私のために争わないで!

「先生、立てる?」

「あ、え、え?ちょ、どういうこと??」


深雪さんは混乱する私の返答を待たずに、私の腕をぐいっと引っ張る。

細い腕のどこにそんなパワーを隠しているのかはわからないけど、簡単に持ち上げられて、無理やり立たされる。でも、足に力が入らなくて、尻もちをついてしまった。


「先生、そこでおとなしくしてて」

「え、なにするの?」


深雪さんの視線の先には、よろよろと立ち上がる月代さん。おそらく深雪さんに突き飛ばされて打ち付けたであろう右腕を痛そうにさすりながら、深雪さんを睨みつける。


絶対やばい。


「深雪さん、どうしてこんなことするの!?」

「それはこっちのセリフ。先生をこんな目に遭わせて無事でいられるなんて思わないでね」

「私の邪魔しないでよ!私はただ……」


月代さんが口を開いたときにはもう深雪さんは走り出していた。

瞬きする間もなく、彼女は月代さんに体当たりをした。フラフラと立っている月代さんはひとたまりもなく地面に倒れる。


「深雪さん!?駄目だよ!ちょっと落ち着いて!」

「落ち着いてるよ、先生。一番おかしいのは月代さん。彼女を取り押さえないと」


あまりのインパクトに抜けていた力が帰ってきた。なんとか立ち上がって二人に駆け寄る。

月代さんが地面にうずくまっていて、深雪さんはそれを見下ろすように立ち尽くす。


「月代さん!大丈夫?」

「大丈夫だから、先生は離れて」

「大丈夫じゃないでしょ!腕、血が出てる……」

「それは先生だって同じだよ。自分の腕見て」


そう言われて自分の両腕を見ると、ひどく擦りむいていて、出血していた。結構グロめのやつだ。でも不思議なことに痛くない。


「警察呼んで。先生」

「ちょっと待って!今呼んだら捕まるの深雪さんでしょ!」

「正当防衛」

「違うでしょこれは」


警察は一旦置いておいて、月代さんが心配だ。

倒れている彼女の肩をたたく。

「月代さん?」

「…先生、すみませんでした……」


いつものような溌溂とした声ではなく、掠れ切った苦しそうな声で言う。答える隙もなく嗚咽を漏らし始め、そのまま泣き出してしまった。


「とにかく、一旦落ち着いて!」


明らかに悪いことをしたのは月代さんだけど、こんなにガチ泣きされるとすごく心苦しい。


「月代さん、なんで泣いてるの?悪いのはあなただよ」

深雪さんが容赦なく畳みかける。この子、怒ると結構怖いタイプだった。私は怒られないように頑張ろう。


「私……先生のこと好きなのに、傷つけちゃった……」

「わかってるじゃん。じゃ、警察呼ぶね」


深雪さんがスマホを取り出そうとポケットを漁る。

「ちょっと待って!やめて!生徒には逮捕されてほしくないです!」

「先生、そんなこといったってしょうがないでしょ」

「一旦時間ください。月代さん、ちゃんと話そう」


十字路の真ん中からずれて、三人で端っこの安全なところまで移動する。

月代さんは少しずつ落ち着いてきた。私としてもちゃんと話を聞いて行いと駄目だと思う。そして、間違った方法を使ったことについて叱らないと

いけない。


「あのね、月代さん」

「はい……」


まだ涙目だけど、とりあえず聞く耳はもってくれそうだ。よかった……。

「気持ちは嬉しいけど、あんなやり方はよくないと思うよ」

「……そうですよね……」

「月代さんはきっと解ってるはずだと思ってたからびっくりしたよ」

「ごめんなさい……」

「いや、責めてるわけじゃなくて、いや責めてはいるけど……とにかく、どうしてあんなことしたの?」


月代さんは深呼吸をして、ゆっくりと話し始める。


「……私は、一目見た時から先生のことが好きでした」

「う、うん」


さっきもされたけど、こう素直に告白されるとちょっとドキっとしてしまうものだな。


「だから、たくさん先生とお話ししたりして、ちょっとずつ仲良くなろうと思ってたんです。そして、いつか告白して……でも、普通のやり方じゃ無理だってわかってました。だから…」


そうだね。私は生徒に対して恋愛感情を抱くことはない。男子であれ、女子であれそれは変わらない。だってそうあるべきだから。




「自分でもよくないとわかってたんですけど、ストーカーしちゃいました。そしたら案の定、先生が怖がって私を頼ってくれるようになって……そこまではよかったんです」


いや、まったくよくないがな。ふつうに犯罪です。


月代さんの頬を涙が伝う。


「ある日、いつも通りストーキングしていたら、知ってしまったんです。先生と深雪さんの関係を」


なんとなく不穏だなあとは思ってたけど、やっぱりか。どうしよう本当に。いつも自然に家に居るし、ご飯作ってくれるしで忘れてたけど、私って教え子と同棲してるんだった……一番恐れていたことが現実になってしまった。


思わずキョロキョロ。なんとなく深雪さんのほうを見ると、目が合ってしまった。


「どんなに頑張っても、先生は振り向いてくれないんだろうなって。だって深雪さんがいるから……だったらもう、力づくでって思っちゃいました」


「悪巧み以外のことを頑張ったほうがいいと思うよ!あと、深雪さんとは別にそういう関係ではないです!」


震えながら泣いていた月代さんの動きがぴたりと止まった。


「え、そうだったんですか!?」


この世の終わりみたいな声だったのに一転して、またいつもの美少女が戻ってきた。


「そ、そう。なんか、かくかくしかじかで一緒に暮らすことになっただけ。そして、私は女の子に恋愛感情を抱いたことはないから、深雪さんと恋人同士ですー、とかそういうのはありえないから!」


そう。残念ながら私は、深雪さんとそういう関係になることがなければ、月代さんともないのだ。


「そ、そうなんですね!」


月代さんはなぜか嬉しそうに言う。


「よかったです!深雪さんとお付き合いしてるとか、そういうことじゃないんですね!なら、まだ私にもチャンスがあるってことですよね!」


月代さんは目を輝かせながら言った。いや、話聞いてたのかな。私は女の子に恋愛感情を抱いたことはないっていったはずだけどなあ。でも、彼女の瞳が綺麗すぎて、曇らせたくない。


「ま、まあ、そういうことにはなる、ね」

「何言ってるの先生!」

「ひえ」


深雪さんに上からものすごい剣幕で怒鳴られた。なんで怒られたのかはわからないけどとりあえず謝っとこう。

「ご、ごめん」

「先生、甘すぎ。なんかなあなあな雰囲気になってきたけど、月代さん、自分がやったこと理解してる?普通に犯罪だからね」

「……うん、ごめんなさい」


深雪さん、すごい怒ってるなあ。もうそんなに言わなくてもいいと思うけど……


「まあ、いいよ。月代さん、もうこんなことしたら駄目だよ。私じゃなくても、武力行使は禁止!」


高校生と言っても、まだまだ子供だもんね。ただ怒るんじゃなくて、ちゃんと何がダメか教えないと。


「すみませんでした……」

「今回だけは許す!でも、車の鍵かえして」

「え?」


月代さんは涙をとめてキョトンとする。


「車……?鍵なんて、取ってませんよ?」

「え?」


とりあえず、深雪さんのほうをみる。

めっちゃ鋭い目と目が合ってうろたえる。


「先生……、犯人は月代さんじゃなかったかも……」

「なわけないでしょ……」

「ストーカーは私以外に居ないと思います!ほぼ二十四時間体制で先生のこと見張ってたので!」


ひょえ。心強いけど恐ろしいな。


「じゃあ、鍵は?」

深雪さんは飢えたケルベロスのような顔で月代さんを睨みつける。


「し、しらないよ」

月代さんが滅茶苦茶震えている。


「わ、私が落としちゃっただけだよ、多分」

月代さんと深雪さんがほぼ同時に私をみる。


そして、二人で納得したように顔を合わせる。


「確かに。先生ならやりかねない」

「ま、まあ、先生ちょっとドジというか……」


この場に走った緊張感が一気になくなった。


なんとなく、二人の雰囲気が柔らかくなった。


月代さんがしたことは悪いことだけど、私としては、ちゃんと反省してくれるならそれでいいと思ってる。


一番いやなのは、生徒が傷つくこと。誰だって同じだ。深雪さんでも、月代さんもそう。


特に、生徒同士で揉めるのは見たくない。


自分でこれを言うの、恥ずかしいけど、まさに“私のために争わないで!”状態だ。


「ま、まあとにかくもう遅いから月代さんはお家に帰ってね」

「え?」


月代さんが不思議そうな顔をして私を見つめる。

「え?」


「良いんですか…?」

「うん。なんかもう、許す!でも武力行使はもうダメだからね。大ごとにしたくないから、警察沙汰にはしません!」


月代さんはとぼとぼと夜の闇の中へ消えていった。


本当は家まで送ってあげたかったけど深雪さんの視線が怖いのでやめた。



月代さんが見えなくなってから、二人で夜道を歩く。

「先生、甘過ぎ」


深雪さんが呆れたように言う。

正論だ。普通だったら警察沙汰だからね。

私は生徒には甘いかも。


「んー、まあそうだよね。でもあの子、根はいい子だし〜…」


「はあ、本当に頭お花畑だよね、先生は」

「うぅ…」


何も言い返せなかった。


「そういうところも好きではあるけどね」

「え」









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