第2話 迷子

「はぁ、宿題多いなぁ」

 シェルリスは大きくため息をついた。

 普段はくりっとした大きな碧眼が、閉じられたまぶたで隠される。いつも元気にはねる明るい金色のポニーテールも、どことなくしょげているように見えた。

「でも、親切なお客さんが来るかも知れないし、教えてもらおっと」

 ため息をついたうれい顔から一転、前向きに考えてシェルリスの顔は明るくなった。

 シェルリスは、魔法使いを目指す十七歳の少女だ。

 各国の主要都市には「魔法使い協会」と呼ばれる組織があり、魔法使いであればその名前が登録される。

 協会には仕事を斡旋あっせんする職務部と、魔法使いとしての知識と技術を教える修学部、つまり学校があり、シェルリスはそこに通っているのだ。

 ここテミックの国にも数カ所に魔法使い協会があり、シェルリスはメアグの街にある協会「ディルア」に所属している。

 彼女の出身地が田舎の村ダーシルで、メアグの街が村から一番近かったのでここを選んだ。

 近いと言っても、村から街へは馬を一日中走らせてもその日のうちに着かない。実際に馬を一日中走らせることは無理なので、メアグの街へ行こうとすると急いでも二日半はかかる。

 まさかそんな田舎の村から通うことはできないので、シェルリスは協会が用意してくれる寮に入っていた。彼女のように自宅から通うことができない者は多く、自分で下宿を探すか寮へ入ることになるのだ。

 しかし、寮だって無料ではない。寮費というものがかかるのだ。

 しかし、シェルリスの家はそんなに裕福と言えるものではない。せめて寮にかかる費用くらいは自分で何とかしたいと考え、シェルリスはアルバイトを探した。

 しかし、成績優良ではないシェルリスが勉強しながらバイトにはげむ、という両立は難しく、なかなか長続きさせられそうにない。

 そんな彼女に、先輩魔法使いのレイザックがバイトを世話してくれた。

 お互いが見習いだった時に出会い、あれこれ面倒をみてくれているレイザックが紹介してくれたのは、彼の家業の手伝いだ。

 寮からはそこまで多少距離があるものの、暇な時間がかなり多いのでその間に宿題や予習復習ができてお金ももらえる、という何ともおいしい職場。

 そのおかげで、シェルリスは成績を落とすことなく、家計も助けられていた。

「アトレスト」と呼ばれる職場まで、今日もシェルリスは軽く走る程度の速さで向かう。遅刻しそう、というのではなく、いつもそうしているのだ。

 魔法を使うにも、それなりに体力が必要になってくる。あえて体力作りをするための運動に時間を割くことを考えるなら、この距離を生かさない手はない。

 勤務時間より早く入れば仕事熱心に思ってもらえるし、ゆっくり宿題に打ち込む時間もできるというもの。

 雨の日はちょっと面倒だと思う時もあるのだが、そういう日は自分の周りに結界を張って雨を防ぐ。そして、職場に着くまでその結界が消えないように持続させる、というトレーニングをするのだ。

 レイザックには真面目だとほめられたが、シェルリス自身はわずかな物や時間も無駄にしないようにしている貧乏性みたいだと感じることもある。

 それでも、今のところ悪い方向へは向かってないようなので、これでいいということにしていた。

 メアグの街中から少し離れ、畑が広がる中に伸びる道がある。その道を進むとシェルリスの職場であるアトレストがあり、さらにもう少し先へ行けばイルバの森が広がっていた。

「あれ? 何か動いた?」

 アトレストの前まで来て、シェルリスは無意識に森の方を向く。その森へ続く道の端で、何かが動いているのが見えたのだ。

 森が近くにあるのだから、動物がうろうろしているのはよくあること。

 だが、同時に聞いたことのない鳴き声がしたので、気になった。

「わ、何これ」

 それが何なのか気になり、近付いて行くと、そこには赤い身体の獣がいた。

 全長は短めのしっぽを入れても、シェルリスの靴のサイズより小さい。丸い瞳は、透明感のあるきれいな赤。細長いその姿は、イタチにも見える。

 だが、こんな鮮やかな赤い動物がいるとは思えないし、イタチに鱗はない。

「この姿……もしかして、小竜の子どもかしら。かっわいい」

 見習いでも、シェルリスだって一応魔法使いの端くれ。魔獣についてはある程度勉強しているから、だいたいわかる。

 角もヒゲもないが、小さな竜のような姿だと言われてその名前がついた、という小竜だ。

 成獣であれば、体長はシェルリスの身長よりも長い(高い?)と教わっているし、成獣も子どもも同じ姿のはずだから、間違いなくこのサイズは子どもだろう。

 たとえよく似た別の生き物だとしても、その色からして火に属する魔獣であることは間違いない。

「あなた、どうしたの? こんな所で。お母さんやお父さんは?」

「きゅ」

 魔獣は魔力を持つ獣で、その魔力は個体にもよるが人間より高いことが多い。魔力が高いということは、知力も高いということにつながる。

 そうなると、人間との会話も当たり前のように成り立つのだが……シェルリスの目の前にいる小竜は、まだ幼すぎて言葉が通じないようだ。

 獣の子どもと同じで、少し高い声で鳴くものの、全く会話にはならない。

 シェルリスは周囲を見回してみたが、親らしい姿はどこにもなかった。

「迷子かなぁ。この状態は……やっぱり迷子よね。とりあえず、あたしと来る?」

 いくら魔獣でも親とはぐれたらしい子どもを、しかもかなり幼い状態の子を放ったままにはしておけない。

 シェルリスが手を差し出すと、小竜はその手の臭いを嗅ぐ。安心した顔になった……ようにも見えたので、シェルリスはそっと小竜の身体を持ち上げた。

 赤い身体ではあるが、持てないような高温という訳ではない。怒らせたり怖がらせなければ、普通の獣と変わらない体温だ。

「ほーら、いい子ね。ちゃんとお母さんとお父さんを見付けてあげるから。おとなしくしてるのよ」

「きゅ」

 シェルリスは小竜にそう声をかけながら、改めて職場へ向かった。

☆☆☆

 魔物が街へ出て来ることは少ない。大抵は田舎の村近くであったり、そこへ通じる道の周辺にある森や山の中に現れる。そして、人間に悪さをするのだ。

 人間の物を少し盗むくらいならまだましだが、人間を傷付けたり、ひどい時は殺して喰うこともある。

 そういう魔物は一刻も早く見付け出し、退治しなければ犠牲者が増えてしまう。

 魔物退治を仕事にしているほぼ全ての魔法使いは、魔獣と契約を交わす。

 魔物が現れた場所へ一瞬でも早く向かうため、魔法使いは魔獣の力を借りるのだ。魔物によっては人間の力を超える者も少なくないことから、その戦いにおいても魔獣の力を借りることになる。

 馬よりも早く走り、空を飛ぶことができる魔獣も多い。さらに魔力が高いとなれば、彼らの協力は是非とも得たいところ。

 そのために、魔法使いは魔獣と契約を交わすのだ。依頼した時にその力を貸してほしいという、協力の要請である。人間に好感を持っていたり、戦うことが好きな魔獣は魔法使いに同意し、契約を交わす。

 これは魔法使いがこの世界に存在するようになってから、ずっと続いていることだ。

 しかし、ここ最近になって「人間の都合ばかりを押しつけていないか」という意見が出るようになった。

 これでは持ちつ持たれつではなく、魔獣からすれば与える一方ではないか、と。

 この意見は、魔獣の方から言い出したことではない。極端に言えば、彼らは興味本位で人間と関わっているだけであり、嫌なら協力を拒否すればいいだけだ。

 しかし、妙に律儀な魔法使いがそんなことを言い出し、言われてみればそうかも知れないと同感を示した魔法使い達によって、協力してくれる魔獣のために何かできないか、と考えられるようになった。

 そうして造り出されたのが「アトレスト」と呼ばれる施設だ。

 簡単に言えば、魔物退治などの仕事をした後の魔獣をねぎらえるよう、魔獣にリラックスしてもらうための空間である。

 自然に限りなく近い環境で、敵となる魔物などもいないので魔獣は疲れを癒やせる、という寸法だ。

 空間と言っても、本当の広場がある訳ではない。普通の建物の中にオーロラカーテンがあり、その向こうに空間が広がっているのだ。

 高位の魔法使いの特殊な魔法によって築かれた、疑似空間である。

 魔法使いによって、契約する魔獣のタイプは様々。なので、この疑似空間も五種類に分けられる。

 緑のカーテンは森の部屋と呼ばれ、土や草、ノーマルタイプの魔獣に向いている。

 赤のカーテンは火山の部屋で、炎タイプの魔獣向け。

 白いカーテンは氷山の部屋で氷タイプの魔獣に、黄色のカーテンは平原の部屋で飛行、走行、ノーマルタイプ向け。

 青のカーテンは海と湖の部屋で、水タイプの魔獣向けといった具合だ。

 リラックスしすぎて気が抜ける、という魔獣もいて、この空間に対する好みは分かれる。だが、おおむね好評だ。

 そんな魔獣のための施設アトレスト。そこが、シェルリスのアルバイト先だ。

 経営者はレイザックの父ブレイズで、受付がシェルリスの持ち場となっている。

 特殊魔法による空間のメンテナンスなどは魔法使いでなければできないが、魔獣を預けに来た客である魔法使いの対応なら、見習いのシェルリスでもできるので問題はない。

 息子の知り合いだからということで、ブレイズも彼女を採用してくれた。持つべきものは、面倒見のいい先輩と理解のあるその身内である。

 はっきり言って、受付が忙しくなることはほとんどない。食堂などと違い、一気に客が押し寄せる、という時間帯がないからだ。

 ぽつぽつと魔物退治を終えた魔法使いが来て、彼らが魔獣を預けて行く際に受付用のノートに利用者名を書いてもらい、料金を受け取る。それだけ。

 料金は一律だから、間違うこともない。たまに延長料金が発生することもあるが、こちらも一律なので難しい計算はいらないため、数字に強くないシェルリスは大いに助かっている。

 しかも、一番近い場所という理由で、客のほとんどが魔法使い協会ディルアに所属する魔法使い。逃げた魔物を追って来た都合で、たまによその協会の魔法使いが来ることもあるが、その数は知れたものだ。

 見習いにとって職務部の魔法使いは、ディルアの敷地内で見かけたことがある、というくらいの認知度。

 しかし、シェルリスはこの仕事をしているおかげで、魔物退治を主にしている人限定ではあるが、職務部の魔法使いとかなり顔見知りになった。

 客である彼らが来るまで、シェルリスが受付カウンターで宿題をしていることも多い。それに気付くと教えてくれる人もいるので、この点でもかなり助かっている。

「ブレイズおじさん、近くでこの子を見付けたんだけど」

 受付奥にある事務所へ入ると、シェルリスはブレイズに報告する。

 肩まで伸びた少しくせのある黒髪に紫の瞳をした彼は、シェルリスの仕事中は上司になる訳だが、シェルリスが使うブレイズの呼び方は「おじさん」の一択だ。

 小竜の子どもは、シェルリスにぴったりとくっついている。親と間違えているのではなさそうだが、不安なのだろう。

「ん? これは小竜の子どもだな」

 シェルリスが抱く魔獣を見て、ブレイズが断定した。彼も魔法使いなので、知識はシェルリスよりずっと多い。

 以前はディルアを通じて依頼される魔物退治をしていたが、足を痛めた。速く走ったり踏ん張ることが難しくなったので、このアトレストの経営を始めた、とシェルリスは聞いている。

 まだ衰えていない魔法力と、魔獣好きを存分に発揮できる転職で天職だ、と。

「やっぱりそうよね」

 自分の判断が正しかったとわかり、シェルリスは心の中で拳を握った。

「どこで見付けたって?」

 本人には言っていないが、シェルリスはブレイズの落ち着いた低い声が結構お気に入りである。

「イルバの森へ続く道の端っこよ。ここからそんなに離れていない所。見回してみたけど、親らしい姿が近くになかったから、放っておけなくて」

「これだけ小さいと、放っておくのは確かに危険だな。わしもこんなに小さな小竜は見たことがないよ。生まれてそんなに日が経ってないかもなぁ」

 小さいから言葉が話せないと思っていたが、生まれたばかりならそれも当然。いくら魔力や知力が高い魔獣でも、生まれてすぐに親と同じようなことはできない。

「この近くに火山なんてないし、ここ数日は火の小竜を連れた客もいなかったはずだ。客の魔獣でないなら、近くを通りすがった誰か……か」

「誰かって、例えば?」

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