこのままだと芯から腐って動けなくなるよ?

 ただでさえホノンはのろいんだから、真面目に体動かした方がいいよ」

「はぁ? ボクがのろいだって? リタとあんま変わんないと思うけど!?」

「少なくとも今のホノンと戦ったら33勝4敗でボコせるよ」

「はぁあああ!?」


 今のリタじゃ足が......

 いや、これは言ってはいけない。

 折角ホノンが調子を取り戻してきたのだ。打草驚蛇やぶへびは品がない。


「旅修行って言ったか? 意味あるか疑問なんだが」


 最初のリタの言葉を思い出す。

 旅をできるだけの時間はあるが、それで本当に成長できるのだろうか?

 無駄に時間を潰すようなことはしたくない。できない。


「シン。どっちかというとあんたに向けての言葉だよ。

 まだまだ知らないことの多いシンが知見を得るいい機会だと思う」

「確かに選択肢としてはあるけど、ボクはリタと一緒に居たいんだ。

 リタを置いて行きたくないよ。だから......」

「私に腑抜けるな。ホノンのお守りは御免だよ。

 さっさと立ち直って、ちゃんと......ごほッ、ごほッ」


 リタを座らせようと立ち上がると、リタは手で静止を示した。

 ホノンのコップを手早く奪い、口を潤したリタが口を開く。


「私は私のために、ホノンはホノンのために生きる。

 だから私たちは対等に向き合い続けることができた。

 ずっとそうだったでしょ? 今更だよ」


 俺はこの世界を知るために、ホノンは目標を掲げ続けるために旅をする。

 各々が自分のために生きる。自分のために努力する。

 意味を結実させるためのこの行動に意味を見出す必要は無い。


 大事なのは、あり方を貫き通すこと。


「ボクは......塔主になれないかもしれない。

 惨敗で心が割れちゃって、もう前みたいに塔主への熱意も無い」


 ホノンの光を失った瞳に、琥珀色の炎がポッと点く。

 どんな豪雨も吹雪もかき消せないような熱が生まれる。


「でもボクは、リタと対等であり続けたい」


 胸を掻きむしりたくなるようなわだかまりが消え、不撓不屈ふとうふくつの精神が蘇る。

 立ち上がり、新たな一歩を踏み出す瞬間。

 それは同時に、リタが別の道へ進むことを意味していた。


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