第18話 雨の森を馬車で
悪くない寝心地だったような気がする。あの時の寝落ちする瞬間までの事ははっきり覚えている。手術で麻酔をかけられた時の事を思い出した。あの時も麻酔をかけられる瞬間までは覚えていた。
寝落ちするものかと麻酔に抵抗しようとしたもんだけど、当然無理だった。さっきもそんな感じだったんだろう。
エルフが俺にかけた眠りの魔法はもう解けている。別にどこも痛くもかゆくもない。それどころか熟睡した感じですっきりしてるくらいだ。
ここはどうやら森の中のようだ。不思議なことに、この森だけ晴れている。
もう一つ不思議なことがある。それはあのエルフが俺の前で土下座をしていることだ……………。
「今度は何のまねですか? 意味が分からないんですけど?」
女性が土下座をしているところを見るのがこんなに気分の悪いものだとは思わなかった。しかもそれが俺に向けられているなんて…………。
「これは今までの非礼に対する謝罪と懇願の土下座だ」
やっと聞こえるくらいの声の大きさだった。顔を上げずに言ってるし雨音も森の中に響いてるから当然だった。
「あんたほんとに勝手な人だな、懇願たって負けてくれって言いたいんだろ? それは昨日断ったはずだ。それにあんたは戦っても黒騎士が勝つと言って自信満々だったじゃないか、だったらわざと負ける必要はないじゃないか?」
女の人の土下座なんか見たくないから立ってもらった。体は土で汚れているけどこの人は払い落とそうとはしなかった。
「何かわけがありそうだな? とりあえず聞いてやるから言ってみなよ」
いつまでも黙ったままでいるから話が進まない。ここがどこかもわからないし、そうしないと対局に間に合わなくなる。
「実は、ブラクスには黒矢病に侵されていてもう時間がないのだ…」
「黒矢病…?」
黒騎士は呪いによって黒矢病というのを発病しているらしい。見えない矢が心臓に刺さっていて、普段は痛くもないが、矢が貫通したときに死んでしまうという。呪いがかけられた時期から計算するとその時期が近いらしい。
単純に言えば生きている間に頂点に立たせてあげたいがために昨日と今日のような出来事を起こしたようだ。アカシアの言ってることは嘘じゃないだろう。でもいきなりそんなこと言われても困る。
「そっちの事情はわかったよ。でもあんたが自信を持つほど黒騎士は強いんだろ? だったら普通に俺を負かせばいいじゃないか。その方が黒騎士だって嬉しいだろう?」
「それはそうだが…、実はブラクスは……」
アカシアが何か言いかけた時だった。後ろから足音が聞こえてきた。重厚な足音ではあるが軽い足取りにも聞こえた。
「アカシアよ、いるのか? 今日の勝負に勝てたら……、む、誰だお前は?」
俺を見るなり黒鎧を纏った男は黒鞘から剣を抜いた。黒い闘気が放たれる。アカシアの持っていた剣の抜く音とは違い、ブラクスのそれは重厚な音がした
「待てブラクス、この人はお前と勝負する人だ。怪しい者ではない、剣を収めよ」
アカシアがこう言うと黒鎧の男は疑う事もなくすぐに剣を収めた。一触即発の緊張感はどこかに行ってしまい、敵意を表していた顔も今は友好的な笑みに変わっていた。黒矢病の呪いにかかっていると言うが見た目は普通だ。
「ほう、という事は君が異世界からの客人か、お初にお目にかかる、オレ様はブラクスという名だ。ふむ、実際に見ると中々精悍な顔をしているな。今日はよろしく頼む」
ブラクスと名乗った男は畏怖を感じさせる見た目とは対照的に紳士的な態度だった。まずい、精悍な顔つきとか言われると敵視できなくなってしまう。アカシアの仲間だから油断できないのに。自分をオレ様と言うからには自分に自信を持っている証拠だ。噂通りこの人は強いのか?
「しかしアカシアよ、なぜお前が連れてきているのだ? 迎えにはコボルトの召使に任せたはずだが?」
「あ、ああ、まあよいであろう、細かいことは。こうして無事に連れてこれたのだからな」
迎えはアカシアじゃなかったって? じゃあ本当に全部アカシアの独断で黒騎士は何も知らないのか? だとしたら勇者の言った通り待ち伏せのような事はなかったんだ。そうなるとアカシアの行動だけに焦点を向けなきゃいけない気がする。
今ここで黒騎士にアカシアの今までの行動を言えばどんな反応をするだろうか。
黒騎士はアカシアを責めるんだろうか、それともよくやったとほめるんだろうか。
だめだな、そんなことを言ったら俺こそが卑怯者になってしまう。仲たがいさせるようなことは言えない。
「もう時間になるぞアカシアよ、客人を騎士の間までお連れするのだ。予定は滞りなく進めんと老魔導士のじいさんが五月蝿いからな」
用を伝え終えたのか、黒騎士はくるりと振り返りそのまま戻っていった。後ろ姿にはお前には絶対に負けないというような自身が漂っているようだった。
「あの人、呪いにかかってるようには見えないな? あの人は呪いの事知ってるのか?」
「ブラクスは呪いの事は知っている。だから今回志願したのだろう。最後にもう一つ言っておきたいことがある。ブラクスは勝負の時にモノクルをつけてくるだろう。そのモノクルは妾が作ったものでな。そのモノクルの性能は最善の行動を示してくれるのだ」
「最善の行動…? それはどういう…………」
最善の行動…、碁において最善の行動と言えば…、さ、最善手の事か⁉
じゃあモノクルを通して最善手を打てるって事なのか⁉ それじゃあまるでAIじゃないか⁉ AI棋力はプロを超えたと言われている。市販のゲームソフトだってその領域だ。じゃあ俺はトップ棋士と対局するようなもんか⁉
「そ、それはな、元の世界じゃあるまじき行為だ。反則、いや、反則以上だ。懲戒処分ものだぞ⁉」
アカシアの黒騎士に対する自信の正体はそういう事だったのか。宇宙のように広い盤上で最善手を見つけるなんて人間には不可能だ。しかしAIはそれを可能にしてしまった。
開けてはいけないパンドラの箱を人類は開けてしまった。そしてそれは囲碁にも持ち込まれてしまった。まさか異世界にまでそんなことが起こるとは…………。
「なぜそんな事を俺に教えた? 俺が不正を抗議するとは思わないのか? 不正によって失格になるのは黒騎士の方じゃないのか?」
墓穴を掘ったに等しいアカシアの言葉を突こうとしたが全く動揺した様子はなかった。さっきまでとは違い、余裕の笑みまで見せている。
「そなたは戦わずに勝利を手にして喜ぶ男ではないはずだ? それに命の時間が限られている男に不正を暴き、恥をかかせるような事も出来ぬであろう?」
命の時間が限られている? 黒矢病の呪いの事か?
なるほど、それで呪いの事まで俺に教えたのか。俺の心を揺さぶって動揺するのを狙っての事だ。悔しいけど囲碁で言うなら正しい手順という奴だ。アカシアも碁を打てばかなり強くなるだろうなんて思ってしまった。
「ああそうだ。失格で勝ったって面白くないし、盤上での弱点は突いても盤外での弱みに付け込むような事はしたくない。あんたの思惑通りだよ」
全部アカシアの掌の上で踊らされていたような気分だ。面白いじゃないか、どんな相手、どんな境遇だろうと受けて立つのが人間というもんだ。
俺はアカシアに勝負を受けることを伝えた。アカシアが一言、「恩に着る」と言ったことが意外だった。
今度は馬車が来るような音が森の奥から聞こえてきた。牧歌的な馬の足音が心を落ち着かせてくれる。
「これはこれは、アカシア様ではありませんか、今ウロ城に赤星殿を迎えに行ったのですが、赤星殿は姿が見えないとのことで引き返してまいりました。おや? そちらの見かけぬ方は…、もしや赤星殿…でございますか?」
一瞬ゴブリンかと思ったが少し違う。ゴブリンはこんな優しそうな顔をしていない。話に聞いていたコボルトの召使いなんだろう。馬車の運転が結構似合ってる気がする。俺とアカシアを交互に見回すと状況を理解したかのように特に何も言わなかった。何か誤解されたんじゃないかと心配になってしまうが。
「アカシア様、ここからはワタクシが赤星殿をご案内いたしましょう」
俺とアカシアの間にある緊張感が見えたのか、その場を穏便に取り繕うとしてくれたのがわかった。
「そうか、その方がよいだろうな。よろしく頼むぞ」
アカシアは俺と目を合わせることなく、横を通り過ぎ、森の動物のように木から木へと渡って行った。
「では赤星殿参りましょうか? 馬車に乗ってください。ここからそう遠くはありません、これは失礼、自己紹介が遅れました、ワタクシ、ブラクス様の召使でございます」
丁寧な挨拶からもわかる。ここから先には俺が思っているような事態は起こらないだろう。人ではない好々爺のような召使が操る馬車にも安心して乗ることが出来る。今改めてこの森を見るとおとぎの国の森みたいで幻想的だ。その森を馬車でのんびり移動するのも楽しい。
「では赤星殿、屋敷に着くまでにワタクシから囲碁の決闘のルールをご説明しておきましょうかな」
田舎のおじいちゃんと話してるような感覚になってくる。軽トラックの助手席に乗せてもらった時の事を思い出した。
「持ち時間は両者ともに無く、一30秒以内に打っていただきます。30秒以内に打たなければその時点で負けとさせてもらいます。あとはコミというのは六目半とのことです」
「一手30秒?」
早碁だ。なるほどそう来たか。早碁は得意でもなければ苦手でもない。自分でもまだ発展途上の分野だ。それにしてもルールは誰が決めてるんだ?
誰が決めてようが関係ないか。条件は同じなわけだし。
条件は同じでも黒騎士はいかさまをするとアカシアは言っていた。そのことを
この馭者は知らないように見える。ということは知ってるのは黒騎士とアカシアだけという事か。
コボルトの召使は言い忘れたことがあると言って、手番は黒騎士が黒、俺が白だそうだ。今回は両者のイメージからに合わせたという趣向らしい。それに対しては異議はなかった。
「赤星殿は異世界から来たツワモノと伺っておりますが、やはり相当なものなのでしょうなあ」
コボルトの召使はふんわりと話しかけてくれた。
「いやあ、それほどでもないですけどね………」
単なる世間話なんだろうけど悪い気はしない。
「この世界はいかがですかな? 赤星殿がいる世界と比べて」
なかなか応手に困る質問だ。どっちの世界にもよさがある。それにまだこの世界に来てそんなに経ってるわけじゃないし、快適なお城暮らしだし、ティーナちゃんとかいるし、でも一人で生きていけと言われたら正直そんな自信はない。うーん…、そう考えたら向こうの世界の方がいいような気もする…。
「そうですねえ…、この世界はエキサイティングで多分飽きることはないと思いますけど、やっぱり俺は向こうの世界の人間で、家族とか友達とかも向こうの世界にいるので………」
「なるほど……、よく比較と検討をされた答えというわけですな。いや、たいしたものです」
多分このコボルトの召使は何を言っても肯定してくれる。決して否定したりはしないんだとわかる。
「あの……、俺がこれから対局するブラクス……さん、は、どういう人なんですか?」
身近にいる召使なら、アカシアとは違う情報が得られるかもしれない。
「ブラクス様、ですか? そうですなあ、こんなこと言うと怒られてしまいそうですが、一言でいえば単純一途、でしょうかなあ。なんとなくワタクシの目には赤星殿と似通った部分があるかと思いますが」
「え⁉ 似通ってる⁉ そんなご冗談を……」
あの黒騎士と似通ってるなんて言われるとは………、テンションがた落ち……。
うなだれた俺を見てコボルトの召使はなんだか楽しそうにしていた。
結局俺はブラクス邸に着くまでうなだれたままだった…………。
続
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