第4話 精霊魔法

 次の日、ベリータが酒場ヴァハフントに顔を出したのは夕刻だった。すでに営業を開始している店内は騒がしくベリータがドアを開けて来店すると、ベルの音に気づいた常連たちがベリータに片手をあげて挨拶した。ベリータもそれに答えながら店内を見渡す。

 仕事をするのが趣味という奇特な性格をしているルブラは今日もエプロンに身を包み、テキパキと接客をしている。ルブラは毎日出勤しているわけではないのだが、それが逆に特別感があるとルブラが店を手伝っている日は男性客が多くなる。今日もルブラのそつない接客に鼻の下を伸ばす独身、中には既婚者男性が見受けられ、繁盛しているようだなとベリータはカウンター席に座った。


「シロは二階か?」


 ちょうど注文された料理を持って現れたアーデオに声をかけると、アーデオは楽しげに笑う。どこかいたずらっ子のような反応は初対面ではほぼ間違いなく子供に泣かれる巨漢にはアンバランスでベリータは目を瞬かせた。


「そっちの隅の方見てみろ」


 言われたままに店の隅の方に視線を向けると子供たちが固まっている席がある。ここでは何人かの子供たちを預かっている。ほとんどは亜人だ。

 ニザルス王国は亜人を受け入れているが、人間と共存するための環境が整っているとは言いがたく、施設によっては亜人を受け入れてくれない場所も多い。その一つが託児所である。亜人の子供は大人よりも力の制御が甘く、子供同士の些細なケンカであっても人間側に大きな怪我をさせてしまうケースがある。それを恐れた多くの託児所は亜人の受け入れを拒否しているため、ただでさえ少ない託児所からあぶれると子供を預ける場所がないという問題がある。


 知らぬ間に知らない子供が増えていることに気づいてベリータは顔をしかめた。これは早急に亜人を受け入れる託児所を増やすように進言しなければと思っていると、その中心に少年が混じっていることに気づいた。


 見たことがない少年だ。緑の髪に金色の瞳。顔に浮かぶ鱗は緑色で、尾も緑色。蜥蜴族によく見られる髪色と鱗の色だが、なんとなく既視感がある。しかしながらベリータはこの少年を今まで見たことがない。

 子供たちの中心になって何やら本を読んであげているらしい。ニザルス王国の識字率は残念なことにそれほど高くない。本も高級品で、子供を預かることが決まったときに必要だろうと姫経由で用意したものの、読める人間がほとんどおらず結局使われなくなったという悲しい経緯がある。それを当たり前のように読んでいる姿からみて少年に学があるのは明白だ。となると、一体どこからこんな逸材を見つけてきたのかという疑問がわく。


「知らない間に従業員でも雇ったのか?」

 ベリータが聞くとアーデオがニヤリと笑った。いつの間にかカウンターに戻ってきていたルベラも珍しく笑みを浮かべている。


「シロさんですよ」


 ルベラの言葉をベリータはすぐに理解出来ず一瞬呆けてから、慌てて少年へと視線を向けた。

 自分が話題に上がっているなんて少しも気づいた様子はなく少年は子供たちに本を読み聞かせている。言われてみれば造形はシロと同じだ。しかし髪色が白から緑に、瞳は青から金色に変わっている。同じ顔立ちでも色味が変わるとまるで違った人に見える。何より竜人族の特徴である耳から生えた角のようなものが消え、大きな尻尾も蜥蜴族と同じほどに小さくなっている。


「シロの坊ちゃん、精霊魔法の使い手らしい。竜人族じゃ目立ちすぎるって言ったらパパッと姿を変えてくれた」

「……それはすごい」


 驚きすぎてそれしか言えなかった。姿を変える魔法は精霊魔法の中でも難しい部類のものだ。下手なものだと持続が出来ず、すぐに変身が解けてしまう。しかしシロの場合は不安定な魔力の綻びがまるで見受けられない。


「離宮は娯楽がなかったので暇つぶしに魔法を練習していたそうです」

「暇つぶしで出来るレベルか……?」


 精霊魔法は素質が必要だ。この世界に生きる生物は生まれた瞬間、精霊から加護を与えられる。ベリータの場合は火の精霊に好かれたため、火属性の魔法を使うことが出来る。多くの者は一つの属性しか与えられないが、ごく稀に複数の精霊に好かれることがある。その珍しい二属性持ちがエリューラ。彼は光と風の精霊に愛されたため、二つの属性を使うことが出来る。


 姿を変える魔法は光属性の加護を必要としたはずだ。属性の中でも光と闇は珍しい。竜人族で目を惹く容姿をしており、光属性持ち。亜人売りが大喜びしそうな要素を嫌というほど積み重ねているシロにベリータは頭が痛くなってきた。


「……アイツ、ここで保護しておいた方がいいんじゃないか?」

「ベリータがそうした方がいいと思うのでしたら止めませんよ」

「俺としても、あの坊ちゃん外に放り出すより側で見てた方がいい気がするけどな」


 独り言に肯定が返ってきてベリータは複雑な気持ちになった。危険性を考えるならばこのままベリータが匿っていた方が安全なのだが、シロはそれをよしとする性格ではないという確信があった。閉じ込められる窮屈さをしった者が自由になれる可能性を知って飛び出さずにいられるはずがない。

 なにより、本人の意志を無視することはしたくない。守るためであったとしても、本人が了承していないのであればそれは感情の押しつけでしかない。


「エリューラが知ったら激怒しそうだな」


 稀少な二属性持ちということで魔法に関してエリューラは自信がある。力ではレイネス、アーデオに勝てないが魔法なら負けないという本人にとっては必要不可欠な要素なのだ。それが脅かされる可能性があるとすれば、ただでさえベリータ以外に噛みつき回る性質も合わさって黙ってはいないだろう。


「レイネスとエリューラとは会ったのか?」

「まだですね」

「レイネスが仕事終わりによるって言ってたから、もしかしたらそろそろ……」


 そう言うと同時に来店を告げるベルが鳴った。タイミングなだけにベリータは嫌な予感を覚えつつドアへと視線を向ける。そこには腰に剣をを下げたレイネスと目立つ黄金の翼を威嚇するように広げたエリューラの姿があり、思わずベリータは額を押さえた。


「き、貴様!? なんで、それ!?」


 魔法の使い手は感知も上手い。入ってそうそう、魔法の気配に気づいたらしいエリューラはすぐさまシロに気づいて大声を張り上げた。ベリータにはすぐに見抜けなかった魔法に入るなり気づいたエリューラに感心すると同時に、面倒なことになったという気持ちが湧き上がる。現実逃避に「酒」と注文するとすぐさまルブラに水を出された。現実逃避もさせてくれない。


 エリューラは大声に固まる周囲を無視して、肩どころか翼も怒らせながらシロに一直線に向かっていく。シロの周囲に固まっていた子供たちは怯えた様子でシロに抱きついていた。ずいぶん懐かれたらしい。

 レイネスは状況が分からないらしくベリータの側に寄ってきた。止めるべきかと視線で問いかけてくるので頭を左右に振っておく。一度やり合わないとエリューラは納得しないだろう。


「お前、使えるのか」


 一応、魔法という言葉を使わない理性は残っていたらしい。両手を腰に当てたエリューラが高圧的な態度でシロを見下ろした。シロは意味がわからなかったらしく少しの間を置いてから「まあ、少しは」と答えた。

 その返答にベリータは思わず大きなため息をついた。


 姿を変える魔法は光属性の魔法の中でもかなりの上位だ。それを平然と使っておいて、少しのわけがない。

 案の定、エリューラの顔が怒りで染まった。エリューラからすればバカにしたように見えたのだろう。「今に見てろよ田舎もの!!」と怒鳴ると入ってきた時よりも早く、風を切るように酒場を飛び出していった。


 残された者たちは分けもわからずエリューラが消えたドアを見送った。ドアのベルがカラン、カランと軽快な音を立てるのがまた微妙な気持ちになる。

 シロは唖然とドアを見つめた後、ベリータの存在に気づいたらしく「なにあれ?」と視線で訴えかけてきた。ベリータはどう答えるか迷った結果、肩をすくめる。エリューラの内心を丁寧に説明するなんてお節介を焼けば、エリューラがさらに意固地になるのは目に見えている。年も近いようだし、問題は二人で解決してもらおうとベリータは半ばさじを投げた。

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