第12話『空を切る手』

 草のむせ返るような香りが肺を包む。

 それを中和するかのように鉄の香りが鼻腔を刺す。

 痛みと熱が足を襲い、悪寒と震えが全身を侵す。


「――だから、もう手遅れに......」

「やはり切......復帰は――」

「ゴチャゴチャ言ってる暇は......」


 遠くの方に聞こえる叫び声が痛みをこじらせる。

 うるさい。静かにしてくれ。

 今すぐ黙らないなら、うるさい奴らを全員蹴り上げてやる。


「......タ! リタ!!」

「君、下がっていなさい!」

「嘘......だって、選定戦が!」

「.........ッ!!」


 ああ、ホノンも叫んでいる。いつにも増してうるさいな。

 一体なんの話をしているのか、頭がぼーっとして動かない。

 そんな切羽詰まったホノンは見たことが......


 硬いものが断たれる感覚が全身に響き、私の弱った意識は完全に吹き飛んだ。



  ===



 目が覚めた時、目の端に赤い花が見えた。

 少し萎れたアスターが、椅子の上に置かれた黒い帽子に支えられている。

 私が布団からその花へと手を伸ばそうとした時、頬にしずくが滴った。


 ホノンの泣き顔が私の視界を埋める。

 よく見れば、その端にはシンの安堵の表情も見える。

 私は覆いかぶさるホノンを抱え、その体温に安心する。


「ごめん、油断した」

「ッ......! 1日寝込んだ後の第一声がそれ!?

 もう、本当に心配したんだから......リタ......」

「ホノン、折角起きたリタを殺すつもりか?」


 しゃっくりのような嗚咽を漏らすホノンの肩に手を乗せ、シンが口を開く。

 目の下に薄っすらとクマができている。眠っていないのだろうか?


「リタ、ありがとう。俺たちはリタがいなかったら死んでいた」

「もっと早いタイミングでたら良かったんだけど......」

「いや、結果的に間に合ってたんだ。十分さ」


 ホノンが必死になってゾフラと戦っている中、シンは冷静だった。

 ゾフラの実力がホノンとシンの2人組を上回っていると判断。

 虚を突くためにゾフラの視界を誘導しながら立ち回り、勝ち確を演出した。


「無事で何より。上位聖騎士相手によくやったと思う」

「だけど......」

「シンもだいぶ強くなったね。

 私も頑張らなくちゃ、いつか追い抜かされ......っと」


 その時、自分じゃ気づかなかった。

 私の顔は青白く、血の気が引いていたのだ。

 シンは慌てて私の頭を支える。


「お、おい」

「さて、私はエドナおばさんに報告しに行かなくちゃね」

「無理するな。一旦横になって......」


 掛け布団を退け、体を90度回転させる。

 手早く靴を履き、寝室を出て、食堂に行く。

 とても簡単なことのはずだ。


「......ぁ......れ......?」


 体の重心がズレていた。体が妙に軽くなっていた。

 靴を履こうと伸ばした手が空を切る。

 なぜだろうかと、目線を下に向ける。


 私の右足は、膝から下が無くなっていた。


「......毒がももに至る前に切るしかないと、医師の判断だ。

 ホノン曰く、部位破損を治す魔術はかなり限られた......」


 シンの声が遠ざかっていくかのようだ。

 視界の端が黒くなり、今まさに回り終わるコマのように揺れる。

 目は大きく見開かれ、乾燥に涙が滲む。


 右足が、無い。


「おいっ!?」


 シンに肩を支えられ、私の体は止まる。

 全身の力が抜けきった状態で思考が止まり、口がカラカラに乾く。


 視界の揺れが部屋全体に伝播しているかのような錯覚に陥り、吐き気に胸が苦しくなる。

 どうしようもない苦しさが喉を駆け昇り、床に吐いた。

 そしてすぐにベッドに倒れ、気絶した。



  ★★★



 治癒魔術は専門性が高く、現存する魔導書が少ない。

 数百年前に勃発した第1次人魔大戦の渦中に、様々な技術が失われた。

 かつて栄華を誇った亡国ヒストリカにいた純血のエルフは殆ど滅んだ。


「部位破損を治せる治癒術師を探そう」


 暗くどんよりとした議論の中、ホノンの意見は2人に否定された。


「無理だ。専門の治癒術師にいくらかかると思ってるんだ」


 エドナの夫、カリフは金銭面を指摘した。

 俺たち下宿組の稼ぎは大したものではない。

 当然だ。衣食住の提供を受けた上での給料なのだから。


 先日エトラジェードで遊んだのが悔やまれるが、あの額も焼け石に水だろう。

 そもそも十分な金が用意できたところで、治癒術師がいなければ意味がない。


「冷静になってホノン。選定戦は明日よ......」


 エドナおばさんの言葉で思い出した。選定戦が目前に控えている。

 仮に1日でリタの足が治ったとしても、参加は絶望的。

 まだリタの体を巡ってしまった毒を解毒している最中なのだ。


「でもそうしなきゃ、リタは選定戦に出ることすらできない。

 選定戦で勝つために、今までずっと努力し続けた! 血反吐を吐いた!

 なんでリタは、出場すら許されないんだよ......」


 努力が結実すればベスト。結実しなくても、負けを噛み締める。

 今のリタには、負けという結果すら手に入らない。

 結果を得ずに不参加で終わる。悔しいなんて言葉じゃ説明しきれない。


「......図書館に行ってくる」


 ホノンの考えていることは分かる。

 治癒術師に頼れないなら自分で習得する。そういう心積もりだろう。

 一夜で医師国家試験に合格するかのような話だ。


 エドナとカリフは引き止める言葉も無く、顔に影を落とす。

 何をどうやっても上手く行かない絶望感に頭痛がし、俺も席を離れる。


「とりあえず、リタを看てきます」

「シン」


 エドナは俺の顔を見、心配そうに駆け寄ってきた。

 カリフは難しそうな顔をして腕を組み、エドナは俺の肩を抱く。


「お前のせいじゃない。自分を責めるんじゃない」

「そうよ。顔色が悪いようだし、少し眠りなさい」

「......」


 俺は何も言わず、部屋を出た。

 何も言えなかった。



  ===



 俺のせいじゃない。口ではどうとでも言える。

 確かなのは、リタは俺を庇って毒を食らった。足を失った。

 きっかけは俺だ。たとえ足を奪ったのがゾフラだとしても。


 自責の念が胸を締め付ける。きっとホノンも同じだろう。

 原因を探る自分、自分を非難する自分、言い訳をする自分が頭をガンガンと叩く。

 頭を掻きむしり、水を飲もうと洗面台に向かう。


「......ひでぇ顔」


 顔を水で洗うと、俺のみすぼらしい顔が浮き彫りになる。

 目の下にはクマが浮き、瞳の光は荒んで消えている。

 笑顔とは程遠い醜い顔だ。


 顔面の水を拭い、リタの部屋へと向かう。



「......」


 ノックをしようと人差し指を曲げるが、空中で手が静止する。

 ダメだ。リタと顔を合わせられない。何を言えばいい。

 何もかもが上手く行かない気がして仕方がない。


「......ッ!」


 悔しさに食いしばった歯が軋む。握った拳が震える。

 ホノンは無謀ながらもリタを治す手段を講じている。俺は、何を?

 何もできない。いや、それ以前に、何も浮かばない。


 俺には何ができるんだ。


 すぐ目の前にある扉が、リタのもとへ続く道が、果てしなく遠くに感じた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る