第21話 ライジングスター

 赤星君に電話しても今日もつながらなかった。赤星君にかけると一回じゃつながらないことが多い気がする。碁の時は取れそうな石が簡単につながってわたしを負かすのに。

 わたしは嫌われてるんだろうか?


「ねえ輪音、赤星君今日も出ない? こりゃ本格的に捜索願を出さないとダメかしらね?」


 来美は冗談で言ってるのか本気で言ってるのかわからないけど、確かにそうした方がいいかもしれない。…でもわたしは何となくわかる。

 近いうちに赤星君はひょっこりと姿を見せるような。そんな気がするの。


           —―――――――――


「老魔導士ちゃん! 碁ッド様の魂が天に向かうってどういうこと? それじゃもういなくなっちゃうみたいじゃない…」


「………マルリタ殿の思っている通りじゃ。碁ッド様はもともとこの世界の住人ではない。あの赤星太陽と同じ世界の住人、かつては、と言った方が正しいかのう……」


「じゃあ碁ッド様の魂が天に向かうっていうのは…」


 碁ッド様がこの世界の人じゃなかったなんて…、それにもう死んじゃってるって事なの…? 人は転生するって聞いたことがあるけど、碁ッド様も? 

 わたくし、もう何が起きているのかわからない…。

       

           ――――――――――――


 店内の賑やかな雰囲気とは正反対にこの席だけは静かな気配に包まれていた。


「………早かったな太陽、いつもぎりぎりで来るお前にしてはな。あの時もそうだった。4年前のタイトル戦の決勝の時を思い出すぞ、しっぽを巻いて逃げたのかと思ったがな」


「そう思われないために早く来てやったんだ。久しぶりだと言うのにずいぶんな言い方だな、空人。まさかこの世界に転生してたなんてな。と言っても俺もか」


 お互いに皮肉を言い合うが、不思議と四年ぶりという気がしない。


「お前は相変わらず図太い神経をしているみたいだな。お前はすっかりこの世界の住人のようだ。ウロ城は美女が多いからな。くくく……」


 空人は4年経っても変わってなかった。俺がなにか言うと憎まれ口で返してくる話し方も、顔を見ればいつも不敵な笑みを浮かべているところも…………。


「………太陽、腹が減ってるんじゃないのか?」


「まあな、まだ何も食べてないからな」


「好きなものを頼め、オレのおごりだ。腹が減った状態では満足に対局できないだろう?」


 そうかと思えば突然気遣いを見せることもある。そんなこいつに棋士仲間達はよく困惑していた。あいつは敵か味方かわからない奴だと。

 俺にとってはこいつは敵だった。恋敵と言う意味でだけど。輪音さんは空人の恋人だったから………。

 俺が遠慮なく注文すると空人は満足をしていたが、すぐにその顔を崩してテーブルの上にマグネットの碁盤と碁石を置いた。19路盤だが一回りぐらい小さい。俺達がよくファミレスで打っていたあの時の碁盤と碁石。まだ持ってたのか…。


「このマグネットの奴でやるのか?」


「そうだ、不満か?」


「まさか」


 空人と最後の対局がマグネットなんて俺達らしい。


「太陽、4年前の対局を覚えているか?」


「忘れたことはないな」


 空人の言う4年前の対局とは、当時新設された棋戦での決勝戦の事で、お互いに予選を勝ち抜いて決勝まで来て。優勝を決める対局の事だ。

 俺と空人はどっちが勝っても初タイトル獲得になる大事な一局。それだけじゃない。もし優勝出来たら空人は輪音さんと婚約するつもりだった。もちろん空人からきいたわけじゃない。空人が他の人に話しているのを偶然聞いてしまったんだ。


「あの続きからだ。再現できるな?」


「当たり前だろ?」


 並べたのは中盤戦が終わりかけていた局面、俺達が碁石を並べ始めたのを見た人達が遠目で見ている。見てる限りでは適当に並べているだけに見えるかもしれないが、実際は忠実に4年前のあの局面、空人が病気で倒れてしまった当時の局面まで再現されて行く途中だ。


「懐かしいとはいえ4年経った今でもあの時の事ははっきりと覚えているものだな。局面、対局室の空気、その場にいた人間、自分自身の心境、鮮明に頭の中に蘇っているぞ」


「俺もだ空人、4年前のあの時に戻ったみたいだな」


 周りの人たちが何か言ってるけど正直耳に入らなかった。今は空人の相手に集中したい。


「あの時、この局面ではどっちが優勢かわかっていたか?」


「ああ、お前だ空人」


 お互いに初のタイトル獲得がかかっている対局、そして空人は婚約を賭けた対局。

 空人の気迫はすごいものだった。

 当時の俺たちは実力伯仲、どっちが勝っても誰もが納得するのは間違いなかった。

 当時、新手として打たれ始めた大斜という手を俺は選んだ。タイトルがかかった決勝戦、研究途上の手で打ち進めるのはリスクが高い。研究途上の形という事は相手にとっても未知の領域、うまくいけば相手が致命的なミスをしてくれる可能性がある。

 しかしそれが俺の誤算だった。

 

「オレはお前が新手を打ってくるのは予想してお前以上に研究した。しかしお前はそのことには気が付かなかったな?」


「まあな、あの時は空人にしてやられたよ」


 生きている石だと思っていた俺の白石の一団が空人の絶妙の切りで思わぬ時に隅をコウにされてしまった。コウに負けたら白石の一団が死んで形勢は決定的になってしまうからコウは解消せざるを得なかった。

 

「おかげでお前がコウを解消している間に好点を連打することが出来た。この時点で差は開いていたな」


「ああ…」


 一手、さらに一手と、黒石と白石が4年前の対局を形成していく。


「さらにお前は動揺したのか、プロならば気づくべき筋を見逃し。さらにすぐに打つところではないところに打った。単純な手順前後と言う奴だ。お前のミスで右辺は完全にこっちのものになった。まだ60手程度しか進んでいなかったが、勝利を確信していたぞ」


確かに中盤に差し掛かる段階でこれだけの地合いの差を縮めるのはプロ対プロでは至難だ。終局まで逃げ切られてしまう。

 しかし碁には一局に何度か逆転のチャンスが訪れる。と言っても神がかったものじゃない。人には優勢意識と言うものがある。

 石と石がぶつかり合うのは一騎打ちのようなものだ。一歩も引くわけにはいかない。

 しかし戦況が優勢なら無理に張り合う必要はないと考え妥協してしまう。

 

「あの時空人は勝ちを焦ったな? すぐにわかったよ。厳しい手しか打たないお前が甘い手を打つんだからな」


 その時の手を盤上で示した。


「太陽の言う通り、あれが唯一の不覚だ」


 空人は優勢を意識しすぎてコウをやすやすと譲ったりと打ち進めていくうちに差は縮まりつつあった。しかしこのままいけばわずかながら空人が勝つ形勢だった。

 俺が心の中であきらめかけた時だ。

 空人はその場で意識を失ってしまったのは。

 あの時は何が起きたのかわからなかった。

 

「あの時はびっくりしたよ…。急に倒れるんだからな……。ずっと病気だったのか…?」


「ああ…、別にお前に言う必要などなかったからな」


 あの時は何で言わなかったのかと思った。しかし今思えば、俺が不必要に動揺すると思ったんだろう。空人は気を遣われるのを嫌う奴だったから。


「じゃあ、輪音さんは病気の事知ってたのか…? その…、偶然聞いちゃったんだけどさ、お前が優勝したら婚約を申し込むって…、病気とは関係ない事だけど…」


 この問いに空人の石を持つ手が止まった。そして、「あいつには話した」と答えた。棋士仲間の中では空人の病気の事を知っていたのは輪音さんだけだったのか…。

 すぐに病院に運ばれた空人はそのまま目を覚ますことはなかった。棋戦は一期目は無効となり二期目からまたスタートすることになった。

 

「図々しい男だと思っているのだろう? 病気の身でありながら婚約しようとするなど」


「そんなことないさ、空人らしい気がするよ」


 盤面は四年前の打ちかけられたままの局面に石が並べられている。空人はこの局面から俺との決着をつけようしている。


「一つ聞きたい。……輪音は棋士になったのか?」


「もちろんさ、それどころか今や女流最強だよ。空人譲りと言うのは変な言い方だけどな」


 今でこそ猛々しいまでの勢いの輪音さんだけど元気になるまでには時間がかかっていた。一時は棋士になるのをためらっていた。

 空人と輪音さんのことは親しい人たちの間でしか知られていない。輪音さんの様子で気付いてる人もいたみたいだけど。

 輪音さんは立ち直ろうとに碁の勉強に打ち込んでいた。碁が強くなるにつれて元気も取り戻し、そして棋士になった。

 

「そうか…、棋士になったか…」


 空人の顔は安堵しているような、初めて見るうれしそうな表情だった。

 空人は輪音さんが棋士になれるのかを心配していた。と言っても空人は誰にもそんな事は言わなかったみたいだけど。


「太陽、お前の飴と鞭の指導のおかげか?」


 空人はちらりとこっちを見た。


「え? 何言ってんだよ、お、俺は何もやってないって。み、みんなのおかげろ?」


 揺さぶりをかけるのが空人は巧みだ。盤上でも盤外でも。

 俺が動揺したの事に満足したのか空人は話を戻した。


「あの局面で打ち続けていたらどっちが勝っていたと思うか分かるか?」


「わずかに空人だろうな……」


「では今打てばどうなると思う?」


「やってみないと分からないな、そんな事は」


 あの一局は伝説の一局と呼ばれた。もしあのまま打ち続けていたらどうなっていたかをいろんな棋士達が議論を交わしていたが、俺は正直それが不愉快だった…。

 ある棋士は空人がここに打つつもりだった。ここにミスがあったとか。形成判断を間違えたとか、あなたたちに空人の考えがわかるものかと…。


「はあ…、はあ…、ご、碁ッド様⁉」


 後ろから聞き覚えのある声がした。若い女の子の声、とても慌てているみたいで息を切らせてここに現れた。


「マルリタ……? ここには来るなと老魔導士に言われなかったか?」


 マルリタ姫は人をかき分けるようにしてこのテーブルの前に来た。でもどうしてマルリタ姫がここに? 空人も予想になかったみたいだ。

 

「ごめんなさい…、最後にどうしても碁ッド様の姿を見ておきたくて…」


 最後? 最後ってどういう事だ? 


「なるほど、老魔導士から聞いたのか。それなら最後に教えておいてやる。天野空人。それがオレの名だ」


 言葉は相変わらず上からだけど、空人は今まで聞いたことがないくらい穏やかな口調だった。


「……天野、空人。すてきなお名前ですね。碁ッド様…、空人様はずっと教えてくれなかったから…。聞けて良かった…」


 朝見たマルリタ姫と同一人物とは思えないくらい…、いや、まるで輪音さんを見てるようだ。


「あの…、空人様…、最後まで、見ていてもいいかな…」


 胸に手を当てて、空人に何を言われても覚悟はできているという顔をしていた。


「……お前の好きにすればいい…」


 空人は素っ気なく言ってるけど本当は嬉しいんだ。子供の目のように輝いている。

 こういう目の時の空人は本当に強い。


「二度も無様な姿は見せられん。太陽、お前も全力で来い」


「ああ、当然だ!」


                      続

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