第10話 シロの決意
シロはすっかり子供たちに懐かれたようで勉強会が終わっても子供たちはなかなか帰りたがらなかった。特に女の子からの視線が熱烈だ。髪と瞳の色を変えてだいぶ印象が変わっているのだが、生まれ持った造形が良いと見抜かれてしまったらしい。特にシャーリーはすっかりシロに心奪われ、休憩のおやつタイムもシロの隣をキープしていた。
もっと一緒に居たいと涙を浮かべられると心苦しくなるが、遅くなっては危ない。シャーリーは可愛らしい見た目をしているうえに、需要が高い兎型の垂れ耳だ。
というのにシャーリーが頑なにシロの服を離さないので、結局シロとベリータの二人で送ることになった。可愛い女の子の初恋を奪うとは罪作りな王子である。
まだ明るい町並みをシロとシャーリーが手を繋いで歩いている。その少し後ろにベリータが続く。蜥蜴族の少年と獣人の女の子の組み合わせが珍しいのか人目を引くが、シャーリーがやけに嬉しそうにシロを見上げているので道行く人の視線は温かいものに変わる。
「シロお兄ちゃんはずっとお勉強教えてくれるの?」
シャーリーが愛くるしい目をキラキラさせて問いかけた。シロは言葉に詰まり困った顔をする。正直に話すか誤魔化すか迷ったらしい。シロの迷いに気づいたシャーリーは表情を暗くした。
「いなくなっちゃうの?」
「うーん、もうしばらくはいると思うけど」
そういいながらシロはチラリとベリータを振り返る。ベリータは肩をすくめて見せた。
シロは真面目にお金を貯めようと思っているらしいが、それは引き留めるための口実である。準備は整っているので数日もあれば形だけの結婚をして国外逃亡は可能だろう。シロの気持ち一つであり、ベリータの諦め一つである。
しかし、それをこの場で口にすればシャーリーは大泣きするだろう。シロがいなくなったと知った後も大泣きしそうだ。なんて置き土産を残してくれるんだと文句を言いたくなる。
「ずっと居て。お願い」
シャーリーは泣きそうな顔でシロを見上げた。ぎゅっとシロの手を握りしめ、上目遣いで懇願する姿は純粋無垢だからこそ破壊力がある。シロはうめき声を上げて助けを求めるようにベリータをみた。だが、ベリータに出来ることはない。まだ幼いとはいえ女の子。狙った男の元に別の女が現れたら火に油である。
とはいえどうしたものかとベリータも考える。同世代の友達もいなかったシロが子供の面倒を熟知しているわけもない。幼い子どもたちに文字書きを教えられただけ偉いのだ。ここはシャーリーに嫌われたとしても間に入らなければいけないかと、ベリータがある種の決意を固めた時、シャーリーを呼ぶ声がした。
声に反応してシャーリーが振り返る。ベリータも同じように声の方を向いて、視界に入った見慣れた男性に思わずホッとした。
「お疲れ様です。今日は早いんですね」
そこに立っていたのはシャーリーの父親だ。狙ったようなタイミングである。穏やかな笑みを浮かべながら「早めに終わったので娘を迎えにきました」と答える父親。親に説得されたらシャーリーもシロの手を離すだろうとベリータは安堵したが、視界に入ったシロはなぜか険しい顔をしていた。
その顔は初めてベリータがシロに会った時、こちらを警戒しきっていた顔ににている。酒場の生活に慣れ始めたここ数日はすっかり見なくなった顔だ。
「シロ?」
そう問いかけてもシロの表情は変わらない。父親に駆け寄ろうとしたシャーリーの手を掴んで離さない姿にシャーリーも父親も困惑した様子だった。
「えぇっと、この人は?」
「お前何者だ?」
困った顔をする父親に対してシロの声音は冷たい。鋭い目が更に鋭くなり、今にも飛びかかりそうな顔で父親を睨みつけている。
「シロ、この人はシャーリーの父親で……」
「違う」
ベリータの説明をシロは遮った。
「父親が何で姿を変えて娘を迎えに来るんだ」
低い声で吐き出された言葉をベリータはすぐには理解できず、理解したと同時に慌てて腰に差してあるナイフの柄を握った。
父親、いや父親に化けた何者かは柔和な笑みを消し去り、無表情でシロを見つめていた。やがて唐突に笑い出す。
「それはこちらのセリフだな!」
いうと同時に男がナイフを片手にシロに切りかかった。驚いたシロはシャーリーの手を離して後ずさる。シロの動きを予想していたらしい男はニヤリと笑い、シャーリーを抱えあげると裏路地へ逃げ込んだ。
「まて!」
ベリータも慌てて男の後を追う。シャーリーが暴れている姿は目に入ったが悲鳴は聞こえない。おそらく口を塞がれている。その手慣れた様子から常習犯だと気づいたベリータは舌打ちしつつ男の背を追いかけた。背後から遅れて足音がついてくる。おそらくシロだろうが確認している暇はない。
右に左に、男は裏路地を器用に曲がっていく。迷いない足取りから道を熟知していることがわかった。今までの誘拐も被害者の知り合いに化けて近づき、人気のないところに誘導してからさらっていたのだろう。どうりで目撃情報が出ないはずだ。
男が右に曲がる。ベリータも勢いを殺さないまま右の路地に駆け込んだ。そんなベリータの目に飛び込んできたのは行き止まり。隠れるような場所もなく、男が一瞬で壁をよじ登って逃げるには時間が足りなすぎる。確かに右に曲がったはずなのにと後ろを振り返るがそこにも男の姿はない。シャーリーの姿も。
「魔法か……!」
光属性の魔法には視覚をごまかすものがある。姿を変える魔法よりも簡単なので男にとっては造作もなかったはずだ。騙されたと気づいてベリータは壁を殴りつけた。手がビリビリと傷んだがそんなことよりも眼の前でシャーリーを誘拐されたことの方がつらい。
「シャーリーは!?」
シロが息を見出したまま追いついてきた。ベリータが答えられずにいるとシロは周囲を見渡して、それから拳を握りしめた。奥歯を噛みしめる音がする。
「俺のせいだっ! 俺が魔法が解けることを怖がってシャーリーの手を離したから!」
そう叫んでシロは自分の腕を握りしめる。骨がきしむような音がして、シロの憤りが伝わってきた。
姿を変える魔法は衝撃で解ける。あの男はシロが姿を変えていることに気づいてわざとシロを狙ったのだ。そうすれば姿を見破られることを恐れたシロが回避行動をとるだろうと予想して。
「相手は荒事に慣れたプロだ。シロが反応できなかったのは仕方ない」
つい最近まで離宮から出たことがなかったシロには荷が重い。見破れなかった自分の落ち度だ。
「ここで反省していてもどうにもならない。ヴァハフントに戻って今後の方針を立てる。シャーリーがどこに連れて行かれたのか探さないと……」
とはいうものの、今までも見つからなかったものが急に見つかるはずもない。誘拐の手段はわかったものの、魔法を用いているとなればほとんどの者は偽物と本物の見分けがつかない。シャーリーの父親と会ったことのあるベリータでも違和感を抱かなかったのだから、犯人は事前にターゲットの周辺情報を集めている。
魔法が得意なエリューラがいない場所を狙って犯行に及んでいる可能性が浮かんで、ベリータは歯噛みした。向こうに情報が知られていなかったシロがいたから気づけたが、今回でシロも認識されてしまった。
手がかりが消えた。その事実にベリータは焦る。何か突破口はないかと今までの情報を整理しているとシロが真剣な面持ちでベリータに話しかけてきた。
「ベリータ、お前は亜人と人間が共存できる未来を夢見ているんだよな」
「ああ、だからなんだ」
余裕がなくきつい言い方になってしまう。これでは八つ当たりだと後悔したが、シロは気にした様子がなくただじっとベリータを見つめ続けている。それは何かを決意したような、大事な何かを受け渡すような、そんな顔だった。
「お前が語った夢は本物だと俺は信じる。だから打ち明ける。俺の力でシャーリーを救ってくれ」
「……シロ?」
何を言っているんだと続ける前に、シロは宙に向かって声をはった。
「風の精霊、お願いだ。シャーリーを探してくれ」
シロの声に呼応するように風が吹いた。風の通りが悪い路地裏には不自然な突風はベリータの赤い髪を巻き上げる。一瞬、少女の笑い声が聞こえた気がしてベリータは目を瞬かせた。
「シロ、何をしたんだ? 風の精霊って、お前は光属性じゃ? まさかエリューラと同じ複数属性持ちなのか?」
そんな偶然あるのだろうか。世にも珍しい複数属性持ちが身近に二人も現れるなんて。しかもシロの祝詞は今まで聞いてきたものとまるで違う。
難しい魔法を使う時に用いられるのが祝詞。これは見えない精霊に対して協力をお願いするものだ。だから精霊魔法を使うものは精霊に感謝をし、精霊が喜ぶ貢物を用意する。その工程は難易度が上がるにつれて面倒で儀式めいてくる。
それに比べてシロの祝詞、いや祝詞と呼んでいいのかすら分からないお願いは簡単すぎる。まるで精霊がそこにいるのがわかっているような頼み方だ。
シロはベリータの問いにすぐには答えなかった。覚悟を決めるように深呼吸してからベリータと目を合わせる。
「俺は、精霊が見え、精霊に好かれる。全属性の加護を頂いている」
信じられない告白にベリータはしばし言葉を失った。
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