#10 再会

 紀子の小型LEDライトを手で覆いながら焼け焦げた跡を確認していた俺に、紀子が耳打ちしてきた。

「ね、仲のいい人とか、いたの?」

 ……仲のいい人、か。

「村を出て行く人けっこう多かったんだよな。俺がこの村を出た頃は同世代なんてもう4、5人くらいしか残ってなかったような」

「そっかぁ」

「一番近くに住んでいたのが、タモっちゃん……たもつって言うんだけど、猫の鳴き真似が得意でね」

「あはは」

 笑いかけた紀子は慌てて自分の口を両手で押さえた。

 しばらく沈黙を守って様子を見たが、周囲で物音とか人の動く気配はない。

 さっきの角まで戻り、少しだけ坂を下ってみる。

 紀子の耳元に口を近づける。

「タモっちゃんの家、残っているよ」

 紀子は肩をすくめてから、俺へ耳打ち返し。

「ちゃんと手を握ってからにして。突然だとビクってなっちゃうから」

 仕返しなのか、最後にフッと俺の耳に息を吹きかけやがった。

「すまない」

 確かにこれはビクッとなる。クールでハードボイルドな俺でもだ。

「ねぇ、玄関、開いているね」

 半開きの玄関ドアの内側を少しだけ照らしてみると、まだ朽ちてはないし、なんならちょっと前まで人が住んでいた感じは残っている。

 ガキの頃はどこの家も鍵はかけてなかったし子供は自由に上がり込んだりもしていた。

 だからこの状態で無人が確定するかというと、そうでもない気はしている。

 希望的観測かもしれないが。

「出かけているのかもな」

 その言葉は半ば願望だ。

 だが村を出た側の俺が、村に人が残っていることを望むことに対して、妙な罪悪感があるのも事実。

 そんな中、今度は足が勝手に一軒の家へと向かう。

 紀子も黙ってついてきて、再び手を握り直す。

 その手から緊張が伝わってくるのは、俺が向かう先の家の窓に灯りがほんのり見えているからだ。

 カーテンで覆われているから中の様子までは見えない。

 けれどその中の部屋の様子が俺の脳裏には映し出される。当時の、様子ではあるが。

 玄関の前にたたずむ俺と紀子。

 記憶がどんどん戻ってくる。

 紀子がぐいっと握っている手を引っ張った。

 引っ張られるままにかがんだ俺の耳元に、紀子がまた息を吹きかけた。

「ちょ」

「鼻の下伸びてたから」

 少なからず動揺する俺。

「な、なんで」

「初恋の人の家、とかなんじゃないの?」

 お、俺、そんなこと一言でも言ったか?

 いや言っていない――この世に女探偵が増えたら、俺なんかは仕事がなくなるかもな。

 とはいえここで紀子から俺への信頼を失うわけにはいかない。

 努めて平静を装いながら、俺はこう答える。

「灯りがついていただろ? ここに住んでいた人たちが今も残っているとしたら、その人たちは信用できるから」

 それは事実だ。

 この村の現状を知るためには、現在も住んでいる人に聞くのが一番だから。

「ねぇ、ちょっとこっち向いて」

「なんだ?」

 紀子がつないだ手を離し、両手で俺の頬をぱちんと叩いた。

「今ここに居る私と、思い出の中の誰かさんと、どっちが大事かよく考えてから行動してよね」

 俺の頬にはりついたままの紀子の手を静かにはがすと、ゆっくりと握りしめる。

「ああ……わかっている」

 紀子の言うとおり、なのは分かっている。

 誰だって、いつまでも昔のままじゃない。

 ただ、あまりにも長いこと忘却の彼方に隠されていた想い出が、急に戻ってきたんだ。

 ひたひたと波のように打ち寄せる感傷を、全て避けながら想い出の波打ち際を歩くなんて無理だよ。

 ――無理だと?

 探偵失格じゃないか。

 俺はいつからそんなこと言うようになったんだ?

 ――いつから言うように、じゃない。

 昔はけっこう言ってた気がする。

 ずっと言わないようにしていたんだった。

 約束したから。

 ――約束?

 そこは、まだ思い出せない。

 だが思い出そうが思い出すまいが、俺には今、守らねばならない人が居る。

 それは絶対に忘れちゃいけないことだ。

 過去がどうであろうとも、現在の俺だって過去の俺の上に積み重なってできている俺なんだ。

 その現在の俺が、紀子を守ると決めた。

 俺は紀子の手を引いてきびすを返す。

 危険を冒す必要はない。

 村の中をざっと見たら帰ったっていいんだ。

 紀子を返してからまた来たっていいんだし。

 紀子は少し驚いた表情で俺を見つめたが、黙ってついてくる。

 そのタイミングで、扉が開く音がした。

 俺たちがさっきまで立っていたあの玄関から。


 紀子を庇うように位置を入れ替え、俺が前に立つ。

「タカコちゃん、戻ってきたの? ……あ」

「あ」

 すぐに分かった。マリ子さんだと。

 俺の初恋の人の母親。

 かなりやつれてはいるけど、昔の上品な面影が残っている。

「ひょっとして……洋介ちゃん? 覚えてる? 小百合の母よ?」

「はい……覚えてます。マリ子さん」

「あら名前まで覚えててくれて」

 そこで彼女は思い出したかのように慌てて周囲を警戒し、俺の手を引こうとした。

「急いで入って」

 刹那のためらい。

 だが、紀子を守るために一番良いのは――俺は紀子の手を引いたまま、言われた通り中へと入った。


 家の中は薄暗い。

 廊下の蛍光灯は外されている。

「靴はこれに入れて」

 マリ子さんはビニール袋を二つ、俺たちへと手渡した。

 俺が靴を脱いでビニール袋へと入れると、紀子も不安そうな表情のままそれに倣う。

 靴下で廊下へと踏み出した俺の手に、紀子が追いついてまた強く握る。

 大丈夫。マリ子さんは人を罠にかけるような人じゃない。

 俺は紀子の手を優しく握り返した。


 それほど長くない廊下を通り、居間へと通される。

 当時は珍しかった洋風のテーブルが、俺が小さかった時と同じようにそこにはあった。

 出ている椅子は五脚――人が来るってことか?

「洋介ちゃん、タカコちゃんと一緒に来たの?」

「いえ、別々に……」

 タカコってタコのタカコか?

「そうなの。でも、本当に……久しぶりね……」

「あの……この村で、いったい何が……」

「私の知っていることは全部話してあげるわ。でもね、その前にこっちに来て」

 マリ子さんは襖を開く。

 居間の隣は仏間で、年季の入った仏壇が置かれている。

 そしてそこには写真が二枚、飾られていた。

 初恋の人と、そのお父さん――マリ子さんの旦那さん。

 そうか。さゆりちゃんは――俺は二人に手を合わせる。

 紀子も俺の隣で手を合わせる。

「小百合はね、十七のときにね……もう十年も前になるのね……」

 十年前。

 俺は、何やってたっけ……。

 感動的な再会とか、心のどこかで期待していたかもしれない。

 写真をじっと見つめる。

 十七歳のさゆりちゃんはとっても美人になっていた。

 俺がこの村を離れたのは、それからさらに十年ちょい前。

 どうしてこんなにも長い間、俺は――記憶が、時間が、逆行してゆく。

 なんで忘れていたんだよ、みんなのこと。


 俺とタモっちゃん、さゆりちゃんにのろまのひろし、それからタコのタカコ。

 次々と皆が引っ越していく中で最後に残ったのはこの五人だった。

 その頃の笑顔をしっかりと思い出す。

 ああ、さっきのバイク美女――タカコじゃないのか?

 目元のキツさに当時の面影が残っていたもんな――本当に知り合いだったじゃねぇか。

 高古たかこ孝子たかこ

 自分でうまく「たかこたかこ」って言えなくて、前か後ろのどちらかが「たこ」になっちゃうからって「タコのタカコ」って呼ばれていた。

 いつも俺の後ろついてきてたっけ。今の紀子みたいにさ。

 だけどさっきの相撲取りとサングラス男――こちらにはタモっちゃんやひろしの面影はない。

 でもタカコと一緒だったってことは、この村出身の、引っ越し組とかなのか?

 あ!

 太ったやつ、居た。居た!

 引っ越し組の方に!

 ふくはら、ときじだっけかな――デブふく。

 サングラスのは――顔を見れば思い出すかも。

 他に誰が居たっけ――懐かしさと一緒に、たくさんのものがこみ上げてくる。

 当時の想いも。

 さゆりちゃん。

 もう一度、会いたかったな。

 好きだったとか惚れてたとか、そんな野暮なことを話すつもりはない。

 ただ今ならば、あのときのさゆりちゃんの願いを叶えてあげることができるんだ。

『わたし、いつか遊園地に行ってみたい。東京にいけば遊園地たくさんあるよね?』

 今だったらどこにだって。

 さゆりちゃん、ずっとここで過ごしたのかな――ずっとここだけで。

 目頭をおさえる。

 紀子は気を利かしてマリ子さんのところへ戻っている。

 涙を袖でこっそり拭いて、潤んだ目が乾くのを待ってから、俺は二人の元へと戻った。


「あの……お兄ちゃんは……いつも、優しくしてくれています」

 紀子がなにやら二人の関係を説明していたっぽい。

 俺が最後に引き取られた先での、義理の妹にあたるという説明をしているところだった。

 そんな小細工しなくてもいいのに。

 マリ子さんは、静かに微笑んで、そのあと表情が少し引き締まった。

「この村で起きたことを、話すわね。洋介ちゃんが出て行った後、すぐに孝子ちゃんも引っ越していってね。3人だけになっちゃったのよ」

 さゆりちゃんとタモっちゃん、のろまのひろしか。

「そのあたりから小百合はふさぎこむことが多くなっていったの。保君とか一生懸命誘いに来てくれたんだけど、やっぱり学校に行けなくなっちゃってね。不登校っていうアレよ。私もずっとついていてあげたかったんだけど……」

 マリ子さんは隣の部屋の仏壇をちらりと見た。

「あの頃は……私にもゆとりがなかったの。言い訳になんてならないけれど……あの人……夫が事故で亡くなってしまったのね」

「え、事故で?」

「そうなのよ。工場が潰れたあと、研究所の指示で工場を解体しようって話になって村から人手が随分集められたの。みんな工場で働けなくてお金に困っていたからそれに参加してね……でも、そこで大きな崩落事故があって」

 崩落……工場で?

「工場の地下で何十人も生き埋めになっちゃってね……あの人はそれに巻き込まれてしまったの。もちろん工場解体作業も中止よ」

 さゆりちゃんのお父さんが……

「……そりゃ慰謝料も出たけれどね……小百合の将来のことを考えて貯金したの。村長さんが、私に研究所でまかないの仕事を案内してくださってね。細々とだけど小百合と二人生きていけるくらいのお給料はもらえたわ」

 村長――俺の曾祖叔父ひいじーちゃんの弟か。

 その頃もまだ生きていたのか。

 身内があまりにもたくさん死にすぎていて、ばーちゃんしかもういないと思っていたけど。

「本当はうちも引越しを考えたのよ。でも小百合はお父さんが居るこの場所から移りたくないってきかなくてね」

 マリ子さんの頬を一滴がつたう。

 テーブルの下で、紀子が俺の手を密かに握った。






● 主な登場人物


笹目ささめ洋介ようすけ

 笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女紀子のりこ捜索依頼を引き受けた。紀子と一緒に故郷を訪れている。


・三島紀子

 三島建設代表取締役三島行男ゆきおの次女。伊豆の人肉腸詰工場の噂を追っている。


綯洗ないあら陶蝶とうてふ

 作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。


・洋介の兄と両親

 工場が有害だとして閉鎖されたあと、それを監視する「政府の研究所」で働いていたが、兄は失踪、直後、両親は自動車事故で帰らぬ人に。


・洋介の祖父母

 漁師だったが、祖父は洋介の両親の事故死と同時期に死亡。その後、祖母は関東を転々とし、洋介を別の親戚へと預けた後、現在は沖縄在住。


・遠い親戚

 静岡県で刑事をしており、幼き日の洋介を引き取った。刑事にだけはなるなと遺言を残している。


・洋介の曾祖叔父ひいじーちゃんの弟

 体が弱かったが、太平洋戦争中に墜落したアメリカ人パイロットを助け、村長にもなった。十年ちょい前もまだ村長をしていた。


・タモっちゃん

 洋介の幼馴染で、一番家が近かった。本名はたもつ


・さゆりちゃん。

 洋介の幼馴染で初恋の相手。本名は小百合さゆり。十七歳で亡くなった。遊園地に行ってみたいと言っていた。


・のろまのひろし

 洋介の幼馴染。


・マリ子さん

 さゆりちゃんの母。現在も村に残っている。十年ちょい前に夫を、十年前に娘を失っている。


高古たかこ孝子たかこ

 洋介の幼馴染。いつも洋介の後ろをひっついてきた。幼少時は自分の名前をちゃんと言えなかったため「タコのタカコ」と呼ばれていた。


・ふくはらときじ

 デブふく。洋介よりも早く村から引っ越していった。恐らく喫茶店で会った力士、福乃海。

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