第3話 世話係

「これだけ小さいと、魔物がさらうということも考えられるからな。それをこの近くで逃がしたとか」

 ブレイズが、シェルリスの抱く小竜の身体をざっと見る。だが、噛まれた跡や、引っ掻いたような傷は見当たらなかった。

「魔物ではない。となると、人間が絡むか。でも、そうなると悪事に関わってるかどうか、今の段階では見当もつかないからな」

 世の中には、魔獣の子どもをさらう悪い魔法使いがいる、ということはシェルリスも知っている。この子がその被害者かも知れないのだ。

 しかし、こちらがまったく予想しない理由でここにいる、という可能性も否定はできない。今の段階では、情報が少なすぎるのだ。

「とにかく、親や関係者が近くにいないなら、ディルアに報告するしかないな」

 魔法使いや魔獣、魔物に関しての問題は、とりあえず魔法使い協会に報告するのが賢明だ。

 すでに何か情報を掴んでいることもあるし、魔物退治その他であちこち飛び回っている魔法使いが何か事情を知っていることもある。

 ここアトレストも魔法使いと魔獣関連の施設ではあるが、やはり専門機関は魔法使い協会なのだ。

「じゃ、親か関係者が見付かるまで、この子はどうなるの?」

「そりゃ、誰かが世話してやらないと。言葉が話せないなら、普通の獣の子と同じだ」

「それなら、あたしがこの子の世話してもいい?」

 シェルリスは目を輝かせ、ブレイズに尋ねる。

「それは……わしは構わないが、シェルリスは魔獣の世話をしたことがあるのか? うちで魔獣と接することはあっても、まだ魔獣と契約するレベルじゃないだろう?」

 魔獣との契約は、ある一定以上のレベルが必要になる。

 シェルリスが在籍しているクラスは、まだそこまで教えていない。力の弱い妖精を呼び出して、お互いに合意があれば契約できる、という段階だ。

 魔獣を呼び出すには、もう一つ進級しなければならない。

「それはそうなんだけど……ほら、あたしになついてくれてるみたいだし、言葉も話せない子と契約しようって訳じゃないもん。迎えが来るまでの間、一緒にいるだけよ」

 世話が必要なのは事実なのだ。それなら、少しでも懐いている人間がする方が、魔獣もストレスを感じずに済む。

「わしが判断していいものか、わからないからな。まずはディルアに連絡を入れてみよう。その子の今後はそれからだ」

☆☆☆

 ブレイズは魔法使い協会ディルアへ連絡を入れるべく、事務室の奥へ向かう。

 シェルリスは小竜の子どもを抱いたまま受付カウンターへ行くと、イスに腰を下ろした。ここが仕事中のシェルリスの定位置だ。

 小竜の子どもは、何か言いたげにシェルリスを見上げる。

「大丈夫よ、心配しなくても。誰も怖い目に遭わせたりしないからね」

 ブレイズに言われた通り、シェルリスは魔獣の世話をしたことはない。でも、自分は昔から魔獣に好かれる体質だ、と勝手に思っている。

 今もこうして小竜の子どもに懐かれているから、まったく根拠のない自信ではない。

 そもそも、シェルリスが魔法使いになりたいと思ったのは、こそこそ隠れずに魔獣と関われるようになりたかったからだ。

 田舎の村で野山を自由に駆けずり回っていた子どもの頃、山の中で馬の姿の魔獣を見た。

 その時はシェルリス一人だったが、絶対に見間違いではない。あれは普通の馬ではなかった。

 たてがみが青い炎の馬。真っ青な瞳と、真っ白な身体をしていたのだ。

 幼いシェルリスがその美しさに見とれていると、魔獣はふっと笑った……ような気がする。そのまま魔獣はその場から飛び去った。走り去った、ではなく。

 それが、初めて魔獣を見た日。

 後にディルアへ入って勉強し、それが炎馬えんばと呼ばれる魔獣だった、と知った。

 別の日にも、シェルリスは魔獣を見ている。しかも、複数回。獅子の姿をしている者や、狼の姿の者など色々現れた。

 どうやらシェルリスのいたダーシルの村は、魔獣がよく通る場所にあるらしい。魔獣を見かけて怖がった村人が魔法使いに調べてくれと依頼し……その後、シェルリスが彼らの姿を見ることはなくなる。

 魔獣の通り道になっていた村に結界を張り、魔獣が村を迂回うかいするように魔法使いが細工したのだ、とディルアに来てからシェルリスは理解した。

「魔獣は悪いことはしてないよ」

 幼いシェルリスは、やって来た魔法使いにそう告げた。

 今ならわかるが、その時はてっきり魔法使い達が魔獣退治に来たと思ったのだ。それなら、誤解を解かなくてはいけない。

 たとえ子どもの言葉でも、多少は聞き入れてもらえるかも知れない……と思ったような気がする。

 実際、恐ろしい獣の姿をしていても、誰もシェルリスに手を出そうとはしなかったのだ。

 呆然と眺めているシェルリスに近付き、面白そうに髪や身体を嗅いできた魔獣はたくさんいたが、不思議と怖いとは思わなかった。そのまま共に過ごす時間が長ければ、友達になれそうな気さえしたのだ。

「きみが見た魔獣は、きっとおとなしい性格だったんだろうね。だけど、これから現れる魔獣もそうとは限らないから、村へ近付かないようにしているんだよ」

 結界を張った魔法使いは、そう説明してくれた。シェルリスが見た魔獣は複数だったが、魔法使いはそんなにたくさん見ているとは思わなかったらしい。

 シェルリスがそのことを話せば、村はもっと混乱していたかも知れないが、それは言ってはいけないような気がして黙っていたのだ。

 でも、隠れてこそこそしているような、悪いことをしているとは思わないのになぜか罪悪感があった。

 しかし、魔法使いになれば、魔獣と一緒にいてもとがめられることはない。

 そんな結論が出た時、シェルリスは迷うことなく将来の道を決めた。

 魔法使いになったら実際に何をどうするか、という具体的なことはあやふやなままだ。

 それでも、アルバイトとは言え、魔獣と関わる仕事ができているので未来は明るい……と日々の勉強にも熱が入る。

「あれ? シェルリス、何抱いてんだ? サラマンダー……でもなさそうだな」

 シェルリスが落ち着くようにと小竜の身体をなでていると、暗い茶髪をざっくり束ねた男性に声をかけられた。

 ここの従業員グラウンだ。アトレストにあるそれぞれの疑似空間が常に安定するよう、管理している魔法使いである。

 他にも、彼と同じ仕事をする魔法使いが二人いて、交替で現場のチェックをしているのだ。この施設で魔法使いでないのは、ブレイズの妻で会計をしているセレルくらい。

「小竜の子どもよ。アトレストの近くで見付けたの」

「へぇ。小竜の子なんて初めて見た。聞いてはいるけど、本当に親と同じ姿だな」

「きゅっ」

 グラウンが顔を近付けると、小竜は小さく鳴いて顔をそむける。

「あれ、嫌われたかな。これまで魔獣に怖がられたことはないんだけど」

「そりゃ、相手はみんな成獣だからでしょ。この子はまだ生まれて間もないみたいで……あれ? だけど、ブレイズおじさんは怖がってなかったっけ」

 がっしりした体格のブレイズに比べ、グラウンは細身。怖がるなら大柄なブレイズの方だと思うのだが、グラウンを見た小竜は完全に身体を固くして緊張している。

「そうなのか? 若い奴よりおっさんが好きなのか、お前は」

「誰がおっさんだって?」

「この場合、やっぱりオーナーでしょうが」

 事務室から現れたブレイズに、グラウンは笑いながら言ってのける。

「グラウンって若い方なの?」

 シェルリスの素朴な疑問。

「うわっ、シェルリス。それは傷付くぞ。オレはまだ三十代に入ったばっかりで……んー、十代から見れば、オレもおっさんかぁ」

 そんな気はなかったが、魔法使いを一人傷付けてしまったらしい。

 だが、小竜が何度も鳴くので、シェルリスはがっくりしているグラウンに構っていられなかった。

「よしよし、心配しなくていいのよ。誰もあなたにひどいことしたりしないから。ブレイズおじさん、どうだった?」

「ディルアにそれらしい情報はないらしい。調べると言っていたから、後はまかせておこう。で、その子の世話だが」

 シェルリスはどきどきしながら、ブレイズの言葉を待つ。

「任せてもいいが、その子を連れて一度ディルアへ来るようにってことだ」

「本当っ? やった」

 とりあえずの世話を任せてもらったと知って、シェルリスは喜んだ。

「よかったねー。あ、それじゃあ、一緒にいる間だけでも名前が必要よね」

「シェルリス、喜ぶのはいいけど、情をかけすぎると別れる時につらくなるぞ」

「わかってるわよ、グラウン。だけど、呼び掛ける時に名前がないと困るじゃない。んー、この子って男の子か女の子か、どっち?」

 問われてブレイズとグラウンが小竜を見るが、特徴的なものは見当たらない。

「魔獣は成獣でも、見た目では性別がわからない場合があるからなぁ。そういう魔獣でも声や人間の姿になった時に判断もできるが、こうも小さいとそれもできんし」

 ブレイズが首をひねる。先輩魔法使いでも、判断に困るらしい。

「どっちでもいける名前にすればどうだ? もしくは、がっつりシェルリスの好みで。あくまでも仮名なんだからさ」

 グラウンに言われ、シェルリスは改めて小竜を見る。

「そうね。じゃあ……瞳がすごくきれいな赤だから、ルビー。あ、これだとちょっと女の子っぽいかしら」

「紅玉に性別はないんだから、それでもいいんじゃないか?」

 グラウンに言われ、ブレイズからも特に反対の声はなかったので、小竜の子どもはルビー(仮名)と命名される。

 そうやってとりあえず落ち着いたところへ、客の魔法使いが入って来た。

☆☆☆

 勤務時間が過ぎ、シェルリスは寮へ戻る前に魔法使い協会ディルアへと向かっていた。隣にはブレイズもいる。

「もしも、ということがあるからな」

 ブレイズ曰く、シェルリスがディルアへ着く前にルビーの親が現れ、子どもをさらった誘拐犯と間違えて襲って来たら大変、ということらしい。

 いくら知能が高くても、我が子が絡めば魔獣も冷静ではいられないだろう。かと言って、保護している人間が襲われてはたまらない。

 相手の攻撃の仕方にもよるが、魔物退治でならしたブレイズがそばにいれば、そう滅多なことは起きないはずだ。

 幸い、これと言っておかしな気配を感じることもなく、二人はディルアに着いた。

 広い敷地内には職務部と、シェルリスが勉強している修学部の棟がある。普段はクラスの担任に用がある時くらいしか入らない、職務部の棟へと向かった。

「おう、ブレイズ。久しぶりだな」

 敷地内を歩いていると、ブレイズの顔なじみが声をかけてくる。魔物退治に従事していた期間がそれなりに長かったので、ディルアにいる大半の魔法使いはブレイズの知り合いだ。

 何度も挨拶を交わしつつ、二人は職員室へ入った。ここには修学部で授業を行う教師達の他に、魔物退治へ向かうために待機、もしくは戻って来た魔法使い達がいる。

 二人が現れたことに気付き、ブレイズと同年代らしい魔法使いがこちらへ来た。ブレイズがアトレストから連絡を取っていた人だ。

 もう一人、壮年の魔法使いも一緒に。グラウンと近い歳だと聞いたその魔法使いは、シェルリスのクラスを担任しているレクートだ。

「あれ、先生……」

「ちょうど横で話を聞いていたものでね。その子がブレイズさんの話していた小竜の子か」

 シェルリスがアトレストで働いていることは、レクートも承知している。自分の担任している生徒が関わっていると知って、放っておけなかったようだ。

「職務部の中でも、小竜の子どもを見た人は少ないからね。保護するのはいいけれど、これからどう世話をしたものかと話していたんだ」

 魔法使い達も、魔獣の子どもを見かけたことはあっても、その世話をしたことなどほとんどない、と言っていい。

 小竜と契約している魔法使いがいたので、どう扱えばいいか聞いてもらった。もっとも、その小竜は風属性なので、本当に参考程度だ。

「火の小竜なら、火山にいる火トカゲや火の昆虫などを食べさせるみたいだけれど、ここでそんなエサを手に入れることはできないし、代用として鶏のささみや果物を試しながら与えたらどうか、という話になった。シェルリス、できそうかい?」

 正直なところ、見習い魔法使いに世話をさせていいものか、悩むところだ。

 しかし、少なくとも今のディルアの中で小竜の子どもを世話したことがある、という魔法使いはいない。

 なので、様子を見ながらシェルリスに任せるしかない、ということになったのだ。

「やってみます。火の小竜だから、常温より高い方がいいですよね」

 仮にルビーが普通の獣でも、冷たいミルクなどはお腹を壊しかねないので最初から与えるつもりはなかった。常温でも火の魔獣の子どもが平気なのか、気になるところだ。

「そうだな。まず火傷するってことはないだろうけれど、熱すぎず、冷たすぎずがいいだろうね」

 言いながら、レクートはとうのような物でできた四角いカゴを取り出した。

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