第15話 大浴場


 まだ明るいとはいえ外は冷え込みが厳しくなっている。それなのにティーナちゃんが城門の前まで迎えに来てくれている。

 その様子を俺は空の上から見ていた。今はスノーゴーレムさんとの対局を終えて帰る途中だ。帰りもイザベルちゃんの飛空魔法に振り落とされまいと必死にしがみついていた。ドワーフの防寒着を着ているとはいえ上空を飛ぶとなると多少はこたえる。


「ティーナちゃーーーん」


 ティーナちゃんの姿を見つけたら嬉しくなって手を振ってしまった。


「うわわわ⁉」


 片手でしがみつくのは不可能だ、危なく空から落ちるところだった。


「ちょっと赤星様、死にたいんですか? この高さから落ちたら即死ですよ? しっかりイザベルの腕をつかんでいてもらわないと困ります!」  


「あ、ああごめんごめん……」


 深く反省、碁も一瞬の油断が命取りになるのはよくある。まだあと二局対局が残っているんだ、本当に死ぬわけにはいかない。それにしてもイザベルちゃんもよく言うよ。帰りの途中に急旋回とかして俺が悲鳴を上げるのを楽しんでいたのに。

 心の中で愚痴をこぼしていると急降下を始めた。頼むから急が付くことはやめてくれ!

 ここはホワイティアイランドじゃないから雪のクッションはない。ゆっくり着地しないとただでは済まない!


「イ、イザベルちゃん、ゆっくりね? 頼むからゆっくりだよ⁉」

「……」

「何とか言って!」


 この子やっぱりドSだ……。俺は覚悟を決めて目を閉じた。多分3秒後には着地するだろう。せめて打撲程度で済むように祈った。

 3,2,1……。

 あれ……? 


「赤星様? 着きましたよ? 痛いですって。そんなに強くしがみつかなくても大丈夫ですよ? 腕が取れちゃいますって」 


「ほんとだ、地面だ、しかもどこも痛くない…」


 ああびっくりした、心臓に悪いよ…

 

「よしっと……、赤星様の送迎業務、これにて完了!」


 グーにした手を高々と上げたポーズはティーナちゃんに向けた報告らしい。


「ご苦労様イザベル、今日は私の仕事もさせてしまって大変だったでしょう、後は私が引き受けます、あなたはゆっくり休んでください。それと特別に明日はお休みで構いません、二人分の仕事をしてくれたお礼です」


「ええ⁉ いいんですか⁉ わかりました、では遠慮なくそうさせてもらいます!」


 喜々として城のなかに戻っていたイザベルちゃんの足取りは軽かった。それに比べて俺の足は対局疲れもあって少しがくがくしているのに。侍女の子はタフだな。

 イザベルちゃんが城に戻って行ってティーナちゃんと二人きりになると照れくさくなってしまう。空を飛んでいて少しだけ平衡感覚が失われていたがなんとか立った。


「おかえりなさいませ赤星様、」


「ただいま、ティーナちゃん」


 ただ一言おかえりなさいと言ってくれただけで疲れがとんていった気がした。もうここに永住しちゃおうかな、なんて思ったりする俺。

 

「ホワイティアイランドはどうでしたか? 対局の方は…?」


「これさ!」


 Ⅴサインとどや顔で結果を報告するとティーナちゃんは喜んでくれた。俺は得意気に初戦の大事さを語ってしまったけどティーナちゃんは聞いてくれた。

 それとイザベルちゃんのことも話した。あの子Sっ気があるよと。そうしたらティーナちゃんは注意しておきますと言っていた。

 

「それにしても今回の仕事は大変だけどやりがいがあるよ。中ボスだけどかなり手強かったんだ」


 手強いと言ったのはいろいろな意味合いがあったけど、もちろんそれは言わないでおく。


「赤星様? ホワイティアイランドで何か良いことでもあったんですか? そんなにこにこされて、鼻の下が伸びてるような…、だ、大丈夫ですか⁉ 鼻血まで出てらっしゃいますよ⁉」


「え! うそ⁉」


 指で鼻の下を擦ってみると確かに鼻血が出ていた。しまった、スノーゴーレムさんの裸のことを無意識に思い出していた。でもあれはある意味事故だから、何もやましいことはなかったから!


「大丈夫大丈夫! 心配ないよ⁉ これケガとかじゃないから、健康な男子ならよくあることだから!」


 よくわからない説明なのは自分でもわかってる。ティーナちゃんも腑に落ちないといった顔をしているものの、俺が大丈夫と言ったことで納得してくれたみたいだ。


「なんかおなか減ってきちゃった」


「ご、ごめんなさい、こんな所で立ち話させてしまって。赤星様、体の方が冷えているのではないですか? 夕食の前にお風呂に入らますか?」


「お風呂? それはありがたいね、防寒着着てたとはいえ寒空を飛んで帰ってきたわけだし」


 この城には大浴場がある。プールくらいある広さで水瓶を持った美女の彫刻があってその水瓶からお湯が出てくるというかっこいい大浴場だ。俺もここに来て入らせてもらった。


「赤星様…、大変申し訳ないのですが、今日は貸し切りというわけにはいかなくて…」


「ああ、別に大丈夫だよ? 他のスタッフの人もたくさんいるから俺だけが使ってたら悪いし」


 正直あんなに広いお風呂は逆に落ち着かなかったし、それに銭湯に行ったときは他の客と世間話とかをするのが結構楽しい。おじいちゃんの話は聞いてても面白い。

 城のスタッフの人の話なら尚更面白そうだ。

 城内の裏事情とか、誰と誰が付き合ってるとか。そう考えるとワクワクして来た。

 遠くの空には星が見え始めている。今日の夜は冷えそうだ。


「ふー、やっぱりこのベッドはいい」


 ひとまずベッドに横になる。帰ってくると部屋は奇麗に掃除されていてベッドメイクもしてくれていた。ここにいると何も不自由なことがない。でも仕事が終わったら帰らなきゃいけないんだよなあ。そう言えばみんなはどうしてるだろう。俺のスマホはずっと圏外、別の世界にいるから当然か。

 まだ数日しか経ってないけどもうずいぶん長くいる気がする。毎日が今までにない事の連続だからかな。

 

「それじゃあ大浴場に行くかな」


 この城には恰幅のいい年配の侍女のアマンダさんという人がいて俺の服の洗濯をしてくれる。どういう方法か知らないけど風呂に入って出るころには完了しているんだ、多分洗濯系の呪文だろうな…。

 ちょうどその人と会ってこれから入る事を伝えた。すると「洗濯物があるなら風呂場の籠の中に入れときな」と、母親のように言ってきた。

 風呂場の熱気がもう伝わってきている。それだけでも温まりそうだ。

 大浴場は湯気が立ち込めているけど全く見えないわけじゃない。

 

「あれ? 何か鼻歌が聞こえるぞ」


 ティーナちゃんが言ってた通り先客がいるみたいだ。しかし意外だったのはこんな陽気に鼻歌を歌いながら入るってことだ。この城のスタッフは紳士淑女ばっかりだったからイメージと違う。いや逆に普段は城の中という緊張感のある職場だから風呂くらいははめを外しているのかもしれないな。

 そういう人ほど面白い話をしてくれるもんなんだ。


「だんだん声が大きくなって鼻歌の域を超えてきているぞ…」


 普段の業務が大変で、よっぽどストレスが溜まっているんだろうな。この広い風呂で歌うのは確かにストレス解消になるだろう。裸の開放感も手伝って、原始に戻るというか、人間があるべき姿に立ち戻ってというか。

 まあいいや俺も早く入ろう、湯船につかりたい。


「それにしても、声はさらに大きくなって来たな…、あれ? この声聞き覚えがあるぞ…?」


 初めは大浴場に声が反射しててわからなかったけど…、ここまで声が大きければわかる…、あいつだ、あいつの声だ…。

 なんてこった…、先客とは勇者だった…。いや先客というのはおかしいか、勇者にとっては自分の家の風呂なわけだから。

 メンドクサイことになって来たな…、どうするか、よし、引き返そう。時間をずらしてまた来ればいいだけの話だ。

 そう決心をつけて忍び足で戻ろうとした時だった。


「あれ? 誰かおるんか?」


 しまった、気配をさとられたか…? いや、まだ完全に気づかれたわけじゃない、湯気で姿は見られていないからこのまま静かに出ていけば大丈夫。


「太陽ちゃん、洗濯物はこれで全部かい?」


 げ、アマンダさんだ…、なんてタイミングでそこにいるんですか…。

 はいそうですと出来る限り小さい声で応えた。


「なんや、太陽君そこにおるんかいな?」


 やはり俺の声よりもアマンダさんの声の方が大きくて勇者に聞こえてしまったみたいだ。こうなってしまっては後の祭り、ごまかすのはもう無理だな。


「やあ……、メテオスさんも来てたんですか、すいませんね……、俺も入らせてもらいますよ……?」


 しょうがないから入る事にした。

 かまへんかまへんと快く言ってくれてるのに、白々しく話している自分がなんとも情けなくなってくる。でもしょうがない俺はこの人が苦手だし。

 勇者と会うのは町の酒場以来だ。あの日勇者付き合わされて、酒を飲まされてなんとか城に帰ったんだっけ。


「メテオスさんは、もうどれくらい入ってるんですか?」


「どれくらい? そうやなあ…、まだ一時間くらいやろか」


「一時間⁉」


 しかもまだ一時間と言っている。あと、どんくらい入ってるつもりなんだこの人は。当てが外れたな。しばらくすれば勇者の方が先に上がると思ってたけど、上がるのを待ってたら俺の方が先にのぼせてしまいそうだ。この人酒だけじゃなく風呂にも強いのかよ。


「せや、どやった? 囲碁の勝負の方は? 確か今日が勝負の日やったやろ? わし、それが聞きとうて今日は城に帰って来たんやで?」

 

 勇者は真ん中に陣取ってぷかぷか浮いて話しかけてきている。もちろんあそこにはタオルがかけられている。俺は端っこにもたれかかって入っているがどうにも落ち着かない。


「勝ちましたよ、ギリギリでしたけどね。まずは一勝です」


 俺も疲れを取りたいから肩までつかることにする。両足を思いっきり伸ばすと足の裏から疲れが抜けていく感じがした。勇者がいるからと言って気兼ねしてもしょうがない。それに碁の話なら俺も望むところだ。


「勝ったんか⁉ さすが太陽君や! 酒は弱いが碁は無敵やな! 実はな、太陽君負けるんちゃうかあ思て、わしちょっと心配しとったんよ、だって相手はスノーゴーレムやろ? あの子寂しがり屋やけど、かわいくて、ほんでもってやさしいやんか。太陽君も男気あるから自分の事犠牲にするんちゃうかと思たけどな。まあええかこの話は」


 勇者もスノーゴーレムさんに会ったことがあるらしい、しかもスノーゴーレムさんが寂しがり屋でやさしいということまで見抜いてる。少し意外だったかも。

 もしかしたらスノーゴーレムさんはもういないということまで気づいてるかもしれない。


「そんで次の対戦相手は黒騎士やろ? あっちも厄介な奴持って来たもんやなあ」


 寝そべるように両腕を頭の後ろに組んで話す勇者はそのまま寝てしまいそうだけど、それはそれで不思議ではないし面白い。今の話からして次の対局相手の黒騎士の事を知ってるみたいだ。さすが冒険を重ねた勇者だ。もしかしたら剣で戦ったことがあるとか?

 厄介な奴と言ってたけどどういう意味だろう? 対戦方法は碁だよ?


「太陽君気い付けや? 黒騎士の奴どんな手つこてくるかわからへんで?」


「どんな手って、そんなにやばいんですか?」


 俺もロープレとかやって来てるから黒騎士というのは知っている。でも俺の知ってる黒騎士というのは悪者というよりかはダークヒーローだ。最初は敵対してても最後には主人公の味方になる感じで。だから密かに対局を楽しみにしていたところもある。

 しかし勇者は俺の黒騎士に対するイメージの逆の事を言っているのが気になる。


「わしの話になるねんけどな、魔王を倒しに行くときにな、魔王の城の近くまで来た時の事や。黒騎士から事前に決闘の申し出をうけててな、おもろいから受けて立ったんよ。

 ほんでいざ行ってみたら黒騎士の仲間が待ち伏せしてたんや。全然決闘ちゃうで?

 こんなんだまし討ちや。」


「ははは…、そんなこと言われると俺不安になるんですけど…」


 なつかしい昔話のように楽しそうに語ってるけどあんた下手したら死んでたんだよ? そこらへんがこの人っぽいというからしいというか。

 まいったな、ペア碁をしに行くわけじゃないから実質決闘しに行くと言っても差し支えない。だとしたら俺も危ないんじゃないか? 


「それでどうしたんですか?」


「どうしたもこうしたもあらへん、しゃあないからまとめて相手したったわ。けどあいつら弱かったからみんなあっさりやられよった。不幸中の幸いや」

 そんなこと言ってるけど、ただこの人が強すぎただけなんじゃないの…?

 どうしよう…、もし一人でいったら俺も待ち伏せとか食らったりするのか? 対局場所はその黒騎士の家って手紙に書いてあったし

 碁で負けて命を落とすなら仕方ない、しかし山賊みたいなやつらに殺されたら納得いかん。

 かといって、ここまで来て逃げ出すわけにはいかない。

 不本意ではあるが一つ方法を思いついた。


「そうだメテオスさん、もし面倒じゃなかったらあさって俺に同行してもらえませんか?」


 このさいプライドは捨てよう、大事なのは命だ。この人がついてきてくれれば百人力だ。こんな確実なことはないだろう。


「すまんなあ、あさっては用事があんねん。仲間の冒険者達とな、新しく発見されたっちゅう島を探索する約束してんねん。


「そうですか、じゃあ仕方ありませんね……」


 甘かったか。太陽君の頼みは断れへん、一肌脱いだるわ、とか言ってくれるかと思ったけどな。仲間の約束を破るわけにはいかないよな。


「ははは、どうしたんや? そない絶望的な顔して? わしがあんな話したから不安になってるんやな? 心配しすぎやそんなん、もう魔王軍とのいざこざは終わっとるんや。太陽と君が思てるような事は起こらへんわ」


「本当ですかあ…?」


 この人は強いからそういう風に楽観的に構えていられるんだろうけど、こっちはケンカすらしたことのない一般庶民なんだ。現に勇者のむき出しの体格と俺の体格を比べてみてもそれは明らかだ。

 試しに力こぶを作ってみても悲しくなるだけだった。


「わし先に出るわ、太陽君一人でゆっくりしたいやろ?」


「まあ、それは確かに…、いやそんなことは……」


 ざばっと豪快な音を立ててそのまま上がっていった。勇者なりに気を遣ってくれてるのはわかる。あんな話さえ聞かなければどんなによかったか。勇者は心配しすぎだと言っていたが……………………………………………………。


「誰だって心配するわそんなん!」


 思わず口に出てしまった。そして一人きりの大浴場に空しく響いた。


                 続

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