#9 突破
車を停めて降り、道を塞ぐモノを確認する。
『この先工事中』の立て看板と、侵入禁止のバリケードが六つ。
それらのバリケードにはそれぞれ、中に水を入れるタイプのウェイトが幾つも取り付けられている。
「ねぇ、ちょっと念入り過ぎない? だってここ生活道路でしょ? 住民の人がさっきの街に買い出し行くときってどうしてるの? 通るときにわざわざどかす量じゃないよね?」
「俺がガキん頃にはこんなのはなかったな」
「まー、最近は物騒だからね?」
紀子が俺の脇腹を肘でつつく。
「なんだ?」
「冷やかしでは来るなってことでしょ、これ。本当に通す気がないなら、絶対にどかせないモノで塞ぐはずだもんね。土砂崩れとかさ。ということは、里帰りっていう目的ある人はどかして、通ったら戻しなさいってことじゃない?」
言いたいことは理解できる。
「仕方ねぇな」
「待って。はい、軍手。手が汚れるし、指紋残るのも危険そうだし」
紀子が手にしている軍手は一組だけ。
言いたいことは色々あったが、ここで時間を取られるのは本意じゃない。
車が通れる幅だけ確保したら車を通し、元通りに戻す。
どかす前の状態をデジカメに収めていた紀子が、もうちょい右だの左だの指示を飛ばしてくる。
こいつ、案外、こういうことに慣れてやがんな?
「ねぇ。ダッシュで逃げられるように、看板ずらしたままにしておかないの?」
「そんときには車のナンバー控えられているもんだろ?」
「じゃあ、ナンバー隠したり、偽装したりする?」
「そんなんできるのかよ?」
「撮影した画像データをパソコンで加工して、簡易プリンタで出力してナンバープレートに貼り付けておくとかね。近づかれなきゃけっこうバレないんじゃない?」
「紀子お前、あのトランクの中に簡易プリンタまで入っているってのかよ?」
「糊もね。軽く塗ると付箋みたいに貼れて、たっぷり塗るとけっこうしっかり粘着するやつ」
「えーと、実は同業者だったりするか?」
「あら。そのお言葉は光栄ですわ」
思わず笑ってしまった。
肩の力が少し抜ける。
紀子の頭を撫でると、俺たちは車へと戻った。
村へと続くはずの道。
次第に暗くなってゆく。
相変わらず、他の車とは遭遇しない。
もうかなり薄暗くなってきてはいるが、ヘッドライトはつけないまま進む。
スピードも出さずに、道路脇に車を隠せそうな場所を探しつつ。
しかしどうして、こんなに緊張するのだろうか。
昔、住んでいた村に戻るだけだというのに――いや「だけ」ではないことを感じ取っているからかもな。
ここへ来るまでに見たもの、それぞれ一つずつであればそこまで気になんかしない。
でもこれだけ揃えられてしまうと――そういう鼻はきくんだ。
助手席の紀子をチラ見すると、デジカメを構えてじっと外を見つめている。
いつでも外へ出られるよう、必要最低限の荷物に入れ替えたリュックを膝に置いて。
依頼内容とかそんなレベルではなく、この子が危険な目に遭わないようにする責任が俺にはある。
「そろそろ、だよね?」
車の速度計と時計とを時々チェックしていた紀子が、ペンライトで地図を再確認しながら言った。
「そうだな」
「もう懐かしい景色には会えた?」
「んー……こっち側へは滅多に来なかった気がする。いっつも海に出て遊んでいたし」
「海、いいなぁ……小学校は海の近く?」
「ああ。村そのものが海っぺりだからな。工場で働いている村人も多かったし、子ども自体もそれなりに居たし……あっ」
「ど、どうしたの?」
紀子が慌てて俺の左腕をつかむ。
「大丈夫。そういうのじゃない。ただあの三本松……見覚えあるなって」
割と背の高い松三本が密集して、大地から天へと助けをもとめる手のように
「なんか、手みたい。急に襲ってきたりしないよね?」
「樹が、か?」
笑いとばしながらもさっき見た魚男を思い出す。
何が起きても不思議じゃないって覚悟はしておいた方が良いのだろうな。
「そうか」
「今度はなに?」
俺は、その三本松からさほど遠くない場所へと車を停めた。
「村はもう近いの?」
「ああ。ここからは歩きだ。そしてもしも……別行動を取らざると得ないときには、あの三本松を目印に車まで戻るんだ」
「待って。ずっとそばで守ってくれるんでしょ?」
紀子はまた俺の左腕をつかむ。
「守るために別行動することは有り得ると思っておけ。その覚悟ができないんなら、ここから引き換えして帰宅するぞ?」
「……わかった。洋介の言うこと聞く」
紀子の手を引き剥がし、車のキーを握らせる。
「え? だって」
「いざってときのためだ。オートマだから、紀子でもなんとかなる。さっきのバリケードはスピードを少し落として斜めから入るようにすれば、車を降りなくともなんとかなるかな」
「鍵は洋介が持っていてよ。一緒に」
「言うことをきく約束だろ?」
「……うん……でも」
わずかな残照に照らされる紀子の表情は不安一色だ。
「俺はいざとなったらなんとでもなる。こう見えても池袋鮫って言われる名探偵だからな。だが紀子を人質に取られるようなことがあったら何もできない。後顧の憂いを断つってやつだ」
「し、仕方ないなぁ。洋介を安心させるために、その案に乗ってあげる……から、そっちも貸して」
紀子が指さした俺のキーチェーンごと、車のキーを紀子へと渡す。
キーを差し込む場所とブレーキとアクセル、ハンドブレーキの説明を簡単に済ますと、紀子に車のロックをかけさせた。
そこからは二人で手をつなぎ、痩せた雑木林の中を進む。
さっきの道は村の中心地へとつながっているが、三本松の所からは村の周りを巡る小さな道へと出られるのだ。
いわゆるショートカットってやつ。
歩を進めるたびに黄昏が深まってゆく。
まるで深海に潜っていくような気分――海の匂いがほんのりともうここまで香ってきているせいか。
「洋介」
紀子が俺の手を引いて立ち止まった。
「なんだこりゃ……昔はこんなのなかったけどな」
例の小さな道は見えたのだが、そのこちら側を、米軍基地とかにありそうな高い金網フェンスが覆っていた。
「……防獣フェンスかな……ね、このあたりって畑を荒らす獣とか多かった?」
高さは三メートル近くあり、しかも上の方には鉄条網まで巻き付けてある防獣フェンスってのは聞いたことがない。
「フツーじゃねぇ獣みたいなのが、出るようになったから、かもな」
頭に浮かんだのはさっきの魚男。
ただあの魚男の暴れっぷりを考えると、こんなフェンスじゃ防ぎきれない気もするが――って紀子、お前何を。
紀子は迷いもなくリュックから何かを取り出し、フェンスの手前にしゃがみ込んだ。
「おいおい紀子、危ないって」
もしも高圧電流みたいなものが流れていたら、という懸念が紀子の肩をつかんで引き戻させた。
紀子の手にはニッパーが握られている――こいつ、金網を破るつもりか。
「あ、そうだよね。力仕事はお兄ちゃんだよね?」
笑顔で俺にニッパーを渡す紀子――覚悟を決めるか。
こんな状況の故郷を、ここまで来て確かめずに帰るという選択肢は選べない――記憶がどんどん戻りつつある今の俺には。
俺が村を出たときにまだ村に残っていた人たち、その人たちが現在、どうなっているのかを確かめたい。
その思いで俺はニッパーを握った――のはいいが、破る前に確認することがある。
「洋介、どうしたの?」
「いや監視カメラとかないかなって」
「そういうときにはジャーン! デジタルカメラぁー!」
「すげぇな、最近のデジカメは。顔認証みたいに監視カメラ認証機能とかあるんか?」
「そこまですごくはない……って、どこのスパイよそれ。ナイトモードってのがあるの。赤外線のね」
「なるほど。暗い所でも見えるってやつか」
見上げた空はもう黄昏が終わりかけている。
確かにこういうのがある方が暗いところでもしっかりと見えるな。
「いまどきのカメラにはそこそこついてるわよ。暗いとこでも自分の子ども撮りたいとか、ね」
エッチな用途しか思いつかない俺は汚れている――なんてのは置いといて、周囲を念入りに確認する。
それから紀子にはちょっと離れてもらい、周囲に落ちていた枝とか草とかをフェンス向かって投げ、電流が流れていないかもチェックした。
大丈夫そうだな――俺の勘もそう言っている。
となるともう素早くいくしかねぇ。
俺はニッパーで金網を切り始めた。
人がしゃがんで通り抜けられるくらいの大きさの四角穴を切り取るのにさほど時間はかからなかった。
上部分だけは完全には切り離さず、ペット用ドアみたいに簡単に開けられるよう切り取った。
俺、紀子の順に穴をくぐり抜け、とうとう俺は故郷の地を踏みしめる。
「行こうか」
紀子は無言で俺の手を強く握りしめた。
三本松は小高い場所にあり、村と港とが見下ろせる。
その三本松からちょっとだけ下ったここからはなだらかな傾斜となっており、その斜面にも家が
村の中心部にだけ街灯がポツ、ポツと灯っているが、民家はどこもやけに暗いし、人影も見えない。
窓明かりが見えないのだ。
まさかもう廃村ってことはないよな――フェンスを振り返り見る。
入れないため、じゃなく、出さないため、だったとしたら。
嫌な考えを振り払い、紀子の手を引き歩き始める。
何にせよ、ボンヤリしている暇はねぇ。
目立たぬよう、灯りはつけずに村の中心部へと近付く。
昔はもっと家が多かった気がする。
残っている家も廃屋っぽいのが少なくないのだが時折、中に光の気配を感じる家もあったりして――これはまだ村が完全には消えてはいないって考えていいのか?
この暗闇は俺たちが移動するのにはありがたかったが、村全体を包む静寂には少し気が滅入る。
波の音のおかげで足音も少しは紛れはするが、家の中に閉じこもっている人たちが、聞き耳を立てているような気がしてならなくて。
ふいに紀子がきゅっきゅっと手を握った。
話したいことがある合図。
身をかがめて紀子の顔の高さにまで耳を近づける。
「洋介の家ってどのあたり?」
「確か、もうちょい先のほう」
海の匂いが記憶の戻る手助けをしてくれているのか、
自分が大きくなったからだろうか村そのものが小さく感じる、その違和感を調整しながら最後の角を曲がる。
この先に俺の――。
「だめだ」
思わず声が出た。
紀子が再び二回手を握り、かがんだ俺の耳元で尋ねる。
「どうしたの?」
「なくなっている。多分……ここのはずなんだが……」
空き地というよりは、古い火事の跡が放置されている感じだった。
● 主な登場人物
・
笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女
・三島紀子
三島建設代表取締役三島
・
作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。
・洋介の兄と両親
工場が有害だとして閉鎖されたあと、それを監視する「政府の研究所」で働いていたが、兄は失踪、直後、両親は自動車事故で帰らぬ人に。
・洋介の祖父母
漁師だったが、祖父は洋介の両親の事故死と同時期に死亡。その後、祖母は関東を転々とし、洋介を別の親戚へと預けた後、現在は沖縄在住。
・遠い親戚
静岡県で刑事をしており、幼き日の洋介を引き取った。刑事にだけはなるなと遺言を残している。
・魚男
喫茶店で紀子のノートPCを奪おうとした男。その後、電気屋に入って暴れ、パソコンを壊しまくり、頭部が魚のように変形した。その後、警官に撃たれたようである。
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