#15 記憶
俺たちはあの多機能ボートで海底を歩きつつ、真魚島の裏側へと回り込んだ。
「ヨースケ、秘密ノ穴、ナイデスネー」
「ああ、今はな。多分俺の兄ちゃんが塞いだんだ」
「What?」
「俺の兄ちゃんは失踪したんじゃない。工場の秘密を知ってそれで殺されたんだ」
「忘れろ」という言葉は、ばあちゃんだけから聞かされていたわけじゃなかった。
兄ちゃんからも言われていたんだ。
それも俺と兄ちゃん以外には絶対に言わない「男の約束」だったから。
俺はずっとその記憶を封印していた――だが今、しっかりと思い出した。
この海に静かに眠っていた俺の記憶を。
俺が指示した場所は一見するとただの岩肌だ。
だがそこは一枚岩なんかじゃない。
崩れた岩が積み重なっているだけ。
多機能ボートに設置されたマニピュレーターで探ってみると、外すことができた。
岩をつかんで抜き、捨てる。
ある程度どかすと上から崩れてきて、素手だったらけっこう大変だったなこれ。
岩どかし作業は、三人の中では紀子が一番上手だったからタブレット端末を渡し、その間、俺は長い昔話を始めた。
工場近くの「抜け道」洞窟もそうだが、このあたりは細い洞窟がけっこうある。
大人が入れなくとも子供は入って遊ぶんだな。
そういう場所に子どもが入り込んで怪我したり戻ってこれなくなることもあって、大人からは洞窟には近寄るなと強く言われていた。
でも俺はそんなの聞くような大人しいガキじゃなかった。
逆にそれで火がついてあちこち探し回ったりしたくらい。
そうやって見つけた洞窟の一つが、この崩れた入り口の向こうの洞窟だった。
真魚島の外海側の、しかも海中にそこそこ潜らないと入れない場所が入り口だから、ここはきっと俺と兄ちゃんしか知らないはず。
俺の兄ちゃんは歳が離れていて、俺が小学校に入ったのと入れ替わりに中学を卒業した。
分校は小中兼ねていたが高校はこの村にはなかったから、俺は兄ちゃんと一緒の校舎には通えてないんだ。
卒業した兄ちゃんは、高校へは行かず、すぐに工場で働くようになった。
それでも休みの日には俺と遊んでくれたよ。
兄ちゃんと一緒のときは真魚島の外海側に出られたから、俺は嬉しかった。
この洞窟だって、そうやって兄ちゃんと一緒のときに俺が見つけたんだ。
俺は子供だけの秘密基地にしようって兄ちゃんに言った。
自分の手柄を褒めてもらえると思って意気揚々と。
だけど兄ちゃんの反応は思ってたのと違ったんだよな。
外海へいったん潜らなきゃいけないここは、皆に教えたら一人で来ようとする小さな子が出てきて、その子が溺れるかもしれない。だから秘密にしとこう――そんな感じだった。
のろまのひろしのこととか頭に浮かんだよ。
その頃のタカコだってまだギリギリ小学校入ってなかったと思うし。
本当はさゆりちゃんにだけは教えたかった。
でも秘密を知る者が増えればそれだけ危険は増えるから絶対に秘密にしろって言われて、俺は兄ちゃんと約束した。
そしてそこは俺と兄ちゃんだけの、兄弟秘密基地になった。
それからは兄ちゃんの仕事が休みになるたび俺たちはここへ来てこっそり話をした。
兄ちゃんは野球が上手だったから、本当は野球選手になりたかったんだよな。
高校に行けてたら、絶対に甲子園で活躍できたはず。
そして将来はプロになって金持ちになって、この村を出ていくつもりだったのにって。
工場に奪われた皆の自由を買い戻すつもりだったって。
兄ちゃんがプロで活躍して大金持ちになって、工場以外に働く場所がなくて従うしかない村の人たちを解放するのが怖いから、両親を脅して高校進学を諦めさせて工場に勤務させたんだろうって言っていた。
でも実際、兄ちゃんが村にはない高校へ行けなかったのは、村長が禁じたから。
村の中の誰もが逆らえなかったんだ。
ああでも、そんときだっけかな。
俺が探偵になりたいって考えるようになったのは。
あの工場はどう見ても怪しいから、いつかその悪事を暴いてやるって言ってさ。
村の駐在さんはなんか村長に頭を下げまくっていたから警察に対する信用はなかったんだ。
そのうち兄ちゃんはどんどん仕事が忙しくなってさ。
休みの日も少しずつなくなっていって、俺は一人で兄弟秘密基地に行くことが多くなった。
兄ちゃんが突然、やっぱ休めたよっつって来てくれるんじゃないかと淡い期待を持ちながらな。
一人でずっとそこで過ごすうち、暇を持て余して洞窟の奥へ奥へと潜るようになったんだ。
探偵の練習だ、なんて自分では思っていた。
当時はまだLEDとか防水とかじゃない懐中電灯をさ、ビニール袋で防水して持ち込んで。
あとさ、クリスマス飾りあるだろ。蓄光の。
アレを鉛筆削るナイフで細かく切って、分かれ道とかに置いといたんだよ。
明かりをつけて探ってると、光を吸収して目印になるからな。
ずっと一人でうろついていると、地形もなんとなく覚えてくもんでさ。
電池がもったいないからってこまめに消してたのもあるかもな。
暗闇の中で、聴覚とか、風を感じる触覚とかがやたらと鋭くなっててさ――見つけちまったんだよ。
真魚島から工場へと続くルートをな。
洞窟の奥から吹く温かい風を辿っているうちに、俺は気がついたら工場に着いていたんだよ。
工場の、空調の排気設備あたりにつながっていたんだろうな。
ただそこはフェンスが向こう側から取り付けられていて、しかもフェンスの向こうはファンが回っていた。
そんなとこ入れるわけがない。
じゃあ、他の侵入路を探そうだなんて、なぜだかその時の俺は考えちまった。
村を見下ろせる高台にある工場がだよ、こんな地下深くにまで広がっていたなんて、男子を興奮しかさせねぇんだ。
俺は工場へ入れる場所を探して洞窟内を探しまくって、ようやく一つの穴を見つけたんだ。
腐った臭いと海の臭いがすごく強い場所だった。
大型のゴミ箱みたいなのが並んでるちょっとした空間に、手漕ぎボートがギリギリ入れるくらいの狭さで海が入り込んでいた。
そう。手漕ぎボートも一艘、置いてあって――なんか赤茶けて汚れまくりの。
そんな怪しい場所の、水路部分の真上に穴は空いていたんだ。
恐らく一度降りたら戻れないというのはわかっていた。
でも感覚的には海へ出れば恐らく港だろうというのも想像ついたから、俺は
まず最初に出口を確認して、そして愕然とした。
水路の入り口には鍵付きの扉が付いていたんだ。
金属とコンクリートで出来た頑丈そうなやつ。
ガキだったんだよな――普通そういう場所ってヤバい場所だろ?
でも俺はワクワクした。大人の秘密基地だっつって。
だからさっきのゴミ箱ゾーンへと戻って、さらにその先を目指した。
スーパーの従業員用通路んとこにある透明なビニールののれんみたいなのがあってな。
そこを抜けたら景色がまるで変わったんだ。
さっきまで洞窟だったのに、そこはもう建物の中だった。
俺はフラフラとその建物の中を探検した。
そして見つけたんだ。
やたらと広いあの場所を。
第一印象は水族館だったよ。
大きな筒型の水槽がいくつも、整然と並んでいてさ。
でもその中身がとんでもなかった。
海の中で見た、あの人間と魚の中間みたいな骨あっただろ。
あれにまだ肉とか皮膚とかついた状態でプカプカ浮いていた。
中には動物と魚の混ざったみたいなのもあってな。
俺はその場にしゃがみ込んじまった。
そこで俺を最初に見つけてくれたのが、兄ちゃんだったのが本当にラッキーだった。
兄ちゃんは慌てて俺に駆け寄ってきて、白衣をかけてくれた。
兄ちゃん、白衣の下は海パン一丁でさ、体中になんかコード付きの吸盤みたいなのつけててさ。
俺はそれがおかしくて笑っちゃったんだよ。
でも兄ちゃんはニコリともしないでさ。
「お前なんでここに居るんだよ?」
「海から……来れたんだ」
兄ちゃんの様子から、俺はとんでもないことをしちまったのだと気付いたが、その時にはもう遅かった。
誰かの叫び声が聞こえた。
多分、英語だったと思う。
その叫んだ誰かが懐から何かを出したんだよな。
拳銃だアレって思ったのと同時に、俺のすぐ近くを弾がかすめた。
逃げたかったけど、体が縮こまって動けなかった。
すぐに言い争う声が聞こえて、銃声がまた何度か響いて、そして俺は抱えあげられた。
「そのまま縮こまってろよ」
そのあたりのことは正直、あまり覚えていない。
兄ちゃんは俺を抱えたままあちこち走り回って、悲鳴も幾つも聞こえた。
俺は運ばれながらずっと自分を責めていた。
俺のせいで兄ちゃんが……考えたくはないけれど、兄ちゃん自身の手でも何人かが……。
俺はあたりが見えないまま、あの血生臭さを再び嗅いだ。
それからすぐ俺は床へと降ろされた。
音からそこがさっき見た手漕ぎボートの上だとすぐにわかった。
兄ちゃんはそのボートを漕いで――多分あの頑丈な扉のとこまで着いたんだろうな。
「息を大きく吸ってから鼻つまんで息止めてろ」
直後、俺は海の中へと落とされた。
すぐに兄ちゃんが抱えてくれて、すごいスピードでどこかへ運ばれて。
苦しくて、兄ちゃんの肩を叩いたんだ。
でも手触りが妙にザラザラしててさ。
そこで海面から顔が出たのを感じた。
「もっかい頑張れ」
俺はとにかくすぐに大きく息を吸い込んで、息を止めて。
「もういいぞ」
そこはもうあの洞窟だった。
目を開いた俺は、悲鳴を上げそうになった。
目の前に、鮫と人間が混ざったようなナニカが居たから。
その俺の口を、鮫人間の手が塞いだ。
「ごめんな」
そいつは兄ちゃんの声で謝ったんだ。
「……兄ちゃんなのか?」
鮫頭はゆっくりと頭を動かした。
頷いたみたいに。
「洋介、俺との約束、覚えているか?」
「……こ、ここをだれにも言わないってこと?」
「そうだ。それと……洋介は今日ここへは来なかった。工場にも。ずっと家に居た。これをじいちゃんに渡して、そういうことにするんだ」
俺は――さっきサワダへ渡したあの銀色の筒、あれに似たものを手渡された。
「兄ちゃんは……兄ちゃんはどうすんの?」
「俺は洋介が逃げ出しやすいよう、もうちょっと仕事をしなきゃだ。それとここへはもう来るな。誰も来れないように俺が塞いでおくから」
一方的に色々指示する兄ちゃんはとても急いでいる感じだった。
だから俺は全部兄ちゃんの言う通りにすると約束した。
この洞窟も、その日見たことも、全て忘れろという約束も。
最後にこの洞窟を出ようとしたとき、兄ちゃんが俺に言った言葉も、ようやくさっき思い出したよ。
「洋介。俺ってば怪人みたいな格好しているだろ? でもな悪モンじゃねぇ。心はちゃんと俺のままだぜ。信じてくれ。俺は戦うけどな、それは正義のためだけだから。兄ちゃんは仮面ライダーになったんだぞ」
そのときの鮫頭が、俺には笑っているように見えたんだ。
俺は人に見つからないように港まで泳いで戻った。
じいちゃんが港まで来てくれててさ、俺はじいちゃんの背中に隠れて家まで帰ったんだ。
その背中で、確かに聞いたのを覚えている――真魚島の方で大きな爆発音が
恐らくその夜のことだよ。
じいちゃんが出かけていって戻ってこなかったのも、研究所の所長が来て俺の両親が亡くなったって言ったのも、ばあちゃんが俺を連れてこの村を出たのも、全部。
話を終えて紀子の持つタブレットを覗き込んで見ると、なんとか入れそうなくらいの隙間が確保されていた。
「おっ。もう入れそうじゃねぇか」
ん?
紀子、泣いてるのか?
紀子どころかサワダまで。
「おいおい。俺はそろそろ行かせてもらうぜ。サワダ、海面に出て入り口って開けられるか?」
「待って」
紀子が背負っていたリュックの中から大きなビニール袋を二枚取り出した。
二重にしたその中へリュックやら、ポケットの中のものやらを収納し始める。
さらにはパーカーまで脱いで――水着?
「いつの間に……」
「さっきマリ子さんところでトイレ借りたでしょ。あんとき」
そう言いながらジーンズまで脱ぐ紀子。
膝までの競泳用みたいな水着。トイレが大変なやつだ。
「連れてかねぇぞ?」
平気で銃を撃つようなやつが居る場所に、紀子を連れていけるはずがない。
「私は行かないわよ。途中までしか。ほら、この先の侵入口、戻ってきたときに水路の天井からロープ下げる待機役とか必要でしょ? ほら、洋介も濡れちゃ困るもの、この中に詰めて」
紀子は不敵に笑った。
● 主な登場人物
・
笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女
・三島紀子
三島建設代表取締役三島
・
作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。
・洋介の兄
中学卒業後、工場へ勤務。プロ野球選手になる夢があった。工場へ迷い込んだ洋介を助けて、その後行方不明。恐らく The hybrid deep ones 化していた。
・洋介の両親
工場が有害だとして閉鎖されたあと、それを監視する「政府の研究所」で働いていたが、洋介が工場へ忍び込んだ直後に「自動車事故で帰らぬ人になった」と研究所の所長に告げられた。
・洋介の祖父母
漁師だったが、祖父は洋介の「両親の事故死」の日までは生きていた。その後、祖母は関東を転々とし、洋介を別の親戚へと預けた後、現在は沖縄在住。
・遠い親戚
静岡県で刑事をしており、幼き日の洋介を引き取った。刑事にだけはなるなと遺言を残している。
・洋介の
体が弱かったが、太平洋戦争中に墜落したアメリカ人パイロットを助け、村長にもなった。十年ちょい前もまだ村長をしていた。
・タモっちゃん
洋介の幼馴染で、一番家が近かった。本名は
・さゆりちゃん。
洋介の幼馴染で初恋の相手。本名は
・のろまのひろし
洋介の幼馴染。
・マリ子さん
さゆりちゃんの母。現在も村に残っている。十年ちょい前に夫を、十年前に娘を失っている。
・
洋介の幼馴染。いつも洋介の後ろをひっついてきた。幼少時は自分の名前をちゃんと言えなかったため「タコのタカコ」と呼ばれていた。この村に拠点を置く軍需企業の秘密を暴こうとしている。
・ふくはらときじ
デブふく。洋介よりも早く村から引っ越していった。恐らく喫茶店で会った力士、福乃海。
・ケンヤ・サワダ
INTERPOLのAgent。上半身裸に見えるが薄手のウェットスーツっぽい。下半身は青っぽいミリタリーパンツ、髪の毛は短い。タカコと共にこの村に拠点を置く軍需企業を追っている。タカコにフラレ続けている。
・The deep ones
ディープ・ワン。十九世紀初頭、マサチューセッツ州の小さな港町インスマウスで公的に知られるようになった「インスマウス病」という伝染病のようなものに罹り、普通の人間が魚みたいな蛙みたいな醜悪な生き物に変化した状態のこと。
・The hybrid deep ones
ハイブリッド・ディープ・ワン。その後の人体実験によりディープ・ワンを超える超人兵器として開発された存在。見た人に与える衝撃は、ディープ・ワンを凌駕する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます