第2話『琥珀色と初雪』


 寝起き特有の気だるさが無かった。

 胸に圧迫感を感じるのは、俺がうつ伏せで寝ているせいだろう。

 背に陽の光を、頬に風を感じた。


「――ん......」


 鼻腔を満たす草の香りに目を開ける。

 あまりにも眩しすぎる緑が視界を覆う。

 俺は腕をつき、ゆっくりと立ち上がった。


「......え?」


 寝ぼけ眼が映す世界を信じられなかった。

 青い若草や鮮やかな花々の生い茂る草原。

 日は照り、雲は純白に輝き、川は宝石のようにきらめく。


 美しい油絵のような世界の中、俺は一人立っていた。

 呆然とする俺の足元に影が差す。

 雲の影であろうかと思い、後ろを振り返ると......


 目と鼻の先に、化け物がいた。


 黒く禍々しい全身は、輪郭がどこかおぼろげ。

 鋭い角と鱗肌をもつ爬虫類のような頭部。

 目はぼんやりと光を放ち、口を半開きにしている。


「おっ......ッと!?」


 怪物の腕が俺に向かって動く。

 俺はとっさにそれを避け、草原に転げる。

 ヤバい、ヤバいヤバいヤバい!!


 怪物を目の前にして、俺はなにもできない。

 周りには誰もいない。武器も隠れ場所もない。

 ここがどこなのかすらも、なにもかも分からない。


「うぁああああ!!」


 詰み。その事実に絶望する。

 黒くへばり付く恐怖が、叫びとなって喉から飛び出た。


 鈍重な怪物は抱擁かのように腕を動かし、俺の方へ......


「っと! こんなところに心緒の澱ソリュートかよ!」


 草を蹴る音が聞こえたと思ったら、俺の体は投げ飛ばされていた。

 訳も分からず草原を転げ、すぐに顔を上げる。


 小さな背中が見えた。

 背中の主は怪物に向かって相対し、油断なく構えている。

 どこか自信を感じる、頼れる背中だ。


「大丈夫、安心して!

 ボクはに負けないから!!」


 サラサラの美しい銀髪を揺らし、子供が振り返る。

 透き通った琥珀色の瞳をこちらに向け、俺に笑いかけた。

 そして化け物に向き直り、腰に手を当てて言い放つ。


「さあ、君は敵かな?」


 化け物は動きを止め、子供を見る。

 そしてゆっくりと動きだした。


 戦闘が始まった。



  ===



「君はどこかに隠れてて!

 ボク一人で大丈夫だからさ!」


 自信満々な子供を背に森へ逃げる。

 情けないが仕方がない。俺じゃ何もできないし。

 木の影に半身を隠し、目を怪物に戻す。


「あれ? 効かないのか。

 意外に不安定な感じなのかな?」


 銀髪の子供が手を掲げたかと思えば、首をかしげる。

 怪物を目の前にして何を呑気なことをしているんだ。

 その考えは直ぐに吹き飛んだ。


「まぁ、いっか! これは効くでしょ?

 "烈焔斬リアマ・フィロ"!」


 そのしなやかな指先から、赤色の刃が放たれる。

 空を裂くようにしなる炎が怪物の身を焦がす。

 炎の熱は俺のところまで伝播するほどだ。


 なんだあれ。何が起こった。

 指から炎が吹き出た、のか?


 怪物は燃える身を抱くようによじり、体勢を崩す。

 子供は草原を蹴って身を翻し、拳を握る。

 そして、子供を中心に風が巻いた。


 その銀髪は大きくはためき、

 その瞳は琥珀色に輝き、

 その唇は静かに動いた。


「"風纏躰エアロ・アーマー"」


 呟くような声が風の隙間から聴こえる。

 拳は怪物の胸に吸い込まれるような軌道を描き、命中。

 巨大な風穴が空き、怪物が地面に倒れる。


 呆然とする俺に対し、子供が振り返る。

 その親指をグイと突き出し、満面の笑みを浮かべた。

 どうしようもないほどに輝く笑顔だ。


「ほら、大丈夫だったでしょ?」


 俺はうんともすんとも言えずに無言で頷く。

 呆然としたまま草原に足を踏み出す。


 視線を子供の足元に向けると、消えゆく怪物と目があった。

 その目はどこか寂しげで、不思議な感覚を覚えた。



  ★★★



「ボクはホノン=ライラルフ!

 銀竜族の一端で、今はエトラジェードに住んでる。

 君は? どこから来たの?」


 子供の名前はホノンだという。


 短い銀髪、低い背、琥珀色の瞳、性別不明。

 風体は日本人らしくなく、名前は横文字っぽい。

 聞き慣れない単語や地名が出てくるあたり、ここは日本ではない。


 日本ではない?

 


「俺は龍々崎真治。

 東京......日本の首都から来た。

 ここは......」

「リューガサキ・シンジー? トーキョー?

 なにそれ、変なネーミングセンスだね」


 こんの餓鬼ガキァ、人様の名前に何たる侮辱。

 俺の......両親に謝れよ。

 確かに外国人からしたら日本語は変かもしれないが。


「それで、ここは一体どこなんだ?」


 文化の差、生態の差、環境の差。

 そしてなにより、さきほどの炎と風。

 脳内の世界地図にも、辞書にもない場所。


「そりゃあ当然、ケミスティアの......

 って、待って。もしかして君って......!」


 ホノンの瞳が俺の顔を覗き込む。

 なんだよ。キスでもする気なのか?

 ファーストキッスはレモン味なのか検証するか。


「"異世界"から来た"ドラゴン"なの?」


 What the ......? なんつった?

 異世界? ドラゴン? 漫画の話か?

 俺が異世界から来たってのは置いておいて......


「ドラゴン? 俺がか?」

「だってそれ、ドラゴンの鱗でしょう?」

「......鱗?」


 ホノンが俺の顔を指差す。


 右頬に手を添えると、目の下にゴツゴツしたものが触れた。

 親指程度の大きさだが存在感がある。

 なんなんだ、これ。


「どうやら、本当に転生者みたいだね?」


 動揺に散った視線をホノンに向ける。

 ホノンは顔を上に向け、その首に手を添える。

 そしてその下目遣いと共に、口を開ける。


「お揃い、だね」


 その細い首には、俺と同じ鱗が生えていた。



  ★★★



 この世界には多種多様な生物が存在する。

 中でも強力な存在として知られるのが、ドラゴン

 俺は空想上の生き物に転生したようだ。


 視力や身体機能が向上し、鱗が生えてきた。

 身長が縮んだため、外見も変化しているかもしれない。


 細かいことはよく分からん。

 意識の継承と生命の明滅を同時に満たす現象が転生。

 おとぎ話のような話だが、現に起こっているようだ。


「ねえ、シンってなんでここに転生したの?」

「俺は真治だ。略すなよ。

 理由なんて俺にも分からん」

「シンジよりもシンの方が呼びやすいよ!

 それなら、一番最新の記憶は?」


 人の名前を勝手に省くホノン。

 俺はそれにムッとしつつ、記憶を探る。


「......初雪」

「初雪?」

「大学から出て、一人で......駅に着いて......」


 曖昧な記憶。不鮮明な脳内映像。

 覚えているのは奇妙な浮遊感と、胃のひっくり返るような不快感。

 何よりも大切ななにかを忘れている気がする。


「――思い出せない」

「そう......か。なら仕方がないね!

 ほらっ、切り替えて行こうよ!」


 ホノンにバシバシと背中を叩かれる。

 触れられてようやく気がついたが、俺は自分のものでない服をまとっていた。

 少し独特な雰囲気の簡素な衣服だ。


 記憶が不鮮明なら現在を探ればいい。

 ここがどのような場所なのかを理解する必要がある。

 だが、俺はそれよりも優先したいことがある。


 知りたい。

 自分の湧き上がる知識欲を抑えきれなかった。


「ホノン、聞きたいことがあるんだけど」

「ん? なになに、ボクに質問かい?

 仕方ないなぁ! ボクってば物知りだからなんでも答えられるし、教えてあげられるよ!」

「そりゃ結構なこった」

「......タブンネ」

「今なんつった」


 口笛を吹き明後日の方向を眺めるホノンにため息をつく。

 表情豊かなホノンへの嫉妬を抑え、口を開く。


「さっきの炎のやつと、風のやつ。

 あれって一体何なんだ?」


 怪物を倒した時の光景を頭に浮かべ、そう問うた。

 それに対し、ホノンは満面の笑みを浮かべる。

 "えっへん"を体現したかのようなドヤ顔で口を開いた。


「あれは魔法だよ!」


 その言葉を聞き、漠然と確信した。

 この世界ではきっと変われる、と。


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