第5話 そして、後半。~大宮哲郎氏の回想
講座の後半が始まる時間がやって来た。
集まっていた両者の親族は、客席と舞台の、それぞれの位置に戻る。
後半は、紙芝居ではなく、山上保母の言うなら「トークショー」。
紙芝居も人気ではあるが、こちらも人気なのである。
それは、確かに山上女史の話が興味深いものばかりであることに加え、家庭の悩みなどの相談を受付けているからということも、大きい。
ここは言うなら、紙芝居以上に、「双方向」の企画なのである。
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「今日は、先ほど御覧いただいた「青い鳥」の紙芝居を子どもの頃からご覧いただいた方にお越しいただいております。その方を、お呼びしたいと思います」
かくして、紹介された大宮哲郎氏は、山上女史のいる木枠の横に招かれた。
山上女史は、大宮氏に先ほどの紙芝居の思い出を語ってほしいと依頼した。
これは、先ほどの休憩時間に打合せていたこと。
大宮氏はその段階ですでに、承諾済である。
彼は、中学生になりたての頃、初めてその紙芝居を見た時のことを話した。
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私が先ほどの「青い鳥」の物語に出会ったのは、忘れもしません。
昭和25年、中学生になってすぐの春先のことでした。
当時、養護施設よつ葉園は、「あおぞら劇場」と言いまして、よつ葉園だけでなく地域の子どもたちにも楽しんでもらえる、地域の人たちが交流できる娯楽を提供しようという意図で、当時の古京園長と森川常務理事のお二人が発案されたものであると、のちに園長になられた森川一郎さんより伺っております。
実は、この「青い鳥」もそうですが、西洋の昔話の紙芝居は、当時の進駐軍の日系兵士と言っても、将校でいらっしゃいまして、日本への留学経験もある方でしたが、その方が寄贈してくださったものでした。
しかしながら、この話、英語版をお持ちになられましてね。
御本人、通訳もされているくらいですから日本語は私たちくらいぺらぺらなのにもかかわらず、こんなことを言われました。
「どうせなら、森川先生の知っておられる賢い(旧制)中学生の諸君に、この英語の分を訳させて、それで、紙芝居をされたらどうでしょうか?」
実は、その依頼を受けて翻訳したうちの一人が、私の兄・大宮士郎です。
兄とその友人の皆さんが訳されている現場、私も何度となく見ました。
単に英語を日本語に置き換えるだけでなく、子どもたちによく伝わるようにしなければいけませんよね、こういうのって。
皆さん、優秀な方でして、今は大いに出世されている方々ですけど、それゆえにかとは思いますが、ものすごく、頑張っておられたのが印象に残っています。
それでも、出来上がった原稿をその進駐軍の将校さんにお見せしたら、大いに褒められました。
これなら子どもたちもわかるし、大人にとっても教訓になる、いい訳だ、と。
本日の紙芝居の裏側には、そんなお話も、ありました。
それでね、じゃあ、現場でどのように運営されているかをしっかりと見届けようということで、森川先生と古京先生と一緒に、私も、山上先生、いやいや、独身の頃でしたから新橋先生の紙芝居を、近所やよつ葉園の子らと一緒に、観ました。
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