第19話 パラディン
黒騎士の邸宅は立派な家、というか貴族の館だ。黒騎士が裕福な奴というのは一目瞭然だ。騎士の間に通されると室内には甲冑が置かれていたり、剣が×状に重ねられて壁に掛けれれている。そして一番目立つところにナポレオンの肖像画みたいに黒騎士の肖像画が飾られていた。
アカシアは黒騎士を頂点に立たせてやりたいと言っていた。そういう気持ちはわかる。二位はビリと一緒だと言う人もいる。銀メダルで悔しがる人もいる。
中ボスという位置づけの黒騎士はそれが我慢できないんだろう。魔王と碁ッドという目の上のタンコブがずっと黒騎士に影を作っていたんだろう。
だから卑怯なことが許されるのか? 不正が認められるのか?
「待たせたな客人よ、悪いが鎧を着たままにさせてもらうぞ、このほうが落ち着くのでな」
よく見るとトレードマークの黒鎧にはいくつも傷や補修したような跡がある。戦いの時にはこの鎧を着けていたんだな。自分は指示するだけで何もしないのかと思ってたけど。
黒騎士が盤をはさんで俺の前に座るとコボルトの召使が紅茶を持って来て、軽く会釈した後すぐに部屋を出た。
「ほう、何のためらいもなく口にするか…。見かけによらず肝が据わっているな。その若さで大したものだ。ここに来る客人は今まで誰も口にする者はいなかったがな。鍛えればよい騎士になれるぞ?」
ふん、俺はもう棋士だ。この紅茶に毒か何か入ってるかもしれないかと言いたいんだろうけど、あんたはそんなことはしないだろう。武力において下回る奴に限定されるかもしれないが。
「勝負についての事は召使から聞いたらしいな。おかげで話す手間が省けた。もうそろそろ時間だ始めるとするか」
黒騎士が黒石をつかみかけた時だった。
「ブラクス様、これをお忘れですが…」
慌てて中断させるようにコボルトの召使が入ってきて忘れものだと差し出したのは…、あれはモノクルか? アカシアが言っていた最善手が見えると言う…。
予定通り不正をしようというわけだ。
「…いや、これは必要ない、そこに置いておいてくれ」
え? 使わないのか? まさか正々堂々と戦うと言うのか…? どういう事かと考えている中にホワイティアイランドの時と同じ時計のような数字が浮かび上がった。浮かんでいるのは30という数字。持ち時間はなく一手30秒ルールだ。シースルーアイは使わない。これ以上の情報は混乱の元になってしまいかねない。
「オレ様が先だな。では行くぞ」
黒騎士の妙に落ち着いているというか、涼しげな表情が気になった。
黒騎士が打ったのは、15の…七…。
想像、夢にも出ないような手を打って来た…?
4の十六よりもさらに外側の位置、陣地とは結びつかないような手、天元と近いような手を打って来た?
囲碁の経験のない人に石を置いてもらうと中央寄りに打つことがある。しかし中ボスになるくらいだから初心者ではないだろう。
構わずに俺は対極方向の4の十六の星に打った。陣地にもなりやすく中央に対しても効力がある万能の一手だ。
「オレ様が打った15の七には大して動揺していないようだな。ならばこれはどうだ?」
迷いのない手つきで打ったその手は13の十五……、さっきの15の七の位置から下の方、90度傾ければ全く同じ位置。同様に確実に陣地にするには多くの石が必要になる。効率を考慮していない着手だ。
普通に考えたら二手空振りしたような手だ。
どういうつもりかしらないが、俺は確実な手を選ぶことにする左上隅4の四、初手と同様の手。
白番には六目半のコミがある。この時点でも地合いはリードだ。
ところが黒騎士は角度を変えれば前の二手と同じ位置になる手をさらに二度打った。
その隙を突くように俺は右上隅、右下隅と打ち四隅は全部こっちが占めた形になった。
なるほどそういうことか、これはブラックホール…………。まさかこんな布石を打つ奴がいるとは…。 あの時を思い出す………。
――――――――――……………………
「この布石どう思う?」
「太陽、ないだろこれは。序盤で早くも遅れてる感じだ」
棋士仲間との研究会ではよく布石の意見交換が行われる。布石は一局において柱となる部分。柱がしっかりしていなければ建物が崩壊するのは明らかであるのと同じで、碁においても布石が勝敗を決めると言っても過言ではない。
柱を地に着けるようにお互いに隅に打ち、まるで家の柱のように安定させて打つのがお互いにとって何の不満のない展開になる。
「太陽の考えたこの布石さ、完全に中央志向だよな。四隅を取られて戦うなって格言知ってるか?」
そんなことは知っているさ。基本中の基本じゃないか。囲碁とか将棋には勝つための指針のような格言がある。四隅を取られて戦うなという格言はトップスリーに入るくらい有名で重要な格言だ。
確かにこの中央志向の、隅から大きく離れた打ち方は格言に反している。
だから面白い。せっかくどこでも自由に打てるのにみんな同じことをしてるなんてつまらないじゃないか。
「ブラックホール」
「は? ブラックホール? なんだそれ」
「俺が今打った布石さ。中央に渦を巻いてるみたいだろ? 何となくこの巨大な渦の中に打ち込んでみたくならないか?」
「まあ…、そう言われりゃなんとなく…」
この布石は中央が巨大な陣地に見えてくる。なので、そうさせないためにはその渦の中に飛び込んでいかなければならない。白石が渦の中から脱出できれば白が。黒石が白石を渦の中に丸ごと飲み込めば黒が勝つ。
打つ方も打たれる方もハイリスクハイリターンの布石がブラックホール。
「負けました…」
「な? だから言ったろ太陽、格言通り四隅を取られたら厳しいんだって」
中央志向の手は面白いかもしれないけど勝てなければ意味がない。そう痛感した。けど俺はこのブラックホールには無限の可能性があると信じていた。
「……まさかそれを異世界でみることになるなんてね…」
「どうした客人よ? 独り言か?」
「すごい、この布石は並みの棋力じゃ思いつかない。相当な研究をしなければこの発想はできない」
どういうわけか黒騎士はモノクルを遣うのを拒否した。完全に実力で、正々堂々と戦おうとしている。騎士道精神というのは今の黒騎士にぴったりだ。
本気でやらなきゃ負けてしまうな。俺も全力でやってやる!
「ブラクス⁉ どういうことだ⁉ なぜモノクルを使わぬ⁉」
アカシアは樹上で騎士の間を盗み見していた。アカシアの視力は鳥と同等。自分の予想にない事態が起こっていることに、その理由を探すのに必死になっていた。
「客人よ、なかなか誘いには乗らないようだな…」
黒騎士はブラックホールの重力を完成させようと10の四、上辺の要点に構えた。
ブラックホールは確かに強大だ。しかしどんな攻撃も当たらなければ意味がないと言うようにブラックホールの布石もその渦に巻き込まれなければいいだけの話だ。
宇宙空間をブラックホールに近づかないで迂回するように黒石の外側に打つ。
4の十六に打った手から二路左の14の三の位置、小ゲイマジマリを打った。
黒はこの後の打ち方が難しい。四隅を取られている以上シマリを打つことはできない。
ただ相手のシマリを邪魔する。カカリを打つことはできる。
「ここでカカリを打てば渦を拡大できるしシマリも妨害できる。これありだろ?」
俺は棋士仲間との検討を思い出していた。試しに打ってみた研究会でのブラックホールは破られてしまったけど、ブラックホールは宇宙そのものだ。探せばいくらでも新しいことを発見できる。
【確かにな。太陽の言う通りここにカカられたら白は小ゲイマに受けるしかない。受けなきゃ反対側からもカカられちまうからな。かといって逆にハサミで受けると渦の中に飛び込む形になるからな】
宇宙は膨張しているとか聞いたことがある。ブラックホールもまた膨張していくように布石のブラックホールも膨張させれば有力な布石だ。
「……手堅く受けているな客人よ。流石というべきか」
黒騎士の余裕が消えていくのがわかる。黒はさらに右辺の要点16の十にも打ち、渦を膨張させたが、俺は四隅に打った星からそれぞれ小ゲイマジマリ打った。
その姿を宇宙に現れた四つの流れ星と呼んでいる。
『ニジュウビョウ…、5.6.7』
「チッ…!」
最初に秒に追われたのは黒騎士だった。四隅を二手連打されれば地合いの差がだんだんと出てくる。黒騎士はそこに焦りを感じて着手に迷っているようだ。
【四隅を三手連打されるともう確定地だよな。でもなんか小さい気がする】
棋士仲間の一人がぽつりと述べた。それはブラックホールの布石を認めた言葉だった。隅は効率よく陣地を作れる半面その規模は小さい。
ブラックホールはその真逆だ。辺から中央にかけての規模は計り知れない。
【一か八かだなこれは……。中央が巨大でこれが完成してしまえば地合いは黒の方がいいかもしれん…】
別の棋士仲間の言葉には畏怖の念が込められていた。そうなんだよ、それがブラックホールのいいところなんだよ。
一人また一人とこの布石のすごさを称賛してくれる。無敵の布石だと言う奴もいた………。
「……ふん、四隅は全部くれてやる。戦争においては小利を捨てて大利に着くのが定石だからな」
黒騎士の言う事は最もだった。碁も同じだ。部分的にこだわっていては勝ち目は薄くなる。常に広い視野が必要になってくる。
でもこれは戦争じゃなくて碁だ。碁には碁の戦術がある。
『ニジュウビョウ…、5.6.7』
俺も秒読みに追い込まれた。四隅に三手連打して隅の陣地は確定させた。
しかしその間に盤上には巨大な渦が口を開けていた………。
【俺も黒番の時はブラックホール使ってみっかな】
そんなことを言う棋士仲間がいたけどおそらくその場にいた棋士は全員そう思っていたような気がする。底なし沼と分かっていながらその真ん中に入っていく人がいないように、ブラックホールの重力の中心に飛び込もうとするのは命知らずだ。
『ニジュウビョウ…、6.7.8』
『ニジュウビョウ…、6.7.8』
俺と黒騎士はお互い秒に追われる展開になっている。俺もそうだが黒騎士も早碁の経験はほとんどないらしい。秒に追われると言うのは時限爆弾をセットされている感覚になる。時計を止めるか正しい手順で分解するか。早碁は両方こなさなければ即負けになってしまう。
「ブラックホール、オレ様はこの布石から展開されるのをそう呼んでいるのだが、客人も同じか?」
「そうだ、向こうの世界でもそう呼ばれている」
「なるほどな、オレ様の目から見たらこのままいけばわずかに黒が勝つと思うが客人はどう思う?」
くやしいがその通りだ。俺は手堅く打ち進めてきた。しかし言い方を変えればただ消極的に打って来ているともいえる。ブラックホールの渦に飲み込まれないために…………。
【ホワイトホール…】
【なんだ太陽? 今度は白い穴か?】
ブラックホールに飲み込まれてもホワイトホールというのが存在してそこから脱出できるのだと言う仮説がある。
たとえ飲み込まれても脱出の糸口は存在するんだ。
【太陽、ホワイトホールはいいけどこれ完全に封鎖されちまったぞ? お前的に言えば飲み込まれちまったってやつか?・・
研究会で今度は俺が白を持ち、ブラックホールの渦に飲み込まれる対局に臨んだ。
ブラックホールは自分で打つと巨大な剣をもった気になるが自分が食らう側になると重圧感がすごく、ブラックホールの重力そのものだ。
【中央の石全部飲み込まれちまったんじゃねえの? 地合いは超大差だぞ?】
確かに…、ブラックホールの中に飛び込ませた石は脱出させることが出来ず多数の石は中で生きることが出来ずそのまま飲み込まれた。
しかし光と影は表裏一体。飲み込む力があるのはブラックホールだけじゃなくホワイトホールにもあるんだ。
【四隅の白石が連携すれば白い渦に見えないか………? これがホワイトホールの本当の力だ!】
『ニジュウビョウ…、7.8.9』
俺はギリギリのところでブラックホールのど真ん中に打ち込んだ。それを見た黒騎士は、しめた、かかったな、と言いたげだった。
黒騎士は罠にかかった敵を仕留めようとするように白石に圧力をかけてきた。
一気に飲み込もうとしている。
『ニジュウビョウ…。7.8.9』
生死のかかった秒読に追われるのは厳しく黒石に完全包囲、封鎖されてしまった。
しかしこれは俺のイメージ通りの展開だ。
『ニジュウビョウ…、7.8.9』
時間ギリギリまで考えて慎重に打った手をみて黒騎士の顔に汗がにじみ出た。
黒騎士の心情はわかる。光すら通さないはずのブラックホールに光が差し込み始めたからだ。闇の中に差し込んだ光が光の剣となり、闇を切り裂いていった。
【マジかー! ブラックホールがホワイトホールにー!】
棋士仲間が落胆の色を隠せないのは当然だった。飲み込んだものを巨大な重力で押しつぶすブラックホールが逆に飲み込まれたのだから。
「……客人よ、初めからこれを狙っていたのか…?」
黒騎士の言葉にはこれまでの力強さがなくなっている。
黒石に包囲されている白石は確かにこのままでは生きることはできない。黒騎士はそう確信していた。
しかし包囲している黒石はいつのまにか白石に外と内から包み込まれていた。
「逆に切り裂いて、飲み込んでやればいいだけの事なんだ……」
「…なるほどな……」
逆に切り裂いて、飲み込んでやればいい、それだけで黒騎士は理解したようだった。
『ニジュウビョウ…8,9……』
「負けました…」
秒読みが終わる前に黒騎士は投了した。この先を打ち続けても差が広がるだけというのを悟ったからの投了だろう。姿勢よく、潔く頭を下げる姿は黒騎士という名前には似合わないものに感じた。
「ありがとうございました……」
俺もすぐさま返礼をした。黒騎士は強かった。最善手が見えると言うモノクルがどれほどの効力があったのかはわからないままだったが、そんなもの使わなくても黒騎士は強い。
「実はな、客人よ、オレ様は今日どんな手を使っても勝つつもりだったんだ」
黒騎士は立ち上がり机の上からあのモノクル手にして盤上に置いた。
見た目は店で売ってるような普通のモノクルだ。最善手を示すような機能があるとは思えない。
俺はこれがどういうものかを知っているがその事を黒騎士は知らない。
このモノクルがどういうものか、どんなことをしてでも勝とうとしていた理由とか、黒騎士はすべてを話してくれた。
モノクルを着けなかった理由が少し驚いた。それは俺が出された紅茶をためらいなく飲んだ事だと言う。
最初はおかしくて笑いそうになったけど、疑う事なく、正々堂々と構えていた態度を見て自分がやろうとしていたことが急に恥ずかしくなったらしい。
黒騎士は正直に白状してくれたのが俺は嬉しかった。
黒騎士じゃなくて聖騎士でいいんじゃないかと思う………。
―――――――――
「客人は無事に送り届けてくれたようだな。アカシアよ、ご苦労であった」
「そんな事はどうでもよい。それよりなぜだブラクスよ、なぜ妾が作ったモノクルを使わなかった? 勝ちたいのではなかったのか?」
騎士の間には先ほどの対局の余韻が残っていた。片付けられていない碁盤と碁石は両者の意地を表すように形作っている。
黒騎士は座って名残惜しそうに碁石を片し始めた。
「あの客人のおかげで最後に生き恥をさらさずに済んだ。感謝しなくてはな」
「フ…、皮肉を言うようで悪いが、黒騎士ブラクスの言葉とは思えんぞ?」
「人生と碁は似ている。絶えず変化していくものだ…。決めたぞアカシアよ。黒矢病の呪いがオレ様を葬るまではこの身、碁に捧げるぞ」
子供のように溌剌と微笑むブラクス。アカシアはその笑顔をようやく見ることが出来た。
続
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