#14 潜水
「タモツ、I need your help」
カタコト男は船床を二箇所開いた。台所の床下収納みたいに。
その四角い穴は三十センチほどの深さで、その底部にウェットスーツの下半身みたいなのが取り付けられている。
「This boat の power、on すると The deep one に気付カレチャウネー」
魚男はあんな見た目だからやはりというか、水の中まで探索の手もといヒレが及ぶんだな。
カタコト男はブーツを脱ぎ、身をよじりながら前方の穴へと下半身を収める。
ズボンまでは脱がなくとも大丈夫なのか。
とりあえず今は紀子を守るのが最優先だ。
魚男から逃げられるというのであれば協力もやぶさかではない。
俺は言われた通り靴だけ脱いで、後方の穴へと下半身を収め――なんだこのスーツの外側、水? 海水か?
さっき注水していたのって、この下の部分だったのか?
ただ、真下へは足は伸ばせない。
「The bottom hatch、open ネー」
そう言いながらカタコト男はタブレット端末を手渡してきた――海底が映っている!
「This tablet is connected to the boat's camera」
「なんて?」
「お兄ちゃん、そのタブレットが、このボートのカメラにつながっているって」
さすが現役高校生。
「すまんな。俺は英語はなんか苦手で……」
記憶を取り戻すまでは分からなかったが、村長を乗っ取った
「Oh! タモツ、ゴメンナサイ。ニホンゴ、頑張りマス。Then 二人トモ、コレ装着するネー!」
カタコト男は別の小さな床下収納を開けると、そこから管付きのマスクみたいなのを取り出した。
飛行機乗る時に説明される緊急用マスクみたいなやつ。
「会話スルトキ、以外、装着するネー。トリアエズ、真魚島向ケテ、Let's 歩くネー」
そうだな。
ここからはなるべく早く離れた方がいいのは確かだろう。
タブレットを持つ――すげぇな。タブレットを向けた向きの映像が映るのか。
いつの間にか真下へ伸ばせるようになっていた足下へと向けると――な、なんだこれ?
「どうしたの?」
「紀子は見るな」
大量の人骨――だけじゃない。
人骨から魚のような形になりかけた骨までもが。
ここ、漁船がたくさん停まっていた場所から全然離れていないだろ?
いつの間にこんなことに?
「実験ノ失敗作、ミタイ、デスネー」
「実験?」
タブレットの角度によっては、船底から突き出た俺やカタコト男の足が見えたので、俺もそれに合わせて歩き始める。
「不法投棄ネー」
下半身スーツの足の裏は丈夫なクッション素材でできているっぽく、骨を踏みつけても痛くも痒くもないのだが、心の方はじわじわ痛む。
「タカコから、聞イテナイ、デスカ?」
「悪い。聞いてない。タカコやアンタらは何をしようとしているんだ?」
本当なら首を突っ込みたくはないのだが、ここまで来た以上は知らないでいる方が紀子を危険に
「Oh! 改めマシテ、ワタシ、ケンヤ・サワダと言いマスネー。INTERPOL ノ Agent デスネー」
最初は妙な格好から変態の類いかと思ったが、よく見たら上半身は裸ではなく肌色のぴっちりした薄手のウェットスーツのようだ。
このボートの色んな機能を見せられた後だと、その意味不明スーツすら何らかのギミックがついた特別製なのではと思えてくるから不思議だ。
「インターポール……って、銭形警部みたいなの?」
紀子の知識、幅広いな。
「ゼニガタケーブ? それは I don't know. ゴメンナサイ」
「あ、いいんです。こちらこそごめんなさい。話を続けていただけますか?」
「コノ村、デワ、恐ロシイ、人体実験シテル、デスネー。ワタシ、ト、タカコたちワ、ソレを辞めさせるニ、キマシタネー」
村で……人体実験?
断片的な記憶がその言葉でやけに繋がりそうじゃねぇか。
ああ、そうか。
俺は、自分の意思で、それを結びつけたくなかったんだ。
思い出したくなかったんだ。
「人体実験じゃないか」という言葉は、言い争っていた両親の会話の中にも登場していた。
村は確実に、その
恐らくそれには俺の両親も関わっていたはず――だとしたら死の理由も事故ではない可能性が高くなる。
だからばーちゃんは俺を連れて逃げたんだ。
その当時、ばーちゃんは毎晩のように「忘れなさい」って子守唄みたいに繰り返していた。
覚えていること自体が罪悪なのかと思った俺は努めて忘れようとして……。
でも、そのことで結果的にさゆりちゃんやタモっちゃんやタカコなんかを置き去りにした。
紀子を守るためだけじゃない。俺にはこの件に関わるべき義務がある。
「俺は、笹目洋介だ。子供の頃にこの村を出て、そして今日、戻ってきた」
「ヨースケ! Oh! ヨースケ! タカコ said ヨースケガキット助ケテクレル! Bravo!」
真魚島までの海底移動の最中、俺たちは他にも色々と情報交換した。
例の街の電気屋で見た魚男――ディープ・ワンという人間とは異なる種の存在であること。
この村に来た企業ってのは軍需産業のヤバい企業で、人体実験の噂はあったが証拠がなくて踏み込めなかったこと。
タカコはその企業本社を独自に探るべく潜入していて、そこで同じく潜入捜査していたサワダと知り合ったこと。
そこでこの村の情報を得て、インターポールが本格的に動き出したこと。
タモっちゃんやマリ子さんへはタカコが根回ししてるっぽいこと。
タモっちゃんから託されたこの情報とやらをインターポールへ届けることができれば、強制捜査が可能なこと。
ただ日本の警察にもここの企業からのスパイが紛れ込んでいそうなので表立っては動けず、まずはインターポールが踏み込んで、それから日本の警察がようやく出動できるということ。
そして人体実験というのは、人間をディープ・ワンの力を持つ兵士へと変えようという兵器化プロジェクトであるということ。
しかもディープ・ワン化した人間は自意識を失い、与えられた単一の命令を頑なに遂行しようとする――サワダが「狂信者的」と表現した状態になってしまうこと。
あの電気屋で暴れていた魚男へ執拗な発砲をしていた警官が居たが、もしかしたらそいつは企業側の手の者で、口封じ的な意味で殺そうとしていた可能性もあるとサワダは言う。
俺は迷いはしたが、タモっちゃんがディープ・ワン化したことを告げた。
もちろんディープ・ワン化したタモっちゃんが自意識をちゃんと持ち続けていたことも。
インターポールや警察が踏み込む際、ディープ・ワンの射殺許可が出ているとか聞かされたからだ。
「Oh! マサカ……完成シタノカ」
「完成?」
「The hybrid deep ones …… The deep ones ヲ、強クシタ、超人兵器ネー。自意識ナクシテナイ、ミタイネー」
タモっちゃんが?
「あの、サワダさん。超人兵器っておっしゃいましたけど、電気屋で見たディープ・ワンは銃でやられていたの。ドローンとかもある現代で、ちょっと強いくらいの人が兵器としてどこまで通用するのか疑問なんだけど」
紀子、賢さ見せてきたな。
「The hybrid deep ones ワ、見タ目ガ、普通ノ人間トシテ、ドコニデモ潜入デキル、ガ、脅威ネー。素手デモ強イ、アト……見タ目ガ怖イネー」
「おいおい。見た目が怖いって……」
「ううん、洋介。それ、けっこうすごいことよ。街でのことも、私がタモっちゃんさんに会ったときのことも覚えているでしょ? 私、ネットでそこそこグロ画像とか見てて耐性ある方なんだけど、それでも意識が飛んだもん」
「人間ノ脳ワ、恐怖ニ直面スルト、防衛本能働クネー。気絶、忘却、逃走、発狂、全部、脳ヲ守ルためノ防衛本能ネー」
「……なるほど」
「デモ、モウヒトツ、防衛手段アルネー。慣レルことネー」
「慣れる?」
「同ジ The deep ones 見ル。ニ回目、三回目、恐怖ヤワラグネー」
そういうものなのか。
でも紀子はニ回目の方が来てたっぽいけどな。
「モチロン、何回目ダトシテモ、心に刺さるダト、Shock 大キイネー」
すると俺も紀子もまだまだ油断できないってことだな。
「The hybrid deep ones ワ、ヒトリ、ヒトリが、異ナル姿……ツマリ、慣レナイネー」
「慣れない?」
「何種類モノ The hybrid deep ones ガ、イッセイニ変身シタラ、ソレヲ見タ全員ガ panic ネー」
「……ああ、モニタ越しとかで見てても効果があるなら、確かに……そして呆けている連中なら簡単に少人数でも制圧できると……ヤバいな」
「うん。ヤバいよね……SAN値チェックって、本当にあったんだ……」
紀子の発言に俺もサワダも首をかしげた頃、ようやく真魚島にまで到着した。
サワダの計画では、ここから沖に停泊中のインターポールの船まで証拠を届ければ、晴れて強制捜査を実行できるとのこと。
「じゃあ、サワダ。インターポールの船で紀子を保護してやってほしい」
「ちょ、ちょっと待ってよ洋介! 私のこと守ってくれるんじゃなかったの?」
「ああ。今この状況でインターポールの船以上に紀子のことを守れる場所ってあるか?」
「あるよ! 洋介が危険な目にあったら、心配で私は……」
「頼む。俺はやらなきゃいけないことを思い出したんだ」
「記憶が戻ったの?」
「まだ完全にじゃないけどな……この村の出身者として、今回のこの件は他人事じゃないんだ。俺自身の問題だから……大丈夫。必ず、紀子を迎えに行く。そして一緒にお父さんのところへ帰ろうな」
まだ前金しかもらってないし。
「一緒にお父さんのところにって……プロポーズみたいね」
「い、いやその依頼者だろ、紀子のお父様はっ」
「Oh! ラブラブネー。安心シタネー」
「ラブラブじゃねぇって」
「ソレワ困ルネー!」
「別にタカコとも何もねぇっての」
サワダは既に十回くらいタカコにプロポーズしてフラレている――あの話し方だとその倍はフラレていそうだが。
タカコは別に俺のこと好きだとか言っていたわけじゃないらしいが、サワダの「恋する男の勘」ってやつで、会話に頻繁に登場する「ヨースケ」にずっと「ホノ字」だということがわかっているとか何とか。
でも俺は、そう言ってもらえる気持ちは嬉しいけどよ――今は恋とか考えられねぇんだ。
この村でさゆりちゃんがどういう想いで死んでいったのかを考えたら。
両親や兄ちゃんがどういう想いでこの村で死んだかを考えたら。
「デモ、ヨースケ、ドウスル、ツモリ?」
「真魚島の裏に――海の中からしか入れない洞窟がある。その洞窟から、工場までたどり着ける……かもしれない」
「ちょ、ちょっと洋介。工場は危険なんじゃないの?」
「ヨースケ、You モ、タモツト同ジ The hybrid deep ones ナノカ?」
「いや、そんな改造手術受けた記憶はないぞ?」
「手術じゃなく、感染なんじゃないの?」
「Oh! ノリコ! ヤッパリ物知り girl ネー!」
「あのね、
「ソノ通リ! インスマウス病ネー」
「インスマウス! やっぱり? 私も、それと『同じ』なんじゃないかって思っていたんです!」
紀子が目を輝かせながらスマホを取り出す。
それそんなに有名なんか? インス・マウス? 千葉の夢の国のキャラクターか何かか?
やがて紀子はメモとして保存していた資料を読み上げはじめた。
「十九世紀初頭、マサチューセッツ州の小さな港町インスマウスにおいて、大多数の住民が連行、収監、処刑され、町の一部が焼き払われたりした事件があったのね。建物の破壊にはダイナマイトまで使われたらしいの。あと、その沖の暗礁の向こう側に潜水艦が魚雷を発射したって噂まであって」
ちょ、ちょっと待てよ。連行や収監はともなく、処刑とかダイナマイトで破壊って。
見たことも聞いたこともない異国の小さな港町と、自分の故郷であるこの村とが重なり、胸が痛む。
しかもその魚雷を発射って……暗礁? この真魚島も似たような位置関係だし……。
「インスマウス病、ソノ後、軍部ガ研究シテタネー。シカシ、非人道的デ研究ワ廃止ネー。シカシ……研究者ワ、別ノ場所デ研究再開シタネー」
「まさかその別の場所ってのが……この村であの企業ってことか?」
「That's right」
● 主な登場人物
・
笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女
・三島紀子
三島建設代表取締役三島
・
作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。
・洋介の兄と両親
工場が有害だとして閉鎖されたあと、それを監視する「政府の研究所」で働いていたが、兄は失踪、直後、両親は自動車事故で帰らぬ人に。
・洋介の祖父母
漁師だったが、祖父は洋介の両親の事故死と同時期に死亡。その後、祖母は関東を転々とし、洋介を別の親戚へと預けた後、現在は沖縄在住。
・遠い親戚
静岡県で刑事をしており、幼き日の洋介を引き取った。刑事にだけはなるなと遺言を残している。
・洋介の
体が弱かったが、太平洋戦争中に墜落したアメリカ人パイロットを助け、村長にもなった。十年ちょい前もまだ村長をしていた。
・タモっちゃん
洋介の幼馴染で、一番家が近かった。本名は
・さゆりちゃん。
洋介の幼馴染で初恋の相手。本名は
・のろまのひろし
洋介の幼馴染。
・マリ子さん
さゆりちゃんの母。現在も村に残っている。十年ちょい前に夫を、十年前に娘を失っている。
・
洋介の幼馴染。いつも洋介の後ろをひっついてきた。幼少時は自分の名前をちゃんと言えなかったため「タコのタカコ」と呼ばれていた。この村に拠点を置く軍需企業の秘密を暴こうとしている。
・ふくはらときじ
デブふく。洋介よりも早く村から引っ越していった。恐らく喫茶店で会った力士、福乃海。
・ケンヤ・サワダ
INTERPOLのAgent。上半身裸に見えるが薄手のウェットスーツっぽい。下半身は青っぽいミリタリーパンツ、髪の毛は短い。タカコと共にこの村に拠点を置く軍需企業を追っている。タカコにフラレ続けている。
・The deep ones
ディープ・ワン。十九世紀初頭、マサチューセッツ州の小さな港町インスマウスで公的に知られるようになった「インスマウス病」という伝染病のようなものに罹り、普通の人間が魚みたいな蛙みたいな醜悪な生き物に変化した状態のこと。
・The hybrid deep ones
ハイブリッド・ディープ・ワン。その後の人体実験によりディープ・ワンを超える超人兵器として開発された存在。見た人に与える衝撃は、ディープ・ワンを凌駕する。
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