第10話 後輩保母の来場と、娘婿のスピーチ 2
(伊藤正義氏のスピーチの続きです)
ちなみに私は、岡山県庁に勤めております。特に、子どもにかかわる部署にいるわけでもありません。それはともあれ、私どもの職場には「労働組合」というものがあります。私自身は特に加入していませんが、組合に入っている同僚は何人かおりますし、特に仲の良い人も数名おります。
彼らと実は先日飲み会というか、休み前の帰りに一杯飲んできましてね、その時私、思うところあって、義母の仕事について話しました。
労働組合の同僚らは、こんなこと、言っていましたね。
「伊藤君のお義母さん、それにしても、すごい仕事をされてきたものだな。生活と仕事が一緒になるというのは、何だ、趣味と仕事が一緒になる以上にきついと思うのは、わしの気のせいかなぁ? 同僚に国鉄から来た人がいるが、その人の周りにはなんだ、マニアみたいな人も何人かいたみたいだが、職場でそういう話をされるのは、周りは存外ありがた迷惑な様子だったと言っていたね」
その人の部署に、国鉄の分割民営化に備えての人員整理のあおりを受けて、国鉄を辞めて県庁に来た人がおられて、と言っても、その人や私より1回り近く若い人のようですけど、その人自体は鉄道マニアじゃないし、仕事として国鉄に入ったけれども、趣味の対象としたことは一度もない人です。
確かに、そう言われてみれば、義母が保母としてよつ葉園でしてきた「仕事」というのは、実は「家庭生活」の延長のようなもの、山上敬子先生にとっては、もう一つの家庭のようなものであったのかと、そのように感じられました。
趣味と実益を兼ねる、って言葉がありますよね。
趣味が高じて、それが仕事になる。それが本業であれ、副業であれ。
しかし、生活が高じて「仕事」になるのはちょっと、私には違和感ありますね。
そういう意味では、あの手の職場において「労働組合」なんてものがなじむかどうかというのも去ることながら、そんなこと以上に、「労働者の権利」なんて言葉も、その地で使われることに異様な違和感があるのは確かです。
子どもたちにしたって、そうでしょう。
世話をしてくれる担当の「先生」と呼ばれる人が、労働組合の代表者で、園長先生という「使用者」と団体交渉をするとか、そういう姿を見たら、どんな思いを持つかなと、そんなことを考えたりもしました。
これが保育園とか幼稚園なら、保母さんたちが「労働組合」を作って園長と団体交渉をしたと言っても、さほどの違和感はありませんが、生活の場である養護施設でそういう事態になることは、確かに、違和感のようなものしかないです。
もちろんこれは、養護施設の職員の「労働者としての権利」を否定するものでは全くありませんけどね。
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