迷子の火竜、おあずかりしてます
碧衣 奈美
第1話 捕縛
山肌には火の絨毯が広がり、大小の赤黒い石がそこかしこに転がる。普通の植物は一切生えず、人間や獣はそのふもとにさえ近付くことができない。
ここは、スーバと呼ばれる火の山。
いるのは、火に属する魔獣や魔物だけだ。そんな彼らでさえ、力の弱い者は時折火に焼かれて絶命することがある。この山が秘める火の力は、それだけ強大なのだ。
そんな過酷な環境の中で、ファルジェリーナは子どもを産んだ。
彼女は「
はるか昔、竜が小さくなったような姿だと人間が言い始め、いつしかその名が定着していた。
人間の身長の倍以上ある、赤い鱗に覆われた長い身体。一抱えでは追い付かない、太い胴体は確かに竜に似ている。
だが、竜のように口からのぞく鋭い牙や、枝分かれした長い角はない。
それでも、竜に準ずる程の強い魔力を持つ魔獣だ。
ファルジェリーナは、火に属する小竜。なので、当然火が近くにある環境が一番好ましい。
ここスーバの山は、火の力が他と比べても強い。だが、大きな噴火はほとんど起きない。
いくら炎のそばが適している魔獣でも、噴火が頻繁に起きる場所では落ち着いていられないが、この山は吹き出る火の強さや間隔がちょうどよかった。
ファルジェリーナはこれまでに何度か棲む場所を変えて来た。ここは彼女にとって、最高とも言える環境だ。
この山へ移ってしばらく経った頃、ファルジェリーナはパートナーとなるオルフォードと出会った。優しく強い彼と恋に落ちるまで、時間はかからない。
そして、今。
ファルジェリーナのすぐそばには、彼の子がいる。
数日前に生まれたばかりの我が子は自分が想像していたよりも小さく、サラマンダーにでも間違われてしまいそうだ。
しかし、この存在が何よりも愛おしい。ずっと見ていても、飽きない。なんて不思議な感覚なのだろう。こんなに小さいのに、この世の何よりも大きな存在だ。
時々「きゅっ」と鳴くその声は、何よりも耳に心地いい。
こんな愛しい宝物を独り占めして、彼に悪いかしら。
そんなことを考え、ファルジェリーナは笑みを浮かべる。
オルフォードは、難産で体力が落ちている彼女に食べさせる物を探しに出ていた。そろそろ戻って来てもいい頃だろう。
オルフォードを待っていたファルジェリーナは、急に強い眠気に襲われ、子どもを胸元に抱いて目を閉じた。
何かが近付いて来る気配がしたが、オルフォードが戻って来たのだろうと思いつつ、眠りの淵へ落ちる。
「なかなか上玉じゃないか」
「キツネなら毛に一番艶のない時期だが、魔獣は出産前後でもそう変わらないからな」
すぐそばで聞き覚えのない声がして、ファルジェリーナは目を開けた。
え……どうして?
身体が自由に動かない。手足が縛られているのだ。しかし、これだけで動けなくなるなんておかしい。
ファルジェリーナは視線だけで、何とか情報を得ようと試みる。
自分の前にいるはずのない、いられるはずのない二人の人間がいた。彼らは、動けないファルジェリーナを見下ろしている。
一人は、暗い茶色の髪を一つに束ねた、どちらかと言えば細身の男。三十代前半といったところか。
こちらに向けられた黒い瞳は、彼女を見下しているように思えた。もしくは、獲物を値踏みする目。
彼からは、はっきりと魔法の気配を感じる。間違いなく魔法使いだ。
もう一人は魔法使いより少し小柄だがぽっちゃり体型で、歳は上だろう。四十代後半くらい、と思われる。
この男は、魔法使いではなさそうだ。かすかに魔法の気配はしているのだが、これはこの場所にいるための結界から漂う気配だろう。
肩までの赤いくせ毛に茶色の瞳の男は、一見すれば「いい人」に思われそうな顔立ちだ。しかし、この場にいてこの男がいい人なんてありえない。本当にいい人なら、今すぐにでも彼女の手足を拘束している縄を解いてくれるはずだ。
「誰っ」
叫びながらファルジェリーナはどうにか身体を起こしたが、手足が拘束されているので不自然な伏せの状態にしかならない。
縄はそんなに太いものではなく、その気になれば引きちぎることもできそうだ。
しかし、なぜか身体に力が入らなかった。出産で体力が落ちているせいではない。力を吸い取られているような気がする。
そう考えて、自分を戒めているこの縄のせいだ、と気付いた。
ようやく、頭が回り始める。
ファルジェリーナは、捕まったのだ。
こんな火の山へ人間は来られないが、魔法使いなら可能。結界を自分の周りに張り、火のエネルギーを遮断して動くことができる。
目の前にいる男達が巣の近くへ来て、眠り薬の効果がある煙を流し込んだか何かしたのだろう。
そのためにファルジェリーナは眠ってしまい、まんまと人間の手に落ちた。あの強い眠気は体力低下のためではなく、この魔法使いの仕業だったのだ。
そこまで考えて、はっとする。
自分の近くに、子どもがいない。
あの場へ来て彼女を拘束した時、いくら小さくても子どもの姿を魔法使いが見ていないとは思えなかった。
「私の子はっ?」
「安心しろ。殺してはいない。だが、お前の動きによっては氷漬けにする」
魔法使いの言葉を聞いて、血の気が引いた。
力の強さや状況によってはファルジェリーナなら耐えることができても、生まれて数日しか経っていない我が子に耐えられるはずがない。すぐに命の火が消えてしまう。
「返して! 私の子を返してっ」
叫んだところで返してくれるとは思えないが、言わずにはいられない。
「お前、人間の姿になれるな?」
「え……?」
魔法使いの言葉に、ファルジェリーナは戸惑う。
「知らないわ」
ファルジェリーナは正直に言った。
魔力が高ければ、魔獣は人間の姿になることができる。彼女自身、己の魔力が低いとは思わないが、人間になれるかわからない。今までなる必要がなかったから、なったことがないのだ。
「では、試してみろ。今からお前の縄を解いてやる。後ろ脚だけな。それでやってみろ」
男は言った通りに、後ろ脚の縄を解いた。その途端、身体が少し楽になる。
やはりこの縄が、ファルジェリーナの力を吸い取っていたのだ。
「私がここで人間の姿になって、どうだと言うの」
「いいから、さっさとしろ。子どもを痛めつけられたくないだろう」
子どもを盾に取られては、ファルジェリーナに反抗のしようがない。
今使える力で、彼女はその姿を変えた。
「ほう……こりゃ、いい女だ」
人間の姿になったファルジェリーナを見て、赤い髪の男が喜ぶ。
そこには、二十代前半くらいの若い女が座り込んでいた。
男とは違う、艶のある赤い髪は真っ直ぐで腰まで伸び、その瞳は怪しいまでに美しい紅玉の赤。
顔立ちは文句のつけようがなく、細い手首を拘束され、不安そうな表情を浮かべていても美しかった。
「やはりな。小竜は例外なく魔力が高い。魔力が高ければ、人間の姿になった時に美しくなる。オレの目に狂いはなかったな」
「お前と組んで正解だったぜ、ラグトム」
ラグトムと呼ばれた魔法使いは、またファルジェリーナを値踏みするように見下ろす。満足げに笑みを浮かべているが、見ているとこちらが不快になる表情だ。
ラグトムは、上着のポケットから何かを取り出した。
「おとなしくしていろ」
ラグトムはファルジェリーナの首に、取り出した物を手早く付けた。
「あうっ」
途端に、美しい顔が苦痛に歪む。
身体がしびれ、さっきまでよりさらに力を吸い取られる感覚が襲ってきた。拘束されたままの手で首に付けられた物を取ろうとするが、確かにあるはずなのに手で触れることができない。
ファルジェリーナに付けられたのは、チョーカーだ。黒い絹のような布に、白濁した丸い石が付いている。
「これは魔力を吸い取る石だ。お前達魔獣には取れない。妖精に頼んでも無駄だ。お前の首に付けたチョーカーは、人間にしか取り外せないからな」
「私を……どうする気?」
「お前みたいな魔獣を手元に置きたい、という人間に引き渡すのさ。オレ達が当分遊んで暮らせるくらいの金と引き替えにな」
「お前さんが売られる先のご主人は優しい方だから、心配しなくていいよ。たぶんな」
いい人っぽい仮面を付けた赤毛の男が、にたりと嗤う。
「うまくいけば、親子ともども引き取ってもらえるかも知れない。だから、わしらの言うことをおとなしく聞いておくんだな」
「私の子まで売り物にするのっ」
「当然だろう。それに、子どもでも種族によっちゃ高く売れるんだ。わしらにとっちゃ、まさに金の卵だぜ」
「タルボラ」
魔法使いに呼ばれ、ファルジェリーナと話していた赤毛の男がそちらを振り返る。
二人して何やらこそこそと話し、タルボラと呼ばれた男が「何っ?」と言うのが聞こえた。
内容は聞こえないが、その口調にファルジェリーナは不安がつのる。
その後、ラグトムが何やら言い、タルボラが小さく何度もうなずいた。
「私の子は? 子どもの顔を見せて」
ファルジェリーナは自分のことより、子どもの方が心配だった。姿が見えないので、何をされているかわからない。
売り物にするなら、傷は付けないだろう。だが、こんな石を使われたら、まだ力の弱い我が子に耐えられるかどうか。
「後でな。お前はタルボラが依頼主の元へ連れて行く。言っておくが、お前にまともな魔法はもう使えない。下手に抵抗したら、そのチョーカーと同じ石がついたブレスを、両手にはめてやる。立つのが精一杯の状態になど、お前もなりたくないだろう。その前に、子どもがどうなるかわからないしな」
「なんて卑怯なの……」
ファルジェリーナは、非情な言葉を並べるラグトムを睨む。睨むだけで相手を倒せるなら、やりたかった。
しかし、睨まれた魔法使いはどこ吹く風だ。
「タルボラ、後で連絡する」
「おう。それじゃ、お嬢さん。いや、子持ちなら、奥様か。新しいおうちへ行こうか」
今まで気付かなかったが、彼らの近くには馬がいた。よく見れば、ここはスーバの山ではない。どこかの森の中だ。自分の状況と子どものことで頭がいっぱいになり、環境が変わっていたことがわからなかった。
手を拘束されたままのファルジェリーナは、小柄なはずのタルボラにあっさり担がれる。そのまま、荷物のように馬に乗せられた。
「もう一度言っておく。おかしな真似をすれば、子どもの命はないからな」
ラグトムの言葉に、ファルジェリーナは歯がみする以外できない。
オルフォード……。
結局、子どもの顔を見せてもらうこともできず、力を奪われた状態でファルジェリーナは馬に揺られるしかなかった。
心の中で、夫の名をつぶやきながら。
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