第7話

「全てだ、これがお前らに伝えられる全て。俺はあの子を助けたい」


 静寂が部屋を包む。

 それまでの、得体のしれない不気味な男が今はひとりぼっちの哀れな男に見えてならない。


「……悪かった。僕も、あんたが最後の情報源で、逃げられそうになって気が動転していた……すみません、でした」


 意外なことに、最初に口を開いたのは郷二だった。


「いや、俺も悪かった。最後の希望だと思って来てみたら、待っていたのは子供で、魔導書とか何とか言い出して……俺にも非がある。許してほしい」

「……まぁ、仲直りがすんだんだ。今度はオレ達の事情を話す番だな。だけどその前に」


 楽之助の視線が藤巻の足に向けられる。痛々しく出血した傷だらけの足。


「包帯とか買ってくる。その間に説明しといてくれるか」


 怪我に関して責任を感じていた郷二が真っ先に名乗りをあげ、外へと出ていった。


「オレからも謝ります。あいつ普段はもっとちゃんと考えて動く奴なんすけど……」


 楽之助が頭を掻きながら謝罪する。藤巻が頭を振って、謝罪を制す。


「いいんだ。それよりも、話してくれるか……君達に何があったのか」

「……ええ。まずは、そうですね。最初はやはり、あの図書館……郷二があの本を見つけたことが、全ての始まりでした」


 楽之助の説明が始まった。楽之助達が体験した、世界を冒涜する唾棄すべき話が。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「『極地』、魔術、蛞蝓に白蛆の神……にわかには信じがたいが……信じるよ。さっきあんなものを見せられた。信じる以外に道はないしな」


 楽之助の話を聞いた藤巻が二人の方を向いて話す。彼の足には包帯がまかれ、適切な処置がなされていたがその包帯には痛々しく血がにじんでいた。


「さて、時間は有限なんだ、本題に入ろう。全員気付いているとは思うが、中上波流は確実にあのクソったれな神に関連した事件に巻き込まれている。そして、彼女が残した手掛かりはメールに添付されていたというパス付のデータだ。藤巻さん、今そのデータは手元にありますか?」

「ああ、この中にある……このパスワードなんだが、思いついたものを一通り試してみたが開かなかった。心当たりはあるか?」


 郷二は藤巻が取り出したパソコンの画面を見つめ、小さくうなずいた。


「中上波流の残した魔術。それに対応した代替句、そこには数字の羅列があった」

「魔術……さっきの話でも出てきてたが、想起と代替で『極地』を再現する術……そういわれてもよくわからないんだが、もう少し詳しく説明してくれないか?」


 眉をひそめて尋ねる藤巻。だがそれも仕方がないことだ。どれだけ説明をしても、あの『極地』を経験していない者が、その本質を理解することなどできない。


「魔導書を開いた者の頭には『極地』の情報が流れ込みます。その情報というのは『極地』の世界の細部までです。地面に積もった雪一つ一つの結晶や天に伸びる氷の柱に刻まれた小さな傷に至るまで、事細かに。波流さんが利用したのはその傷です。ほぼ無限に続く氷の柱に偶然できた数字に見える傷、これを魔術で再現して、藤巻さんの電話番号を組み上げていたんです。そして、『極地』に現れた氷の柱の順番が、『一〇〇七』『二三八』『六五二〇一』……っと」


 そう言いながら郷二がパソコンにその十二ケタのパスワードを入力すると……


「開いた。中身は……三つに分けられてますね。どれから見ますか」

「……その容量が一番少ないやつから……頼む」


 三年間待ち望んだ妹へ前進する手掛かりだ。握り締められた手が小さく震えている。

 郷二が、パソコンを操作しデータを開いた。表示されたのは文章。短い文章だった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


『外に奴らがいる。這いずり回る奴らの音が聞こえる。ごめんね、気付くのが遅れちゃった。もう、駄目かも。明日にでもお兄ちゃんに電話しようと思ってたんだけど、一歩遅かったみたい。ごめんね、昔みたいにまた一緒に遊びたかったな。

 でもお兄ちゃんにあの雪原の世界は、この本は見せられないや。あの外れた世界は、心の中に曲げられない強い芯を持っている人には凄まじい毒になる。今までお兄ちゃんの事ずっと見てきたから、わかっちゃうんだ。

 ごめんね、本当にごめんなさい。だけどお願い、この街を救って欲しい。あのナメクジ達から、お母さんとお父さんを、友達のみんなを、どうか助けて欲しい。

 私の日記と、魔法の研究資料を添付します。どうか、役立てて下さい。

 それと、この文章を見れてるってことは、そこには勇気と正義を持った人がいるのかな?だったらお願いします。どうか、お兄ちゃんを支えてあげて下さい。お兄ちゃんは臆病で自分勝手な人だから、どうかあなたが支えてあげて下さい。

 ごめんね、本当にごめんね。ばいばい、お兄ちゃん。好きでした、大好きでした。大好きだったよ、お兄ちゃん』


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 その文章は、まるで……


「……遺書じゃねえかよ……これじゃぁよ…」


 俯く藤巻、伏される目。彼がこれを見て何を思うか、それは彼だけのもの。


「……もう二つのデータの内、片方は十枚くらいの写真です。大学ノートに描かれた内容を写真でとったものみたいだ。これは恐らく研究資料……なら、もう一つのデータは……」


 日記だ。中上波流が残した彼女の日記。だが、研究資料ならまだしも日記を藤巻に差し置いて見るというのは……

 その時、藤巻がうめくように言葉を漏らす。


「覚悟は、していた……三年前のあの時に。君らの話を聞いた時に。覚悟はしていたんだ。だけど……ここまで、ここまでの苦しみだなんて……」


 何も言えない。彼らは絶望に立つその男に対して、何も言えない。


「……開けてくれ、郷二。あいつの残した日記を。俺は、見なくてはならない。あいつが残したものを俺は見なくちゃ、なんねえんだ」


 それでも、彼は前を向いた。赤い目をこさえ、どれほど握り締められたかわからない拳を再度握り、彼は前を向いていた。郷二の指がデータを、波流の日記を開く。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


11/17(木)

 今日から日記をつけようと思う。

 心が荒んでいくのを感じる。理由はもちろんあの本だ。三日前に図書館で見つけたあの本。

 こんなこと誰にも言えない。だから、まだ私の意識がはっきりしている内に日記をつけ始めようと思う。後で見返して、私がちゃんと理性を保っていられてるか確認する為に。

 まずは、あの日に何が起きたか、それから書き始めようと思う。今までの私の十四年間が簡単に崩れ去ったあの日の話。

 あの日私は図書館にいた。落白市立図書館。

 小さい頃からよく図書館には行っていた。お兄ちゃんを遊びに誘うと、図書館とか博物館とか、そういう堅っ苦しい場所ばかり連れてくもんだから、私のお気に入りもなんだか古臭い場所ばかりになってしまった。だけどその日はいつもみたいに小説を読んだり勉強をしたりじゃ物足りなくて、いつもは行かない二階、その奥の難しい本が置かれてる場所に足を向けたの。野草の図鑑や物理の本とか、面白そうな本がいっぱいあった。なんでもっと早く来なかったんだろうって後悔した。他に面白そうなものはないかなって、奥に、進んでいった。

 二階の本棚の一番奥の方はどんどん堅苦しい本が増えていって、もういいかなって思ったときにその棚はあったの。

 『宗教』の本棚。私がなんでその棚に惹かれたか、今ならわかる。あの本があったから。気づいてなくても無意識の内に違和感を感じていたから。

 そして私は手に取った。適当に選んだ本、いや、私が選ばれたんだ。あの本に。

 ページを開いて、私は、あの雪原に放り出された。

 次に気が付いた時には、私はお父さんの運転する車に乗ってた。後部座席に寝かされてて、隣にはお母さんがとても心配そうな顔で覗き込んでいた。お母さんが言うには、私は図書館の通路に倒れてたらしい。鼻血を垂らして、血反吐を吐いて、気絶してたらしい。

 連絡を受けた時は心臓が止まるかと思った、どこも悪い所がなくて良かった、そう言って笑うお父さんとそれでも心配そうなお母さん。

だけど、私の覚えてることはこの位。なぜならその時私はあることに意識を囚われていたから。それに気づいてしまっていたから。目線の先、車の中に置かれた私のカバン。そのチャックが少しだけ開いて、そこから、あの、白く燻んだあの本が覗いていたから。

 次の日は学校を休んだ。お母さんがすごく心配して、今日くらいは学校を休めと言ったから。

 その次の日、つまり昨日は学校に行った。一日休んだだけなのにみんなすごい心配してくれた。学校に行ってよかった。

 そして今日、決心してあの本を開いたの。あんなもの、どっかに捨てるか、図書館にこっそり返すか、すごい迷ったけど私はまたあの本を開くことを選んだ。好奇心は止められなかった。

 こんなもの私は知らない。こんな世界に魅入られている私は、もしかして既に頭をおかしくしているのだろか?後になってこの日記が見つかった時には、気の触れた頭のおかしい子、そういう風に見られるのだろうか?

 だけどそれでもかまわない。人智を超えた埒外の世界。そういう恐怖を感じていても、私は今、わくわくしている。こんなものがあるだなんて世界で一体どれほどの人が知っているというのか、こんなわくわくすることなんて他にはない。


11/18(金)

 今日も一ページを読んだ。このペースで少しずつ読み進めていく。読むごとに心が削られていくのを感じる。心にあの白い世界が食い込んでくるのを感じる。

 学校の帰り道に猫と会った、すごくかわいい黒猫。撫でまくったら逃げて行った。やりすぎたかもしれない。最近寒くなってきた。誰かにつけられている気がするけど、どうせ気のせいだ。心が弱ってる証拠だ。


11/19(土)

 読了:三ページ

 今日魔法を使った。荒唐無稽なことだという自覚はあるけれど、それでもこれを魔法と言わないで何と言えばいいのか、興奮しているのが自分でも分かる。もっと知りたいけれど、頭が痛いから今日はもう寝る。下でお母さんが呼んでる、何も食べる気はおきない。


11/20(日)

 読了:四ページ

 天井につきそうなくらい大きな氷の塊を作れる。魔法を使えば。

 友達が遊びに誘ってくれたけど、今は魔法に集中したい。


11/21(月)

 読了:三ページ

 今までは感覚頼りだった魔法の仕組みが少しずつわかってきた。あの世界を出来る限り思い出すことが大事みたい。スケッチブックにあの世界の絵を描いてそれを見ながら魔法を使ってみた。吐いた。頭が痛い。絵はやりすぎだ。抽象的な図とかの方がよさそう。


11/22(火)

 読了:三ページ

 最近学校が終わればすぐに家に帰って本を読んだり、魔法を研究したりの生活が続いている。みんなは私に彼氏ができたんだと思ってるみたい。ありえないけど、魔法の研究やってますなんて答えられないし、好都合だ。

 私が否定しなかったらみんな世界の終わりみたいな顔して「先越された!」って叫んでた。好きな人がいるのなら、みんなももっとアプローチかければいいのに。奥手な娘達だ。


11/23(水)

 読了:二ページ

 図で思い出して、言葉で補強する。これが魔法の正しい使い方な気がする。

 もっともっと魔法に関して書きたいことがあるけれど、これじゃあ日記にならない。研究ノートを別に作った。魔法に関することは今度からそっちに書きます。

 さっきお母さんに体調を心配された。本を読んだり、魔法を使ったりで顔色が悪かったみたい。一晩寝れば大抵良くなるんだけど、夜の間に顔を合わせちゃう家族には隠しようがない。困った。この前倒れてからお母さんが死ぬほど心配してる。不安にさせて申し訳ない。私の知的好奇心がまさかここまですごいものだったとは……将来はノーベル賞か?


11/24(木)

 読了:二ページ

 本の二周目を読み終えた。吐いた。だけどあの世界への理解度は確かに深まった。今ならもっと精密で規模の大きな魔法を使えそう。

 学校からの帰り道、何かの音がする。水っぽいこすれるような音、引きずるような音。気になりだしたら止まらない。今までも聞こえていただろうか、あんな音。


11/25(金)

 読了:〇ページ

 読書はちょっとお休み。みかんを食べました。すっぱくてハズレでした。


11/26(土)

 読了:一ページ

 今頃になって疑問に思うなんて酷くおかしな話だけれど、この本って何なんだろう。

 やっぱり本の内容自体は見せられないけど、今度お兄ちゃんに連絡してみようかな。あと一月もしたらお正月だ。今度こそ、絶対帰省させてやる。

 いや待て、私の方から東京に行くというのは?やばい、なんで今まで思いつかなかったんだろう。名案すぎる。学校は来月の二十三日から冬休みだ。え、クリスマス一緒に過ごせるじゃん!名案がすぎる。ノーベル平和賞受賞。


11/27(日)

 読了:〇ページ

 そうと決まれば早かった。今日は友達と一緒にショッピングだ。N駅の駅ビルまで行ってお兄ちゃんにあげるクリスマスプレゼントを選んできた。すごい悩んだけど、私が小さい時に落として割っちゃった万年筆を新しく買ってみた。お兄ちゃんはどうせパソコンしか使わないから気にするなって言ってたけど、私は万年筆を使ってるお兄ちゃん好きだったから、懐かしくてこれを買っちゃった。気に入ってくれると嬉しいんだけど……

 そういえば今日は読書してなかった。忘れてた。まあ、次お兄ちゃんに会った時の話のネタくらいに思っとこうかな。一か月後が今から楽しみ。


11/28(月)

 いる。確かにいる。見てしまった。

 今日も帰り道で誰かの視線を感じて、私はそっちの方へと駆けて行った。いい加減うっとうしく思ってたから。走って行ってその路地に入った時、それの後ろ姿が見えた、いや尻尾、尻尾と言っていいかもわからない。あれはナメクジだ。

 大きなナメクジ。だけど、大きさとかは大した問題じゃない。わかってしまった。あのナメクジはあそこから来たんだ。あの世界、雪原の世界から。最初から私は見張られてたんだ。今ならわかる……この白く燻んだ本は撒き餌だ。側溝の奥から、林の中から、奴らの視線を感じる。どうして今まで気づかなかったのか……私はずっと監視されている。

 私は今この日記をベッドの中で書いている。家に逃げ帰ってから、制服も着替えずに毛布に包まって、万年筆をお守りにして、ガタガタと震えている。

 外はすっかり闇に包まれて、日付もそろそろ変わりそう。

 明日お兄ちゃんに電話しようと思う。きっと最初は怖い夢でも見たのかって笑うと思うけど、ちゃんと説明すればわかってくれると思う。お兄ちゃん頑固なところがあるから心配だなぁ。でも、お兄ちゃんのこと考えたら元気が出てきた。昔からそうだ。お化け屋敷で怖くて動けなくなった時も、骨折して大泣きした時もお兄ちゃんの事を思い出せば勇気が湧いてきた。うん、大丈夫。勇気が湧いてくる。明日お兄ちゃんに電話しよう。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 嗚咽。鼻をすする音と、引きつった喉の音。顔を覆った掌の隙間から絶えず涙が溢れている。

 三年待った彼に突き付けられた残酷な事実。この世に彼の探し求める人はもういない。藤巻は郷二達に起こったこの二週間の出来事を聞いている。失踪事件に巻き込まれた被害者がどういう結末を迎えたのかを知っている。白蛆が人を食べると知っている。

 分かってしまっている。波流がどんな最期を迎えたのか。


「……藤巻さん」


 楽之助が何かを言おうとしたが、続かない。きっと今の彼を救うことができるのは波流だけだ。しかし、彼女は、もういない。


「……楽之助…持って、るのか」

「…なにを、ですか」

「『魔導書』をだ」


 黙る楽之助。彼のカバンの中には『魔導書』がある。家に放置するわけにもいかず、裏方に回るはずだった楽之助が保管していた。


「折れちまいそうなんだ……あの子が、いな…いなんて、耐えられない。だから……納得したいんだ。本当に、俺があいつの所に向かっていても無駄だったのか……本当に俺は『極地』に耐えられないのか」


 心が折れそうな人間が『極地』を見るなど自殺行為だ。あの汚濁の世界は、弱り切った心の最後の部分を容赦なく断ち切る。


「藤巻さん……今のあんたがすべき事は、波流さんの最期の手紙に書かれてた、『この街を、みんなを救って欲しい』っていう」

「わかっているッ!」


 絶叫がこだまする。血の滲む声。


「でも、無理なんだ。無理なんだ無理なんだっ!…無理……、なんだ……ッ」


 両の拳を机に強く叩きつける。俯いた顔から幾つもの水滴が落ちた。無理なのだ。彼は、救えたかもしれない『もしも』を放置したままこの先に進むことができない。


「楽、本を渡してあげて欲しい」

「マジで言ってんのか?どうなるかわかったもんじゃねぇ、最悪死ぬぞ」

「それでもだ」


 それを確認しない事には、藤巻は生きていけない。ここで『魔導書』を見ずに死ななかったとしても、生きることができないのだ。だから彼には『魔導書』を見る以外の選択肢はない。


「藤巻さん、これを」


 郷二が藤巻に語り掛けるも、そんな言葉などまるで耳に入っていない藤巻は本に手を伸ばす。その手を制して郷二は言葉を続ける。痛ましい、魂の抜けた藤巻に向けて続ける。


「……妹さんが大好きだと言ったあなたは、もっとかっこよかったんでしょうね」


 手が、止まる。郷二の言葉が彼の中をこだまのように反響し、時間だけが過ぎていく。

 数秒後、伏されていた顔を上げる。震えるその手は未だ止まらず、青白い顔は今にも吐き出しそう。噛み締められた口にはどれだけの泣き言が漏れ出そうになっているのかわからない。けれど涙は止まっていた。彼の目に涙はなく、まっすぐに前を見つめるその眼は、あまりにも、


「…かっけぇっすよ、本当に」


 『魔導書』は開かれた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 二人並んで歩く郷二と楽之助。彼らを照らす太陽は赤く染まり始め、思っていた以上に時間が経っていたことを知る。二人ともカラオケルームでの出来事を思い出していた。

 結果から言って藤巻は『極地』を乗り越えた。全身からの出血、止まぬ嘔吐と凄まじい頭痛。乗り越えたというにはあまりにも重い代償だったが、藤巻は生きて、あの世界から帰還した。

 そして同時に理解した。自分が『極地』に耐えられないと、あの子を助けられる可能性など最初からなかったのだと。藤巻生還後、彼らは藤巻の手当てをした。しかし口を利けるまでに回復した藤巻の、今は一人にさせて欲しいという頼みを聞き、二人は帰路についている。

 藤巻は捜査に協力すると約束してくれた。波流の残したデータと、暴露に長けた記者の藤巻。捜査は大きな進展を見せるだろう、そう確信を持てる収穫だった。


「ところでよ、郷二。お前なんで最初の方あんなにピリついてたんだ。らしくねぇ」


 今彼らはN駅に向かって歩みを進めている。灯美と連絡を取った所、あちらの用事も片付いたとのことで、丁度いい時間の電車もあることだしその中で合流しようという事になったのだ。


「……わからない、僕にも」


 明らかに今日の郷二はおかしかった。いくら情報が得られないことに焦っての行動だったとはいえ、すぐさま攻撃に出るというのはあまりにも不自然だ。相手が敵か味方かわからなかったとしても、あの状況なら魔術を少し発動するだけで藤巻の信頼は得られたはずなのだ。だから、おかしい。合理的に動けるはずの郷二のおかしな行動、楽之助は不思議でならなかった。

 改札を抜け、ホームへと続く階段をのぼりながら郷二が話す。


「藤巻さんに対して、どうしてあんな攻撃的な態度をとってしまったのか……」


 郷二達が乗る電車は既に到着しており、灯美からメッセージが届く。

 三番車両にもういるみたいだぜ。歩みを進めながらそう言う楽之助の言葉も耳を通り抜けていくだけで、今の郷二には届いていなかった。前を行く楽之助に無意識でついていく。

 車窓を通して車内を照らす赤い夕日が郷二の目に染みた。

 そんなことを考えていた時、唐突に横腹を小突かれる。小突いたのは呆れ顔の楽之助。


「お前なぁ、外の夕日なんかより見るべきものがあんだろ?ったくよォ」


 溜息交じりに呟く楽之助だが、郷二にはまったく意味が理解できない。どういう意味だ?そう思って視線を前に向けた時、同じく呆れ顔の灯美と目が合った。郷二が考え事をしている間に、灯美達と合流していたらしい。

 しかし、不機嫌に郷二を睨む灯美を見て、ますます訳が分からなくなる。


「な、なんでそんなに……」


 そう言って狼狽を隠すようにユウヒに目を向けた時、ようやく二人の顔の意味が分かった。

 そこにいたのは、恥ずかしそうに灯美の後ろに隠れようとしているユウヒ。しかし、その装いはN駅に来る時に着ていたものではなかった。

 オーバーサイズのセーターに身を包み、靴に至るまで新しいものになっている。

 ユウヒをその場に残したまま郷二の両脇に立って左右から郷二をつつく二人は、ニヤニヤといやらしく笑っており、それと同時に灯美はどこか誇らしげにユウヒを眺めていた。


「あ、あの……」


 そう言って俯いてしまうユウヒ。彼女の顔が赤く見えるのは夕日のせいだけではないだろう。


「……似合ってる。すごく……」


 郷二の後ろで馬鹿二人が歓声を上げているが無視。その言葉を聞いて恥ずかしそうに俯いていたユウヒが顔を上げる。はにかんだような笑顔で郷二の目を見て、楽しそうに話す。


「聞きたいことが、いっぱいあるんです。見るもの全てが気になって……たくさん、たくさん話したいことがあるんです。キョージ」


 彼女の笑顔に、郷二の顔も自然と綻ぶ。

 幸せだと思った。彼女が笑って、二人で話して、それだけの事なのに何故か郷二の心は満たされている。

夕日に照らされた電車の中で、二人は時間の経つのも忘れて、いつまでも話をしていた。

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