第7話 碁ッドとマルリタ姫

 雲一つない青き空を仲睦まじい鳥たちが飛んでいく。以前はガーゴイルの群れが空を陣取っていた。侵入者を発見すれば何の警告もなしに襲い掛かる空の門番。

 ここは魔王の城、しかしそれはかつての話で今ではそんなこともあったくらいに感じるかもしれない。

 凄惨な歴史を刻んだ場所も今では観光名所になっているようにこの旧魔王の城も基本的には出入り自由。

 つい最近ここに一国の姫様が入居してきた。着の身着のままでやってきたその姫様は、自由奔放な性格で周囲を巻き込むわがまま姫だった。


「おはよう碁ッド様、今日は雲のないお空ですね。こういう日は大抵いいことがあるんですよね!」


 わたくしはマルリタ、ウロ国の国王の娘。わけあってこのお城にころがりこんじゃいましたあ! 今頃お城のみんなはどうしてるのかしら? この間はあたしを連れ戻そうとしてたみたいだけど全力で拒否ったわ。

 国王の娘ってだけで運命が決定されちゃうなんてガマンできない。16歳になったらホーエン国の王子様と結婚させられるなんてあまりにも勝手だわ!

 歴代のお姫様はそうしてきたみたいだけどそれで幸せだったのかしら?

 伴侶様になる人は自分で決めたいじゃない?

 そんなことを思ってた時にあの人、碁ッド様に出会ったのです!

 

「碁ッド様、外を見てください、どこまでも続く空と地平線。素敵な眺めですよね。そういえばモンスターたちはどうしたんですか? マオウから指揮権をもらったんでしょ?」


「モンスターたちは魔界に帰した。やつらにやる報酬はオレには無い。この世界が居心地がよくて残ってるモンスターもいるらしいがな」


碁ッド様はマオウに碁を教えたことがきっかけで、それを気に入られてモンスターの指揮権を与えられたけど、碁ッド様はそれを放棄したみたい、そこらへんが碁ッド様っぽい。

 

「お前はいつまでここにいるつもりだ? お前も帰ったらどうだ?」


「ひっどーい碁ッド様! そういう言い方ショックです! わたくしはモンスターじゃありません! 全くもう! せっかく来てあげたのに!」


「オレは頼んだ覚えはないが? なぜオレにかまう?」

 

 窓の外に視線を向けたまま話す碁ッドは面倒くさそうにしている。


「うーんと…、そうですねえ…、なんというか…、わたくしもよくわかりません! あえていうなら感覚? なんかほっとけないんですよねえ、碁ッド様って。どこかで会ってるような気がするんですが…、気のせいですよね?」


「フ…、オレもお前のことを懐かしく思う…、なるほど感覚か、確かに碁では感覚は重要なファクターだ。読みはもちろんだが大局観を判断するには読みよりも感覚だ。感覚を制する者が碁を制すだ」


「あはは、碁ッド様の話は急に碁の話になるからついていけない、でもそういうところもなんか懐かしい気がする」


 わたくしはここに来てまだひと月もたたないけど、わたくし達打ち解けてきたかしら?

 

「お前はホーエン国の王子との結婚が決まってるんじゃないのか?」


 魔王が来ていたローブを今は碁ッドが着ている。玉座に着いた姿だけ見れば魔王そのものだ。


「えええ⁉ 碁ッド様までそんな事いうんですか? それはパパたちが勝手に決めてることだもん、みえみえの政略結婚じゃない。ここで過ごしてる方がいい気がするんだけど…、不思議よね…」


「碁ッド様、少し気になる動きがありましてございます、少しよろしいかな?」


 会話の途中に割って入ってきたのは碁ッド様を主と慕う老魔導士ちゃんだった。こやつは仕事一本て感じでいつもせかせかしてる感じ。モンスターと人間のハーフで基本的に戦闘に参加するのは好みじゃないらしいの。攻撃魔法よりも補助系魔法の方が得意だって言ってたし。悪い感じには見えないけど。


「先日のことでございますがこの水晶がただならぬ反応を示したのでございます。それはある人物の事、どうやらこの者、異界から召喚されたようなのです。驚くべきはこの者、碁ッド様と同等の棋力を有しておりまする」


 老魔導士は水晶を見つめ動揺を隠すつもりもなく、嘘偽りなく忠実な報告をした。魔王に仕えていた時と変わらぬ迅速な行動は「ウザイ」と思いながらも碁ッドは評価していた。

 

「オレと同等? この世界にか?」


「はい。これをご覧くだされ」


 フワフワと宙に浮いた水晶玉を碁ッドに差し出した。千里を見渡すことができる老魔導士の秘宝がぼんやりと光っている。


「……こいつは……」


「この者、齢20前後といったところでしょうか。並みの才気ではございませんなあ、あらためて見ても碁ッド様と遜色ございませぬ」


 碁ッドの顔色をうかがうわけでもなく思ったことを淡々と語る表情には感嘆と驚嘆が入り混じっていた。


「えええ、碁ッド様と同じくらいってそんな人いるの? そういえばこの前碁ッド様に勝てたらお城に帰るって手紙出してたんだっけ、じゃあもしかしてそのことでこの人を? ……なんかこの人も懐かしい気がする…」


 マルリタは一緒に水晶玉を覗き込むと、興味深々と言った表情に加えてわずかな戸惑いを浮かべた。そして胸にあてた手をぎゅっと握った。


「絶対パパたちのたくらみだわ! 絶対にそうよ! あまりにもタイミングが良すぎるもの! きっとティーナも一緒になってるんだわ! あの裏切者め!」


 まさかわたくしを連れ戻すためにちがう世界から人召喚するなんて、しかも碁ッド様と同じくらい強いだなんて、でもなんだかワクワクしてきちゃった。碁ッド様と互角の戦いなんてこの世界じゃ見られないわ。といっても囲碁のことはよくわからないんだけどね。


「どう思われますかな? 碁ッド様と近い年齢と棋力、この老魔導士めはなにか因縁のようなものを感じるのでございます」


「フ……、考えすぎだろう…」


 そう言いながらも視線をまた外に戻し薄く笑った。その様子を見たマルリタは碁ッドがめずらしく高揚していることを感じ取っていた。自分と対等の存在は時には居場所となる。それがわかったからこそマルリタは少し寂しく感じていた。


「じゃあ碁ッド様はこの人と勝負なさるんですか?」


「こいつはそのためにこの世界に来たのだろう?」


「さすがは碁ッド様、臆することのない姿勢、この老魔導士、感服の至りでございます」


 その場は妙な盛り上がりを見せたが。碁ッドだけは少し冷めていた。


「碁ッド様、この老魔導士、碁ッド様に進言したきことがございます」


 老魔導士は不敵な笑みを碁ッドに向けた。


「碁ッド様はラスボス、魔王軍の慣例に習い、この若者にはラスボスの前に二体の中ボスと戦ってもらうのです」


手にした錫杖カツンと石床をたたいた。老魔導士がこの動作を取った時は決定したも同然の意味だ。


「それ面白い! なるほどね、別の世界から来たこの人の碁がどれくらい強いかを測るためにもちょうどいいんじゃない? 老魔導士ちゃんやるー」


 マルリタは老魔道を肘でつついた。


「フ…、そんなことをするまでもないが、お前たちがそうしたいなら好きにすればいい…」


「やったあ! 決まり! パーティが開催されるみたいで楽しみだわ、ドレスでも着ちゃおうかしら?」 


 まるで自分が対局するかのようにマルリタはしゃいだ。それもそのはず。自分の城にいるときはパーティはいくらでもできたがここにきてからはそういう機会はとんとなかった。騒がしいのを嫌う碁ッドに気を遣ってのことだったが、碁に関してのパーティならば気兼ねなく活発にになれる。


「問題は中ボスをどう選別するかですな。碁ッド様が教えなされた碁で芽が出た者はそれほどいませぬが……」

 

 顎をさすりながら旧魔王軍のリストを頭の中で巡らす老魔導士、はてさてとそれほどいないと言いながらあれやこれやと思い悩んでいる。実力が未知数の異界からの召喚者。生半可な者では厳しい。


「誰にするかはお前が決めればいい、オレは大して興味はない」


「さようでございますか……、ならばお言葉通り、この老魔導士めが決定してまいります」 


 このお方にとっては余興に過ぎないのかもしれない。しかし余興とはいえ誇り高き魔王軍の一員だった以上向かってくる脅威には応戦するのが参謀の務めだ。


「ゴ…、碁ッド様あ…」


 どこからともなく現れたのはゴブリンだった。よろよろとおぼつかない足取りで入ってきた。このゴブリンは赤星に碁で負け、勇者に倒されたあのゴブリンだ。


「ゴ、碁ッド様,か、敵を討ってくれえ…、あいつ碁が滅茶苦茶つえええ…、あいつ一体何者なんだ…?」

 

 痛々しい姿だが、運よく致命傷は免れていた。というよりも勇者が大幅な手加減をしていた。


「なんじゃ、お主、まさかあの若者と対局したのか? でもなんで碁で負けて体にそんなダメージを負っとるんじゃ? まあなんにせよ笑わせるでない、お主程度の棋力でどうにかなる相手ではないわ、さがれ」

 

「………⁉ ぎゃあああああ!」


 虫を追い払うように攻撃呪文でゴブリンを瞬殺した老魔導士だったがそのことはすぐに頭から離れた。

 まさかもうすでにモンスターと交戦していたとは。しかしルールを覚えた程度のゴブリンではあやつの強さの程度は測れない。


「あのゴブリン君なんだかかわいそう。」


「ふん、ゴブリンに同情など必要ありませんぞマルリタ殿、どうせあやつが勝手な行動をとったのじゃろう。軍律違反じゃ」


 とはいえすでに先制攻撃されたも同然、モンスターの誇りにかけてあの若者に一矢報いてやらねば参謀として死んでも死にきれない。老魔導士の決意はより強固なものになった。 


「老魔導士ちゃん、中ボスが決まったらわたくしにも教えてね。向こうに手紙を送るから。必要でしょ?」


「おお、そうですな相手方にも我らの趣向を伝えなければなりませんからなあ」


 森に罠を仕掛けるときのような緊張感を老魔導士は覚えた。


 自分にも役割ができた。で碁ッド様に尽力しようとマルリタは決めた。


「話はそれで終わりか? 細かいことはお前たちに任せる。オレはもうひと眠りしたい気分だ」


 朝からいろいろと騒がしくされて少し気分に波が立った。しかしそれは悪いものではなくむしろ楽しむべき波だった。腕のいい船乗りが嵐の海に臆することがないように、凄腕の冒険者が強大な敵に対して勇敢であるように。

 ここに来てからの碁ッドには敵というのは存在しなかった。久しく忘れていたその存在が現れたのだ。そのことが碁ッドは嬉しかった。


「あらまあ、碁ッド様また寝ちゃうんですか? 残念ですわ。もう少しお話ししたかったんだけど、しょうがないわね。雑用でもやっておこうかしら」


 つまらなそうにして部屋を出ていこうとするマルリタを見て老魔導士も自分の仕事をするべく部屋をでた。すると急に部屋は嵐が去ったようにしんと静まり返った。窓の外を見ると平和そのものの景色が広がっていた。


「まったくあの二人は碁を何だと思っているんだ」

 

 碁は遊びであるが遊びにあらず。敵も味方もないがこれから始まるのは碁の戦争だ。盤上において剣と剣がぶつかり合い火花が飛び散りその熱気が周囲に飛散する。

 碁ッドは嘘をついた。もうひと眠りするというのマルリタと老魔導士を部屋から追い出すための嘘だった。ここしばらくおろそかにしていた棋譜ならべと詰碁をもくもくとやり始めた。

 

「あんな風にめんどくさそうにしてたけど実は碁ッド様楽しみにしてるのよね。何となくわかるんだあ、わたくし。もうひと眠りするなんて言ってたけど今頃は囲碁のお勉強をしてるのよね」


 碁ッド様は素直じゃないところがある。そういうところに不思議と懐かしさを感じちゃう。

 実を言うとここに来た理由は自分でもよくわからない。ホーエン国の王子様のことは別に嫌いじゃない。何度かお会いしてみて、この人はわたくしのことを大事にしてくれる人だってわかったし。あの人のところにお嫁に行くのは嫌じゃない。

 でももう少し待ってほしいの。せめてこのパーティが終わるまでは……。


                    続

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