#17 潜入
「I'm a professional ダカラ、ネー」という理由でサワダが先行する。
水路の先に人の気配がないのを確認し、手漕ぎボートを曳いてきてくれた。
俺はその上へと降り、紀子にロープを上げるよう指示してから二人だけで先へと進む。
すぐに水路は行き止まり、少し広くなった空間へと出た。
相変わらず大型のゴミ箱みたいなのが並んでいるが、設置場所こそ同じものの見覚えのある形とは違う。
密封性が良くなっているのか、記憶の中ではこのあたりに充満していた血生臭さをほとんど感じない。
「隠レテ」
サワダが小声でそう告げながら、俺を小突く。
奥からガラガラと音が聞こえてきたからだ。
二人で一緒にゴミ箱の陰へと隠れる。
重たい物を乗せた台車のような音はさらに近づいてくる。
もしもこっちまで来たら、なんとか無力化して――人間相手ならばそれくらいできる自信はあるが、もしもディープ・ワンとか、ハイブリッドの奴だったら――緊張感が高まる。
「いでっ」
人が転ぶような音。
その直後、台車だけが、俺たちの目の前まで転がってきた。
台車には大きなカゴのようなものが取り付けられていて、そこから人の上半身が見えている。
虚ろな目――そいつの顔を見たとき、思わず飛び出してしまっていた。
「タモっちゃん! おいっ!」
慎重に進もうとサワダと意識合わせをした直後だってのに、これだ。
「あ、あれ、あれ……な、なんでタモツくんの名前、し、知っている?」
そのしゃべり方、そしてどことなく面影がある――こいつは。
「お前……のろまのひろしか?」
「だ、誰だか、知らないけど、ぼ、ぼくの名前まで、し、知っている?」
俺はひろしの作業服の襟首をつかんだ。
「ひろし、答えろ! タモっちゃんはどうしたんだ!」
だが、いつもオドオドしていたのろまのひろし――だった男は、どことなく落ち着いた表情で答えた。
「タ、タモツくんは、裏切ったから、やられたんだよ」
「誰がこんなことをした?!」
「ぼくだよ! ぼ、ぼ、ぼくは、もう、のろまなんかじゃないんだから」
「ひろし! お前、俺達の仲間じゃなかったのか?」
一瞬、ひろしの動きが止まる。
「な、ナカマ? ……よ、ヨウスケくん?」
「そうだよ。洋介だよ。ひろし、いったい何が」
「も、もう、ヨウスケくんにも負けないよ。ぼ、ぼ、ぼくは強いんだ……」
「ひろし? お前ほんとうに、ひろしなのか?」
ひろしはトロいところはあったが、誰かを傷つけることはとても嫌がる、優しい奴だった。
「は、離して、よ」
ひろしはすごい力で俺の手を振り払う。
「よ、ヨウスケくん、ずるいよ、ね。さ、サユリちゃんいるのに、た、タカコちゃんまで、ヨウスケくんのこと、を……」
そう言いながら、みるみる姿が変化していく。
「It's dangerous、ネー! 素手、無理ネー!」
サワダは、どこから持ち出したのか、刀のようなものを構えていた。
「My great grandfather is japanese、ネー。サムライ、ノ、魂ネー!」
そう息巻くサワダの向こうで、ひろしの頭が漫画みたいに変わり始めていた。
肥大化する頭部――いや、デカ過ぎだろ!
「The hybrid deep one、ネー!」
異様に巨大な頭部は、どことなくマンボウを思わせる。
「い、いくどー!」
その声と同時だった。
ノロマだったひろしがすごい勢いで地面を蹴る。
そして巨大化した頭でかましてきたのはボディ・プレス。
とっさに避けたのだが、衝撃だけで吹き飛ばされた。
確かに人間離れした強さだ。
「Oh No !」
向こうへ吹き飛ばされたサワダの
サワダの腹に刀が刺さっているじゃねぇか!
「Don't worry !」
サワダは口元に笑みを浮かべて腹から刀を抜い――先端がない?
折れているのか。
というか元々、ひとつながりの刃じゃないんだろうな。
洞窟内ではあんな長さのモノを持ち歩いていてなかったはずだし。
「う……うう」
今度はひろしの方が呻いていた。
しかも、その腹に刀の先端が刺さっている。
「ひ、ひろし、大丈夫かっ」
思わずひろしへ駆け寄ろうとして、足が止まる。
「イ、イタイ、イタイヨ……ぼ、ぼク、ハ、ノロ……マジャ……ナ……」
なんか様子が変だ。
頭を上下にゆっくりと動かしている。
「マカセテ、ネー!」
サワダがひろしの腹に刺さった刀の先端へ小型のスタンガンを当てた――瞬間、火花が飛んだ。
「ドウ……して……ぼ、ぼくらを、置いて……」
ひろしの頭が人間へと戻ってゆく。
「……ヨウスケくん、タ、タモツくんは……」
そして、そのままその場へ崩れ落ちた。
「男ワ、振リ向カナイ、ネー」
サワダの言葉で、俺は止まっていた足を再び動かし始めた。
ひろしの作業服を俺が着て、タモっちゃんの作業服はサワダが着込んだ。
ひろしのポケットには作業帽がつっこまれていたから、それも被る。
申し訳ないが下着姿にさせちまったタモっちゃんとひろしとを手漕ぎボートへ乗せる。
眠っているみたいな二人を見つめると、俺はいったい何をやっているんだという想いが去来する。
兄ちゃん、さゆりちゃん、タモっちゃんにひろしまで。
何もできていない自分があまりにも不甲斐なくて。
今だって、俺はただ
頑張っているのはいつも俺以外。
俺のまわりで渦のようにまわっているいくつもの想いと努力と哀しみと。
「タモっちゃん、ひろし。も少しだけ、ここで待っててくれよ。タカコを早く見つけてやらないとなんだ……」
「ヨースケ、Let's go !」
「ああ、行こう」
俺が帽子を目深に被り、台車の持ち手をつかむと、サワダは台車の荷台カゴへとしゃがみ込み、ぐったりとしたフリ。
ひろしがやってきた通路を見つめ、俺たちはその先へと向かった。
通路の先にはやっぱり見覚えがあった。
二十年前のあの日、俺が迷い込んだあの場所だ。
俺たちが進む先からは忙しげな足音が幾つも響く。
そこいらのドアの一つにでも隠れようか、そう考えたとき、そんなドアの一つが開いた。
「おい! ボヤボヤしてんな! 侵入者が来てんだぞっ!」
若い男。記憶の中の村の人とは一致しない。
「は、はい」
「ゴミ捨ては後でいい。ゴミは放置して、ほら、お前もこれを」
人の死体をゴミ呼ばわりする男から手渡されたのは、タモっちゃんからもらったのと同じ銀色の筒。
俺がそれを受け取ろうと手を延ばすと、男は俺の顔をじっと覗き込んだ。
「お前、誰」
そこまで言いかけたとき、サワダがまたスタンガンを男の首へと当てた。
バチバチと火花が飛び、男はその場に倒れ込んだ。
男と台車とを、サワダと二人がかりで男が出てきた部屋へと運び込む。
「実験室、ネー」
ひろしの作業服は血の跡があったので、俺が男の作業服と取り替え、男を重そうな機械へ縛り付けている間、サワダは写真を撮りまくっているようだった。
「待たせたな」
男の作業帽をサワダへ投げると、サワダはそれを受け取って被る。
足音の聞こえていた方へ二人で走った。
俺たちがあの水族館みたいな広間へとたどり着いたとき、水槽が一つ割れて中の水が流れ出ている場所の近くにタカコたち三人が居た。
タカコとグラサン男、もう一人は顔がふぐのように膨らんでいる着流し姿――恐らく「デブふく」こと福乃海だろう。
福乃海の足下には、頭が魚の――電気屋で見た魚男が何人も転がっている。
「何やっている、お前ら! お前らだってハイブリッドだろうが!」
老人っぽい声。
「ハイ」
答えた複数の声には元気がない。
作業服を着た何人かが、自分の首へあの銀色の筒を当てて――スイッチでもあるのか?
途端に頭部が魚へと変わる。
でもなんか全員同じ魚に見えるけど。
いや、一人だけ体格がいいのがいるな。
「俺たちは群れでこそその真価を発揮する! 行くぜみんなッ!」
その号令と共に、残っている十数人がひとところへ集まった。
「喰らえッ! スタンピード・アタックッ!」
なんか恥ずかしい技名を叫んではいるが、要は全員で連続タックルしているだけのような――っと、福乃海のかかとが少しずつ下がって――押し出された!
マジか。
「聞イタコト、アル、ネー。The hybrid deep ones ワ、本人ノ意思ノ強サ、power ヘ反映スル、ネー。カケ声デ、一時的ニ、攻撃ガ強クナル、ネー」
なんだその必殺技みたいなシステムは。
だけど意思の強さってんなら、少なくとも今の俺は気持ちで負ける気はしねぇ。
それはタカコたちも同じだろう。
福乃海はタカコたちの手前で踏みとどまって連続タックルの一つ一つを巨大な張り手で
心なしか手のひらも膨れて大きくなってないか?
やがて敵ハイブリッド・ディープ・ワン軍団は、全員が床へと転がり、フラつきながら視界が遮られている先へと消えてゆく。
「残念だよ。いい部下だと思ってたのだがな」
その消えた先から声が聞こえた。さっきの老人っぽい声。
「恐ラク、網場所長ネー」
「ふん、部下だと? あんたにとっては実験材料程度なんだろ?」
タカコの仲間のサングラス男が、唾を吐き捨てた。
「おやおや。君たちは進んでその素晴らしい体を受け入れたのではなかったのか?」
幼い日に見たあのいやらしいニヤニヤ笑いが脳裏に浮かぶ。
「素晴らしい、だと? ……悪魔め」
男はサングラスを捨てたが、遠いし横顔だし、まだ誰だったかまでは思い出せない。
「悪魔? いや、私は選ばれた人間だ。天才なのだ! 新しい生物の創造に成功した! むしろ神といえよう!」
クソ網場め。
「何が神だ……あたしの家族を、仲間を、故郷を返せ!」
俺のあとをずっとついてきてたタカコが……立派になって。
「返せも何も、皆ここにいるではないか」
そう言いながらもう一人、老人の声が現れたようだ。
「故郷を裏切ったのは君達の方なんだよ……タカコ君」
その声に、聞き覚えがあることに驚く自分が居る。
「おい、お前ら。なに隠れてやがる!」
ふいに背後からの声に驚き、飛び
サワダも同様に距離を取っている。
「おいおい、怖がり過ぎだって」
そこに居たのは工場の制服を着た中年の男。
年齢的に村人かもしれないと思ったが、記憶にはない顔だ。
ぐったりとした男を肩に担いでいる。
「お前らアレだろ。
どうやらバレてはないようだ。
俺とサワダは中年男から男を受け取る。
見覚えがある服には銃で撃たれたような跡が幾つか――もしかして電気屋で暴れていた奴か?
そいつを両側から挟み込むようにして肩を貸し、足を引きずらせちまうのは勘弁してもらって中年男について行く。
工場の連中にも、俺たちを一瞥したタカコたちにも、俺やサワダだと言うことは気付かれていないようだ。
「村長! こないだ発狂した奴を連れてきました!」
中年男は、網場が居るのに村長へ直々に報告する。
というこたぁ網場よりも村長の方が偉いんだろうな。
帽子を目深に被っているせいでまだ網場と村長の顔は見えないが――村長、裸足だと?
そればかりか筋骨隆々としたその足は、プロの格闘家を思わせる。
「その人をどうするつもりなの?」
タカコが俺たちを、というか俺たちが抱えている男を指差す。
「真実を教えてやろうと思ってな」
網場が近づいてくる。
その手にはあの銀色の筒。
網場が筒の片方の端を親指で強く押すと、反対側の端から小さな針が飛び出す。
その針を、俺たちが支えている男の首へと突き刺した。
● 主な登場人物
・
笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女
・三島紀子
三島建設代表取締役三島
・
作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。
・洋介の兄
中学卒業後、工場へ勤務。プロ野球選手になる夢があった。工場へ迷い込んだ洋介を助けた後、兄弟秘密基地の洞窟で死亡していた。
・洋介の両親
工場が有害だとして閉鎖されたあと、それを監視する「政府の研究所」で働いていたが、洋介が工場へ忍び込んだ直後に「自動車事故で帰らぬ人になった」と研究所の所長に告げられた。
・洋介の祖父母
漁師だったが、祖父は洋介の「両親の事故死」の日までは生きていた。その後、祖母は関東を転々とし、洋介を別の親戚へと預けた後、現在は沖縄在住。
・洋介の
体が弱かったが、太平洋戦争中に墜落したアメリカ人パイロットを助け、村長にもなった。十年ちょい前もまだ村長をしていた。
・タモっちゃん
洋介の幼馴染で、一番家が近かった。本名は
・さゆりちゃん。
洋介の幼馴染で初恋の相手。本名は
・のろまのひろし
洋介の幼馴染。
・マリ子さん
さゆりちゃんの母。現在も村に残っている。十年ちょい前に夫を、十年前に娘を失っている。
・
洋介の幼馴染。いつも洋介の後ろをひっついてきた。幼少時は自分の名前をちゃんと言えなかったため「タコのタカコ」と呼ばれていた。この村に拠点を置く軍需企業の秘密を暴こうとしている。
・ふくはらときじ
デブふく。洋介よりも早く村から引っ越していった。恐らく喫茶店で会った力士、福乃海。フグの
・サングラスの男
タカコの仲間。タカコと福乃海と三人で工場へ乗り込んできた様子。
・ケンヤ・サワダ
INTERPOLのAgent。上半身裸に見えるが薄手のウェットスーツっぽい。下半身は青っぽいミリタリーパンツ、髪の毛は短い。タカコと共にこの村に拠点を置く軍需企業を追っている。タカコにフラレ続けている。
・
研究所(工場)の所長。ニヤニヤした表情が特徴的。
・工場の制服を着た男たち
皆が銀色の筒から出た針を自分に刺し、全員がイワシの
・村長
網場所長よりも偉い。プロ格闘家のような筋骨隆々とした足をしている。裸足。
・電気屋で暴れていた男。
イワシの
・The deep ones
ディープ・ワン。十九世紀初頭、マサチューセッツ州の小さな港町インスマウスで公的に知られるようになった「インスマウス病」という伝染病のようなものに罹り、普通の人間が魚みたいな蛙みたいな醜悪な生き物に変化した状態のこと。
・The hybrid deep ones
ハイブリッド・ディープ・ワン。その後の人体実験によりディープ・ワンを超える超人兵器として開発された存在。見た人に与える衝撃は、ディープ・ワンを凌駕する。工場の人々は
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