第8話 ルビーの親

 シェルリスの言葉が理解できているのか、ルビーは鳴くことなく彼女の動きをケージの中から目で追っていた。

 寮で生活する見習い魔法使いの食事は、指定時間内に寮の食堂へ行くか、修学部の食堂でとれる。

 だが、その決められた時間に行けない時もあるし、自分で軽く作りたい時のために、部屋には簡易キッチンが用意されていた。

 普段は勉強の時にお茶を飲むためのお湯をわかすくらいしか使わないが、今の場合は簡易でもこの設備がとてもありがたい。

 食堂でいちいち「鶏のささみをゆがいてください」だの「ミルクを少量温めてください」と言いに行かなくて済む。

 シェルリスがいる部屋は本来二人用なのだが、つい最近ルームメイトは認定試験に合格し、修学部を卒業した。なので、今は一人。淋しいと思っていたが、今はむしろ余計な気を遣わなくて済むから楽だ。

 シェルリスはゆがいたささみを小さくほぐし、格子の間から差し入れる。昨夜もちゃんと食べてくれたし、今朝も食欲は旺盛のようだ。

 ミルクはストローをスポイト代わりにして差し込むと、ルビーはストローの先を懸命になめている。

 少なくとも、迷子になって落ち込み、食欲不振……という状態にはなっていないので安心した。

 もちろん、親と離れて淋しいだろうが、今は元気に生きるためにも食べてほしい。

「さてと。これからどうしようかなぁ」

 淋しく留守番。騒がしく囲まれる。どっちが困るかなぁ。

 今日も授業はある。ルビーの世話があるので、休む……というのはたぶん許可されないだろう。

 こんな小さな魔獣を教室へ連れて行って、いやそうにするクラスメイトがいるとも思えない。何と言っても、これから魔法使いになろうと勉強している人間の集団である。

 どちらかと言えば興味津々で囲まれ、それはそれでルビーがストレスを感じかねない気もするが……。

 ルビー自身は、教室で暴れたり騒ぎまくる訳じゃない。何となくでも言葉は理解しているようだから、おとなしくと言えばおとなしくしているだろう。

 本当なら、ルビーは親にぴったりと寄り添っているはずの時期。抱いて安心させてやることはできないが、何かあってもシェルリスがそばにいると思えば、ルビーの気持ちも多少は落ち着くだろう。

 シェルリスは迷った末に、ルビーを教室へ連れて行くことにした。ひとりぼっちにすることで、せっかく今は元気なルビーが落ち込んだりしたらいやだ。

 あれこれ考え、時々自分に言い訳しつつ、シェルリスはルビーの入ったケージを持って登校した。

「あら、シェルってば、何を連れて来たの?」

 教室へ入ると、予想以上に早く気付かれた。

「わ、ちっちゃーい。これって魔獣の子?」

「まさか契約した……って訳じゃないよな。どうしたんだよ、こいつ」

「赤い身体だから、火属性でいいのよね?」

「これって小竜、か?」

「うん。実は昨日ね……」

 シェルリスはルビーを拾った経緯を、クラスメイト達に話した。

 思った通り、シェルリスとルビーを囲む輪はどんどん広がっていったが、そこは見習いであっても魔法使いだ。騒ぎ立てるクラスメイトはおらず、見る時は静かに、と頼めば静かに中を覗き込む。

 おかげでルビーが大勢の人間を見ても、怖がっている素振りを見せることはなかった。それがわかって、シェルリスもほっとする。

「へぇ、魔獣でも迷子になるんだな」

「鳥のひなは木の上にある巣から落ちたりするし、多産の獣の子って一匹はのんびり屋さんがいたりして、置いて行かれることがあるじゃない」

「あー、そういう子犬、近所で見たことあるわ。きっとそんな感じで、どの動物の子でも迷子になったりするのよ」

「確かに、そうかもなぁ」

 もしかしたら、というわずかな望みでシェルリスは聞いてみた

「ねぇ、みんなはルビーのお父さんやお母さんの情報って……」

「ないんじゃない? みんな、ルビーを見てわーって騒いでるくらいなんだから」

 やはり、誰も親となる小竜についての情報は持っていなかった。みんな見習いだから、仕方がない。

 そうこうするうち、授業開始のベルが鳴って、各々おのおのが席につく。

 担任のレクートはもちろん事情を知っているので、特にルビーについて触れることはせずに授業を進め始めた。

 ルビーは休み時間のたびに「かわいい」と囲まれてはいたが、それ以外ではこれという支障もなく一日が過ぎていく。

 ……支障はないが、情報もない。

 何も連絡が来ないなぁ。まだルビーのお母さんかお父さん、見付からないのかな。

 シェルリスがルビーの世話をしているのは、ディルアの職務部もアトレストのブレイズ達も知っている。何か進展があれば、必ず彼女に報告があるだろう。

 親が見付かったからルビーを連れて来い、という指示があってしかるべき。

 それがないと言うことは、まだ見付かっていない……と考えるしかないだろう。

 幸い、ルビーはシェルリスに懐いてくれている。それに、親が見付かるまでの間とわかっていても、少しでも長く一緒にいたい、というのもシェルリスの本音。

 だからと言って、ずっと親が見付からないままでは、ルビーがかわいそうだ。

 ディルアで何か見付かれば、レクートが教えに来てくれるだろう。でも、普通に授業をするだけで、今日は終わってしまった。

 情報、何も入ってこないのかぁ……。

 一日の終わりで、こんなにがっかりしたのは初めてだ。

 魔法使い協会の方はともかく、アトレストの方で何かないかしら。

 ルビーはアトレストの近くで見付けた。アトレストへ行けば、親は見付かっていなくても、何か手がかりになるようなものがあった、という話を聞けるかも知れない。

 はっきりと親が見付かった訳じゃないから連絡はまだ入れなかった、ということだってありえる。ブレイズなら、そういう判断をするのでは。

 今日はバイトの日ではないが、シェルリスはアトレストへ行くことにした。

 本当なら、いつもはフィールドへ行って自主練習をするはずなのだが、今は特殊な状況だ。練習なら、別の日にいくらでもできる。

 一応、シェルリスは念のために職務部の職員室へ行き、情報の有無を確認しておいた。

 レクートからルビーの親に関する話はないと聞き、シェルリスはアトレストへと向かう。

「ルビーに話ができれば、せめてどこから来たかくらいはわかったのにねぇ」

 シェルリスの言葉に、ケージの中のルビーは同調するように鳴いた。

 もっとも、話ができたとして、自分のいた場所がちゃんとわかるかと言えば……怪しい。しゃべれても、火の山から来たのー、くらいでは困る。

「アトレストに着いたら、一度ケージから出してあげるね。いくら狭い方が落ち着くって言っても、ずっとその中にいたんじゃ運動不足になっちゃうでしょ。それに、ルビーだって外の空気を吸いたいよね」

 一人の時は禁止されていても、ブレイズや他の魔法使いがいるアトレストでなら、ケージを開けても問題はないはずだ。

 禁止されている理由が、ルビーを取り戻しに来た親に対応するため、ということなら、見習いではない魔法使いが数人いるアトレストはちょうどいい場所である。

 いざ何か騒ぎが起きたりすれば、客の魔法使いにも手伝ってもらうことだってできるだろう。

 ケージの外へ出すことができれば、ぎゅっとしたり身体をなでたりしてルビーをしっかりかまってあげられる。

 ……あれこれ理由付けしたところで、単にシェルリスがルビーを触りたい、というだけかも知れない。

 もうすぐアトレストへ着く、という所まで来た時。

 シェルリスがルビーを見付けた辺りに、一つの人影を見付けた。この辺りに来る一般の人はまれだし、魔法使いなら目的地はアトレストのはず。

 何かを探し回っているような動きが気になり、シェルリスは声をかけてみる。

「あの、何かお探しですか?」

 こちらを向いたのは、暗い茶色の髪の男性だった。シェルリスは見たことがない。二十代後半……いや、三十代といったところか。

「ああ、実はこの辺りで……ああっ、その子は!」

 男性はケージを見て叫び、シェルリスはびくっとなる。その様子に、男性はすぐに詫びた。

「あ、すまない。私はその子を捜していたんだ」

「え、ルビーを?」

「ルビー? それはその子の名前かい? きみがつけたのかな」

「あ、ごめんなさい。呼び掛ける時に名前がないと呼びかけにくいって思ったから、とりあえずの仮名です。あの、あなたはこの子とどういう……」

「父親だ」

「えっ?」

 相手の言葉に、シェルリスは驚いて目を丸くする。

「魔物か誰かはわからないが、私の子が連れさられた。それをずっと追って来たんだ。この辺りまで来て気配が薄くなっていたが……人間と関わりを持ったことがない魔獣が、人間のいる場所へ行っていいものか迷っていた」

 気配を探り、ルビーの気配がアトレストへ続く、と気付いたものの、すぐ向かうのはためらわれた。そういうことらしい。

「そうなの。よかった、お父さんが見付かって。この子はまだ話ができないし、これという手がかりもなくって、魔法使い達が昨日から捜し回っていたの。でも、お父さんがこうして迎えに来てくれたなら、もう解決よね」

 ブレイズ達が話していたように、子どもをさらわれて半狂乱になって現れる、という状態でなくてよかった。

 落ち着いた相手の物腰に、シェルリスもほっとする。

「よかったね、ルビー。やっとおうちへ帰れるよ」

 ちょっと淋しいが、ルビーが自分の家もとい巣に戻れるなら喜ばしいことだ。ルビーの父親が我が子は人間にさらわれた、と思っていないのなら、少し時間が経って落ち着けば、また会いに来てくれるかも知れない。

「ルビー?」

「……きゅ」

 シェルリスが声をかけたが、ルビーは外を見られる格子から離れてケージの隅に縮こまっている。聞こえる鳴き声も、かすかで弱々しい。

 昼もちゃんとささみとミルクを与え、それをルビーは完食していた。さっきまであんなに元気だったのに、いきなり具合が悪くなってしまうなんて変だ。

 人間の子どもはいきなり熱を出すこともあるが、それは魔獣にもあてはまるのだろうか。

 そこまで考えて、別の時にもルビーが怖がっていたことをシェルリスはふと思い出した。

 昨日のアトレストで、従業員のグラウンがルビーに構おうとした時だ。

 あの時のルビーは、シェルリスにしがみつくようにして震えていた。今はケージの中なのでしがみつくことはできないが、怯え方はあの時と似ている。

 あの時は深く考えなかったが、なぜルビーはグラウンにだけ拒否反応を示したのだろう。

 がっしり体型のブレイズには、何も反応しなかった。ディルアへ行けばグラウンと同世代のレクートや、他にもたくさんの魔法使いがいたが、気にする様子もなく。

 今日に至っては、大勢のクラスメイトが入れ替わり立ち替わりケージを覗き込んでいたが、ルビーが怖がる素振りはまるっきり見せなかったのに。

 この人、髪の色や背格好がグラウンに似てる……?

 シェルリスは改めて、相手の姿を見た。

 ルビーの父と名乗る男性は、アトレストのグラウンと似た部分が多い。顔立ちはさすがに違うが、髪の色が暗い茶色で、細身。身長もたぶん大差ない。

 お父さんだって言ってるのに、ルビーが怖がるなんて変よ。厳しいから怖い? ルビーは生まれて数日だろうって話だったし、そんな子どもに厳しくはしないわよね。それに……火の小竜なら姿を変えた時に、その色が髪や瞳に現れるって聞いたけど。

 彼の髪に赤みは見当たらず、その瞳も黒い。だいたい、魔獣は人間の姿になった時にとても美しくなると聞いたが、彼は美しいと言うまでに整った容姿ではない。シェルリスの感覚で言えば、十人並み。そう、普通の人間にしか見えない。

「ねぇ。あたし、小竜を間近で見たことがないの。その姿、見せてくれない?」

 それまで穏やかな表情をしていた男性だったが、シェルリスの言葉でその目が急に冷たくなった。

「残念だが、そうもしていられないんだ」

 その言葉の直後、シェルリスの身体が動かなくなる。

「このケージは……ちっ、鍵がいるタイプか。ここじゃ少々目立つから、こっちへ来てもらおう」

 男はシェルリスの手からルビーの入ったケージを取り上げた。何するのっ、と言いたいが、言葉が出ない。

 さらには、男の言葉でシェルリスの身体は持ち主の意思に反し、勝手に男の後をついて歩き出す。

 うそ……やだ、何なの、これ。

 視界の端にアトレストは見えている。だが、シェルリスは助けを呼ぶ声すらも出せず、振り返ることさえできない。そのまま、近くにあるイルバの森へと歩くことになる。

 男は、ファルジェリーナを捕獲したラグトムだった。

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