第16話 亜人の花婿
レイネスと共に王城に着くと幼い頃から面倒を見てくれた側付きに大泣きされた。なぜ逃げてくれなかったのかと泣く側付きの手をシロは泣き止むまで握っていた。泣き続ける側付きを見ながら何で気づかなかったのだろうと思った。こんなにも愛されていたのに、自分を愛してくれた人に罪をかぶせて逃げるところだった。王子が逃げるのを手伝った側付きが無事で済むはずがない。分かっていて逃がしてくれたのだと気づいてシロは自分の愚かさに苦笑を浮かべた。
婚約者である王女との対面はシロが王城に行った次の日に決まった。また逃げられては困ると思ったのか、シロの部屋の前には王国の兵士が張り付いていて、とても歓迎してくれる空気ではない。
それはそうかとシロは思う。役目を放りだして逃げようとしたのだ。外交問題に発展しなかっただけ良かったと胸をなで下ろした。
ニザルス王国と違ってきらびやかとは言えない亜の国の正装を身にまとい、シロは甲冑を身に包んだ兵士に案内されて王城を歩く。突き刺さる視線はどれも値踏みするようで、好意的なものは感じない。上質な絨毯も自国とはまるで違う豪勢な造りの城もすべてが自分を拒絶しているように感じる。それでもシロは下を向かず前を向いた。
残ると決めたのは自分だ。ならば突き進まなければ今まで自分を支えてくれた人に、自分を好いてくれる精霊たちに申し訳が立たないと思った。
「白い子、大丈夫よ」
「可愛い子、安心して」
酒場から着いてきてくれた風精霊たちがシロの緊張を和らげようとクルクル回る。その姿に少しだけ安堵を覚えながらシロは足を進める。
大きな扉の前で兵士が止まる。いよいよだとシロは息をのんだ。兵士が「イザベラ様、亜の国の王子をお連れしました」と声を張ると、「どうぞお入りください」と返事が返ってくる。
その声に聞き覚えがありシロは内心首を傾げた。
兵士がドアを開けると優雅に椅子に座る女性が目に飛び込んでくる。ベリータを思わせる真っ赤な髪に目を奪われたが、活発な雰囲気だったベリータと違い、眼の前の女性はいかにもお姫様といったおしとやかで優しい顔をしている。
その後ろには軍服を身にまとった青年と少年が待ての姿勢で待機していた。真面目な顔をしピクリとも動かない二人は王女の護衛なのだろうが、その顔に思いっきり見覚えがある。
「案内ありがとうございます。下がっていいですよ」
驚きに固まるシロを無視して王女はシロを案内してきた兵士に声をかける。兵士が敬礼する気配のあと扉の閉まる音がする。名も知らぬ兵士だが、シロはちょっとまってくれと引き留めたい気持ちになった。
呆然としている間に横を誰かが通り過ぎる。メイド服に身を包んだ女性。扉を開けてくれたのも彼女だったのだろうが、その姿はまたしてもよく知っているものだった。
「なんで、ルブラとエリューラとレイネスがいるんだ!?」
たまらずシロは叫んだ。王女の前だという思考は吹っ飛んでいる。王女は意味ありげな視線をエリューラに向けながら微笑んでいた。
「何でって仕事中だからに決まっているだろ。王女の前だぞ。頭が高い」
酒場にいたときよりもキリリとした顔でエリューラがいう。真面目な顔していると彫刻のように美しい顔が際立つが、今はそれもどうでもいい。ルブラが素知らぬ顔で王女の斜め後ろに落ち着いたのも気になって仕方ない。
仕事中という言葉を頭の中で反芻し、今までの違和感を思い出す。シャーリー救出の際に当たり前のように軍の協力を得られた時点でおかしいと思うべきだった。シャーリーを救うことに集中していて、細かいところは頭から抜けていたのは不覚というほかない。
ってことは自分は自由を与えられたと見せかけて、最初から監視されていたのか。そう気づいたシロは頭を抱える。ルブラとエリューラから生暖かい視線を向けられているのが辛い。逃げて自由になってやると息巻いていた自分がいかにバカだったのか突きつけられた気持ちだ。
「ってことはベリータは?」
エリューラとレイネスは軍人。しかも王女に近しい立場。ルブラは王女のメイド。アーデオは拠点とするために酒場を経営していたとするならば、ベリータは。そう思ったところでシロはベリータと同じ真っ赤な髪をした王女を見つめる。
ベリータの自信溢れた表情を作り上げる釣り上がった眉は前髪に隠れて見えない。右目の下にあるほくろもない。ベリータはツリ目気味だったが、王女は垂れ目気味で穏やかな表情を浮かべている。しかし輪郭はベリータと重なる。
そして、見計らったかのように壁を抜けて現れた人と変わらない大きさの火精霊がニンマリと口角を上げて笑い、見せつけるようにベリータにくっついたのを見てシロは悟った。
「教えろよ……」
思わずシロは頭上に浮いていた風精霊に文句を言う。
エリューラたちは百歩譲って仕方ない。王女に黙ってろと言われたら黙っている他ない。だが、精霊には関係ない。人間よりも世界が広い精霊が気づいていなかったはずがない。
「だって、火の女王が黙ってろって」
「面白いから内緒にしろって」
ねーと風精霊たちは顔を見合わせてから、ベリータにくっついている火精霊の側へと飛んでいった。火精霊、風精霊いわく火の女王はじゃれる風精霊を微笑ましげに眺めている。
精霊の中にも階級がある。それを知ったシロは肩を落とした。
「最初に言ってくれればよかっただろ」
「言ったら逃げたでしょう?」
シロの呟きにベリータ、いやイザベラは笑った。その笑みは王女らしい優雅なもので、酒場で口を開けて笑っていた人物ととても同一人物には思えない。
イザベラは立ち上がるとシロへと近づいてきた。王女らしい装飾のこったドレスは動きにくそうで、酒場にいる時よりも露出が少ない。髪型を変え、服装を変えると同じ人物でもここまで変わるものなのかとシロは驚いた。
精霊魔法なんて使わなくても人は姿を変えられるのかと。
「初めてあった日は本気で面倒くさいと思った。私も結婚には乗り気じゃなかったし、逃げたいなら勝手に逃げればいいと思ってた」
イザベラは腕を組み、ニヤリと笑う。喋り方も表情もベリータなのに姿は王女。シロは混乱したままイザベラを凝視した。
「けど、シロのことを知っていくうちにもったいないと思った。シロと一緒なら私の夢を叶えられるのに、お前を引き止められないのが悔しくて仕方なかった」
イザベラがシロに手を差し出す。初めてあった日もベリータはシロに手を差し出した。あの時は初めて触れる人間が怖くて、傷つけないように注意したのを覚えている。
「だが、今の私はお前を引き止められる。シロ、私の夢を一緒に叶えてくれ。代わりに私はシロの夢を叶える」
「俺の夢?」
「自由になりたいんだろう。私がいる限り、お前を籠の鳥などにはさせない。行きたい場所に連れて行く。やりたいことをさせてやる」
そういってイザベラは王女らしからぬ、荒っぽい顔で笑った。
「一般人のベリータにはできないが、王女のイザベラには出来るからな」
その笑顔があまりにも綺麗で、輝いていて、シロはつい笑ってしまった。イザベラの手を握り返す。最初の頃よりもしっかりと。
「どこが一般人だ。一般人にしては派手すぎる」
火を思わせる真っ赤な髪も言動も何もかも。初めてあった時、さっさと逃げればよかったのにふらふらとついて行ってしまったほどに、イザベラはシロにとって目の離せない存在だった。
「最初に会った人間がイザベラで良かった」
シロの言葉にイザベラは笑みを浮かべた。
「私も、花婿がシロで良かった」
※※※
クローズという看板がかけられた酒場ヴァハフントのドアをベリータは遠慮なく開けた。カランカランという来客を告げるベルが鳴り、音に反応したアーデオが厨房から顔を出す。
「おー、うまくまとまったか」
ベリータ、エリューラ、レイネス、ルブラ、そしてシロ。全員が入ってきたのを確認してアーデオは目を細めた。
「アーデオさん、教えてくれよ!」
シロが八つ当たり気味にアーデオに突撃する。同じ屋根の下で過ごしていたためかシロはこの中で一番アーデオに懐いている。アーデオもシロを自分の息子のようにかわいがっているため、ぐしゃぐしゃとその白い髪を撫でた。
「口止めされてたからなあ。すまん、すまん」
「これで皆と会うのも最後かって思ってた俺の気持ち……」
「あの空気、いたたまれなかったねえ……」
「明日には会えますよ。って言える空気じゃありませんでしたしねえ」
カウンター席に座ったレイネスとルブラが口々にいい、同じくカウンターに座ったベリータをチラリと見た。ベリータがさっさと言わないのが悪いと視線で訴えかけてくる。
「あの状況で、実は私が王女だから問題ない。といってシロが信じたと思うか?」
「思わないですけど、それはベリータが別人になりすぎてるせいでは?」
「そこまでしないとバレるだろ。なんのための一般人だ」
王女の立場では出来ることが限られる。だからベリータという何でも屋を営む一般人を作り上げたのだ。簡単に見破られては困る。だから王女の方は引きこもっている設定にしてもらい、場合よってはルブラに王女の代役を頼んでいる。
「お前みたいな一般人はいない」
アーデオから離れたシロが恨みがましくいう。根に持たれたようだ。
「そうはいうが、騙されてただろお前」
「それは俺がニザルス王国に来て日が浅くて世間知らずだからだろ。それでも一般人にしてはなんかおかしいなと思ってたぞ」
シロの言葉にベリータは顔をしかめた。本人が言う通り世間知らずで王国に慣れていないシロに気づかれるようであれば問題だ。
「シロの場合は精霊もあるだろ。ルブラの闇属性も、レイネスの本性も気づいてたんだろ」
アーデオが用意してくれたお菓子をつまみながらエリューラがいう。何も言い返せなかったらしくシロが言葉に詰まった。
「亜の国も知らなかったとはいえもったいないことしたな。精霊が見えるなんてすごい奴、よその国に婿入りさせちまうなんて」
全員分の飲み物を持ってきたアーデオがそういって、自分もカウンター内の椅子に座る。その隣にシロも腰を下ろした。
ベリータはアーデオが入れてくれたコーヒーを口にしながら、本当に運が良かったと噛み締める。
前王がシロに興味がなく、現王がシロの力に気づいていなかったからこその幸運だ。さすがにシロの力を知っていれば他国に出すことなどしなかっただろう。
「いや、兄さん……現王は俺の力知ってるぞ。小さい頃は一緒に遊んだし」
「は?」
思わずそんな声が出た。全員の視線がシロに集まった。お菓子に夢中だったエリューラですら食べるのをやめてシロを凝視している。
「知ってた?」
ベリータの確認にシロは頷いた。何でそんなに驚いているんだという反応にベリータの方が驚く。たしかにシロは世間知らずだ。
「兄は剣術にも体術にも優れていたし、頭も良かったし、精霊が見えなくとも十分魔法が使えた。俺なんて必要なかったんだろ。王になってからは一度も会いに来てくれなかったし」
そうシロはコーヒーに砂糖を入れてスプーンでかき混ぜながらこぼしたが、そんなわけがない。シロの力をうまく使えば、ニザルス王国だって攻め落とせる。
そう思ったところでベリータは気づいてしまった。
「シロ……お前、愛されてるな……」
「は?」
シロはさっきのベリータと同じ反応した。何も理解していないシロにベリータは生ぬるい視線を向ける。
そもそもこの結婚、持ち出してきたのは亜の国だ。平和協定を強化するために自分の弟とイザベラ王女を結婚させてくれと。王女の誰かではなくイザベラ指名だったのだ。
引きこもり姫と噂される自分を指名するぐらいだ、向こうはこちらの情報を知らないか、国交を強化できれば何でもいいと考えている。そうベリータは認識していたが、シロの兄は知っていたのかもしれない。イザベラが一般人に混じって亜人を助けていることを。
人間には正体をバレないように気を使っていたが、亜人にはそこまで気を張っていない。レイネスのように嗅覚が鋭い獣人は多い。精霊魔法だって亜人の方が得意だ。なにかの切っ掛けでシロの兄は知ったのだろう。亜人贔屓の王女がいると。
考えてみればシロが行方不明になってる間、亜の国からなんの反応もなかったのもおかしい。シロに対して興味がないのかと思っていたが、それならばイザベラを指名したことに矛盾が生まれる。
逃げることも想定していて、それでもいいと思っていたのかもしれない。世間知らずではあるが精霊がついているのだ。頭もいいし、何だかんだシロは一人でもやっていけただろう。当面のお金だってちゃんと持っていた。側仕えが用意したものと思っていたが、あれももしかしたら……。
「君の兄にいいように利用された……」
そういいながらカウンターに突伏するとシロに不思議そうな顔をされる。間をおいてからルブラが察した顔をした。ルブラにはよく入れ替わってもらっているので結婚の詳細も知っている。
「亜の国の王は悪い奴なのか!?」
利用されたという言葉に反応してエリューラが叫ぶ。ベリータはそれに違うという意味を込めて手をひらひらふった。
「悪い奴ではない。ただブラコン」
シロへと視線が集まる。シロはベリータの言葉の意味がよく分からなかったようで眉を寄せていた。
「簡単にいうと、私はシロを幸せにしないとお前の兄に戦争ふっかけられるかもしれないということだ」
あながち冗談とは言い切れない。亜人は身内に甘い。立場を利用して弟を他国に逃がすような兄だ。ニザルス王国がシロを蔑ろにしたら即刻攻めてくるだろう。
ベリータはシロを気に入っているから、そんなことにはならないのだが。
「問題ないだろ。俺の婚約者は俺の夢を叶えてくれるといったからな」
顔をあげるニヤリと笑うシロと目があった。初めてあったときの警戒しきった顔とは違う。自然な表情。それが向けられたことに胸の奥から歓喜が湧き上がる。
「そうだな。お前の夢はイザベラ様の夢であり私の夢でもある」
だから叶える。二人で、頼もしい仲間たちと共に。
「しばらく忙しくなるなあ」
「ベリータ、給料弾んでくださいね」
「慰安旅行とか行きたいなー」
「新しい調理器具ほしいんだよなあ」
「スイーツ!!」
「お前ら、遠慮がないな」
口々に好き勝手なことをいう仲間たちにベリータが顔をしかめる一方、シロは楽しげに笑っていた。
引きこもり姫ことイザベラ王女と亜の国の王子が正式に婚約を結ぶという話はニザルス王国中を駆け巡った。お披露目にて国民の前に姿を現した王女と王子は仲睦まじく、国民は時代の変化を感じ取ったという。
同じ頃、何でも屋の窓口でもある酒場ヴァハフントに蜥蜴族の少年が出入りするようになったことを知るものは少ない。彼の隣には王女と同じく赤髪の、しかし王女とは正反対の快活な女性の姿があったという。
亜人の花婿 黒月水羽 @kurotuki012
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