第16話 再会
ファルジェリーナが次に目を覚ますと、目の前に小さな我が子が眠っていた。
あの魔法使いによって力を奪われ、動けなくなったあの時からずっと求めていた姿。意識が遠のきそうになる時も、心配だった大切な娘。
その娘が、確かに自分の手の届く所にいる。穏やかな表情で眠っている。
さらに、愛しい夫がそばに寄り添って。
自分の大切なものがそばにあるとわかり、ファルジェリーナは長いため息をついた。
「気分は悪くないかい?」
妻が目を覚ましたと知り、オルフォードはささやいた。まだ眠る娘を起こさないように。
「悪いはずがないわ」
ファルジェリーナは、まだ完全に体力が回復した訳ではなかった。
だが、こうして再び家族が揃ったのだ。気分だけは最高だった。
火の部屋で、小竜が家族の再会を喜んでいる頃。
アトレストの事務室では、シェルリスが小さくなっていた。
一時的に戻って来たレイザックに叱られているのだ。
「まだまともな結界を張れない奴が、あんな部屋で魔獣と長話してたって……バカか、お前は。あの部屋の温度は、真夏の昼の倍以上はあるんだぞ」
「バカはないでしょっ。……だって、そんなに長い時間だと思ってなかったんだもん」
ブレイズが呼びに来なければ、シェルリスはファルジェリーナと一緒にラグトムの悪口をずっと言い合っていただろう。自分の体調にも気付かないままで。
ファルジェリーナは魔法道具のせいで体力がひどく落ちていたし、シェルリスだって魔法使いに拘束されたり火事に巻き込まれたり……と大変だった。
ひどい目に遭ったのだから、いらいらや不満をぶちまけたいという気持ちは、レイザックもわからないではない。
だからと言って、別にあの部屋でなくてもいいだろう、と思う。場所についてもそうだし、そんなことのあったすぐ後にしゃべらなくても、もう少し時間が経ってお互いが元気になった時にすれば、と思うのだ。
この辺り、おしゃべりでストレスを発散させる女性の生態、というものの理解に苦しむ。
同時に「女」であれば、人間も魔獣も関係ないらしい、とレイザックは知った。
「休ませてもらって本当にもう大丈夫になったし、帰っても平気なんだけど」
「駄目だ。もう真夜中なんだぞ。寮へ戻っても、こんな時間じゃ入れてもらえない。母さんが仮眠室にシーツを持って来てくれてるから、今夜はそこで寝ろ」
アトレストは夜中も営業している。魔物退治に時間は関係ないから、魔法使い達が戻って来る時間もばらばらだ。
なので、いつでも魔法使いを受け入れられるように、夜中も開いている。
事務室の横には夜勤の従業員のために仮眠室が二部屋あり、普段使われているのは一部屋だけ。
シェルリスは、予備の部屋で強制的に休まされることになった。
ちなみに、シェルリスが今まで休んでいたのは事務室にあるソファだ。そこで眠り込んでしまったので、ブレイズ達はあえて起こさなかった。どうせ今晩は泊まらせるつもりでいたから、というのもある。
しばらくして、レイザックがオルフォードとトゥールティア親子を連れて戻って来たので少し騒がしくなったため、シェルリスも目を覚ます。
あんなことがあり、すでにブレイズに送られてシェルリスは寮へ戻った。
レイザックはそう思っていたのに、シェルリスがまだアトレストにいる。その理由を聞いてレイザックが激怒し、説教……という状況になったのである。
とにかく、シェルリスに反省させた後、レイザックは小竜達を連れ去った犯人を捕まえたことを報告した。ルビー、もといトゥールティアが無事だったと聞いて、シェルリスも安心する。
トゥールティアに会いたいと言って「反省してないのか」とレイザックにまた叱られ、明日にしろと言われた。
顔をちょっと見るだけ……でもいいんだけどな。
シェルリスはそう思ったものの、結界をしっかり張れずに倒れたばかりでは、それも口にできない。おとなしく、朝になるのを待つことにした。
「それにしても、シェルがどこにもいないってわかった時は、本当に焦った」
レイザックは、今更ながらほっとため息をつく。こうしてシェルリスを叱れるのも、彼女が無事だったからだ。
「え……あ、あれは間が悪かったって言うか、あの魔法使いが悪いって言うか」
トゥールティアの気配はケージによって遮断されていたから、シェルリスも自分は安全だと信じ切っていた。魔獣ではなく、まさか人間に襲われるなんて想像もしていない。
そもそもシェルリスは、魔法使い崩れが魔獣親子を連れ去った、なんて思ってもみなかった。なので、人間の魔の手が自分に伸びる、などと思うはずがないのだ。
ブレイズが最初に「魔法使い崩れが魔獣を捕まえてこんなことが起きたりする」と何となく臭わせていたことは、見事に頭から抜け落ちて。
シェルリスはトゥールティアがどんな状況で迷子になっていたのかより、初めて見た魔獣の子をどう世話をするかばかりに気を取られていたのだ。
「魔獣売買が絡んでるって推測した時に、子どもを預かっているシェルにも何らかの保護をかけておくべきだったんだ。悪かったな、怖い思いをさせて」
ぽふっと頭に手を置かれ、シェルリスはどきっとする。さっきまであんなに怒った顔だったのに、今は妙に優しい表情を浮かべて。
同時に、イルバの森の中でレイザックに抱き締められたことを思い出し、恥ずかしくなった。
「レイザック」
ブレイズが事務室へ入って来て、レイザックは慌てて手を引っ込めた。
「な、何?」
焦ったことを表に出さないようにしながら、レイザックは父の方を振り返る。
「あの小竜達は、しばらくここに引き留めておいた方がいいのか?」
「そう……だな。ファルジェリーナの方はまだ自力で山へ帰るのは大変だろうし、もう少し体力が回復するまで置いてくれないか。できれば被害魔獣としての証言もほしいし、帰るならその後にしてもらいたいんだ」
「うちは構わないが、空間を安定させる都合上、どうしてもわしらが部屋を出入りすることになるからな。彼らにすれば、周囲に人間がいるのは落ち着かないだろう。体力回復については仕方がないが、何をするにしても、早くしてやれよ」
「ああ、わかった」
そう言ってブレイズは事務室を出て行きかけたが、ふと足を止める。
「ここは人の出入りがあるから、二人になりたいなら別の場所にしろ」
「親父!」
ブレイズの笑い声が遠ざかって行く。残されたこっちの方が気まずい。
「えっと……俺は本部へ戻る。奴らの状況はまた報告するから」
「う、うん。わかった」
さっきの恥ずかしいと思った気持ちが、シェルリスの中でまたよみがえってきた。レイザックの顔をまともに見られない。
「早く休めよ」
そう言って部屋を出るレイザックの後ろ姿を、シェルリスは黙って見送った。
☆☆☆
その後、あてがわれた仮眠室で眠り、次にシェルリスが目を覚ましたのは十時前。
えええっ、うそでしょお。
時計を見て真っ青になったが、どうして起こしてくれなかったの、とブレイズ達に文句は言えない。
ここは実家でも、寮の自室でもないのだ。寝る場所が変わったのだから、なおさらちゃんと起きる時間を設定しておくべきだった。
今から慌てて向かっても、教室へ入る頃には午前の授業は終わってしまう。午後は実技。昨日の今日では、たぶん心身共に通常通りとはいかないだろう。
セレルによると、とても気持ちよさそうに眠っていたらしい。やはり疲れていたのだと思い、そのままゆっくり寝かせておこう、となったのだ。
修学部にはブレイズによって、今日は休む、という連絡がすでに入れられていた。シェルリスがどうこう考える前に、休むことになっていたのだ。
もう休むって決まったんじゃ……仕方がないもんね。
休むとなれば、今日は自由行動の日だと割り切る。
事件も解決し、もう一人で寮へ戻っても問題ないのだが、シェルリスはレイザックから話を聞いただけで、トゥールティアの無事な姿を見ていない。
レイザックを信用しない訳ではないが、やはり自分の目でその姿を見るまでは気になる。
レイザックと一緒に、父親のオルフォードがトゥールティアを連れてアトレストへ来ているはずなので、シェルリスはまた火の部屋へ向かった。
見るだけ。トゥールティアの元気な顔を見るだけで、すぐに出れば平気よね。今日は昨日より気合いを入れて、しっかりした結界を張らなきゃ。
赤いオーロラカーテンが揺らぐ前まで来ると、シェルリスが結界を張るべく呪文を唱えようとした。
その直前。オーロラカーテンの向こうに、影が見えた。ブレイズかと思ったが、彼より背が高い。
シェルリスがそのまま待っていると、現れたのは人の姿をしたオルフォードだった。
「やぁ、おはよう。……ん? もうそういう挨拶はおかしい時間かな」
人間と契約をしたことがない割に、細かい部分が結構人間くさい。
「あたし、さっき起きたばかりだから。おはようで十分よ」
はー、魔獣が人間の姿になるときれいって聞いてたけど、本当なんだなぁ。きれいと言うか、かっこいい。
昔からの友人みたいに挨拶され、シェルリスはちょっとどきどきしてしまう。
昨日もあの火事の後でオルフォードの姿は見ているのだが、シェルリスはまだ多少の混乱状態が残ってはっきりしっかり認識できる状態ではなかった。
ファルジェリーナとは、アトレストへ戻る際と火の部屋で会話しているのでちゃんと姿をわかっていたはずだが……。
こうして改めて人間の姿になった魔獣を見ると、小竜夫妻は本当に美形だ。魔力が強い程に美しくなるとは習ったのだが、アトレストへ来る魔獣はその姿のままでいることがほとんど。
シェルリスは魔獣を見慣れているが、人間の姿になった魔獣は今回が初めてなのだ。
あの魔法使いも、よく自分が小竜だなんて言えたわよね。厚かましいにも程があるわよ。
美形でもないくせに「人間の姿になった魔獣」を演じたラグトムに、シェルリスは今更ながらあきれた。
あれが人間に変身した姿と言うなら、正体は低級の魔物レベルだ。いや、そんなことを言ったら、魔物に悪い。
「ファルジェリーナの具合はどう?」
「かなりよくなった。スーバの山に近い環境でゆっくりすごせたから、ずいぶん体力も戻ってきたよ」
そう話すオルフォードの胸には、小さな小竜が抱かれている。
「ルビー……トゥールティアも元気?」
「きゅっ」
返事をするように、トゥールティアは大きな声で鳴いた。間違いなく元気な声で、シェルリスはようやく安心した。自然に笑みが浮かぶ。
「魔法使い達やファルから聞いたよ。娘の世話をしてくれていたそうだね」
「世話と言うより、一緒にいただけって感じだけど。無事に戻って来てくれてよかった」
オルフォードは小さな娘の身体を持ち上げると、シェルリスの方へ差し出した。
こんな小さな子どもを魔獣の方から渡され、本当に信頼されているとわかって嬉しくなる。
小竜の子どもを受け取ると、シェルリスはその赤い身体をそっと抱き締めた。
「怖い目に遭わせてごめんね、トゥールティア」
トゥールティアはシェルリスのにおいを確かめるように、鼻先を細かく動かした。
「シェ……ル……」
「え?」
幼い声に、シェルリスは驚いてトゥールティアの顔を見る。
「シェ……ル」
「わ……トゥールティア、あたしの名前、言ってる!」
片言ではあるが、確かにシェルリスの名前を口にしている。目を丸くして、シェルリスは小竜親子の顔を交互に見た。
そんな少女の様子に、オルフォードはくすくすと笑う。
「この子がさっきから、きみの所へ行きたがっていてね。親の名前より先に、きみの名前を覚えたようだ」
周りにいた人達がシェルリスの名前を呼び掛けていたのを、トゥールティアはちゃんと聞いていたのだ。
それを口にできる知能の高さにも驚くが、純粋に自分の名前を言ってもらえてシェルリスは今までのいやなこと、怖かったことが全て吹き飛んでしまう。
今までできなかった分を取り戻すかのように、シェルリスはトゥールティアの小さな身体を抱き締めた。
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