第6話 シロの日課

 シロの一日は部屋の換気から始まる。窓を開けると朝の日差しとともに心地のよい風が吹き込んできて、魔法で変えた緑の髪を揺らす。朝の空気を吸い込むとシロの顔の横を何かが通り抜けた。


「おはよう。今日も元気そうね、白い子」

「今日もお招きありがとう。愛しい子」


 そういいながらシロの周りをクルクルと回るのはこの町に住む風精霊だった。よくシロの部屋に顔を出す精霊は人に近い形をしているが、動物の形をしていることもあれば、形容しがたい形をしている者もいる。大きさも知能も様々で、シロの元にやってくる彼女たちは会話が成立する分、それなりに長く生きているようだ。

 といっても精霊がいつからいるのか、どうやって生まれたのかは分からない。ただ彼ら、彼女らは精霊以外の生き物が好きらしく、様々なものに加護を与える。その加護の力を借りて発動するのが精霊魔法だ。


 簡単な魔法であれば生まれたときに与えられた加護で発動できるが、上級魔法となるとそうもいかない。そのため精霊魔法の使い手は精霊に感謝を忘れない。精霊の好む物を身に着け、毎日欠かさず感謝と祈りを捧げ、見えない精霊に対して想いを伝えるのだ。

 しかし、シロの場合はそうした面倒な事をする必要がない。生まれたときから、多くの者には見えない精霊が見えているからである。


「今日も綺麗にお掃除するの?」

 窓枠に座って足をパタパタと揺らす風精霊が楽しそうに笑う。精霊は綺麗好きなためそこには願望が含まれる。


「俺も綺麗好きだからな」


 シロの返答がお気に召したらしく風の精霊は二人でクスクスと笑い合った。他の部屋を換気するために部屋を出ると一緒についてくる。

 廊下の窓、現在は使われていない宿泊室を一つ一つ開けていく。アーデオの自室以外の窓を全て開けたら一階に降りる。風が吹き込むたびに風精霊は嬉しそうに笑い、空中でダンスした。

 家中の窓を開け終わったら裏手から外に出て井戸水を組む。アーデオが起きてくる前に掃除を終わらせてしまいたい。


 井戸には水の精霊がいて「おはよー」とシロに声をかけた。シロが返事をすると水の精霊は嬉しそうにはにかむ。

 アーデオは無骨な見た目に反してきちんと精霊を信仰しているらしく、井戸には精霊が好むキラキラした石が置いてある。持ってきた布巾で石を磨くシロを水精霊はにこにこと眺めている。風精霊の「いいなー」という声が聞こえたので、近いうちに風精霊用の石を用意しようと思った。


「今日も水を綺麗にしてくれてありがとう」

「こちらこそ。今日も石を磨いてくれてありがとう」


 水精霊は優雅に礼をする。舞踏会に混ざっていても不思議じゃない美しい礼を見て、この町の精霊たちはみな優美だなと思う。自国の精霊たちはよく言えば活発、悪く言えばお転婆の者が多かった。精霊は住む場所によって性格や性質が違うと本で読んだ知識を思い出し、遠くに来たのだなという実感がわく。


「お掃除するのよね、白い子」

「綺麗にするのよね。可愛い子」


 井戸で水をくんでいると風精霊がシロにまとわりついてくる。精霊を見える者は少ないので会話が出来るのが嬉しいらしく、彼女たちは頻繁に話しかけてくる。人の目があるところでは返事が出来ないので、周囲を気にせず話が出来る早朝がお気に入りのようだ。シロが水を運んでいる間も左右から小鳥のようなさえずりが聞こえ続ける。彼女たちにとって世間話のそれはシロにとって貴重な情報源だ。といっても精霊は自分たちの尺度で物事を見ているので鵜呑みにしすぎてはいけない。


 水を家の中に運んでから掃除にとりかかる。アーデオとルブラには意外だと驚かれたが、シロは一通りの家事が出来る。前王である父がシロを放任していた結果であり、精霊が見えるという体質のおかげである。

 精霊にとって生き物は皆等しい。王だろうと貧民だろうと等しく精霊以外の生き物という認識なのだ。だから精霊が愛するのは精霊を愛してくれる者であり、精霊が愛したいと思う者である。掃除を他人に任せて偉そうにしている人間は精霊にとっては愛するに値しない。


 一言で竜人族といってもいくつかの種族が存在する。白い鱗に青い瞳を持つ白蒼はくそう竜は精霊に愛されやすい血筋のため、精霊からの加護も一般より多くいただける。そしてシロのように精霊を見る目を持つ者が生まれやすい種である。そのため精霊魔法に卓越したものが多いのだが、竜人族の中での地位はそれほど高くない。

 というのも先代の王は己の力で戦わない精霊魔法を邪道だと認識していた。そのため白蒼竜は亜の国の中でも田舎に領土を与えられ、他の竜族からは虐げられてきた。その血を色濃く継いだシロが父親に疎ましく思われるのも当然のことで、会ったこともない相手に情を覚えるほど純粋な性格もしていなかったシロは精霊たち、母と共に王城にやってきた側付きたちとのんびり暮らしていたのだ。


 いつか離宮を逃げ出して自由になりたい。そうは思っていたものの、まさか他国に売り飛ばされるなんて幼い頃は想像もしなかった。


 クイクイと服を引っ張られる感覚がして床を磨く手を止めた。振り返ればアーデオにくっついている土精霊が立っている。他の精霊のように浮くことはせず地面を歩く土精霊は厳つい見た目の者が多い。その中でもアーデオと一緒にいる精霊は強面で、しっかりと鎧に身を包んでいる。

 いくつもの戦場を渡り歩いてきたと一目で分かる精霊だ。

 精霊は環境やついて行く対象で見た目が変わる。土精霊の外見はアーデオがたどってきた修羅場の数を語っているようだ。


「おはよう。アーデオも起きたのか?」


 そう言いながら気配を探る。まだ降りては来ていないようだ。精霊たちと話す姿をアーデオに見られないよう、早めに教えてくれたのかもしれない。「ありがとう」と感謝を伝えるとつり上がった土精霊の目が細められた。それだけで印象がずいぶん柔らかくなる。どことなくアーデオと似ているのは長年一緒にいたためだろうか。


 精霊は自由気ままに行動するが、中には気に入った者についていく者もいる。シロは精霊に好かれ、離宮ではたくさんの精霊と過ごしたが誰もシロにはついて来てくれなかった。シロは彼らのことが好きだったのに、彼らはそれほどシロのことが好きじゃなかったのか。そんなことを考えて少し悲しくなる。


 下を向いていると土精霊の固い手がシロの頭をなでた。土精霊はそれほど大きくないので精一杯背伸びをしている。厳つい見た目とつま先立ちでプルプルと震える体のギャップにシロは固まった。それから嬉しさを覚える。


「慰めてくれてありがとう」

「あら、落ち込んでたの白い子」

「悲しいの、可愛い子?」


 シロの様子に気づいたらしい風精霊も集まってきて、片方はシロの頭の上にもう片方はシロの右頬にくっついた。良い子、良い子と小さな体で精一杯慰めてくれる。長生きなのは知っているが、自分よりも小さな存在に赤ん坊のように慰められてシロは恥ずかしくなってきた。


「おーシロ、毎日、すまんなあ」


 気づけばアーデオが目の前にいてシロはビクリと体を震わせた。風精霊も驚いた様子でシロの背後に隠れる。土精霊はトテトテとアーデオの側に近づいていった。アーデオには土精霊の姿は見えないと分かっているのに、定位置とばかりに斜め後ろに陣取る。その姿は一途でいじらしい。


「シロが来てから、家の中が妙に澄んでる気がするな」


 部屋の中を見渡しながらアーデオがそんなことをいう。シロはギクリとした。アーデオは見た目に反してきちんと掃除をするし、頻繁に顔を見せるルブラも綺麗好きなためシロが来る前から酒場は綺麗に掃除されていた。しかしシロが来てから風精霊や他の精霊も顔を出すようになったから、分かる人からすれば空気はまるで違っている。

 アーデオには精霊は見えない。精霊に関する知識もそれほどないようだが変化を肌で感じ取っているらしい。こういう人がたまにいると聞いた。見えないし分からないのに違いには敏感だという精霊が見えることを隠したいシロからすれば厄介な存在。


「今のところ掃除と店の手伝いくらいしか出来ないから、役に立ってるならよかった」


 本音を混ぜて誤魔化すとアーデオはシロの頭をぐしゃぐしゃとなでた。生まれた時からシロに仕えてくれた母の側付きはシロを可愛がってはくれたが、アーデオのように遠慮なく頭をなでてはくれなかった。だからこうして普通の子供のように扱われるとどう反応していいかわからなくなる。

 恥ずかしくなって視線をそらすとアーデオの足下にいる土精霊と目があった。先ほどシロの頭をなでた時のように目を細めて、微笑ましそうにこちらを見上げている。その姿を目にしたら、余計にいたたまれない気持ちになった。


「白い子、嬉しい?」

「可愛い子、良かったね」


 風精霊がシロの頭上でクルクルまわる。アーデオには見えていないし、シロが反論出来ないと分かっているから言いたい放題だ。いたたまれなくなったシロは「掃除まだ残ってるから!」といって 慌ててその場を逃げ出した。

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