第2話 王子の決意

 薄汚い路地裏にいつまでも異国の王子を置いていくわけにもいかず、ベリータは渋々場所を移すことにした。目立つ王子を伴って堂々と大通りを歩くわけにもいかないため、人通りの少ない道を選んで移動する。こちらが見つからないように気を遣ってやっているというのに、暗い、狭い、埃っぽいと文句をいう王子を人混みの中に蹴りだしてやろうかと思ったがギリギリのところで踏みとどまった。

 下手なことをして王子の恨みを買いたくはない。


 たどり着いたのは酒場だ。奥まった場所にひっそりと立っているため、知る人ぞ知るといった場所であり、開店時間よりも早いこともあって客の気配はない。ドアには「クローズ」という看板が掛けられていたがベリータは気にせずドアを開けた。


「アーデオ、酒くれ。あとホットミルク」

「まだ開店前なんだがな」


 そう言いながら奥から出てきたのは大柄な男だった。ここまでエプロンが似合わない男も珍しいと思うがれっきとしたここの店長だ。元はいろんな国を旅した冒険者だったためバトルアックスから包丁に持ち替えた今も隠しきれない威厳を感じる。


「なんだソイツ」


 ベリータの背後にいる王子を見つけたアーデオは目を細めた。それだけの仕草でも巨体が相まって威圧感があり、王子がビクリと体を震わせる。それでもなんとか平静を装っている姿を見て、見た目にそぐわず度胸があるのだなとベリータは思った。思ってから、そもそも度胸がなければ国同士の縁談を蹴って逃走するわけがないと微妙な気持ちになった。


「いま噂の花婿様だよ」

「おーいベリータ。まだ一滴も飲んでないのに酔っ払ってるのか?」

「むしろ酔っ払いたい。酔っ払って無かったことにしたい」


 そう言いながらカウンター席に腰を下ろすと王子がムッとした顔をした。非難を含んだ視線を向けられたがどう考えてもベリータは巻き込まれだ。ここまで見つからないように連れてきただけ感謝して貰いたい。


「お前、竜人族か」

 マントで見えなかった尻尾に気づいたアーデオが目を丸くする。慌てた様子でベリータを見たので肩をすくめた。


「いっただろ。噂の花婿だって」

「なんで花婿がこんなところに!?」

「花婿になりたくないから逃げてきたんだと」

「はあ!?」


 大男の大声は響く。両耳を塞いでベリータは顔をしかめた。そんなベリータの態度にお構いなしでアーデオはベリータと王子を交互に見る。


「衛兵には」

「言ったら俺は逃げるからな」


 アーデオに王子が固い声で答えた。アーデオが巨体に似合わぬ困った顔をする。それをカウンターに肘をつきながら眺め、ベリータはため息をついた。


「この通り。決意は固いらしい」

 肩をすくめるベリータにのしのしと近づいてきたアーデオは王子に背を向けるとベリータの耳に口を寄せた。


「っていっても、どうすんだ。今頃大騒ぎで探してるだろ」

「だろうな」


 他国との国交を深めるために連れてきた王子が逃亡したのだ。王子一人で来たとは思えないのでお着きの人間は血眼になって探しているだろう。

 王城に連絡するのが正しいと思うのだが、座ることもせず硬い表情でこちらを睨み付けている王子を見ているとこちらは何も悪いことをしていないのに小さな子供を売った悪人のような気持ちになる。

 そもそも素直に王城まで着いてきてくるはずもないし、座りもせずにこちらの様子を観察する姿からは警戒が見える。ベリータが王城に連絡する間大人しくここで待っていてくれるとは思えない。


 一目で高級だと分かる服を着てゴロツキどもが縄張りとする路地裏にいたこと、ここに来るまでの間物珍しそうに周囲を見回していた様子を見るに町を歩くのは初めてのようだ。そんな世間知らずのボンボンが逃げ出したところで生活できるはずがない。本人の希望はニザルス王国を出ることのようだが、その途中で野垂れ死ぬか、売り飛ばされるかのどちらかだろう。

 

 竜人族の鱗や爪、角はどんな病気も治す霊薬になるという信憑性ゼロの噂がまことしやかに囁かれている。ニザルス王国では当然違法だが、亜人を差別する国では高値で取引されていると聞く。

 亜人を奴隷としてほしがる変態も珍しくはない。違法である王国でもこっそりと亜人売買は行われているのだから他国ともなればさらに酷いだろう。


 王子の外見は整っている。白い髪に白い鱗。青い瞳。変態が大喜びしそうな外見だ。こんなのが無防備にうろうろして無事でいられるはずがない。


「平和協定を結んだ国で王子が行方不明になって、他国に売り飛ばされたなんてことになったら……」

「戦争待ったなしだな」


 笑えない状況にゾッとする。亜の国を治める王は父親である前王を殺して王位についたと聞いている。強い者が国を治めるというのが亜人の文化だと聞くが、目的のためであれば肉親をも手にかけるという点は変わりない。肉親ですらない他国の人間となれば情けをかけてくれるとは思えない。


「そんなに嫌なら何でここまで来た。断れば良かっただろ」


 敬語を使うのも面倒になり不満を隠さず話かけると王子は眉を寄せる。アーデオが焦った顔をしたが無視した。面倒ごとの塊である他国の王子を敬う義理はない。


「俺の意志が通るわけがないだろ。王に見捨てられ、いないものとして扱われた子だ」

 噂話で聞いた「訳あり」というのを思い出す。


「離宮に閉じ込められてこの年まで一度も外に出たことがない。それが急に国のために他国へ行って知らない女と結婚しろと言われた。バカにするにもほどがある」


 吐き捨てるようにいった王子の言葉に何も思わないほど薄情ではない。いないものとして扱われていたのにもかかわらず、突然政治の道具にされたわけだ。姫と結婚したところで自由はないだろう。和平を強化するためのお飾りの結婚に愛も恋もない。閉じ込められる場所が変わっただけだ。


「俺にとって最後のチャンスだ。ここで逃げなければ俺は一生自由になれない」


 死すら決意したような静かな相貌を見てベリータはため息をついた。この王子は覚悟を決めてしまっている。自由になれないのであれば死んでも構わないとすら思っているのだろう。となれば、いくら説き伏せても無駄だろう。王子という立場に生まれてしまったがために閉じ込められた相手に国や民を思う気持ちがあるはずもない。


「お前の気持ちは分かった。かくまってやってもいい」

「ベリータ!」


 アーデオが悲鳴じみた声を上げる。王子はベリータが協力してくれるとは思っていなかったらしく青い瞳を見開いていた。険しさが消えるとまだ子供なのだと分かる。そんな子供が死を覚悟してまで自由を得たいと望むのを黙って見過ごしてはこの先一生後悔しそうだ。


「ただし、報酬は貰う」

「報酬?」


 ビシリと指さすと王子は慌ててポケットを探った。逃げるために少しは用意していたらしく、金貨が数枚手のひらに握られている。

 庶民はそれだけで数ヶ月生活出来る大金を平然とポケットに入れていた事実にベリータはあきれた。アーデオも似たような顔をしている。


「足りるか?」

「足りるわけないだろ。目立つお前をかくまいながら王都から脱出しなきゃいけないだぞ。王国を出たいらしいが、亜人を受け入れる国は限られるから長旅になる」


 王子は眉を寄せた。どうすればいいのかと真剣に考えているようだった。出会った当初は「人間」なんて不躾に呼ばれたが、根は真面目な性格らしい。容姿にそぐわぬ口の悪さも反抗期だと思えば微笑ましく思えてきた。


「実は私は何でも屋をやっている」

「何でも屋?」

「報酬によっては何でもやる。人探しでも、魔物討伐でも、護衛でも。お前は私の仕事を手伝いながらお金を貯めればいい。貯まったらお望み通りこの国から逃がしてやるよ」


 ベリータの言葉に王子は一瞬目を輝かせたが、すぐさま警戒の色を見せる。世間知らずではあるがバカではないらしい。


「お前に得は?」

「人手不足なんだよ。嬉しいことに繁盛してて手が回らない」


 困ったように肩をすくめて見せても王子は探るような視線をベリータに向け続けていた。怪しいと思っているのだろう。厄介ごとを背負い込む意味が分からないと。しかし王子にはこの提案をのむ他ない。離宮を出たことがない王子には知識も無ければ伝手もない。ベリータに何らかの思惑があると思っても、他に選択肢はないのだ。


「……分かった。あんたの所で働く」

「交渉成立だな」


 渋々といった様子の王子に手を差し出す。王子はベリータの手をじっと見つめてから、恐る恐るといった様子で握り返してきた。

 竜人族は力が強く、人間よりも大きな手をしている。下手に力を込めると相手を傷つけてしまう。それを王子はよく分かっているのだろう。赤ん坊を触るような慎重さで握り替えされた手は人間と比べると布越しでも固いことが分かる。それでも温かく感じるのは王子の優しさを感じたことも大きいだろう。


「私はベリータ。お前は?」

「……シロ」

「シロ? 犬みたいな名前だな」


 思わずといった様子で口にしたアーデオに王子改めシロは不機嫌な顔をした。


「仕方ないだろ。アイツは俺のことを白とかアレとしか呼ばなかった」


 不貞腐れた口調で告げられた言葉は幼い言動とは釣り合わないくらいに重い。マズイことを聞いたと気づいたアーデオが助けてくれという顔で見つめてきたが、ベリータは気づかないふりをした。思ったことをすぐに口にしてしまうのはアーデオの悪いところだ。


「それじゃシロ、案内する」


 名前に触れずにいるとシロは少しだけ体の力を抜いた。

 少々警戒しながらもベリータの後をシロは素直についてくる。王子などに生まれなければ可愛がられる要素を十分にもった子なのに。そう思ったら胸が少し傷んだ。

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