第13話 雪の結晶

 赤星君とは未だに連絡が取れない。お店に確認してスマホの置き忘れではないらしい。まさか本当にどこかに旅に行ってしまったとか?

 今日は棋士仲間との研究会の最中だ。


「ねえ輪音、赤星君と連絡取れないんだってね。他の人もそう見たいよ? ご両親はそのうちひょっこり出てくるって言ってあんまり気にしてないみたいよ?」


 研究会で来美と対局していると世間話に花が咲いちゃうから研究会にならないのが少し困っちゃう。 


「そっか、家族の人がそう言うならそうなんだろうね。確かに赤星君て神出鬼没なとこあるよね」


 あははと二人で笑いあってるとほかの棋士たちが白い目で見てくる。でもそれは当然、研究会は棋力アップをするのが目的で遊びの場ではないんだから。それはわかってるんだけどついね。


「輪音知ってる? 赤星君て女流棋士との対局の勝率低いんだよ?」


「そうなの?」


 それはかなり意外かも。


「テレビトーナメントの対局でも赤星君一回戦であたしに負けたじゃん」


「ああ、そういえばそうだったよね。あの時話題になったよね」


 私もそのトーナメントに出ていて赤星君と来美とは別ブロックだった。わたしと来美は初出場でその嬉しさで頭がいっぱいだったからほかの人の結果とかはあまり気にしなかった。優勝したのはダークホース的な先生だったのは覚えてる。


 来美だってプロだから強いしこの子にしかない強さもある。けどあの赤星君に勝つというのは誰が予想していただろう。


「あたし赤星君と打ってる時さあ、わかっちゃったのよ。フツウに打ってても勝てないなあって。でもあたしだって意地があるからどんな手を使ってでも勝とうとしちゃってさあ、あの時シャツのボタンを外して前かがみになって打ち続けたの、チラッと赤星の顔見たら赤くなってたのよ、そのあと彼の打つ手は甘くなっちゃってあたしが何とか逃げ切って勝ったってわけ」


「あんたそれ色仕掛けじゃない…、あの時そんなことしてたの……?」


 来見が巨乳なのは周知の事実だ。プライベートだけじゃなくまさか囲碁にまで持ち込んでいたとは……。



           ――――――――――――――


「ちょ、ちょっと待ってスノーゴーレムさん⁉ 対局中だよ⁉ 着物を脱ぐなんて⁉」


 心拍数が急上昇している、まずい、あの記憶が蘇ってくる。来美さんとテレビトーナメントで対局して一回戦で負けたあの日の事を……。


「このままでは熱くて溶けてしまいます…、赤星さんはそんなひどいことを言われるのですか…?」


「しかしそんなこと言われてもですよ? ……わかりました、許可します」


  3三に打つ手は確かにいやらしい手ではある。だからといって服をぬがんでも…。すでに着物を脱いでいる音がする…、いかんいかん……。視線を上にあげずに盤に集中すれば問題ないはずだ。

 とはいえ今最大のピンチを迎えているのは間違いない、一手間違えたら負けてしまう。

 ぼんやりと見える体の輪郭からして全裸だ……、いかいかん、盤に集中だ…。

 スノーゴーレムさんは俺の3三の手に対して正しい方向で受けた。俺もこのまま3三から続けて打たなければ一手が持ち込みになってしまう。

 そのまま3三定石が終わると白の厚みが強大になってくる。そうなる前に手を打たなければいけない。ここだ!


「赤星さん……」


「はい? !!!!!ブーーーーー」


 しまったつい前をむいてしまった…、裸の女性を直視してしまった。しかも手が滑って全然意図してないとこに打ってしまった……、この地点は明らかに悪手……。

 この悪手の隙をついて絶好点に返してきた。

いかん白模様が膨らんでくる……。

 不覚にも何回か同じ手で裸に注意を向けさせられてそのたびに悪手を打ってしまった。気が付けば盤面はホワイティアイランド状態の白模様だ。術中にはまってしまった。

 打開するには危険を冒してこの雪原に飛び込むしかない。もし失敗すれば俺の黒石は凍死、成功すれば生還だ。

 

「赤星さん……」


「何でしょう⁉」


 もうその手は食わないぞ、視線を合わせずに返事をした。スノーゴーレムさんの棋力は白番だと初段以上になる感じだ。これ以上油断はできない。なんだかんだで持ち時間も半分使ってしまっている。終局まで行って地合いで勝つか、先にスノーゴーレムさんの持ち時間が無くなるかでしか勝ち目がなくなってきている。

 

「赤星さん……、私はこの対局に負けてしまったら消されてしまうんです……」


「え? 消される?」


 またなにか言い始めたぞ、それも俺の気を散らそうというささやき戦術だろう。

  

「わたしは生みの親である老魔導士様に言われました……、今日の対局に負けたらお前を雪に還すと……」


 だめだだめだ惑わされるな。色仕掛けの次は情に訴えかけるというのか。それは多分作り話だろう。そんな二の矢でくるなんて、思ってた以上に中ボス戦は手強い。

 危険を承知で打ち続けていった俺の黒石は何とか降り積もった雪を内側から溶かすようにして生還することが出来た。こうなれば他に憂いはない。

 その時だった。ぽたぽたと盤上に雫が落ちてきた。

 それはスノーゴーレムさんさんの目からに違いなかった。


「スノーゴーレムさん……?」


「ごめんなさい、赤星さんの石のサバキがお見事で、やはりわたしでは赤星さんには勝てません……、これで私は雪に還されてしまいます…」


「そ、それは……」


 俺の目的は碁ッドに勝つことでそれ以外にはない。しかしこんなことを聞かされたら少し考えてしまう…。涙を零した女性を前にしたのなら尚更に。

 俺の弱点は迷うと悪手を選んでしまう事だ。今そういう局面だ…。

 碁の局面は俺の勝勢になっている。このままいけば俺が数目勝つ

 

「最後に私の手を握っていただけませんか?」


「て、手を?」


 どういう事だ? 互いの健闘を讃えてという意味だろうか?


「別にいいですけど…」


 相手は裸のままだから視線は上げずに盤上に差し出された手だけを握った。

 ………こ、これは⁉ その時だった。


「……か、体が雪に⁉」


 握った手を起点にどんどん雪に覆われていく⁉ 瞬く間に雪に包まれてしまった俺は雪だるまになってしまった。う、動けない……、なるほど最初からこれが狙いか。

 実力で勝てばそれいい、しかし負けそうになるなら最後の手段として俺の動きを封じて手を打たせずに時間切れで負けにする。やってくれるぜ……。

 持ち時間は5分を切っている。このままいけば負けるだろう。


「ずいぶんと落ち着いてらっしゃいますね……?」


「そうか?」


「もしあなたが負ければ私はあなたを完全な雪だるまに変えてこのホワイティアイランドに雪の像として飾るように命じられています。この事を聞いてもまだ落ち着いていられますか?」


「……そうだな、それならそれでいいかもしれない」


 意外なことを言われてスノーゴーレムさんの方が動揺し始めた。


「そ、それでいいかもしれないとはどういう事ですか?」


「だってそれならそれで君と一緒にいられるって事だろ?」


 スノーゴーレムさんは言葉を失ってしまった。異性からの告白と思って驚いたのかあわてて着物を着た。見ると顔が赤く染まっている。


「ふ、ふざけないでください、私のような冷たい女と一緒にいたってうれしいはずがないでしょう⁉」


「冷たくなんかないよ、さっき君の手を握った時すごく暖かかったよ?」


 またしてもスノーゴーレムさんは言葉を失ってしまった。でも俺が行ったことは本当だ。雪で出来ているとは思えないくらいに暖かい手だった。生身の人間と変わらないくらいに。それに心の優しさも伝わって来た。


「ほ、本当に? モンスター達からは冷たい女だと言われて、誰も近づいてこなかったのに……」


 またスノーゴーレムさんはの目から涙が零れた。


「わたしはあなたの事を思い違いしてました…。老魔導士様から言われました。あなたはとてつもなくいやらしい女性の敵のような奴であると、だから遠慮はいらないと」

 

「とてつもなくいやらしい女性の敵……、ははは……」


 何ちゅうことを吹き込んでくれたんだ。ゴーレムは造った者の言葉を疑う事はないからなあ……。 


「でも、そうじゃありませんでした。わたしにも伝わりました。あなたの手の暖かさが……、心の優しさが……」


「誤解が解けたみたいで? よかったよ」


 よかったとか言ってる場合じゃない! あと10秒で時間切れじゃないか! 


「わたし自分が恥ずかしいです……、あなたは正々堂々としてるのにわたしは着物を脱いだりつまらない卑怯な手ばっかり使って……」


「いやいや、それはそれで楽しかったよ?」


  やばい! 残り5秒! 


「わたし……、人間に生まれてあなたに会いたかった……」


「え……?」


「……負けました……」


 3,2,1,俺の持ち時間のカウントが残り1秒のところで止まった。スノーゴーレムさんが負けましたと、投了を宣言したからだろう。

 スノーゴーレムさんは俺に会釈をした後、さらさらとした粉雪になり消えてしまった。

 

「か、勝ったのか?」

 

 雪だるまになっていた俺の体も元に戻った。しかし何で負けましたなんて言ったんだ…?

 あのまま行けば俺は時間切れで負けていたのに……。

 

『勝者、赤星太陽、中押し勝ち』


 どこからか声が聞こえてきたけど、この一回だけで後は雪の降る音が聞こえそうなくらいの静けさが残された。

 

「しんどかった……」


 こりゃ大変な仕事を引き受けてしまったみたいだ。まだ後二回戦わなくちゃならないわけだ。ひとまずコーヒーを飲んで気持ちを落ち着けることにした。

 盤上はそのまま残されている。白石を触ってみると、気のせいかもしれないけどスノーゴーレムさんの温もりが残っているような気がした。


「たーいよーさまあー、いらっしゃいますかー?」


 ドンドンとノックしながら俺の名前を呼んでいるのはイザベルちゃんの声だ。よかった、迎えに来てくれたんだな。あの子Sっ気があるから迎えに来てくれないかと思った。


「外は吹雪いちゃってますよー、えっと、どうでした? 勝ちました?」


 返事をする前にドカドカと入って来た。まだ対局中だったらどうするんだ。


「勝った勝った、勝ちましたとも」


「わーすごい! さすがたいよう様! やっぱりやる時はやる方だったんですね!」


 何となく軽い言い方なのが気になるがまあいいとしよう。


「もうお仕事はここまでですね? それじゃあ帰りましょっか? ……あれ? たいよう様どうしたんですか?」


「え? 何が」


「ここですよ、ここ、涙が流れた跡のような……、すいません、イザベルの気のせいですね、じゃあ行きましょう!」


 とんとんと目元を示してたので触れてみたら確かに濡れていた。これは自分の涙なのか、それともスノーゴーレムさんの雪の結晶なのかは自分でもわからなかった。


                   続

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