#5 追手

「で、どっちに行きゃいいんだ?」

「もしかしてカーナビ使ったことない人?」

「使わなくても特に困らないしな」

 後部座席から地図を手に取ったのを、紀子に奪われる。

「現に今困ってるじゃない。それにこの地図、旅館名が書いてあるわけじゃないのね」

「いや、泊まってた本人が居るんだから、聞けば済むだろ?」

「そうだけど……本当に有能な探偵なの?」

「探偵なのは間違いないぜ。有能かどうかを判断するのは、その都度都度の依頼人さまだよ」

 信号にひっかかったところで財布から名刺を取り出して渡す。

「ふーん……ねぇ、コロシとかもしたことあるの?」

「ぶっ」

 突然の紀子のフリに、つい吹き出してしまう。

 コロシって!

「そりゃ変なマンガの見すぎだ」

「そっか。なんか面白い依頼ってあった?」

「なかなかないよ。探偵を使う人って、面倒だったり、汚れたり、自分は忙しくてできないようなことを金で引き受けてくれってのが多いからな」

「そうだよね……」

 紀子のテンションが下がった。

 すまん。

 これは俺のミス。

 紀子の親が紀子を探すことを面倒とか自分ではできないって言ってるように聞こえるもんな。

「あとはさ、俺は一応プロだからね、自分でやるより依頼したほうが確実って言ってくださる依頼主さんも少なくないよ。プロを使う方が、より心をこめてるって信じてらっしゃる方々もね」

 紀子はしばらく窓の外を眺めていたが、静かにぽつりとつぶやいた。

「お兄ちゃん」

「ん?」

「洋介のこと、他の人が居る前ではお兄ちゃんって呼ぶことにする」

 これは心の距離が増えたのか、減ったのか、どちらだ?

 まぁどちらにせよ、答えは一つだけどな。

「OK」

 ――妹か。どんなもんなんだろうな。

 俺は確か一人っ子だったから。

 自分の記憶に「確か」なんてつけてしまったことに苦笑いする。

 小さい頃のことはあまり思い出さないようにしている。

 昔は意図的にそうしていたが、最近は本当に思い出せなくなってきている。

 一人っ子?

 妹のような存在が一瞬、脳裏をよぎった?

 ――いや俺に妹なんか居なかった。

 浮かび上がりかけたおぼろげな記憶をまた呑み込み、アクセルを踏んだ。


 それからは紀子の指示通りに道を進み、紀子が泊まっていたという旅館へと到着する。

奥様の追手あちらはもう来ていると思う?」

「わからない……だから、ついてきてくれる? お兄ちゃん」

「OK」

「予備のPCとか持ってきてたから重たいんだよね。男手助かる」

 予備のPC?

 金持ち高校生、すげぇな。

「お兄ちゃん、早くー」

 旅館の中では紀子はやたらと「お兄ちゃん」を連発した。

 印象付けたくてやっているのだろうが、やり過ぎは逆効果だ。

 ほら見ろ、今すれ違った女性二人組の蔑みの目なんて絶対援交とかその類いのを疑っていただろ。

 見た目年齢で十歳は離れてんだからな。

「紀子、はしゃぐなよ」

 本名言っちゃっていいのかとも思ったが、偽名を使おうとしないあたり彼女なりの「ヒント残し」なのだろう。

 ゲームのルールならば仕方ない。

 俺は黙ってやや大きめのスーツケースを車へと運ぶ。

 いや本当に重いなこれ。

「お兄ちゃんの宿はどこ?」

「宿? 車だが?」

「え? 車って、これ? それともキャンピングカーみたいなのが別にあるの?」

「いや、これだよ。シートを倒せばそこそこ寝られる」

 しょっちゅう寝ている『我が城』のソファは俺の身長より短いし、昨晩の寝心地はそう変わらなかった。

「布団とかは?」

「これ」

 絶賛着用中の愛用のミリタリージャケットを広げて見せる。

「寒くない?」

「寒いときには暖房つける」

「……レディをエスコートはできる環境ではないよね?」

「そのつもりはなかったから」

「せめてもう少しグレード上げない? お金なら出してもいいからさ」

「いやいや、それを紀子に払ってもらうわけにはいかないって」

 ということで俺たちはまずレンタカー屋へと向かい、後部座席がフルフラットにできるミニバンへと借り換えた。


「やっぱ車はいいねぇ!」

 車窓の外を流れる景色を嬉しそうに眺め、俺に質問したいときはこちらへと乗り出し、忙しそうな紀子である。

 とにかくご機嫌が回復して良かった。

「そういや記念館へのあの道、行きは歩いたの?」

「だってさ、そんなに距離ないって聞いたのよ」

「お疲れ様」

「……ママの方がどういうの雇ったか分からないけど、今回はパパの勝ちかな」

「こりゃ責任重大だ」

「今回はいつもよりオオゴトだから、ちょっとわがままするにはいいチャンスなのよね」

「わがままってのが旅行?」

 そのとき、紀子の表情が変わった。

「人肉腸詰工場、って知ってる?」

 人肉腸詰工場。

 紀子の部屋に残された雑誌にあった工場とか都市伝説とかいうキーワードはそれか。

「さっきの作家先生に関係あるのか?」

「あのね、陶蝶とうてふの最初の作品『魔女狩られ』ってのはね、実話だって言われてるの」

「どんな話なんだ?」

「このへんのそこそこ名家の生まれなのね、陶蝶は。で、あるとき一人の人が助けを求めてきてね。どうやらどこかの村にね、捕まってたらしいの」

「伊豆の?」

「そう。そこの工場で殺されかけたって……人をミンチにして腸詰めにしている工場でって!」

 工場。

 伊豆。

 噂。

 小さい頃に聞いた話が、遠い昔に俺の頭の中から出ていった話が、耳鳴りのように戻ってこようとしている気がする。

「陶蝶はね、自警団を組織してその村に乗り込むのよ」

 紀子の声が、幻影を振り払う。

「……勇敢だな。無事だったのか?」

「『恐ろしいもの』を『見た』らしくて、自警団の何人かは発狂して、あとは海にひきずりこまれたっていう展開ね。小説では」

「陶蝶は生き残ったんだ?」

「一人だけ、ね。で、自警団の人たちを見捨てたってことで一気に周囲からの信用とかを失って、そしてそのごたごたのまま戦争が始まったの」

「何があったんだろうな……」

 海に引きずりこまれる。

 それは、俺の中にも微かな記憶がある。

 幼少時の――洞窟?

 洞窟の奥にもうひとつ洞窟が。

 そこに、誰かに……だめだ、思い出せない。

「洋介?」

「あ、うん」

 まただ。

 記憶のはるか向こうから波のようなうねりが静かに押し寄せてくる。

 次から次へと。

 その海を乗り切ろうとアクセルを踏む。

「読みたくなったんでしょ? 陶蝶」

 紀子はリュックから古びた本を一冊取り出した。

「遠慮しておくよ。ホラーよりもハードボイルドが好きなんだ」

「かなり真剣に考え込んでたわよ。ストーリーが気になったわけじゃないの?」

 紀子は勘が鋭い。

 あんまりぼんやりもしてられないな。

「伊豆だからな。ここは」

「そうなのよ! ここの近くのはずなの、人肉腸詰工場! 記事、見たんでしょ?」

「いや、読んではない。メイドさんがたっぷり時間かけて説明してくれただけだから、あくまでも伝聞だ」

「あはは。タマさんだ。話長いし飛ぶし。よく途中で投げ出さなかったね。お兄ちゃん、えらーい!」

 今の若い子は物怖じしないんだな――いや、昔もか。

 年齢関係なくみんなタメ口で――みんな?

「お兄ちゃん、あのバイクずっとついてきてない?」

 ああ、それは気付いてはいた。

「だな」

 サイドミラーに映っているバイクがかなり大きくなっていた。

 乗っている女のバストサイズが推測できそうなくらいに。

 黒のバイクスーツに身を包んで……革素材かな、ぴっちりとしているから体のラインがぐっと浮き出ている。

 プロポーションは相当なもんだ、ということは鍛えているってことだ。

 油断ならないなと、思った途端にバイクは突如スピードを上げた。

 俺たちのミニバンを追い越してゆく途中、ちょっとだけこちらを覗き込んだ。

 フルフェイスのヘルメットで顔は見えないが、ほんのちょっとした動きにやけに色気を感じる。

 だが今は仕事中なんでね。

 速度を落としてバイクを前へ出す。

 こちらへはお構いなく行っちゃってくれ。

 想いが通じたのか、バイクはそのまま小さくなり、カーブの向こうへと消えた。

「ね、洋介。ママの手下かな?」

「かもな」

「かっこよくて色っぽいお姉さんだね」

「否定はしない」

「ああいうの好みなの?」

「あれでモテないなんてこたぁないだろうよ」

「洋介は?」

「一晩だけの付き合いなら大歓迎だが、言葉を交わしもしないうちから好みかどうかなんてわからないな」

「へー。でも一晩なら付き合えるんだ?」

「健全な男だぞ?」

 うっかり鼻の下伸ばしてから非難されるよか、最初から女に弱い男ですよアピールをしておく方がいい……はず。

「私にも欲情する?」

 紀子はパーカーの胸元を引っ張り、その中が俺に見えるようにするが、運転中なので視線は向けないでおく。

「それはない。依頼主は絶対守るのが俺のポリシーだからな」

「そっか。絶対守ってくれるんだ……まぁ、そのへんは見極めかなー」

「おーこりゃ気が抜けない」

 俺は笑いながらウインカーを出す。

「あのガソリンスタンド?」

「ああ。トイレ休憩だ」

 さっきのバイク一台だけだとしたら、少し時間を潰してそれでもこの先で再び遭遇することがあれば追手確定でいいだろう。

 それを見定めるために無理やり設けた休憩のつもりだった。

 車を停め、念のために紀子には車の中に残ってもらい、俺だけ外へ。

 飲み物でも買ってやろうかと自販機前へ移動して気付く。

 目立たないような物陰に置いてある、ほんのちょっと前に見たばかりのバイクに。

 やられた。

 待ち伏せかと慌てて車へ戻ろうとした俺の背後から声がした。

「ねぇ」

 若い女の声。

「……俺のことか?」

 営業スマイルを浮かべながら振り返る。

 格好からするとさっきの女だ。ヘルメットは外しているし、胸元のジッパーも開き気味だ。

 紀子と同じアピール方法じゃねぇか、と思うと少し冷静でいられる。

「そう」

 女はじっと俺を見つめる。

 垢抜けてはいないが美人だ。

 深い瞳の色。黒のようでいてもっと奥があるような。

「どこかで会わなかった?」

 ナンパの常套句。

 自慢じゃないが俺は女にモテねぇ。

 話しかけてくるメリットはなんだ?

 時間稼ぎだとしたら、この女以外に別働隊が居るはずだ。

 紀子には念のためドアロックは全てかけておけと言ってあるが。

 実の娘を誘拐なんてこたぁないだろうが、金に困ったやつの仲間なら性悪説で予測しておいて損はないからな。

「女連れにナンパだなんて随分自信あるんだな」

 女は反射的にムッとして、それから睨みつけてきた。

 もしかして本当にナンパ――いや、それはないよな。

 こっちはレンタカーだぜ?

 じゃあ、いったい。

「デート中にごめんなさいねっ」

 女はバイクにまたがるとヘルメットをかぶり、気持ち爆音を出しながら去っていった。

「何、話してたの?」

 紀子がすぐ横にいた。

「おい紀子、外に出るなって」

「お姉さん、もう行っちゃったじゃない。ナンパに邪魔だから車の中に残したんでしょ?」

「そうじゃねぇよ」

「ふふ。焦った顔見られたから、まあいいかな」

 紀子は車から離れてゆく。

「おい、どこに」

「トイレ。それとも中までついてくる?」

「叫んでくれたら女子トイレの中でも駆けつけるぞ」

「ふーん? じゃあ、缶珈琲でも買っておいて」

「種類は」

「当ててみて!」

 紀子はトイレの中へと消えた。






● 主な登場人物


笹目ささめ洋介ようすけ

 笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女紀子のりこ捜索依頼を引き受けた。現在紀子と行動を共にしている。


・三島紀子

 三島建設代表取締役三島行男ゆきおの次女。伊豆の人肉腸詰工場の噂を追っている。


綯洗ないあら陶蝶とうてふ

 作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。


・バイクの女

 美人でスタイルもいい。洋介に対し「どこかで会わなかった?」と尋ねてきた。

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