第15話『道は違えど』


 扉を開ける。部屋に踏み入る。ベッドに腰掛ける。

 左手を左足のかかとに伸ばして靴を外す。

 右手を右足のかかとに伸ばし......その手は空を切った。


「......疲れた」


 私は軽くなった体を持ち上げ、仰向けの状態でベッドに倒れる。

 物理的な肉体の減量に反し、精神はベッドに深く沈み込む。

 全身を脱力させて目の上に腕を被せ、長い溜息を吐く。


 私は、よくやっていると思う。

 片足を失っても悲嘆に暮れず、無気力になった仲間を鼓舞する。

 足の無い違和感を噛み潰し、普段と変わらないよう努めている。


 誰もいない部屋。誰も聞いていない声。

 意味なんてない、独りよがりな言葉。

 声を出す必要のない心の内が、口を衝いて漏れた。


「......苦しい」


 誰よりも理解している自分の心を偽って過ごす。

 漠然とした感情は上手く表現することができない。

 蜘蛛の巣に捕らえられた蛾のような気分と言えばそれらしいか。

 とても、とても、生きづらい。


 本当は苦しい。ようやく毒は抜けたが痛みは健在だ。

 何をするにも松葉杖が付きまとう。移動の度に擦れる脇がもう既に痛む。

 右足に触れようとして伸ばした手が空を切ったのは何回目だ。


 息が詰まる。苦しい。泣きたい。辛い。

 それでも私は、きっとホノンと対等なんだ。

 そう信じ続けたい。


 私はベッドの上で体をズラし、小机の上に手を伸ばす。

 黒の帽子を退けて本を手に取り、挟まっていたしおりをスッと引き抜く。

 押し花栞となった赤色のアスターが私を見ていた。


「けど、私はまだ生きている」


 その言葉を発した時、私の中の私を構成する何かが変わった。

 人は変わらない、変われない。容姿は変われど内の本質は不変だ。

 だがその本質を形作る要素が、異なる配列を成すことがある。


 "諦め"は静止を意味しない。

 岐路に立ったことを鮮明に意味する。

 しおれて生命力も無いアスターが、私の背を道へ押し進めてくれた。



  ★★★



「さて、計画を練ろうか」


 リタと話したことでホノンは元気を取り戻した。

 とはいえ、普段のおちゃらけた雰囲気は無い。

 真剣な表情で広げた地図を見下ろし、現在地を指差す。


「エトラジェード南部に位置する森林地帯"ヴェークの森"。

 ここは都市に近い割に強い魔物が現れやすい。

 ボクとシンが出会った、鏡の秘境のある森だね」


 魔法世界の伊能忠敬はサボり癖があるのか、地図は概略のみを表している。

 擁壁に囲われたエトラジェードの南部にある森は、エトラジェードの2倍ほどの面積を有する。


「森に籠って修行するのか?」

「いや、あくまで旅修行だからね。そのまま南下してフィジクス国境の街まで行く。

 エトラジェードとは違って、ここら辺は治安が悪いんだ。

 火炎の塔主の自治区域から外れた範囲だからゴロツキも多い」


 ホノンの指は南下していき、ケミスティアの南西をなぞる。

 いくつかの細々とした街や村がある中、大きな黒い場所がある。

 黒塗りの土地は×印で名前が見えづらくなっている。


「ホノン、ここは?」

「かつて栄華を誇った"藝術の国ヒストリカ"。

 ボクたちの最終目的地はヒストリカ南西部の"藝術信奉徒学区アカデメイア・オブ・カリテクニス"......

 その跡地を眺めることができる、東部の岩地だ」

「跡地......?」

「実際にその光景を見た時に改めて説明したい。

 この世界の歴史に、そしてボクたちの最終目標に関わる話だからね」


 歴史と最終目標。随分と勿体ぶって話すな。

 黒塗りの地図、跡地、歴史という三単語から何となく察しはつく。


「分かった」


 ホノンは俺の言葉に頷き、言っていた岩地にマークを付ける。

 細々とした一連の流れを確認した後、ホノンは俺の方を見た。


「ここまで色々と話した上で改めて聞くんだけど、本当にシンも着いてくるの?」

「ああ。リタに勧められたし、何よりこの世界の地理には興味がある」

「......ボクは、塔主志願のことについて聞きたい」


 ああ、その話か。

 俺も目標が曖昧になっていたから、改めて確認したい。


「ボクは塔主になって皆を救いたい、守りたい。

 今回の一件で志願理由に"悲願の成就"も追加された。

 キミはどうしたい? 旅の先に何を求める?」

「俺の最終目標に変わりは無い。笑顔になる手段の獲得だ。

 ただ、転生直後とは違って、その達成条件が複雑になった」

「と言うと?」


 少し気恥しいが......事実だから恥じる必要は無いだろう。


「リタとホノン。お前らと笑いあえて初めて達成できる目標だ。

 今のリタを励ます方法は2つしか思いつかなかった。

 治癒術師に治してもらうことと、俺かホノンが塔主になることだ」


 ホノンの目に驚きと喜びの色が差す。


「俺は欲深いからな。絶対にどっちも叶えてやる。

 塔主になって莫大な金を稼げば、治癒術師の2,3人は雇えるだろう?」

「本当にキミって奴は......もう。

 シンは言うのが恥ずかしいようなカッコいいことを、誤魔化し笑いも無く言えちゃうんだから」

「それに、ホノン1人じゃ目標達成は厳しいだろうし」

「そういう余計な一言が本当に可愛く無い!!

 シンはいっつもボクのことを甘く見過ぎだよ!!」


 茶々を入れたが、他にも細々とした理由はある。

 何より、ホノンにとって腕を磨きあえる相手は必要だろう。

 俺は選定戦で勝てる気など毛頭無いが、せめてホノンの力になれればそれでいい。


「まあいいや。シンがその気なら丁度いい。

 これからは弟子としてじゃなくて、対等な仲間として扱うから覚悟してね!」

「弟子入りしたつもりは無いが?」

「いや、ボクはシンの師匠だから!」


 そんな言い合いも夜の訪れと共に終わった。

 荷造りを終えて早めに眠り、後日の早朝に出発する。

 ホノンの立てた計画通り、出発の日の朝を迎えた。



  ★★★



「じゃあリタ、行ってくるね」

「ホノンが居ない下宿所は静かになりそうだね。

 快眠できそうで良かった」

「送別の言葉が酷くない!?」


 早朝、リタはさも当然のことかのように起きていた。

 別れの時だというのに相変わらず冷静な顔をしている。


「送別、じゃないでしょう?」

「......そう、だね。うん」

「私はここで呑気に待つつもりは無い。

 お互い、違う道に進むだけだから」


 リタは送る側でない。ホノンも送られる側でない。

 行く道が分かれただけであって、リタが立ち止まるわけじゃないのだ。


「そういうことだから、ホノン。

 さっさと出ていけ」

「やっぱ酷いよ!! なんでそんなに冷たいの!?」


 いつも通りのやり取りをしつつ、ホノンが拳を振り上げながら部屋を出る。

 ぶーたれたホノンの背に追従しようとすると、リタに止められた。


「シンには話がある。退出命令したのはホノンだけ」

「はぁ!? 長い間の親友に対しては冷たいのに、シンにはその態度!?

 ボクを省いて蜜月の密談なんて、罪な女......」

「ぶん殴るぞ」


 一応注釈をつけておこう。

 殴りの脅しを入れたのは俺ではなくリタだ。


 騒ぐホノンが去った後の静かな部屋で、リタの言葉を待つ。


「私は2人とも塔主になる可能性があると本気で思ってる。

 修行期間の不利があるシンには、2つのプレゼントをあげたい」


 そう言いつつ、リタは俺に紙束を渡す。

 パラパラと捲ってみると、中身は詳細な体術指南書であった。


「これ、もしかして手書きか?」

「正解。短い期間で書き上げたやつだけど、間違ったことは書いてないはず」


 信じられない努力量だな。未だ療養期間中だと言うのに、ベッドの上でずっとこれを書いていたのか。

 体術でホノンにコテンパンにされていた俺にとっての生命線だ。


「ありがとう。恩に着る」

「ホノンを殴って恩返ししてみせて。

 あともう一つ。これは、毒紫虎を討伐した時のやつ」

「......ああ、『あとで教えてあげる』って言ってたやつか」


 毒紫虎の討伐依頼の際、リタは茂みに隠れていた虎の数と配置を把握していた。

 七三分けのリーマンが脅し聞いた訳でも無いのに、なぜ敵の数と配置が分かったのか。

 "教えてあげる"ということは、能力ではなく魔術なのだろう。


「これは難易度の高い魔術だけど、シンなら3分で習得できるって信じてる」

「随分と高く見積もられてるな」

「ホノン曰く、魔術の天才だし。

 私も正直そう思ってる」


 期待か、信頼か、嫉妬か。

 リタの浮かべた微笑は、俺の心をトンと叩いた。


 俺はため息を吐きつつ、リタの話を聞いた。

 そして、言われた通り3分でその魔術を習得したのであった。



  ===



「行ってきます!」

「気を付けて行ってらっしゃい!」


 エドナの言葉を背に受けつつ、俺たちはエトラジェードを去る。

 いつ行われるかも分からない次なる選定戦に備え、腕を磨く。


 不安はある。迷いもある。

 この選択が正しいのかどうか分からない。

 その大小に関わらず、きっと何かしらの後悔を経験することになるだろう。


 これ以上の後悔は御免だ。

 だから、少しの後悔なら弾き飛ばせるぐらいの強さが欲しい。

 強く逞しい、まさしく塔主タワーズドラゴンのような。


 俺とホノンの旅修行が始まった。


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