危険な夜道

 深雪さんと喧嘩(?)した後、特に何事もなく一週間が過ぎた。車の鍵はまだ帰ってこないけど、ストーカー被害もここ数日はない。


「ごめんね〜、今日遅くなっちゃうから、冷蔵庫に入れておいたやつチンして食べて〜」

『わかった。先生、気をつけてね』

「うん!ありがとう!」


 今日は帰りが遅いってわかってたけど、深雪さんと一緒に帰ることはできない。なぜなら、荷物が届くからです。こういう時に深雪さんがいると助かる。


 最近は特に怖いこともないし、月代さんに教えてもらった近道を使えば安全に早急に家に帰ることができる。


 深雪さんとの通話を切ると、ちょうどその道に入った。鈴虫の声とほんのり涼しい風がすごく心地いい。右に畑、左に森。ぽつぽつと街灯が立っている。


「あ、猫ちゃん」


 十字路の真ん中で、小さな猫が寝転がっていた。車が通れない道だけど、こんなところで寝ていたら危ないよ。誰かが気づかずに踏んづけてしまいそうだ。私は猫ちゃんを驚かせないように静かに近づいて、近くにしゃがんで優しく頭を撫でてみた。


 猫ちゃんは、「にゃー」と小さな声で鳴いて、大きくあくびをする。野良にしては随分と人に慣れているなあ。白っぽいような茶色っぽいような、綺麗な毛並みをしていらっしゃる。


 頭を撫でていると、そのうちゴロゴロと喉を鳴らし始める。

 すごい。全然警戒されていない。私は昔から動物と仲良くするのが得意だった。ちっこくて弱いので舐められているだけかもしれないけど、野良の猫ちゃんを撫でることができて嬉しいので構わない。


「かわいい~」


 猫ちゃんを撫でているときに出る言葉は独り言じゃないと思う。

 だって大抵の場合、猫ちゃんも返してくれるから。

 この子もやっぱり鳴き声を返してくれた。


 ふと月代さんが言っていたことを思い出した。深雪さんってそんなに猫っぽいかなあ。若干真剣な目で目の前の猫ちゃんを見る。

 ……猫っぽいともいえるし、猫っぽくないともいえる。じゃあ、猫以外でなにしっくりくるものはあるかな。犬ではないよなあ。

 人を動物に例えるのって、意外と難しそうだ。暫定的に深雪さんは猫ということにしておこう。


 ぽけーっと頭を撫でていると、猫ちゃんがごろん、とお腹を出す。

 すっごくかわいいねえ。フサフサのお腹を撫でていると、後ろから足音っぽいものが聞こえる。


 ちょっとこれまずいかも。


 間隔は短い。多分早歩きか、走ってる。

 猫ちゃんがくるっと体をひねって、そのままどこかへ走り出す。

 私は身体が固まって動けない。ストーカーされてるってことを完全に忘れていた。もう少し警戒するべきだった。猫ちゃんは悪くないけど。


 足音はすぐ後ろまで来てる。

 やばいと思ったけどもう遅かった。


 結構強い勢いで地面に激突しちゃった。

 痛いかどうかすらわからない。


「先生……」

「月代、さん?」


 地面にうつぶせになった私の上に、たぶん月代さんが覆いかぶさっている。ああ、ごめんなさい、深雪さん。月代さんはクロでした。

 はあはあ、と激しい息遣いが頭の後ろから聞こえてくる。






「先生、ごめんなさい。もう我慢できないんです♡」

「た、たすけて……」

「大丈夫です。痛くしないですから!ソッチの趣味はないので!」


 耳に何か、熱くて湿ったものが当たる。

 これが何かなんて、考えたくない。最後まで生徒のことは信じたかったけど、ここまで来たらさすがに庇えない。


 拘束から逃れようと身じろぎをする。まったく歯が立たない。もうちょっと体育を頑張っておけばよかった。今更後悔しても遅い。


「私、先生のこと大好きなんです」

「じゃ、じゃあ、一回離れて……」

「嫌です♡」


 ガシっと腕を掴まれて、そのまま体を持ち上げられる。

 凄い力……なんて感心している暇はなくて、またすぐに地面に押し倒される。今度は、月代さんと目が合う。


いつもみたいなニコニコ顔だけど、今は半端じゃなく怖い。


「なんで……」

「ん?」

「なんで、こんなことしたの?」

「先生が好きだからです!」


だめだ。まるで話が通じない。もちろん、どんな形であっても生徒に好かれるのはすごく嬉しい。だからこそ、この状況になってしまっていることが凄く悲しい。色々な後悔が頭をよぎる。深雪さんの話をもっと詳しく聞くべきだったし、月代さんとももっと話すべきだった。


でも今すべきことは後悔じゃなくて、逃げ出すこと。でも無理そう。


これから先の展開はなんとなく読める。

どうしよう。同性の生徒に貞操を奪われるなんて、思いもしなかったよ。


「あ、あのさ」

「何ですか?せんせぇ?」


誰かがたまたまここを通りかかるかもしれないし、時間稼ぎ作戦だ。


「なんで、私のこと好きなの?」

「そんなの、可愛いからに決まってるじゃないですか。かわいくて、優しくて、頑張り屋さんで、いつもニコニコしていて。それで好きにならないわけないじゃないですか」


くっそー。ふつうに嬉しいぞ。でも、流されてはいけない。

月代さんがやっていること、やろうとしていることは間違ってる。ちゃんと教えてあげないと。


「あ、あのね、月代さん!」

「なんですか?」

「これはダメだよ!いくら私が好きでも、襲っちゃダメ!」

「そうですよねぇ。わかってるんですけど、しょうがないですよ♡」


な、なにがしょうがないの!?


「先生……そろそろうるさいです♡」


月代さんの顔がだんだん近づいてくる。これはまずい。キスされる。


助けを呼ばなきゃいけないけど声が出ない。


怖くて目を閉じる。

まあ、キスくらいならいいかな。殺されないだけマシだ。初めてだけど…命の方が大事だ。受け入れるしかない。


月代さんとキスすること自体は、まあ百歩譲って許せるしな。


そんな風なことを考えていたら、足音が聞こえてきた。めっちゃ早い。




めちゃくちゃ鈍い音がして、うっすらと目を開けると、ぼんやりとした視界には月代さんはいなかった。




「……あれ?」

「先生、大丈夫?」





私の上には、消えた月代さんの代わりに深雪さんがいた。




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