第8話『リタの趣味』


 リタの話をしよう。


 リタ=ケレブルム。ホノンと同じ塔主タワーズドラゴン志願者。

 外見相応で、年齢は17歳なのだとか。

 ホノンより年下なのは本当に信じられない。


 出身は北の国ジオグラマト。

 名門家から勘当されたか自主追放したかで、今は下宿所に住んでいる。

 詳しい話は聞けなかった。


 リタは自分を語らない。この話もホノンから聞いた。

 普段から鍛錬に励み、常に真剣な目をしている。

 リタも笑わないせいで、ホノンに"スマイルレスコンビ"というあだ名で呼ばれている。


『リタっていつも物腰が鋭いよな』

『"塔主ならこうする"っていう姿勢を維持してるらしいよー。

 ずっとあんな感じだけど、疲れないのかな?』


 下宿組の男たちも憧れる腹筋は努力の結晶。

 だれよりも"たくましい"という言葉が似合う。



 この世界に来てから数日が経った。

 少しずつ格闘経験を積み、俺も少しは動けるようになったと思う。

 俺は今日、そんなリタと共に森へ向かっていた。


「変質魔術は効果の割に難しいから、実用性は低いよ。

 実戦に使うのはオススメできないけど、何か良いアイデアでもあるの?」


 道中、余談も談笑もなく魔術を教わる。

 本人曰くホノンには劣るらしいが、リタも相当な魔術の実力者だ。


「応用の幅が広そうなものはなるべく習得したくてな」

「――まあ、手数で押すのもいい手段だからね」


 リタはかなり頭がいい。

 魔術の習得にはかなりの頭脳を要するが、リタもホノンも高度な魔術を多く習得している。

 判断は素早く、計画は繊細で緻密だ。


 ちなみに、リタの書く字はかなり綺麗だ。

 この世界は音声言語が日本語のクセして、文字言語は日本語じゃない。

 早く勉強して習得しなくては。


「さて、そろそろ仕事の再確認をしようか」


 森の入り口でリタが振り返り、腰に手を当てる。


「塔主志願者下宿所のシステムはシンプル。

 私たち下宿組は衣食住を提供してもらう代わり、宿の手伝いをする。

 具体的には、素材採取・雑務・一般任務など」

「"一般任務"。エドナさんが取り寄せた討伐依頼や調査依頼。

 今回の対象は毒紫虎トキシック・タイガー。毒を持った紫色の虎。

 凶暴で殺傷性が高い代わりにタフではない魔物だね」

「本来は私1人でも問題無いけど、シンも実戦に慣れさせたい。

 "見学"じゃなくて"共闘"なのを忘れないように」


 紫の毒の虎って......キモすぎない?

 生態どうなっとんねんこの世界は。

 イカレ生態が許されるのはカモノハシだけだぞ?


「毒、というと......噛まれたらアウトか?」

「唾液と歯先から出る毒液が有害だね。

 治癒魔術で解毒もできるけど、気をつけて」

「了解」


 必要情報の整理・伝達・質問への返答。

 冷静沈着で先見の明に秀でた慧眼。

 これが塔主に求められる人材なのだろう。


 アッパラパーなホノンとは大違いである。

 まあ、ホノンも頭はいいし冷静なんだよな。

 月のリタ、太陽のホノン、っていう感じだ。


「そういえば、ホノン達って武器を使わないよな。

 塔主達って武器使わないのか?」

「いや、選定戦で使用禁止なだけ。

 武器使いの塔主は......3人、だったかな?」


 基本的には拳か魔術で戦うのがセオリーっていうことか。

 確かに、魔術を使う上で武器は邪魔かもしれないな。

 魔術用の杖とかってないのだろうか?


「さて、そろそろ雑談は終わりにしようか」


 リタの視線を追うと、遠くに紫の虎が見えた。

 奴らはまだこちらに気がついていない。

 ひぃ、ふぅ、みぃ、よ......あれ?


「なんか多くね?」

「茂みで見えない奴含め、8体だね」

「なんで隠れてる奴も分かるんだ?」

「――あとで教えてあげる」


 なにかしらの魔術なのだろうか?

 いや、考えるのは後にしよう。目の前に集中。


 下宿所で戦闘の練習を積んだ。魔術の発動にも慣れてきた。

 だが、実戦は未だに1度もない。正直ビビっている。

 落ち着け、冷静に、賢明に......


 数的有利は向こうにあるから、最善手は魔術による制圧。

 俺はゆっくりと息を吸い、リタに教わった魔術を唱える。

 イメージするのは、"土の針山"。


「"地維変転グランド・ディフォーム"」


 地面の形状を操作する岩魔術"地維変転グランド・ディフォーム"。

 潤沢な想像力と繊細な魔力制御が要求される技だ。


 地面から飛び出た針が2体の足を貫き、1体の体を貫く。

 本当に脆いな。不意を突かれるのが弱い魔物のようだ。

 とはいえ、ここからが本番。


 残りの5体はこちらに気づき、警戒を露わにする。

 蜂の巣をつついた。そんな恐怖が身に走る。


「"風巻ペリトロペ"」


 一斉にこちらへ走り出した虎が風に身を煽られる。

 リタの放った強風が俺たちの周囲を巻き、小枝や葉が巻き込まれる。

 先程使った岩魔術も相まって、虎の機動性に差が生まれた。


『同時に複数の魔獣が襲い掛かってくると、魔術のラグでこっちがやられる。

 まずは地形と風で魔獣をバラけさせて、潰す』


 事前に話した通りの手順で攪乱を成功させた。

 リタは強く踏み込み、虎と正面から肉薄する。

 目で追うのがギリギリなほど高い瞬発力だ。


 3体がリタと揉みくちゃになり、2体がこちらに向かう。

 俺は暴れるような動悸を抑え、叫ぶ。


「"烈焔斬リアマ・フィロ"!」


 炎の刃が1体の足に命中し、そいつが地面に転げる。

 もう1体、魔術は間に合わない。背筋が凍る。

 決死の形相で襲い掛かる虎に、俺は死ぬ気で構える。


 毒の唾液を垂らしながら俺に噛みつこうとする虎。

 俺は半身の力を抜いて体勢を傾け、牙を間一髪で回避する。

 背中を使って無様にも転げ、不格好な受け身を取る。


「ッ!」


 魔力を集わせ、練り、想像し、具現し、放つ。

 これだけの近距離では魔術を使うと同時に噛みつかれる。

 間合いを広げたい。だが、どうすればいいのか分からない。


 判断がワンテンポ遅れた俺に飛び掛かる虎。

 倒れた俺の瞳孔は震え、指が力んだ。

 相討ちを覚悟で魔力を込め、歯を食いしばった時......


「"岩穿槍シュタイン・ランツェ"」


 牙にこびりついた汚れも見えるような位置で、虎が固まった。

 脳天を岩槍に貫かれた獣は瞳の色を失い、倒れる。

 俺は呆然とし、言葉を失う。


 なぜ、打てなかったんだ。

 一瞬でも遅れていたら、首から上が無くなっていたかもしれないのに。


「ごめん、シン。少し遅れた」

「――いや、助かったよ。

 俺の覚悟が......あまりにも脆弱だったんだ」


 そうだ。覚悟が無かった。

 命を奪う覚悟。命を奪われる覚悟。

 死という概念と自分の間に、明確な一線を引いていた。


 ここで死んだらどうなっていた?

 また転生するなんて奇跡は起きない。そう考える他ない。

 いや、それ以上に。なによりも。


 ホノン、リタ。この2人から受け取ったものが、消える。

 ようやく見つけた希望魔術の欠片も知らずに死んでいた。


「シン。手を」


 リタの言葉にハッとし、俺は体の震えに気がついた。

 彼女の力強い手を握り、覚束ないまま立ち上がる。

 リタは俺の目を見て、ハッキリとした声で言った。


「"常に死ぬ気で挑めば死なない。

 そう信じて、絶対に油断するな"」


 リタは微笑を浮かべ、俺の手を軽く握った。

 虎の血ゆえか、運動の代謝ゆえか、リタの手は熱を発していた。


「やっぱり、ホノンの言葉は私達を支えてくれる」


 不思議な言葉だ。矛盾しているように感じる。

 信じること。それは油断と真逆の行為ではないのか?

 そのちぐはぐさが、脳に刻まれる。


 不思議な言葉だ。

 ホノンのその言葉は、俺の足の震えを止めた。



  ★★★



「私は皮を剥いで死体を焼いてくる。

 シンは向こうで休憩してて」

「手伝わなくていいのか?」

「初心者がいても無駄に時間が掛かるだけの作業だからね」


 少し冷たい言い方だが、リタなりの配慮だろう。


「悪い。頼む」


 俺は草むらを横切り、木に背を預ける。

 そのまま脱力するように座り、空を仰いでため息を吐く。

 ゆっくりと目を瞑り、疲弊感を噛み締める。


 間髪。一瞬の隙が死を招く。

 漠然としていた認識が、実戦によって具体化した。

 戦いは、両者の命が天秤に乗せられた奪い合いだ。


 魔獣とはいえ動物を殺した後味の悪い感覚も残っている。

 遠隔から魔術で仕留めたが、命を奪った意識は強い。

 ゴム手袋で流水に触れている時のような、中途半端な感覚だ。


 その瞳孔が、開かれた口が乾いていく。

 喉奥に小さく響く唸り声が尻すぼみに消えていく。

 俺は、生物の命が果てる様を目の前で見た。


「半端者は死ぬ......ということか」


 中途半端な精神のまま、塔主志願の下宿所に入った。

 この世界に何があるのか、どんな景色があるのかも知らない。

 流れに身を任せるのではなく、自分で道を決定しなくては。


 己で道を切り拓かなければ、死ぬ。


 前進を維持するために、何かしら目標が必要だ。

 馬にとってのニンジン。成就したい願い。

 俺にとっては、ただ平和に......


「――やっば、原点回帰だな」


 笑顔になりたい。

 それが常に、俺の中の最大目標だ。




 色々と感情や目標の整理ができた。

 俺は立ち上がって草を払い、リタの方へ向かう。

 もう終わっただろうかと前を向くと、そこには......


「ふふ、ここまで綺麗なアスターは珍しいな......」


 リタが赤い花に触れ、微笑を浮かべていた。

 見れば虎の皮は剥ぎ取られ、死体は焼却されている。


 リタの笑顔。初めて見た気がする。

 俺とは違い、リタは精神疾患ではないらしい。

 俺が目を丸くしていると、リタが気がついた。


「ッ! .........見たな」

「ナニモミテナイヨー」

「ふざけてないで、真面目に答えて」


 リタは驚いて立ち上がり、俺を睨む。

 元々鋭い眼光が今はさらに鋭い。滅茶苦茶怖い。

 俺はその形相に怯えながらも口を開く。


「リタは花が好きなのか?」

「.........好きじゃ悪い?」

「いや、ちょっと意外」

「はぁ、そう思われるから隠してるんだよ」


 リタは腕を組んで体重を木に預け、ため息をつく。

 俺はリタの愛でていたアスターを見る。

 俺には花の良し悪しは分からない。


「アスターは私の産まれたところでも咲いていたんだ。

 母様が花をしおりにしてくれて、それが宝物みたいで。

 気がついたら、花そのものが好きになってた」

「花の栞か......洒落てるな。

 アスターに花言葉ってあるのか?」


 俺の問いに、リタは考え込む。

 記憶を探る仕草をした後、はっきりと言った。


「確か"変化を好む"だった」


 俺は少し、その赤い花が好きになった気がした。

 我ながら安直である。


 この世界で生きていくために、俺は変わらなくてはいけない。

 そして、新しい自分を愛せるようになりたい。


 リタのように強くたくましい者になりたい。

 アスターの赤色をとても鮮やかに感じた。


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