第10話 解放された小竜と捕らわれたシェルリス

 マグテスに問われ、ジェインズはさらに青くなった。

 人間の姿であっても、相手は魔獣。人間専門の医者が診察したところで、よくなるはずはない。

 そういう考えが、つい口を出たのだ。単に「まだ」と言っておけばよかったのに。

 ジェインズの答えを聞いて、マグテスとレイザック、そしてオルフォードが再び歩き始める。

「ま、待てっ」

 それを止めようとしたジェインズを、役人二人がさえぎった。

「ここだ」

 オルフォードの差す扉をレイザックが開く。

 遠くで「やめろーっ」とジェインズが叫んでいるのが聞こえた。

「ファルジェリーナ!」

 ソファに倒れ込んでいる女性を見て、オルフォードが叫ぶ。

 その赤い髪を見て、レイザックとマグテスは彼女がオルフォードの妻であり、妖精が話していた魔獣だとわかった。

「ファル、目を開けてくれ」

 オルフォードが駆け寄ってファルジェリーナを抱き起こすが、彼女に何の反応もない。

「捕獲されて間がないはずなのに、どうしてこんなに弱ってるんだ?」

 ファルジェリーナの様子にレイザックは首をかしげたが、その首にあるチョーカーに気付く。白い石が着いた黒いチョーカーは、以前にも見たことがある物だ。

 魔獣の魔力を奪う吸魔石きゅうませき。闇の市場で出回る魔法道具は、魔獣にとって迷惑きわまりない代物だろう。使い方によっては、彼らの命に関わる。

「オルフォード、ちょっと彼女を寝かせてくれ」

 レイザックに言われるまま、オルフォードは目を覚まさない妻の身体をソファに横たえた。

「かわいそうに。苦しかっただろう」

 レイザックは、そのチョーカーに手を伸ばす。しゅっという空気が抜けるような音がして、チョーカーは簡単に外れた。

 魔獣には無理でも、人間の手にかかれば一瞬だ。

「この石一つで、こんなに弱るはずはないんだけど」

 レイザックは自分の手元にあるチョーカーの石と、ぐったりした魔獣の女性を見比べる。

「ファルは最近出産したばかりで、体力が落ちていた。普段より抵抗力が落ちているせいで、こんなに……」

 そうオルフォードが話していると、ファルジェリーナのまぶたが動いた。吸魔石を取り除いたことで、意識が戻ったようだ。

 見ているうちに、赤い瞳がゆっくり現れる。だが、半分しか開かない。

「ファル、私がわかるか?」

 夫の声に、ファルジェリーナの視線がそちらへ向く。そこにいるのが誰かわかったようで、口元にうっすらと笑みがこぼれた。どうやら、最悪の事態は免れたらしい。

「……トゥールは?」

 かすれた小さな声で、ファルジェリーナが尋ねる。その途端、オルフォードのほっとした表情がまた硬くなった。

「まだ見ていない。きみの気配しかわからなくて、とにかくきみを追って来たんだ。私はきみのそばにいるものだと……」

「私が気付いた時、魔法使いがいて……あの子に会わせてと言ったけれど、結局顔も見せてくれなかった」

 時折、消え入りそうな声のファルジェリーナ。

 彼女を捕まえた魔法使いのことを聞きたいが、今は休ませる方を優先するべきだろう。ある程度のことは、ジェインズからも聞き出せる。

「さっきの男は? あの男がファルジェリーナを買ったんだろう? その時に子どもが一緒にいなかったか、聞いてくれないか」

「子ども? 子どもも一緒に捕まっていたのか」

 ついさっき、ファルジェリーナは出産したばかりとは聞いたが、子どもまで被害に遭っていたとは思わなかった。

 妖精はそんな話をしていない。オルフォードが尋ねると言うことは、彼に子どもの気配を感じ取ることはできないのだろう。

 だとしたら、この屋敷にいないのではないか。

 そこまで考えて、レイザックは思い出す。

 ずっと魔獣の子どもの親を捜していたことを。

「なぁ、オルフォード。あんた達は何の魔獣なんだ?」

 人間の姿でも気配でも、魔法使いなら相手が魔獣だとわかる。だが、人間の姿のままでは「どういった種族の魔獣か」までは無理だ。

「……小竜、だが。それが何だ?」

 シェルリス命名のルビーは、火の小竜。目の前の夫妻も小竜で、しかも火属性。

 これでつながらないなら、運が悪すぎる。

 マグテスの方を見ると、彼も小さくうなずいた。

「オルフォード、この屋敷に子どもはいないけど、たぶん俺達はその子を知ってるぞ」

「……どういう意味だ」

☆☆☆

 シェルリスはしばらくして声を出せるようにはなったが、自由にはなれなかった。

 ラグトムの力で操られるようにしてイルバの森へ入り、朽ちかけた小屋へ入れられる。

 これまであまり森の中へ入ることはなかったが、この小屋は一度見たことがあった。

 昔、木こりが切った木を一時的に保管しておくための倉庫として使われていたらしいが、今ではまったく使われなくなっている。壁や屋根などがかなりもろくなっているので、崩れた時に中や周辺に人や獣、妖精などがいては負傷してしまう危険がある。

 なので、ブレイズが近いうちに撤去する、と話していた小屋だ。

 ここへ入ったのは初めてだが、本当にぼろぼろなんだな、とそんな場合ではないがシェルリスは思った。

 薄い板の壁は、あちこち穴があいている。長年、風雨にさらされ続け、腐っている部分も多い。どんっと壁に体当たりでもすれば、簡単に壊れてしまいそうだ。

 しかし、今のシェルリスは手首に縄をかけられている。それ以外は動くことが可能だが、こんな状態ではルビーを取り返せない。

 そのルビーは、ラグトムの手の中だ。もっとも、ケージはまだ開けられていない。

 フタを開けるには、魔法と鍵の二つが必要。魔法についてはラグトムがあっさりと解いたが、もう一つの鍵は魔法では外せない仕組みになっているのだ。

 そのため、ラグトムはまだルビーを手に入れることができていない。

「あなたがルビーをさらって来たの?」

「オレがさらったのは、こいつの母親だ。子どもがいると気付いたのは、母親を捕まえてからだったが、ガキでも需要はある」

 ファルジェリーナがいた巣穴のそばで、ラグトムは眠りの効果がある煙をたいた。効果を確信して中へ入り、母親を捕縛縄ほばくじょうで縛り上げる。

 その時、小さな悲鳴が聞こえた。母親の胸の下に、小さな生き物がいたのだ。母親の身体がのしかかるような状態だったので、煙を吸わずに済んだらしい。

 子どもがいたのは予想外だが、ひどく小さいその姿を見て生後間もないと推測し、ラグトムはすぐに魔袋へ放り込む。

 捕縛縄と同じで、魔獣を閉じ込めつつ、その力を奪う魔法道具だ。これは小さな魔物や魔獣などを捕獲する時に使う。

 一仕事終えると、売人のタルボラと落ち合う約束をしていたこの森へ戻って来た。

 ずっと火の山にいたら、結界を張り続けなければならない。捕まえた魔獣に仲間がいれば、戻って来る危険もある。さっさと離れた方が得策だ。

 意識を取り戻したファルジェリーナに、子どもを盾にして言うことを聞かせる。チョーカーも付けて、反抗するだけの力は奪えた。これで、もう人間の女と変わらない。

 そこまではよかったが、ふと気付くと子どもを入れた魔袋がなくなっていた。

 母親には気付かれないよう、タルボラに子どもがいなくなったことを伝える。タルボラには注文主の屋敷へ母親を連れて行くように言い、自分は子どもを捜した。

 どうやら人間の姿にさせるなどして二人がファルジェリーナに気を取られている間に、森の獣がエサが入っているものと勘違いして盗んだらしい。

 子どもの気配で捜そうにも、魔袋は中へ入れた魔獣や魔物の気配を消すように細工されている。シェルリスの持つケージと同じく、気付いた仲間が取り返しに来られないようにするためだ。

 しかし、今の場合はそれが障害になってしまい、なかなか捜し出せない。

 やがて、森の外で空っぽになった魔袋だけを見付けた。その周辺の草がわずかに焦げている。

 恐らく、これを盗んだ獣が袋を開き、中を覗こうとした時に小竜の子どもが火を吐いたのだ。

 子どもは悲鳴をあげる時に火が一緒に出ることがあるので、獣に怯えた子どもの仕業だろう。獣は驚いて逃げたに違いない。いくら小さい相手でも、火を吐くような魔獣をくわえるなど、怖くてできないはずだ。

 そして、子どもは袋から出て親を捜し……。

 そこまではおおよその推測ができたものの、それなら子どもはどこへ行ったのか。

 ラグトムが周囲を見回した時、アトレストの建物が目に入った。

 子どもが自力であそこへ助けを求めたとは思わないが、あそこにいる人間、つまり魔法使いが子どもを見付けた可能性はある。

 知らん顔で尋ね、小竜の子どもがいれば自分のものだと主張することもできるだろう。だが、子どもが小さすぎるので、連れ回しているうまい理由が出て来なかった。

 相手も魔法使いだから、おかしな言い訳をすればすぐにばれる。実力行使で取り返そうにも、向こうの人数がわからないし、ここで下手に騒ぎを起こすのは賢明ではない。

 入口の扉に妙な貼り紙も見えたが「火竜」というのはあの子どものことだろうか。だとしたら、あそこにいるのは間違いないのだが……。

 ラグトムは、使役しえきしている魔物を呼び出した。その魔物にアトレストの情報を掴むように命令する。

 その結果、小竜の子どもは少女が預かっていることがわかった。つまり、シェルリスのことを知ったのだ。

 親のいない魔獣の子どもを保護するとなれば、だいたいどういうことをするかは想像がつく。ケージに入れ、親や仲間にわからないようにするのだ。

 実際、シェルリスの近くに送り込んだ魔物も、そう報告してきた。

 居場所がわかったのだから、シェルリスの手から子どもを奪えば済む話。

 だが、寮や協会の近くでやると、周囲にいる魔法使いにすぐ見付かる危険性がある。寮から協会へ向かう道でも、無人になることがまずないので手が出せない。

 だが、ラグトムは焦らなかった。

 どういうシフトでアルバイトをしているかは知らないが、彼女を見張っていれば必ずアトレストへ向かう時が来る。その道中は、場所によって人がほとんどいない。そこを狙えばいいのだ。

 こうして目論見もくろみ通り、シェルリスはラグトムの手に落ちた。子どもの入ったケージも、手に入っている。

 だが、フタを開けるための鍵がなければ、本当に手に入ったことにはならない。

 もともと、シェルリスの存在など必要ないのだ。しかし、鍵のありかを聞かなければならない。

 そのために、ラグトムはシェルリスを人目に付かない森の中へ連れて来た。

「ルビーは売り物じゃないわっ。ルビーのお母さんも。こんな小さな子から親を奪って、何とも思わないの?」

「生きるためには金がいるんだ。まだ親に養ってもらうお嬢ちゃんにはわからないだろうがな。ケージの鍵はどこだ」

「……ここにはないわ」

「だったら、どこにある」

「言ったらルビーを出して、どこかへ売るんでしょ。そんなの、言う訳ないじゃない」

 この男がルビーを売るつもりでいるなら、殺されることはない。だが、幸せな未来があるとはとても思えなかった。

 親に会えないまま、どこかへ連れて行かれるとわかっているのに、鍵を渡せるはずがない。

「わかってないな、お嬢ちゃん」

 ラグトムがシェルリスのあごを掴み、ぐいっと上を向かせる。

「オレは魔獣捕獲で飯を食ってる。だが、その飯を食う邪魔をする奴がいたら、オレはすぐにそいつを消す。それが人間だろうが、魔獣だろうが」

「……」

 ラグトムの言葉に、シェルリスは血の気が引く。

「オレは単なる殺しに興味はないし、オレの邪魔をするバカな人間はこれまでいなかった。だが……何だったらオレが消す人間の第一号に、お嬢ちゃんがなりたいのならなってもいいんだぜ。オレは誰が初めてになっても、全然構わないからな」

 こちらを見下すような冷たい目に、シェルリスは「この人、本気だ」と思った。

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