第8話 ざわつく心

「二人行動って何かあったのか?」

 レイネスとエリューラ、シロとベリータの話が一段落ついたのを見計らってアーデオが問う。レイネスとベリータは同時に不快そうな顔をした。


「最近、亜人の子供の誘拐が頻発してるんだ」

「またか……」

 アーデオが重苦しい口調でつぶやく。アーデオの感情に同調したのか足下にいる土精霊も不機嫌そうだ。


「よくあることなのか?」

「残念ながらね。誘拐してどっかで売りさばいてると思うんだが、会場が見つからない」


 ベリータは舌打ち混じりに答えた。相当腹に据えかねているらしい。亜人と人間が真の意味で共存する世界。それを作るのが夢だと語っていたから亜人が売られる現状を受け入れることは出来ないだろう。ベリータが怒りをあらわにすると火精霊がベリータをあやすように頭をなでる。その姿は母親のようで、もしかしたらベリータが生まれた時から側にいたのかもしれない。


「それで見回りを強化することにしたんだ。エリューラは僕と二人行動。僕が無理なら他の人と、一人行動禁止」

「何でだ! 俺は子供じゃないぞ!」

 不満げに吠えるエリューラにレイネスは目を細める。その顔が肩に乗っている水精霊に近く、やはりこちらが本質かとシロは妙な納得を得た。


「エリューラ、自分がどれだけ目立って、どれだけの高値がつく亜人だか自覚ある? 一度売られかけたのに、また売られたい? 今度もベリータが助けてくれるとは限らないよ」


 淡々と告げられる正論にエリューラが縮こまる。心なしか背中の翼も垂れ下がり、なんとも哀愁をそそる姿だ。エリューラについている風と光の精霊もレイネスの言葉が正論だと分かっているのか非難はしない。エリューラの頭をそれぞれがよしよしとなでていた。


「俺は昔みたいな何も出来ない子供じゃないぞ……」

「分かってる。けど、向こうは亜人の捕獲に関してはプロだ。油断してエリューラが捕まって売られることになったら僕は何をするか分からない」


 そういって剣の柄をなでるレイネスは口調こそ穏やかなものの目が笑っていなかった。真剣に心配していると告げられればエリューラもわがままを言う気には慣れなかったらしく渋々頷く。


「というわけだからシロもなるべく外に出ないようにしてくれ。出るときはアーデオかルブラと一緒に」

「分かった」


 元々一人行動が出来るほどこの町になれていないため素直に頷く。亜人売りに売られたら良くて変態行き、悪くて体をバラバラにして高級品扱いだ。それならば大人しく知らない女と結婚していた方がマシな気がしてくる。


「今日の読み書き教室はどうする? 亜人の子もくるだろ」


 ここに来てから仲良くなった子供たちの顔を思い出す。人間もいるがここに来る子はほとんどが亜人だ。亜人の中でも一般的な獣人が多いが、獣人にも需要はある。とくに見た目の可愛らしい女の子は人間であっても危険だ。


「落ち着くまでは私とレイネス、エリューラで送り迎えしようと思う」


 今日はそのために来たのだというベリータを見て、本当に活発な女性だと思う。年上の落ち着いた女性ばかり見てきたシロから見ればベリータは未知の生命体だ。謎が多くて、目が離せなくて、もっと知りたいと思ってしまう。同時に、これ以上親しくなるのはまずいとも思う。お金が貯まったらシロはここを出て行かなければいけない。それは早ければ早いほうが良いのだ。


 浮かんだ感情に蓋をしてシロはアーデオが用意してくれた朝食を口に運ぶ。ベリータがアーデオの分をのぞき込み、「一口くれ」とたかる。一通りしゃべて落ち着いたらしいレイネスはエリューラの隣に座って今日の予定を説明していた。

 ここにルブラがいたら全員集合だ。シロが来る前から彼女らは変わらずこうして過ごしていたのだろう。シロがいなくなってもそれは変わらない。それに少し胸が痛んで、誤魔化すようにスープを口に運ぶ。温かくて美味しいスープはお腹を満たしてはくれるけれど、心はどこか寒々しくて、シロは気づかれないように息を吐いた。


 朝食がすめば準備が始まる。ベリータたちは子供たちを迎えにいくため出ていき、シロはテーブルや椅子、教材を用意する。アーデオは子供たちのおやつを作り始めた。

 子供たち用の黒板を用意しながら一体これをどうやって用意しているのだろうと不思議に思った。酒場は繁盛しているようだが、それだけで子供たちの教材を用意出来るほどの収入が見込めているとは思えない。何でも屋の収入だろうかと考えるが、そもそも何をしているのかシロは知らない。本当に謎めいた集団である。


「白い子、これから何が始まるの?」

「楽しいこと?」

 シロだけになったので話かけても問題ないと判断したのか、どこからともなく現れた風精霊が黒板をつつく。アーデオの姿がないことを確認してからシロは答えた。


「子供たちがいっぱいきて、勉強をするんだ」

「勉強って楽しいの?」

「この板に文字を書くんでしょ? 楽しいの?」


 風精霊たちは顔を見合わせている。精霊からすれば珍妙に見えるらしい。


「勉強していた方が良いことがあるんだ」

「どんな?」

「いいところに就職できる」

「それ良いことなの?」


 精霊たちはそろって首をかしげた。飲食も必要としない精霊からすれば人間が行う労働は不可思議なものだ。自国でもよく精霊に「人間って命より銅や金の塊を大事にするわよね。不思議だわ」と言われたことがある。そうした無邪気な反応を見ていると精霊って楽しそうだなと思うのだが、どんなに羨ましがってもシロは精霊にはなれないので自分に出来ることをするほかない。


「好きなものを買えるし、好きなことが出来るようになるんだ」

「それは素敵ね。綺麗な石とか可愛い服とか、いい匂いのする香水とか買えるの?」

「たくさん買えるな」


 シロの返答を聞いて精霊たちは納得したようで「お勉強たくさんしないとね」とウキウキしている。いざお勉強会が始まったらすぐに飽きてどこかに行くのだろうが、その気まぐれさもシロは気に入っている。


 話しながら準備をしている間にベルが鳴る。ベリータたちが帰ってきたと気づいた風精霊は聞こえないと分かっているのに両手で口を覆って、かくれんぼをするように姿を消してしまった。シロはその背をチラリと見てからドアから入ってきたベリータたちに向き直る。

 我先にと酒場の中に入ってきたのは六人の子供だった。亜人が四人、人間が二人だ。いずれもこの近所の子供らしい。酒場の営業時間に預かっている子もいれば、知らない子もいる。初めて会う子は物珍しそうにシロを見た。知っている子は元気に挨拶してくれる。その中の一人、兎型の獣人の少女がシロにかけよってきた。柔らかそうな垂れ耳、目はぱっちりしている。十歳にも満たない子供だが将来は美人になるだろうと想像出来る造形だ。


「シロのお兄ちゃん、こんにちは」

 頬を赤くしてはにかみながら少女、シャーリーは挨拶してくれた。シロが酒場でお世話になってから一週間ほど。そのうち数日は顔を合わせている一番親しい子だ。


「こんにちは」

 シャーリーと視線があうようにかがむと、シャーリーの耳が揺れた。頬は相変わらず赤く、口元をムズムズさせている。


「あら、白い子。モテモテね」

「可愛い子、隅に置けないわね」


 先ほど隠れたと思ったらいつの間にか戻ってきた風精霊たちが左右から囁く。反応するわけにはいかないので心の中で文句を言う。

 女性の姿をした精霊たちは恋バナが好きなうえ、年齢を考慮しない。精霊からみれば皆等しく赤子同然なので、幼い少女としわくちゃのおじいちゃんであろうと、恋だ愛だとはやし立てる。人間は年が近くないと恋愛しないのだと伝えたところで取り合わない。だから自国にいた頃も異性、しまいには同性と少し仲良くしているだけで「恋よ、愛よ」とはやし立てられた。もしかしたらシロの反応を見て面白がっていたのかもしれない。


「シロ、可愛いお嬢さんをエスコートしてあげたらどうだ」


 内心で百面相しているといつの間にか近づいてきていたベリータがニヤリと笑った。こちらは確実にからかっている。ベリータにひっついている火精霊も愉快そうにニマニマしていた。

 シロはため息をついて立ち上がるとシャーリーに手を差し出す。シャーリーは驚いたようで耳が激しく揺れた。それでも赤い顔をしておずおずとシロの手を握り返してくる姿はたしかに可愛い。もちろん妹や可愛らしい子供に対する感情であり、精霊たちがはしゃぐようなものではない。


 それでも、繋いだ手から伝わるぬくもりに心が温かくなったのは確かだった。

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