#3 陶蝶

「朝はそばよりスパゲティより珈琲の気分なんだ。珈琲あるかい?」

 主導権主導権。

「アッハッハッハ! 朝だなんてお客さん! もうお昼ですよ! おとーさん! コーヒーひとつ!」

 よし。珈琲ゲット。

 お礼にもうちょいおだてておこう。

「甘味なんて書いてあったら、女性のお客さんがよく入るんじゃない? ご主人さんはこんな美人の奥さん居れば充分でしょうけど」

「あらやだ。アッハッハッハハハハハハハ!! 美人だなんて! アハハハハハハハハハ!!」

 やばい。女将の笑い声ボリュームを上げるボタンを押しちまったようだ。

「アハハハハ! わさび漬けおむすび、サービスしておいたわよ。アッハッハッハ!」

 珈琲と一緒に、緑色のおにぎりが運ばれてくる。

 微妙に食欲を削ぐ緑色。

「そういえばお客さん。若い女の子って言えば来たわよ。午前中! 大学の調べものとか言ってたけど……」

 な、なに?

 俺は思わず珈琲を吹き出した。

 女将のセリフにではなく、珈琲の味そのものに――っつーかこれ珈琲じゃねぇ。

「あら、お客さん、ごめんなさいね。チャイは口に合わなかったかしら?」

 チャイ? インドか?

 お前ら、ここいったい何の店だ?

 じゃなくて。若い女の子? 紀子か?

「午前中って、今日のですか?」

「アッハッハハハ! 昨日じゃないわよ今日よ! アハハハ! もう少しいったところに作家先生の記念館があって、そこに行くって言ってたのよ!」

 ということは、昨日は街で一泊したということか。

 そいつはありがたい。

 追いつける。

 吹き出したチャイと呑みかけのチャイのカップを片付けた女将と入れ替わりで、ご主人が今度はちゃんとした珈琲を持ってきた。

「とうちょう先生、だよ。ないあら・とうちょう。怖いお話ばっか書いてた先生だ」

 ないあら? とうちょう?

 漢字が思い浮かばねぇ。

 日本に帰化した外国人とかか?

 全く聞いたことがない。

「そうそう! ないあら! アハハハ! 変な名前よねぇ! アッハッハハハハ!」

 だが、怖い話というキーワード、ひっかかる。

 ここは食いついておくとこだな。

「怖い話、ですか……パンフレットとかありますか?」

「アッハッハッハ! 怖い話お好きなの? アハハ! 怖いと言ったらこないだねぇ。余ったぜんざい、夜食代わりに食べていたらね……なんと!」

 体重が、とかいうオチだろう?

 まあ、そんなこと思っても顔に出さないのが腕のいい探偵だがな。

「ど、どうしたんですか?」

「うちのアレクサンドラちゃんが空を飛んだのよ! ……あ、これ、パンフレットこれだわ!」

 え? 空?

「あら、団体さんいらっしゃーい! あら、お竹さんじゃないの! アッハハハ! いやだわうちのバカ息子じゃないわよぅ。この人、お客さん。アッハッハッハッハ! お竹さんたちは地元の婦人会の人たちなのよ! あ、税込み五百円」

 その後、女将は珍しく黙り、忙しそうに厨房と客室とを行ったり来たり。

 空を飛んだアレクサンドラちゃんの話の続きが無茶苦茶気になるところだが、ここで時間をかけるわけにはいかない。

 俺は五百円玉を一枚、レジに置くと店を出た。

 なぜか負けた気分のまま車へと戻る。

 ……別に負けてねぇよ!


 気分を切り替えてパンフレットだ。

 このへん一帯のハイキングコースが書かれているパンフレットを眺める。

 紅葉スポットや、山桜の名所、滝などがイラスト入りで描かれている。

「これだ」

 地図の端の方にその名前を見つけた。

『綯洗陶蝶記念館』

 確かに変な名前だな。

 二葉亭四迷のペンネームの由来は「くたばってしまえ」だったはず。

 でもこりゃぁ――何を洗ってんだ? まあ、着けばわかるか。

 俺は急いで車のエンジンをかけた。




 ぎりぎり車が通れる寂れた林道。

 これ、すれ違うときどうするんだ?

 道の長さを考えると、所々にしかない「すれ違いポイント」の少なさは――もし対向車が来たら、うんざりしながら後退するしかないだろう。

 長距離バックは嫌なんだけどな。

 だいたい都会に住んでりゃ車なんて運転しないんだ。

 運転が上手になるわけないだろう。

 自分のため息を聞きたくなくて窓を開ける。

 土と緑の匂い。

 都会にはない匂いだが、こういうのは悪くねぇ。

 しかし。

 こんな道を、三島紀子は行ったのか。歩いて?

 インドア派じゃなかったのか?

 甘味処の女将の話だと店の近くまではバスで来たと言っていたらしい。

 ということはこの道は当然、徒歩でってことになるよな?

 文学館まで徒歩で30分くらいとは言ってたが、ちょっとサバよんでないか?

 ハイキングコースになっているとは言え未舗装のその道は、車で走っていてもガタガタと揺さぶられて気が滅入る。

 電線が道に沿って延びてなければ先へ向かう気すら失せるところだ。


 だいたい、俺は都会が似合うんだ。

 池袋鮫、だぞ?

 伊豆鮫でも田舎鮫でもねぇんだ。

 都会という厳しくも華やいだ海を、己の牙で切り拓きつつ渡ってゆく。

 ここにはネオンもなければ喧騒もねぇ。

 タバコの自販機すら見かけねぇ。

 だいたいなぁ……お。

 脳内で愚痴を繰り返しているうちに、とうとう着いたようだ。




 古びた作りだが、ここいらっぽくない洋館。

 二階建てで壁にはツタが絡まっている。それなりには広そうだ。

 元々は別荘とかだったのか?

 まだ昼だってのに押し迫る周囲の森が館を取り囲み、暗く陰鬱な空間を作り出している。

 窓から漏れる灯りが見えなければ、野に埋もれた廃虚かと見間違えかねない。

 駐車場が二台分しかないところに人気のなさが伺える。

 しかし俺以外には車が来ていないが、ここの管理人はいったいどうやって生活を……。


 車を降りて入り口へ近づく。

 洒落た西洋ランプが玄関を照らしている。

 えーとあれはアールヌーボーだかアールデコだかだっけ。

 玄関のマットレスで靴についた土埃を軽く落とすと、館の重々しい扉を開いた。


 蜻蛉、蛾、蜂、甲虫……昆虫をあしらったデザインのランプが、奥のほうにまで並ぶ。

 さながら周囲の森が、館の中にまで侵食してきているようだ。

 入ってすぐの場所に小さな椅子が置かれ、老婆が独り座っていた。

 微動だにしないその老婆は、趣味の悪い自動人形オートマタにも思える。

 古びてはいるが、ある種の趣のあるこの洋館の、内装の一部として完全に溶け込んでいた。

 声をかけようとした矢先、老婆がゆらりと揺れる。

「大人は五百円でしゅ」

 小さな、口の中にもごもごと溜め込んだような声。

 不気味な気配に気圧されそうになりながらも、ポケットから五百円硬化を取り出し机の上へ置く。

 老婆は慣れた手つきでパンフレットを取り出すと、無造作にスタンプを押した。

 蛾のマーク。

 誰が作ったのか、触角の毛の部分まで精緻に浮かび上がるスタンプ。

 赤いインクが早く乾くようにパンフレットをひらひらさせながら、まず軽く一階を一巡する。


 趣味の悪いものが、あちこちに並べられている。

 畸形の生物のホルマリン漬け、小動物の骨格標本、羽をもいだ蛾の標本や、異国のものであろう様々な醜い像。

 書庫には本はほとんどない。

 文学館じゃなかったのかよ?

 パンフレットの表面を改めて見ると、記念館と書いてある。

 ぬ。

 作家先生とか聞かされたから、まんまとミスリードにひっかかったってわけか。

 素人に騙されるとか探偵失格だろ。

 冷静になれ、俺。

 胸ポケットのタバコに手が伸び、タバコの箱を優しく握ってため息を一つ。

 切り替えていこう。


 書庫のがらんとした本棚の片隅に、金属製のプレートを見つけた。

 何か書いてある。

 『陶蝶の死後、書籍資料を託された友人が陶蝶の家を探したが、彼の書いた元原稿も含め、陶蝶が生前集めていた資料はほとんど見つからなかった』

 ミステリーだな。

 んで、もし紀子がここにきたとしたならば、その消えた書物と例の都市伝説の工場とナニかつながるってのか?


 一階をあらかた見終わった後、二階へつながる階段を見つける。

 その階段ってのがまた、歩きにくそうなデザイン。

 なんというか階段の踏み板全てに鬼のような模様が彫られている。

 絵じゃなく彫刻。

 それなりに磨り減っているが――踏み絵?

 鬼を? 魔除けかナニカか?

 この綯洗陶蝶という作家の家、尋常じゃぁないな。

 作家というよりは趣味の悪いコレクターという感じだ。

 確か、怖い話ばっかり書いていたんだっけ?

 ホラー小説を書くための気分を盛り上げる演出なのかな?

 そろそろスタンプの赤が滲まないだろうと、パンフレットを開いた。

『ないあら・とうてふ』

 蝶は「てふ」って読むのか。てふてふって古語読みだったか。

 簡単なプロフィールと、作品のリストが書いてある。

 戦前は資産家として趣味で風土記を書いていた――で、戦後からホラー作家に転向。

 戦時中になにかあったんだな。

 主な作品は――なんじゃこりゃ。

 作品は二つのみ。

 それで作家かよ。

『魔女狩られ』

『海の王』

 しかも、二つ目は遺作で断筆。

 粗筋とか載ってないのかな。

 ん?

 これかな?

『一作目を書きあげた陶蝶は、何かに怯えているようであった、と当時の担当の手帳にメモが残っている。通常の神経では、海の王に対抗できないと。』

 ほほう。

 で、こんな館になったわけか……お。作品中からの一説が抜き出してある。


『彼ノ海ノ王ハ、筆舌シ難ク恐シキ存在ニテ、健常ナル心身ヲ以テハ対抗スルニ能ズ。

 己ノ中ニ混沌ノ血ヲ呼ビ覚マシ、漸ク抗ウニ足ル。

 然シテ、海ノ王ハ強大ナルガ故、ドノ王ヲ呼ブガ最良カ悩ム所存デアル。

 徒ニ命ヲ賭スハ危険ニ加エ、新タナル混沌ヲ巻キ起スモノ也。』


 うーむ。

 陶蝶さん。あんたこりゃ、すでに健常な精神を持ってないよ。

 パンフレットには二階の説明もある。

 二階は寝室と、瞑想の部屋?

 俺は階段の鬼たちを踏みつけ、二階へと上がった。


 おや?

 鬼の顔を四つ五つ踏んだ時、寝息が聞こえた。

 二階からだ。

 ギシギシ鳴る階段を、できるだけ静かにと細心の注意を払って上る。

 二階の廊下に立って息を潜める。

 音は――瞑想の部屋のほう。

 部屋へと続く襖は閉まっている。

 洋館なのに、二階は和風なのか。

 襖に手をかけ、静かに開けると――足が見えた。

 ジーンズに白い靴下。

 足のサイズは小さめ――女子? 紀子か?

 まだ寝ているようだ。

 部屋の中央にはランプの置かれた台があり、入り口からは顔は見えない。

 懐から写真を取り出し、静かに近づいてゆく。

 もちろん、出口に逃げ出されないよう位置取りに気をつけつつ。






● 主な登場人物


笹目ささめ洋介ようすけ

 池袋の雑居ビルにある笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役から次女紀子のりこ捜索依頼を引き受けた。


・三島紀子

 三島建設代表取締役三島行男ゆきおの次女。伊豆の怪しい工場へ行くという情報を残して失踪。


・ニコニコした中年女性

 『甘味 山菜』の女将。アレクサンドラちゃんが空を飛んだ話を持っている。


・趣味の悪い自動人形オートマタみたいな老婆。

 『綯洗陶蝶記念館』の受付に座っている。洋館の内装の一部として完全に溶け込んでいる。

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