亜人の花婿

黒月水羽

第1話 路地裏の出会い

「亜人の国から花婿が来るらしい」


 今日何度目になるか分からない噂話を耳にしてベリータは顔をしかめた。さっきまで美味しく感じていた串焼きが途端に味気なく思えてくる。


「花嫁じゃなくて花婿?」


 その反応も何度聞いたか分からない。視線を向ければ買い物帰りらしい主婦が二人、食べ物の入った籠を片手に噂話に興じている。親しげに話す主婦の片方にはピンと天を向く兎の耳。亜人との交流が始まって長いニザルス王国では見慣れた光景だ。


 亜人とは耳や角、翼や鱗など、人とは違う部位を持つものをいう。

 亜人を差別する人間の国は多い。そんな中、ニザルス王国が当たり前に亜人と共存出来ているのは亜人が大多数を占める隣国、亜の国と平和協定を結んでいるからだ。

 といってもすべての問題が消えたわけではなく未だに差別意識は残っているし、もめ事だって日常茶飯事だ。国交が深まった結果、文化や価値観の違いからトラブルが起こる頻度も増している。中には不満を覚える貴族やら商人もいるため、それらを黙らせるために行われるのが協定強化。という名の王子の婿入りである。


「王子といっても訳ありみたい。体のいい厄介払いってやつ」

「それは結婚しなきゃいけない姫がお気の毒ね」

「大丈夫、姫の方も訳あり。なにせあの引きこもり姫だから」


 話している人も場所も違うのに、なぜ同じ流れになるのだろうとベリータはため息をついた。残っていた串焼きの肉を乱暴に食べきると、広場の隅の方に設置してあるゴミ箱に放り込む。そのまま人通りの多い広場を後にして路地の方へと足を進めた。

 これからしばらくはどこにいっても王子の婿入りの話で持ちきりだろう。噂話を探るのもベリータにとっては必要なことだが、こうも同じ話ばかり聞いていると頭が痛くなってくる。


「公式の発表はまだなのに」


 一体どこのアホが漏らしたのか。そうぼやいてみても広まってしまったものはどうしようもない。大方、親が築いた金と地位で贅沢三昧している令嬢たちが面白おかしく広めたのだろう。


 このたび亜の国の王子と結婚することが決まったのは公には顔を出さず、公務も行わず、王城の離れに引きこもって出てこないと王女。ついたあだ名は引きこもり姫。暇を持て余し気味な令嬢たちが噂話に花を咲かせるにはピッタリな存在だ。

 こんな国に婿入りしなければいけない亜の国の王子が不運に思えてくる。といってもベリータには関係のないことだが。


 路地を進んでいくとにぎやかな声が遠ざかる。自然に息がもれ、朝から聞こえ続けていた無遠慮な噂話に思いの外疲れていたのだと気づく。

 顔も名も知らぬ相手とはいえ馬鹿にされている様を何度も耳にするのは気分が悪い。まだ昼間だが、気分転換に酒でも飲もうか。そんなことを考えながら歩いていたベリータは角から勢いよく飛び出してきた人物と危うくぶつかりそうになった。


 職業柄危険にはなれている。商売敵かと距離をとり、腰に差した短剣に手を伸ばしたが引き抜くことなく手を止めた。

 ぶつかってきた相手はどう見ても素人。埃っぽく薄暗い路地裏には不釣り合いな真っ白な服。目深に被ったフードで顔立ちは見えないが服と同じく白い髪が覗いている。


「いてぇ……」


 つぶやかれた声は思ったよりも低く、見慣れない異国の服で体型が分かりにくいが男のようだ。尻餅をついたままだった男は勢いよく顔を上げベリータと目を合わせた。

 怒りの表情を浮かべた男、いや少年は眉をつり上げベリータをにらみつける。年下だろうか。造形は整っているが幼さも残されているため睨まれても怖くない。それよりも頬にある鱗が気になった。肌と同じく白いため分かりにくいが亜人に違いない。

 さらに目を惹いたのは薄暗い路地裏で見るには勿体ないほどに澄んだ青い瞳。今まで見てきた宝石や装飾品の数々とは比べ物にならない輝きを放つそれから目が離せない。


「おい、ぶつかっておいて謝罪もないのか。これだから人間は」

 

 儚げな白い相貌から出たとは思えない低く、不躾な言葉に再びベリータは固まった。少年の気持ちに合わせて大きく揺れる尻尾を見て目眩を覚える。鱗に覆われた尾は人間にはあり得ないもので、蜥蜴族のものに比べると太く大きい。フードに隠れて見えにくいが人間でいう耳の部分には角のような固いモノが生えている。


「こんなところに何で竜人族がいる……」

「いちゃ悪いのか!」


 悪い。ものすごく悪い。

 亜人とは様々な種族を一括りにした総称だ。獣人と言われる獣の特徴を持つ者たちですら猫、犬、兎など、様々な種が存在する。その中でも頂点に君臨しているのが竜人族。丈夫な体に鱗の生えた大きな尻尾。丈夫な角に爪を持つ。腕力だけでも他の種族から抜きん出ているが、竜人族は魔力量の多さでも有名だ。


 未だ人間と亜人との間に隔たりが多い中、ニザルス王国と亜の国が協定を結ぶことことが出来たのは亜の国を治めているのが竜人族であるということが大きい。敵に回すよりは味方にした方がいい。そうした考えから何代か前の王が単身で亜の国に乗り込み平和協定を提案したと聞いている。


 つまり、竜人族というのは人間でいうところの王族に近い地位にいる。自国から滅多に出てこないことでも有名で、人間が治める国の王都の路地裏にいるのは不自然。というかありえない。

 亜の国から花婿がやってくるのは明日だと聞いている。平和協定を深める大事な国交だ。遅れるリスクを考えれば前日に到着しているのはおかしなことではない。と考えれば、目の前にいるのは本日、嫌というほど噂話を耳にした花婿に違いなかった。


 周囲の気配を探るが、少年以外に誰かが隠れている様子はない。大通りの方からは変わらず賑やかな声が聞こえてくるが、ここは人通りの少ない裏路地。異国の王子が偶然迷い込む場所とは思えなかった。


「……亜の国から一人で来たのか?」

「……一人だ」

 さっきまで威勢良くこちらをにらみつけていた顔がそらされる。ウソが下手だ。


「護衛は?」


 ビクリと少年が肩をふるわせた。なぜバレたと表情が告げているが、いくらフードで角を、手袋と靴で爪を隠しても大きな尻尾が隠れていない。不安を感じて左右に揺れる尻尾を見ていると、見た目通り精神も幼いのだろうと察せられた。

 亜人は人間よりも長寿な種も多い。竜人族もその一つで見た目と実年齢が一致しないという話を聞いていたが、少年の場合は見た目通りだと思って良さそうだ。


「亜の国から花婿が来る話は王都中で噂になっています。そんな目立つ尻尾をもった人間なんていません。すぐに王家に嫁ぐ花婿だと気づかれるでしょう」


 少年は唇を噛みしめた。悔しそうな顔でベリータを見上げる。年下の少年を苛めている気分になり多少の罪悪感が浮かんだが、このまま放置するわけにはいかない。下手すると外交問題に発展する。そんなの一般市民のベリータには荷が重すぎた。


「どこにお泊まりですか? お送りしますから」


 そういって未だ尻餅をついたままの少年に手を差し出す。少年はベリータが差し出した手をじっと見つめて小さな声で何かをつぶやいた。あまりにも小さな声にベリータは眉を寄せる。「何かおっしゃいましたか?」と問いかければ再びにらみつけられた。


「嫌だといった。俺は王城にはいかない。結婚なんかしない! 逃げる!」


 決意のにじんだ声にベリータは言葉を失った。冗談ではないと引き締められた口、揺るがない瞳が訴えかけてくる。

 後ろからは相変わらず賑やかなざわめきが聞こえてくる。路地裏にいるベリータと少年になんか気づかず、今もどこかで誰かが好き勝手に噂話に興じているのだろう。当人の気持ちなんて少しも考えず。


「路地裏なんて入らなきゃ良かった……」

 ベリータは深いため息をついて天を仰いだ。

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