第5話 ベリータの夢
「追いかけた方がいいかな?」
「今は冷静じゃないだろうから放っておけ」
エリューラが去っていったドアを見つめるレイネスにベリータは手をひらひら振って答えた。あの様子では空を飛んでいるかもしれない。レイネスの鼻なら見つけられるだろうが追いつくには時間がかかるだろう。仕事終わりに追加で仕事を頼むのはベリータの主義に反する。それにシロにレイネスの紹介をしなければいけない。
ベリータは立ち上がりシロの方へと向かう。何も言わなくてもレイネスは意図をくんだらしく黙ってついて来た。付き合いはルベラの次に長い。いちいち説明しなくてもこちらの意図をくんでくれる大変有り難い仲間である。
「シロ、仲間の一人が迷惑をかけた」
ベリータが近づくと子供たちが目を輝かせた。遊んであげたい気持ちもあったがシロと話をしなければいけない。どうしようかと思っていると気をつかってルベラがお菓子とジュースを持ってきてくれた。子供たちの興味は一瞬でベリータからお菓子とジュースに移る。分かりやすくて少々悲しい。
「有翼人、初めて見た」
シロはエリューラが消えたドアの方を眺めながらポツリとつぶやいた。
背中に大きな翼が生えている有翼人は亜人の中でも珍しく、場所によっては信仰対象とされている。それと同じくらい売買も盛んであり、多くは隠れて暮らしているため堂々と市街にいる有翼人はかなり珍しい。ベリータもエリューラ以外の有翼人は見たことがない。
「色々な色の翼があると聞いていたが、黄金の翼は初めてだ」
「私もエリューラを初めて見たときは驚いた」
シロの隣に腰掛ける。シロはビクリと肩をふるわせて少し距離をとった。昨日会ったばかりだし警戒されるのは仕方ないとはいえこうも分かりやすいと悲しくなる。けれど顔には出さずベリータは何事もなかったように話を続けた。
「先ほどの有翼人はエリューラ。仲間の一人だ。そして同じく仲間のレイネスだ」
「初めまして」
立ったままのレイネスがにこりと笑う。レイネスは穏やかな好青年に見えるのでシロの警戒は少し緩んだようだった。一瞬、シロの視線がレイネスの欠けた耳に向いたがすぐにそらされる。
「亜人も仲間なんだな」
「ここは人間と亜人が共存する国、ニザルス王国だからな」
当然だろという顔でいうがシロは微妙な反応をした。平和協定強化のために他国に半ば売り飛ばされた身の上だ。離宮に閉じ込められていた箱入り王子でも共存が上手くいっていないことは察しているらしい。
「お察しの通り、共存といってもすべてが上手くいってるわけじゃない。この酒場は亜人も人間も大歓迎だが、亜人お断りの店も多い」
そういいながらベリータは店内を見渡した。
仕事終わりの人間と亜人が同じテーブルを囲んで酒を飲み、笑い、話に花を咲かせている。そこだけ見ると人種の垣根などないように思えるが、この共存はこんな小さな酒場の中でしか成立しない。外に出れば亜人差別は当たり前のように行われている。それで人と亜人が共存する国とうたっているのだから反吐が出る。
「この国は亜人だからっていきなり襲われたりしないんだな」
ポツリとシロは告げた。その言葉にレイネスが深く頷いた。
「外は怖いところだって散々言われてきた。人間に捕まったら鱗をそがれて、爪を折られて、体は残さずバラバラにされて売られるって」
「散々ないいようだな」
とベリータは肩をすくめたが、それが現実に起こることを知っている。シロのような稀少な亜人であればなおさらだ。
「昼間、ルベラさんの買い物についていった。マントで尻尾を隠さなくてもいいと言われて驚いたが、蜥蜴族が歩いていても誰も気にしなかった」
シロにとってそれは驚くべきことだったようだ。
「道を歩いてるくらいじゃ注目されないさ」
本来の髪色、尻尾と角があれば別だろうが、蜥蜴族は市街にあふれる亜人だ。町ゆく人にとって亜人がいることはもはや日常となっている。それでも差別は残っているが、亜人というだけで石を投げる他の国よりは大分マシだろう。
「亜人と人間の共存なんて夢物語だと思っていた。亜の国では未だに人間は恐ろしく狡猾で、卑怯だと言われているから」
「協定国なんだが」
そうはいってみたものの、亜人からすればそうなるのも仕方ない。寿命や体格、魔力など、亜人の方が人間よりも優れた点は多い。それにも関わらず亜人が追いやられているのは人間の数が圧倒的に多いことと、人間が手段を選ばなかったことが大きい。罠も毒も魔法も、とにかくありとあらゆる手段を用いて己よりも強い種族を皆殺しにした。そうした歴史は至る所に残っている。ニザルス王国も平和協定が結ばれるまでは亜の国と緊迫した状態が続いていたと歴史書に残されている。
「俺たちは本当に共存できるんだな……」
「なんだ、にーちゃん他の国からここに来たのか」
唐突に赤ら顔の男がシロに絡んできた。ずいぶん飲んだらしく上機嫌で、まっすぐ立っていられないらしく体はふらふら揺れている。立ったままだったレイネスが見かけて体を支えた。頭上にはレイネスと同じ犬の耳がピンとたち、尻尾はぶんぶんと左右に揺れていた。
「ここはいいとこだぞ。嫌な奴が全くいないってわけじゃねえが、他の国よりは断然いい。石は投げられねえし、仕事ももらえる。いろんな場所を渡りあるかなくていい」
上機嫌に男はそういうと持っていたぶどう酒をゴクリと飲んだ。背後で仲間らしい人間と亜人が「よい飲みっぷりだ」とはやし立てる。
「これもベリータちゃんたちが俺たちのために走り回ってくれてるおかげだ!」
「まだまだ力不足だよ」
「そんなことはない! お陰で俺は女房と子供を食わせてやれるんだからな!」
男はそういって笑うと衝動のままにベリータに抱きつこうとした。見かねたレイネスが男を羽交い締めにする。背後から「それは駄目だよ」「酔っ払ったフリして抱きつこうとするな」と笑い声があがった。
「……好かれているんだな」
「何でも屋の仕事でな。亜人は役所に文句いってもまともに取り合ってもらえなかったりするから、代わりに私が文句をいいにいくんだよ」
本来ならば国がどうにかすべき問題だが、貴族には未だ亜人差別派の人間が多い。平和協定は戦争を避けるための建前で、本気で共存する必要などないと愚かなことを言っている。今や亜人はニザルス王国の貴重な市民であり労働力であると自覚していないのだ。
「なんでそこまで亜人に親切なんだ。お前に得があるのか?」
思ったよりも真剣な声音がしてベリータは驚いた。見れば金色の瞳がまっすぐにこちらを見つめている。意志の強そうな澄んだ瞳をしているが、本来の青を知った後だともったいない気持ちになった。魔法で色を変えていなければ、煌めく美しい青が見えただろうにと。
「得はないな。強いて言うなら夢だ」
「夢?」
シロが首をかしげる。かすかによった眉、幼い表情にベリータは笑いそうになった。
「お前が人間が恐ろしい存在だと教え込まれたように、私も亜人は凶暴で恐ろしく、人間など鋭い牙と爪であっさり殺せてしまうのだと言われて育った」
シロは自分の手を隠すように握った。分厚い手袋で覆った下には鋭い爪がある。それが人間をあっさり切り刻めてしまうのは事実だ。
「けれど、ニザルス王国は亜人と共存している。恐ろしい存在だと言いながら隣人であるというんだ。おかしな話だろ」
ベリータの言葉にシロは目を瞬かせた。今まで考えたこともなかったという顔だ。
「……それは戦争をしないための建前だろ」
「建前だとしても、私達は協定を結んだ。平和に仲良く人間と亜人で協力しあって生きていこうと。それにより人間の国に亜人がやってきて、亜人の国にも人間が移り住んだ。それからは大きな戦争もなく仲良くやっている。もう恐ろしい存在ではない」
ベリータは言葉を区切る。
「それなのに、未だに人間の子供に亜人は恐ろしい存在だと教えるんだ。おかしな話だと思わないか?」
シロは黙り込んだ。それから未だにぎやかな店内を見渡す。
いつのまにかレイネスは酔っ払いの集団に巻き込まれ、一緒になって酒を煽っていた。そこには人間の姿もある。
シロに絵本を読んでもらっていた亜人の子どもたちはカウンター席でお菓子を食べてはしゃいでいた。それを微笑ましく見守っているのは人間のルベラとアーデオだ。
それがこの酒場の中では当たり前だった。
「私はもう亜人を怖がる必要はないと思っている。むしろ頼もしい隣人だと本当の意味で肩を並べたい。そんな未来が見れるなら、私はいくらでも走り回る」
「……だいそれた夢だな」
呆れた顔のシロにベリータは笑いかけた。
「シロは見たくないか?」
「……夢物語過ぎて想像ができない」
そういいながらシロはじっと周囲を見つめていた。人と亜人が入り乱れ、同じ空間で笑い合う姿を。
「夢を語るには俺はあまりに無力すぎる」
独り言のようにつぶやかれた声にベリータは何も返さなかった。それは本来、口に出す気のなかったシロの本音のような気がした。
眩しそうに細められた瞳が羨ましいと語っているようで、ベリータは胸の奥がギュッとした。
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