第9話 惜しむ想い

 ベリータから見て亜の国の仕組みは不可思議だ。平和協定を結ぶ国として亜の国の内情はある程度耳にしている。強い者が王になるという仕組みも亜人が虐げられてきた歴史を考えれば致し方ないのだろう。それでも野蛮という印象は拭えない。


 亜人は一カ所にとどまらずに移動しているか、国とはいえない小さな集落を形成する場合が多いため、亜人の国というのは少ない。その国も多くは人間の国から離れた場所に存在する。その中で亜の国がニザルス王国のすぐ隣に存在しているのは極めて珍しい例であり、人間には絶対に屈しないという強い意志表示でもある。


 亜の国も元は流浪の民の寄せ集めだ。人間に追い立てられた亜人の怒りが頂点に達し、人間と争うために強い亜人種を片っ端から集めた結果、散り散りに生活していた竜人族が集まったのが建国のきっかけと言われている。それからは竜人族を旗頭に追い立ててきた人間を攻め返し、人間と亜人の攻防が長きに続いた。


 ベリータから見て亜人は基本温厚だ。彼らは長生きであり、人よりも強靱な肉体を持つ。だからこそ自分よりも弱い人種に対して寛容だ。それを人間は亜人が己よりも弱いのだと勘違いした。そうして蹂躙し、寛容な亜人種を怒らせた結果、亜人は力を人間に示すようになった。

 その気になればお前らなど殺せるのだと持って生まれた強靱な肉体と魔力を惜しげも無く使うようになったのだ。

 そうして戦況は泥沼化し、このままでは共倒れしてしまうと気づいた何代か前の王が亜の国との平和協定を提案した。これを受け入れた亜人はやはり温厚だとベリータは思う。自分たちの都合で迫害しておいて、自分たちが負けそうになったら仲良くしようと自分勝手なことを言う。そんな人間と手を取り合う道を選んでくれたのだから。


 しかしながら、亜の国は武力放棄はしなかった。当然である。亜人は人間よりも長寿だ。だからこそ人間がいかに欲深く、傲慢な生き物か知っていた。隙を見せれば、弱みを見せれば平和協定など無かったことにして攻撃してくる。それをよく分かっていた。


 だから亜の国は強さを求める。亜の国の王位継承は前王の殺害によって成立する。強い王を殺せる者でなければ国を守ることが出来ないという思考が根付いている。

 野蛮であり、非道である。しかし、こんな仕来りが根付くほどに追い詰めたのは人間だ。それを知っているベリータはなんとも言えない気持ちになる。特にシロと出会ってからは。彼は人間のせいでできあがった仕来りの被害者だった。


 亜人は人間ほどの繁殖力がない。そのため亜の国の王は複数の妃を招く。竜人族の各部族から妃を迎え入れ、生まれた子供たちで競わせ、さらに強い王を誕生させる。


 シロは竜人族の中では小柄である。見た目も白く、儚げな印象がつきまとう。喋れば見た目に反して豪快な性格だと分かるのだが、シロの父親である前王からすればなんとも頼りなく見えたことだろう。前王はシロの部族である白蒼竜を嫌っていたという話も聞くので、それも踏まえて期待などしていなかったに違いない。

 だからシロは王子として扱われなかった。弱い王族は亜の国にとって必要ない。現王も前王と同じ意見でシロを用なしと判断したのだろう。結果、シロは隣国に形だけの平和協定強化のために売り飛ばされた。


 これだけ聞くとなんて哀れな王子だろう同情するだろう。ベリータもシロの境遇を知ったときは同情したものだ。外交という面倒ごとを背負ってでも隠し、逃がしてやろうと思うほどには哀れみがわいた。しかし、シロという亜人を知るにつれて亜の国の現王がとんでもない間抜けなのではないかと思えてきた。


 シロは賢い。王子という教育を受けられる環境が整っていたとしても、それを有効活用できるものがどれだけいるだろう。恵まれた環境をそうとは気づかずにドブに捨てる奴らはいくらでもいる。この国の貴族の子で己の未来のために勉学に励み、いざというとき行動に移せるものが何人いるだろう。


 シロを知れば知るほど手放すのが惜しくなる。聞けば家事全般は当たり前に出来るという。もしかしたらベリータよりも出来るかもしれない。読み書きだって出来る。何なら亜の国の地方で使われている亜人語も使えるという。亜人の国との国交を増やしたいベリータからすれば喉から手が出るほど欲しい人材である。


「……一生ここにいてくれないかな」

「それ、本人にいえよ」


 子供たちに勉強を教えているシロを見ていたら思わず本音が漏れた。食器を磨いているアーデオにあきれた顔をされる。シロがこちらに気づいていないのを確認してベリータは小声で返す。


「このまま匿い続けるのは無理だ」


 シロには悟らせないようにしているが実は苦労している。王子は安全なところで保護していますといっても亜の国の使者が納得するわけがない。シロの脱走を手伝ってお金を渡したらしい側付きは大人しいが、王子の護衛を国から任せられた使者たちは今にも町中を捜索しそうな勢いだ。

 それが王からの命令だからという忠誠心なのか、シロを心配してのことなのかは分からないがシロ本人が思う以上に亜の国の民には認められている。それを本人に言ったところで揺らぐような決意ではないと思っているからこそ、そろそろ何らかの手を打たねばならないとベリータは考える。


「死体でも偽装するか?」

「戦争始まるぞ」

 冗談に真顔が返ってきた。ベリータは唇を尖らせる。


「形だけ結婚して、ほとぼりが冷めた辺りで国外に逃がすのが一番なんだろうな」


 王国側もシロに協定強化の役割しか期待していない。形だけの結婚が成立すればその後どうしようが気にもとめないだろう。国外に行ってくれるなら面倒ごとが減って楽だとすら思いそうだ。

 説得し、形だけの挙式を終えてしまえばシロは晴れて自由の身だ。出会ったばかりの時ならともかく、今であればシロはベリータの言葉を真剣に聞いてくれる。それでこの一件は解決。そのはずなのだが……。


「ものすごく惜しい……」

 熱心に子供に字を教えるシロを見て、ベリータは苦い気持ちになる。これほど平民に親切な王子がいるだろうか。しかも自国ではなく他国の民に対してである。亜の国の王は本当に見る目がない。


「そんなに惜しいならいえばいいだろ。け……」

 余計なことを言おうとするアーデオを視線で黙らせる。自分でもまずいと思ったのかアーデオはそっぽを向いた。無意味に食器を拭いている姿を見てため息をつく。


「無理に引き留めたって、いずれ出て行く。元冒険者なら分かるだろ」


 ベリータの言葉をアーデオは否定しなかった。

 シロの心は人に哀れまれる環境でも死ななかった。父親に見向きもされなくても、冷遇されても、他国に売り飛ばされても自分の力で生きるのだと窮屈な場所を飛び出した。そういう者はすがられたって残らない。縛り付けたところでいつか綻びを見つけて逃げ出すだろう。シロの意志で残る意志を固めてくれなければどうにもならない。

 ベリータはシロを引き留める手段を持っていない。ベリータがいくらここに居て欲しいと望んでも。


 じっと見つめているとシロと目があった。怪訝そうにシロはベリータを見つめてくる。ベリータは内心を押し隠し、明るい表情を作って手をふった。表情を作るのは上手い自信があったがシロは奇妙な顔をする。人の内心を悟るのも得意らしい。


「やっぱ惜しいなあ」

 つい、未練たらしくつぶやくとアーデオにあきれきった視線を向けられた。

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