#19 蹂躙
サワダ? 裏切り? いや、そうじゃないとしたら?
どこからどこまでが事実だ? サワダの言動を思い返しつつ反撃の糸口を――だめだ今のままでは手詰まりだ。
状況を変えられる一手を探さなければ。
「サワダ……俺たちを騙したのか?」
考えろ。考えながら探せ。
「いいや」
サワダは首を軽く振る。
「私がヨースケたちに伝えた情報には一切の嘘は含まれていない。Agent of Interpol というのも本当だ。ただ君たちの思考を誘導するために、多少大げさな喋り方はしたがね」
「おいおい流暢じゃねぇか。じゃあ、タカコにプロポーズだとか言ってたのも本当だって言うのか?」
タカコを一瞥。
呆然としていたタカコの目に光が戻ったのを確認する。
「いや、私の妻にしたいというのは本当の望みだよ。彼女はね、私たち眷属の大いなる主様のお姿に最も近い
サワダが少し興奮しているのが分かる。
だがその横で、マツカサウオの奴は冷静に俺とタカコとを監視している。
「じゃあ、タカコを撃つことはねぇってことだな」
そう言いつつ床をダンと踏み鳴らす――と同時にタカコは福乃海の体から二本の杭を抜く。
その抜いた動作から流れるように杭をマツカサウオ
「俺には刺さらんよ!」
しかしタカコの手はしなやかな鞭のようにたわみ、伸び、マツカサウオ
床へ落ちた水中銃をすかさず俺の居る方向へと弾き、福乃海の体からまた二本抜いた杭を両手に構え、タカコは後退る。
今のは俺とタカコだけが知っている秘密の合図。
ガキの頃の遊びでは、男子対女子に分かれることが多かったが、さゆりちゃんとタカコだけじゃ圧倒的過ぎるということで、俺が女子チームに加わった。
主に争うのは俺とタモっちゃんで、他の三人は争いの中ではお荷物に近かったのだが、タカコは俺の言うことをよく聞いたので秘密の合図というのを用意してサポートさせたのだ。
例えば鏡で太陽を反射させてタモっちゃんの目をくらませたりとか、俺がタモっちゃんを抑え込んでいる隙にひろしの横をすり抜けて缶を蹴らせたりとか。
ちゃんと合図を覚えてた上に、俺の予想以上の結果を出してくれるたぁ、タカコの奴、育ちやがったな。
「形勢逆転かな?」
俺は飛びついて拾った水中銃をサワダへと向ける。
マツカサウオ
しかしサワダは杭を自ら抜き、無造作に床へ投げた。
「さっきの村長の話、聞いていただろう? 人が Deep ones の力を手に入れると悪夢に囚われるようになると。それは大いなる主様への信心がないからなのだよ。そもそも、この
つまり、サワダはハイブリッドじゃなく、オリジナルのディープ・ワンだっつーことか?
「母方がインスマウス出身者の系譜でね……と、時間稼ぎはこのくらいでいいだろう。私はタカコへ攻撃するつもりはないが、それ以外へはそうでもないのだよ?」
サワダが指した方向――水槽が立ち並ぶこの広いフロアには出入り口が二つだけあって、その片方、俺とサワダが入ってきた方に人影があった。
ちょっと待て。なんで紀子?
工場の制服に着替える前のサワダと同じ格好をした金髪野郎が一人、紀子の首へナイフを当てながらゆっくりと近づいてくる。
「紀子は関係ねぇだろ」
「ああ、関係ない。そして私の立場上、無関係な民間人は保護対象でもある。しかし残念なことに事故へ巻き込まれる恐れはある」
自分の心音がやけに大きく聞こえる。
紀子を助けるには――俺はサワダと対等な条件に居なければならない。
「そうか。じゃあもう一つ聞かせてくれ、サワダ。杭が刺さっても問題ないみてぇなこと言ってたがよ、それはお前の眼球とかでも同じかい? こいつは物理的な威力もあるんだぜ?」
サワダが舌打ちするのが聞こえた。
「なぁ、サワダ。お前、これが欲しいんだろ?」
紀子から借りたシルバーチェーンを手繰り、Tシャツの中から例の御守りを引っ張り出して首元へぶら下げる。
「紀子を傷一つつけずに解放してくれたら、これをお前に投げてやる。お前が嘘をついてねぇってんなら俺も嘘をつかねぇよ」
サワダは一瞬、眉間へシワを寄せたが、軽く頷いた。
「同時だ。ヨースケがそれを投げたら、紀子を放す」
「おいおい。紀子がそんなに早く走れると思うのか? フェアじゃないだろ、それじゃ。あとタカコ。このシルバーチェーンは紀子の祖母の大事な形見でね、引きちぎるわけにはいかないんだ。外してくれないか?」
「おい、お前ら適当なこと言うと」
いきり立とうとしたマツカサウオ
「形見というのは本当だ。いいだろう。タカコは鎖を外してヨースケへ御守りを渡せ。怪しい動きを見せたら、民間人は事故に遭うだろう」
タカコはサワダたちの動きに気を配りつつ俺の方へと近づいてくる。
「このチェーン、外せばいいのね」
タカコは俺の背後へと周り、留め具を外す。
「頼む。チェーンは左手首に巻けるか?」
俺は両手で構えていた水中銃の銃床を自分の体へと固定し、右手は引き金へ指をかけたままで左手を横へと突き出した。
「二重にすればなんとか」
タカコは外したチェーンを俺の左手へと巻き、工場制服の袖の中へとしまい込んでくれる。
そして、俺の左手の手のひらへとあの御守りを置いた。
「タカコはヨースケから離れるのだ」
サワダの言う通り、タカコは俺から離れてゆく。今度は紀子を人質に取っている金髪野郎の方へと。
「違う。そっちじゃない。さっきの場所へだ」
サワダのダメ出しにタカコは従う。
「紀子がそこまで歩いてきたら、俺はこれをサワダの方へ向かって投げる。それでどうだ?」
俺は自分から四メートル離れた場所を指した。
そこは周辺に工場職員も転がっていなかったから。
「サワダ。俺はお前ほどそいつを信用してない。タカコとかいう女の身柄を拘束していいか?」
マツカサウオ
「そうだな……未来の我が妻よ。それでいいか?」
「いいわけねぇだろ。それじゃ人質交換じゃねぇか。この御守り欲しいんじゃなかったんか? 水中銃で破壊してもいいんだぞ」
俺が睨みつけるとサワダは渋い顔をする。
「ミゾグチさん、ヨースケはあれの重要性を理解していない。本気で壊しかねない。ここはこのまま交渉しましょう」
「わかったよ」
「では、こうしましょう。私がゆっくり三つ数えます。count down 始めたら私の仲間がノリコさんを放します。count が zero になったら私の方へ御守りを放り投げてください。あなたがその場所から動いた場合、そしてもしも投げなかった場合、私の仲間が銃を抜くかもしれません。これ以上条件が緩くなることはありません」
サワダは本気の目をしている。
紀子との距離を目測で測る。
なんとかなるか――いや、ならなくとも、するしかない。
その後は俺が盾になってでも紀子とタカコとを脱出させて――。
「いいだろう、では数えるぞ?」
念のために水中銃の銃口はサワダたちの方へ向けたまま、俺は頷いた。
「Three」
一瞬の間のあと、サワダの声がフロア内に響いた。
金髪男が紀子へ当てていたナイフごと両手を上へ上げ、紀子は走り始める。
床に横たわる工場制服の奴らを微妙に避けながら走るだけの冷静さを残している紀子は本当にすごいよ。
「Two」
紀子は全力疾走を続けている。
もし何かあれば、紀子へ何かしようとする奴の方を撃てるよう体勢を整えながら、御守りを投げる準備をする。
「One」
俺がさっきサワダへ示した場所を、紀子は駆け抜けた。
「Zero」
サワダの声と同時に、俺は御守りを放り投げた。
もちろんサワダの方向へ――ただし、ちょっとだけ高さをつけて。
即座に紀子の方へと走る。
俺が伸ばした左手に紀子の伸ばした手が触れる。
俺は紀子の手を引いて、自分の体と位置を入れ替える。紀子の盾になるために。
しかし、俺が紀子の体を引き寄せて入れ替わろうとしたちょうどそのとき、大きな音が響いた。
紀子の背後から俺の視界へと入った金髪野郎は銃を構えていて――そして、潰れた。
見覚えのあるフォルムが空中を舞い、金髪野郎へとのしかかったのだ。
「洋介ッ!」
タカコの声に振り返ったちょうどそのとき、俺の方に何かが飛んできた――御守り?
紀子がジャンプしてそれを器用に受け取り、俺の左手へと渡す。
いや、うまくいったのは良いけどさ、何が起きたんだ?
「だから言ったじゃねぇかっ、サワダッ!」
マツカサウオ
サワダも銃を抜いたが、顔を押さえた。
水鉄砲?
とても鋭く早い水の弾が、性格にサワダの目の辺りに命中したのだ。
タカコはその隙を逃さず杭をサワダの手へと突き刺し、銃を叩き落として拾う。
「よーちゃん! ずらかるぜっ!」
その声は聞き間違えるはずもないタモっちゃんの!
タモっちゃんの顔は目が大きく鋭角に鋭い口をした魚――水を吹いた! 鉄砲魚か?
金髪野郎へとのしかかったのはマンボウ頭のひろし! お前も生きていたのかっ!
「ひろしはふくちゃんを担げ! 俺は
何がいったいどうなっているのかは分からないが、今ボンヤリしていられる状況じゃないってこたぁ理解できている。
銃を持ったタカコが「あっち」と叫ぶ。このホールのもう一つの出入り口の方を指しながら。
俺は紀子を背負うと、その出入り口へと向かって全力でダッシュした。
ところが、思わぬ伏兵が居た。
いつの間にか床が水浸しになりつつあったのだ。
見れば壁の高い所に何箇所も設置されているパイプから、ものすごい勢いで水が放出されている。
そればかりか出入り口も既に閉じかけている。ちょっと普通じゃない扉――上下から閉じてゆく防火扉より分厚そうな頑丈扉で。
タカコは何とかそこを通り抜け、俺は背負っていた紀子をタカコへと放り投げ気味に渡す。
「やだ! 洋介!」
「先に逃げておけ! 紀子、場所はわかるな? タカコ! 紀子を頼む。俺も後から」
「よーちゃん危ねぇ!」
タモっちゃんが俺の手を引っ張り、俺は振り向きざまに水中銃を撃つ。
マツカサウオ
もはや膝までとなった水位が、想像以上に俺の動きを邪魔しやがる。
「構造としてはこのフロアが巨大な水槽にできるってのは聞いたことあったけどよ、実際に海水注入してんのは初めて見たぜ」
こっちは鉄砲魚
ひろしはまだ脇腹が痛そうにしている。
生きていたとはいえ、さっきサワダにやられた傷が深かったのだろう。
今は福乃海と玄人――思い出したよ。タモっちゃんの従兄の本間玄人。夏休みとか長期休みのときだけずっと村に居たやつ――意識を失った二人を抱えてなんとか逃げ回ってくれている。
そして向こうは――また血飛沫が飛んだ。
服装からすると、サワダの仲間の金髪男――だった首なし死体。
辺りには凄まじい数の首なし死体が浮かんでいる。
今生きているのは、俺たち以外にはサワダとマツカサウオ
他は全て村長に頭を食い千切られた。
ゴリゴリと頭蓋骨が砕かれる音が、フロアへ轟々と注ぎ続けられる海水の音の間に、やけに大きく響く。
「ほう、ほう、確かに味が濃い。さすが本物の
巨大なホオジロザメ頭の
● 主な登場人物
・
笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女
・三島紀子
三島建設代表取締役三島
・
作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。作品中において
・洋介の兄
中学卒業後、工場へ勤務。プロ野球選手になる夢があった。工場へ迷い込んだ洋介を助けた後、兄弟秘密基地の洞窟で死亡していた。鮫
・洋介の両親
工場が有害だとして閉鎖されたあと、それを監視する「政府の研究所」で働いていたが、洋介が工場へ忍び込んだ直後に「自動車事故で帰らぬ人になった」と研究所の所長に告げられた。
・洋介の祖父母
漁師だったが、祖父は洋介の「両親の事故死」の日までは生きていた。その後、祖母は関東を転々とし、洋介を別の親戚へと預けた後、現在は沖縄在住。
・洋介の
体が弱かったが、太平洋戦争中に墜落したアメリカ人パイロットを助け、村長にもなった。それ以来ずっと村長を続けているようだが、不自然マッチョになっていた。ホオジロザメの
・タモっちゃん
洋介の幼馴染で、一番家が近かった。本名は
・さゆりちゃん。
洋介の幼馴染で初恋の相手。本名は
・のろまのひろし
洋介の幼馴染。マンボウの
・マリ子さん
さゆりちゃんの母。現在も村に残っている。十年ちょい前に夫を、十年前に娘を失っている。
・
洋介の幼馴染。いつも洋介の後ろをひっついてきた。幼少時は自分の名前をちゃんと言えなかったため「タコのタカコ」と呼ばれていた。この村に拠点を置く軍需企業の秘密を暴こうとしている。恐らく
・ふくはらときじ
デブふく。洋介よりも早く村から引っ越していった。恐らく喫茶店で会った力士、福乃海。フグの
・本間
タカコの仲間。タカコと福乃海と三人で工場へ乗り込んできた。タモっちゃんの従兄で、長期休みのたびに村へ遊びに来ていた。マグロの
・ケンヤ・サワダ
自称INTERPOLのAgent。上半身裸に見えるが薄手のウェットスーツっぽい。下半身は青っぽいミリタリーパンツ、髪の毛は短い。タカコと共にこの村に拠点を置く軍需企業を追っていた。母方がインスマウス出身者の系譜。恐らく Deep One。
・
研究所(工場)の所長。ニヤニヤした表情が特徴的。サワダと手を組んで村長を亡き者にしようとしていた気配。
・工場の制服を着た男たち
皆が銀色の筒から出た針を自分に刺し、全員がイワシの
・ミゾグチ
水槽の部屋の入口で隠れていたサワダと洋介へ声をかけてきた中年男。サワダの仲間であり、マツカサウオの
・金髪野郎
サワダの仲間。工場手前の洞窟で待機していた紀子を捕まえて人質にした。服装は工場の制服を着る前のサワダと同じ。ひろしのフライングボディプレスに潰され、村長に頭を喰われた。ディープ・ワンだった様子。
・電気屋で暴れていた男。
イワシの
・The deep ones
ディープ・ワン。十九世紀初頭、マサチューセッツ州の小さな港町インスマウスで公的に知られるようになった「インスマウス病」という伝染病のようなものに罹り、普通の人間が魚みたいな蛙みたいな醜悪な生き物に変化した状態のこと。若いうちは普通の人間と見分けがつかない。
・The hybrid deep ones
ハイブリッド・ディープ・ワン。その後の人体実験によりディープ・ワンを超える超人兵器として開発された存在。見た人に与える衝撃は、ディープ・ワンを凌駕する。工場の人々は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます